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共産党トップに40年君臨=武装闘争放棄、「光と影」の権力掌握−宮本顕治氏評伝(時事通信)
http://www.asyura2.com/07/senkyo38/msg/810.html
投稿者 熊野孤道 日時 2007 年 7 月 20 日 07:29:17: Lif1sDmyA6Ww.
 

(回答先: 宮本イズム、現在も党に浸透=自主路線確立−多くの謎も・元共産議長死去(時事通信) 投稿者 熊野孤道 日時 2007 年 7 月 20 日 07:27:14)

http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-18X535.html

共産党トップに40年君臨=武装闘争放棄、「光と影」の権力掌握−宮本顕治氏評伝
2007年7月18日(水)23:07

 18日死去した宮本顕治氏(98)は約40年間にわたり共産党の実権を握り、「平和革命」を目指す現在の党の姿を形作った。戦前から共産主義運動に身を投じたが、戦後は武装闘争を放棄。国会で多数派の形成を図る近代的な党に脱皮させた功績は大きい。ただ、党内権力を掌握する過程では影の部分も指摘されている。

 1908年、山口県光井村(現光市)に生まれた宮本氏が最初に注目を集めたのは新進の文芸評論家としてだった。東大経済学部在学中の二九年、改造社の懸賞論文に「敗北の文学」と題した芥川龍之介論を応募し、小林秀雄氏を抑えて一等に入選。脚光を浴びた。

 31年に共産党に入党。33年には治安維持法違反容疑などで逮捕され、無期懲役の判決を受け、終戦まで獄中で過ごした。検察は、宮本氏が同僚の小畑達夫中央委員(当時)を「スパイ」として査問、暴行して死亡させたとして、殺人などでも起訴。これに対し宮本氏は関与を否定した。

 45年10月に出獄すると党再建に着手したが、50年には徳田球一氏らの「所感派」と宮本氏らの「国際派」との対立から党が分裂。55年に両派の妥協が成立すると宮本氏は復権、58年の第7回党大会で書記長に就き、野坂参三議長(当時)とともに党の実権を掌握した。そして、61年の第8回党大会で党綱領を採択し、国会で過半数を得ることで合法的に政治、社会の変革を目指す「平和革命路線」を確立した。(続)

[時事通信社]

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