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文民統制の真相<4>『湾岸』トラウマ (東京新聞)
http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/188.html
投稿者 天木ファン 日時 2007 年 8 月 24 日 20:41:20: 2nLReFHhGZ7P6
 

(回答先: 文民統制の真相<3>米中枢テロ後 (東京新聞) 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 8 月 24 日 20:38:17)

http://www.tokyo-np.co.jp/feature/sakimori/news/070822.html

海外活動拡大後押し

 「湾岸戦争のトラウマ(心的外傷)」という言葉がある。

 一九九一年、クウェート占領中のイラク軍を多国籍軍が攻撃した湾岸戦争で、日本は百三十億ドル(当時のレートで一兆七千億円)という巨費を拠出した。だが、自衛隊を派遣しなかったことから「血も汗も流さない」と国際的な批判を浴びたとされる。

 この時の“嫌な思い”がトラウマとなり、自衛隊を海外に送り出す原動力になった。自衛隊の海外活動が浮上するたび、国会では「湾岸戦争のトラウマ」がよみがえる。真相はどうだったのか。

 九一年三月、クウェート政府は米国など三十カ国に謝意を示す広告を米紙に掲載した。この中に日本の名前はなかった。

 当時、官房長官だった加藤紘一元自民党幹事長は「自民党の四割はけしからんと憤慨したが、六割は金で済む話ではないから仕方がない、とあきらめ顔だった」と振り返る。

 ところが、実は百三十億ドルの大半が、多国籍軍の中核を成した米国に戦費として支払われた可能性が高いのだ。

 使途が公表された追加分九十億ドル(同一兆千八百億円)の内訳をみると、米国へは一兆七百九十億円が渡ったが、クウェートへ回されたのは、はるかに少ない約六億三千万円だけ。本来の目的である戦後復興に使われていないのだから、感謝の広告に日本の名前がないのもうなずける。

 「あれは外務省のミスだ。戦費の大半を日本が負担をしたことをクウェートに説明しなかった。人的貢献をしなければ、世界的に評価されないというのは間違いだ」と元政府高官はいう。

 ただ、湾岸戦争の際、政府は人的貢献を捨てていたわけではなかった。

 イラクがクウェートに侵攻した九〇年八月、外務省の事務次官室で連日、明け方まで議論が続いていた。青年海外協力隊のような文民の派遣案と自衛隊の派遣案。事務次官だった栗山尚一氏は「自衛隊は軍隊だ」と譲らず、自衛隊を休職させて文民として派遣する案が固まった。

 だが、当時自民党幹事長だった小沢一郎民主党代表は防衛庁の考えを受け入れて自衛隊派遣案を採用、国連平和協力法案として国会に提出するが、野党が反対し廃案となる。続いて現れたのが自民、公明、民社三党による「国連平和維持活動(PKO)に協力する自衛隊とは『別組織』を創設する」との三党合意案だ。「文民」をイメージさせる妥協案だった。

 この別組織論は国会審議の過程で消え、自衛隊の海外派遣を柱にする国連平和維持活動協力法が九二年六月に成立した。殺し文句として自民党が何度も使ったのが「湾岸戦争のトラウマ」という言葉である。

 それから九年。二〇〇一年九月の米中枢同時テロ直後、外務省は「湾岸戦争のトラウマを繰り返してはならない」と主張。インド洋に海上自衛隊を派遣するテロ特措法は、一カ月の国会審議でスピード成立した。

 自衛隊をイラクに派遣するイラク特措法の国会審議でも「湾岸戦争のトラウマ」が語られた。湾岸戦争当時、外務省条約局長だった柳井俊二前駐米大使は「自衛隊が出ていくとテレビの絵になる。百三十億ドルでは絵にならないでしょう」。

 「湾岸戦争のトラウマ」が生まれたきっかけは、本当に外務省のミスだったのだろうか。自衛隊の海外活動を拡大するエネルギー源としての命脈を保ち続け、ついに昨年十二月には自衛隊法が改正されて海外活動が本来任務化された。“魔力”は健在なのだ。


制服組インタビュー カンボジア派遣時の陸上幕僚長 冨沢暉(ひかる)氏(69)

派遣拒否…あり得ない

 「カンボジア派遣は万全ではなかった」と話す冨沢暉氏


 ――湾岸戦争を境に潮目が変わり、自衛隊の海外派遣が浮上した。

 「カネだけ出していては具合が悪いと、政治が持ち出した。とはいえ、武力行使はできない。陸上自衛隊として何ができるか、暗中模索だった」

 ――宮沢政権で国連平和維持活動(PKO)協力法ができてカンボジア派遣が始まった。

 「現地で日本人ボランティアが殺されたとのニュースは衝撃だった。隊員から死者が出ないとも限らない。家族に何といえばいいのか。記者会見でどう答えるのか。そこまで考えた派遣ではなかった」

 ――家族にはどう言うつもりだったのか。

 「それは明かせない。シビリアンコントロール(文民統制)というが、政治が責任を持つから、さあ行きなさいという万全の態勢ではなかった」

 ――イラク派遣では陸上幕僚監部が国葬に準じる儀式を準備していた。

 「すごい進歩だ。経験を重ねた成果だね。冷戦後は海外に行かなければ、自衛隊の仕事がなくなってしまう。だから新任務として始まったが、細部まで詰めなかった。振り返ると内心じくじたるものがある」

 ――陸幕長としてルワンダ難民救援に部隊派遣した。米軍撤収後のかなり危険な任務だった。

 「人道支援というので了承したが、勘違いしていて米軍撤退後の派遣になった。私のミスだ。現地の治安は悪く、薄氷を踏む思いだった」

 ――制服組が派遣を決めたのか。

 「いや、もちろん政治の決定だった。当時の玉沢徳一郎防衛庁長官に『警備部隊を増やし、早い段階の撤収をお願いします』と頼むと、玉沢氏は駐留を予定していたコンゴ(旧ザイール)に乗り込み、大統領と直談判して『占領ではない。遅くても年内に帰る』と約束し、旧ザイール軍との友好関係を取り付けた。帰国後、『帰国時期は閣議で決める』と不満が出たと聞いているが、信頼に値する行動だった」

 ――持参する機関銃が一丁か、二丁かでもめた。

 「防衛事務次官に『一丁なら行かないとは言わない』と話していたが、国会論議でやはり一丁になった。陸自OBの会合で『おまえは妥協した。希望が通らなければ横になれ(派遣を拒否しろの意)、クビになったらその次も、またその次の陸幕長も横になれ』と批判された。私は『派遣は私が決断した。ひいきの引き倒しはしないでください』と反論した」

 ――派遣拒否の選択肢もあったのか。

 「いや、ない。われわれは政治の要求は受けなければならない。『政治が悪い』という逃げ口上は言えない」

<記者の一言>

 戦地派遣にはカネがかかる。陸自のイラク派遣費用は七百二十二億円。宿営地の要塞(ようさい)化などに充てられた。やっかいなのは事前に分からないこと。戦費と一緒だ。

編集委員 半田滋

2007年8月22日

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