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外交文書公開:ワードBOX(西日本新聞)
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投稿者 天木ファン 日時 2007 年 8 月 31 日 12:48:02: 2nLReFHhGZ7P6
 

http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/5109/

外交文書公開


 学会や国会の強い要請を受け、外務省は1976年から、作成後おおむね30年が経過した外交文書を公開している。今回は20回目で、2005年2月以来。50−60年代を中心に日米首脳会談はじめ2国間外交、賠償問題、多国間条約、国際紛争関係など301冊、約15万ページの文書が公開されている。国の安全、外国との信頼関係、交渉上の利益などに支障があると判断された場合や個人に関する情報は情報公開法に基づき非公開となる。公開するかどうかは当初から外務省の裁量に任されており、制度の在り方をめぐって疑問や不満がつきまとっている。


第20回外交文書公開 1940−1970年代 沖縄返還日米会談 米ベトナムの苦悩深く 日本は交渉材料なし
(2007年8月30日掲載)

 ●識者評論 高原 明生・東大教授

 ▼1958年生まれ。東大卒、英国開発問題研究所博士課程修了。専門は現代中国政治、東アジアの国際関係  

     ◇

 外務省は、30日付で広島、長崎への原爆投下からベトナム戦争終結までの1940年代から1970年代までの外交文書を公開した。その中の沖縄返還をめぐる1967年の日米首脳会談のやりとりについて、専門家は返還の時期や条件が盛り込まれなかった背景を分析している。

     ◇

 1967年の佐藤栄作首相、ジョンソン大統領による日米首脳会談記録を見ると、ベトナム戦争の戦況悪化や経済問題などで疲弊しきっている大統領の苦しい心理状態が顕著に表れている。日本にいろんな責任をより多く引き受けてほしい、そのため多少譲歩するのは仕方がないという意識だ。大統領は米国が「防衛責任の一部を放棄することは歓迎する」とまで踏み込んでいる。

 共同声明に沖縄返還の時期や条件は盛り込まれなかったが、大筋の方向性についての認識は首脳同士で共有され始めたと言っていいのではないか。米側が弱気だっただけに佐藤首相がもう少し交渉材料を持っていれば、声明でより具体的な内容を入れることもできたかもしれない。

 今回公開された外交文書を見る限り、沖縄に関する「密約」を想起させる部分は見当たらない。ただ、少し気になるのは大統領が「日本が経済その他で責任を引き受けられるならば、われわれもこの問題(沖縄返還)に取り組むことができる」と、経済以外を「その他」とあいまいにした点だ。この部分について別のチャンネルで突っ込んだ交渉が行われていた可能性は否定できない。

 外交記録からは、当時の日本政府の中国情勢、中ソ関係の分析・判断は予想以上に的確であったことがわかる。米国が共産中国への「封じ込め」に走る中、関与政策を唱えていたことも評価できる。

    ×      ×

 ●負担の構図今もなお

 【解説】戦況悪化に苦しむ米国が経済・軍事面で負担や支援を要請、その圧力に対応を余儀なくされる日本−1967年11月の日米首脳会談で佐藤栄作首相とジョンソン大統領が、ベトナム戦争や沖縄返還をめぐって交わしたやりとりから浮かび上がった構図は、イラク、アフガン戦争を抱える現在まで続いていると言える。

 「新たな思考に基づく、主張する外交」を掲げる安倍晋三首相にとってこうした構図は乗り越えるべきものだろう。冷戦後より複雑化した国際情勢の安定に寄与する「世界とアジアのための日米同盟」(安倍首相)を築けるかどうかは、過去の教訓をどう生かすかにかかっている。

 「われわれは欧州で疲れている。朝鮮、ベトナムでも戦った。米国はその責任から抜け出ることを歓迎するだろう」。ジョンソン大統領の発言にはベトナム戦争などの負担にあえぐ米国指導者の苦悩がにじみ出ている。

 一方、沖縄返還で前向きな回答を引き出したい佐藤首相は、防衛負担の要請に応える形で「沖縄、小笠原(諸島)返還までに軍事基地その他の問題で何ができるか、国民を教育することを考えている」とまで語った。沖縄への米軍長期駐留を半ば容認した発言だ。

 現在、イラク、アフガン戦争に苦しむブッシュ政権は一段と踏み込んだ国際貢献を日本に期待している。その一方、秋の臨時国会では、テロ対策特措法の延長問題が最大の焦点となる。首相の「新思考」が試されるのは、まさにこれからだ。

    ×      ×

 ●歴史のパズル埋まらず 核持ち込み密約、交渉の密使…開示されぬ詳細

 沖縄本土復帰へ向けた転換点となった1967年の日米首脳会談をめぐる外交資料が公開された。しかし、返還時期の決定をめぐり佐藤栄作首相とジョンソン大統領が繰り広げた丁々発止のやりとりや、水面下で暗躍した「首相密使」に関する記述は見当たらず、戦後日米史の空白を埋める「歴史パズルのピース」は欠落したままだ。

 米側文書や関係者証言から既にこの首脳会談に関する多くの重要事実が判明している。その実態を考えると「物足りなさ」が残る今回の開示は、日本の外交文書公開制度の“空洞化”を露呈したとも言える。

 「総理より『in a few years(両3年内)に両国の満足しうる返還の時期に合意することを目的として』と書いた紙片を手交し、(大統領に)考えてみてくれと要望の上、会談を終了した」

 67年会談の最大の成果は「両3年内に双方の満足しうる返還時期につき合意すべき」だとの文言が、共同声明に盛り込まれたことだ。共同通信が2002年に入手した首脳会談記録全文(計48ページ)には、首相が大統領にメモを渡し、「両3年内」の文言を共同声明に盛り込むよう要求していた経緯が明記されている。

 しかし外務省は今回、全文ではなく、22ページの「抜粋」のみを開示。他の文書を精査しても、「両3年」明記へ向けた合意がいかに形成されたのか、その詳しい交渉経緯は全く見えてこない。

 また今回開示された外交文書には、沖縄返還に弾みをつけた同会談の「陰の主役」が登場しない。首相の「密使」として渡米、ロストウ大統領特別補佐官と秘密交渉を行った京都産業大教授、若泉敬氏だ。

 「返還時期を両3年内に決定したい」と首相から打ち明けられた若泉氏が暗躍する軌跡は、同氏が94年に出版した著書や会談時に駐日大使だったジョンソン元国務次官の回顧録、首相の日記に記されている。

 さらに米テキサス州のジョンソン大統領図書館には、若泉氏が密使であることを説明する首相の「信任状」や、若泉、ロストウ両氏の交渉記録が保管されている。ロストウ氏は他界する前の2000年「若泉氏は首相から指示を受けていた。米国がどこまで折れるか(見極めるように)と」と取材に答えている。

 しかし、こうした返還交渉の「核心部分」は今回の文書公開の対象ではなかったようだ。若泉氏が正式な外交チャンネルの線上にいなかったためなのかもしれない。

 ただ若泉氏は「72年返還」で合意する69年の日米首脳会談にも登場、有事の核持ち込みを米側に認める「密約」をまとめたとされる。時の首相の命を帯びて行われた秘密交渉に関する説明責任が果たされない限り、外交文書公開の形骸(けいがい)化はさらに進むことになるだろう。


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