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戦後左翼にとって乞食は処理すべき対象であった(反米嫌日戦線)
http://www.asyura2.com/07/senkyo40/msg/565.html
投稿者 尾張マン 日時 2007 年 8 月 14 日 06:42:29: YdVVrdzAJeHXM
 

(回答先: 続 貧乏人のココロがわからない左翼(反米嫌日戦線) 投稿者 尾張マン 日時 2007 年 8 月 14 日 06:33:30)

http://anarchist.seesaa.net/article/51304524.html

ひつこく書いている、「貧乏人のココロがわからない左翼」だが、しばらく左翼糾弾路線はつづく。

終戦後1946年、東京都民は食料もなく、住むところは丸焼け、夫を特攻隊で失った妻は米兵専門の売春婦(パンスケ)で子供を養い、戦災孤児はカッパライで日々をしのいだ。

上野駅周辺の地下道・公園山内・ガード下には、浮浪者が1300人以上も溢れ、その対策に台東区役所と上野警察署は放水で浮浪者を駆逐。酷寒の2月にはその数3千人に増え、毎日数人が凍死のこの世の地獄が繰り広げられていた。ぬくもり屋という、10円で焚火にあたらせる商売があったが、その10円も払えずに人々は凍死していった。

この極限状態の人間に対し、左翼は乞食労働者と決めつけ処理すべき対象とみなしていた。

上野の地下道へ降りて見るがよい。そこには浮浪者・浮浪児・ヤミの女・コジキ・盗人、それらが佇立し坐臥し寝そべっている。彼らは正常な生活意識を失い、反社会性と破廉恥を売り物にして、安易・放縦かつ巧かつな(原文ママ)生活手段を以て生活しているのである。
(中略)
も早、人間の衿持や階級意識や倫理は止揚されて、詐欺・窃盗・かっぱらい・たかり等になって生甲斐を感じているのである。正に人間の残滓であり、社会的な塵埃である。非文化的なる浮浪者を処理し、これら浮浪者層をプロレタリアートに引き上げることは可能か? 蓋し、ルン・プロの身上に、プロレタリアートを見ることはできないのである。ブハーリンはこの層が決して未来の世界を持たぬこと、「独立した創造的事業には全く無能力の人々」(『共産主義のABC』)と規定している。(雑誌「改造」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E9%80%A0
1948年3月号、宮出秀夫『ルンペン・プロレタリアート問題/上野地下道の人々』より)

左翼の人間を人間と思わない非情なる思想、これに対して偉大なるジャーナリスト竹中労は吼える。


浮浪者を人間の残滓・社会的な塵埃と呼ぶその惨心は、あの地下道に放水した警察・区役所の感覚とえらぶところがない。戦後左翼にとってルンペン・プロレタリアート=浮浪者は、処理すべき対象≠ナしかなかった。
ブハーリンが何をぬかしたと、べらぼうめ手前っち日本人じゃねぇのかってんだよ、革命たァ弱いものいじめのことかい、世の中の一番のどん底で苦しんでいる同胞に陽の目をみせることが、カクメイじゃなかったのかよ。私はますます異端であった。そしてそのような疑問をマルクス・レーニン大明神に対して抱くことが、正直にいってしまえば、まだちょっぴりおそろしくもあった。
人間は二合五勺(当時の米の配給量)で生きられるか? それが問題であった。政府が配給する食糧だけで生命を維持できるものか、前に述べた通りの配給事情である(注・政府の配給だけで食べていた裁判官は栄養失調で死んでいる)。家なき人々は狩りこまれても、狩りこまれても地下道に戻ってくる。なぜか? 収容所にいたのでは飢えて死ぬからだ。地下道にいれば食えるからだ。人々に勤労意欲がないだって、安易に生きているだって? したり顔で馬鹿をいうな! 彼らは必死に労働して、日々の糧をかせぎ出している。盗みは職業ではないのか、貰うこと、拾うことも、またとうぜんみずからの肉体を売り、あるいは売るまねをしてだますことも、労働ではないのか?
(中略)
ルン・プロと蔑視される人々はかくのごとく労働している、「独立した創造的事業に無能」では決してないのである。私にはしだいに、この世界の仕組みが見えてきたのだ。どうして、この勤勉な人々を処理≠オなくてはならぬのか! むしろ、彼らをしてあるがままになさしめよ。不運に餓えて死に凍えて死ぬ人々に、せめて義侠の手をさしのべよ、と。(ルポライター事始より)

当時、竹中は日本共産党引揚学生同盟の事務局長であった。

終戦直後から日共は占領軍の恩恵で堕落しきっていたことも、竹中は同書にて暴露している。


引揚運動のダラ幹(注)と同じ退廃を、共産党のオエラガタにも見た。日比谷公会堂の階上にあった当時日共きっての理論家といわれた風早八十二
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%97%A9%E5%85%AB%E5%8D%81%E4%BA%8C
の事務所をたずねて、スコッチ・ウイスキーと洋モクの饗応にあずかったのもそのころである。解放軍規定≠ナアメリカ占領軍とランデブー中であった日共幹部は、たとえば徳田書記長の家にいくと押入れにレーション(米軍の携帯口糧)がぎっしりと積まれている、などという噂が下級の党員の間でもっぱらだったが、風早事務所の接待はその風説を裏付けたのである。


日本共産党創立85周年記念講演会が9日行われた。日共の陰の支配者不破はその場で講演し、冒頭でこう述べている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-12/2007081225_01_0.html


日本共産党は一九二二年七月十五日に生まれました。それ以来八十五年にわたる日本共産党の歴史は、未来を信じてこの党に入り、さまざまな分野の活動で党を支え、ときにはたたかいのなかで命をささげた無数の党員によってきずかれた歴史であります。


現在「アメリカに追従するな」と主張している日共が、終戦直後、米占領軍を「解放軍」と手放しで評価し、その恩恵に与した負の歴史には一切触れていない……。


ダラ幹【だらかん】〔名詞〕
無能で無力な党派の幹部のこと。そのくせ威張り散らす。いつの世にも存在するが、全共闘時代も無縁ではなかった。ことに、全共闘運動が衰退しはじめると、人材が払底し、昨日のペエペエが、今日はセクトの幹部になっているというインフレ的な人事がおこなわれていた。幹部になれば、大抵、女の子が寄ってきて、肉体を捧げてくれたりしたこともあったので、その地位は魅力ではあった。女の子が運動に入る動機に、いくぶんかはボーイハントという気持ちもなかったとはいえない。


http://www.asahi-net.or.jp/~gr4t-yhr/zenkyoto_ta.htm


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