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〈本の紹介〉 「北朝鮮の脅威」と集団的自衛権(朝鮮新報)
http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/806.html
投稿者 天木ファン 日時 2007 年 9 月 08 日 16:27:19: 2nLReFHhGZ7P6

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j0908-00004.htm

偏見捨て、冷静な判断求める


 日本の世論は、なんでも答えを一つの方向へ誤導しようとする。とくにそれが朝鮮問題となると、「集団ヒステリー」(「ニューズウィーク」誌)に陥ってしまい、冷静な判断や思考ができない状況にある。

 現在、6者会談は朝・日関係だけを除いて着々と進展し、最も鋭く対立していた朝米関係もいまや友好ムードが漂い、また、北南首脳会談も来月初めには開催されることが決まっている。

 いかにしてこのような劇的な変化が起こりえたのか。それは東北アジアにおける冷戦の終結を告げる世界史的なできことであるのに、この間のドラマスティックともいえる動きは日本ではほとんど伝えられていない。

 その一方で、日本でフレームアップされるのは、本書のタイトルのような「北朝鮮の脅威」と「集団的自衛権」という文脈の時である。荒唐無稽な「北朝鮮の脅威」を言い立てて、日本国憲法で禁止されている「集団的自衛権」が行使できるようにしたいという願望がみえみえなのである。

 安倍首相は今年5月、首相官邸で開かれた「有識者懇談会」の第1回会合のあいさつで「わが国の安全保障環境は格段に厳しさを増している」と言い、その要因として「北朝鮮の核開発や弾道ミサイルの問題」を挙げた。その後もこの「懇談会」は回を重ね、「集団的自衛権」の行使を可能にする法体系の根本的転換をめざしている。

 著者は、「予断と偏見を捨てて冷静に考えれば、北朝鮮が米国に向かって弾道ミサイル攻撃をかけることは、万が一にもありえない。軍事技術的にも、政治的にも、北朝鮮による米国攻撃は、100%ありえない」と断言する。その「100%ありえない事態」を想定して、集団自衛権を行使できなければ、攻撃された米国を見捨てることになり、日米関係を損なうことになりますよ、と人々を不安がらせようとしているのが安倍政権の狙いである。

 本書は「北朝鮮の脅威」の虚像を完膚なきまでに剥がし、それが全くの政治フィクションであることを証明する。冷戦の終結によって、ソ連という仮想敵を失った防衛庁・自衛隊の幹部たちと、憲法改悪によって日本を軍事国家として確立させたいと願う政治勢力によって作り出された政治的フィクションなのだと。朝米関係が一大転換を迎えつつある今、タイムリーな一冊。(梅田正己著、高文研、1300円+税、TEL 03・3295・3415)(粉)

[朝鮮新報 2007.9.8]

<関連情報>本
「北朝鮮の脅威」と集団的自衛権
http://www.koubunken.co.jp/0400/0391.html


「北朝鮮の脅威」と集団的自衛権【立ち読みコーナー】
http://www.koubunken.co.jp/0400/0391sr.html

「北朝鮮の脅威」と集団的自衛権【立ち読みコーナー】
著者
梅田 正己(うめだ・まさき) 1936年、佐賀県に生まれる。書籍編集者として、教育書をはじめ沖縄問題、安保・防衛問題、核問題、憲法問題、歴史認識・アジア認識の問題、ジャーナリズム問題、現代史への証言などの書籍を編集・出版しながら、自分でも執筆活動を続けてきた。日本ジャーナリスト会議会員。
著書:『変貌する自衛隊と日米同盟』『「非戦の国」が崩れゆく』『有事法制か、平和憲法か』『「市民の時代」の教育を求めて』(以上、高文研)『この国のゆくえ―教科書・日の丸・靖国』(岩波ジュニア新書)ほか


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■あとがき


 自衛隊が発足してから半世紀がたつ。その間、自衛隊は他国の兵士を一人たりとも殺さず、自らもまた一人の犠牲者も出さなかった。よく指摘されることである。
 だが、どうしてそんなことができたのか、何が自衛隊員を「守った」のかについては、あまり語られることはない。「憲法9条があったからだ」というのはそのとおりだが、実際に自衛隊の行動を規制していたのは、9条を源流として生まれた自衛隊法以下の法律だった。
 冷戦が終わった一九九〇年以降、イラクのクウェート侵攻により始まった湾岸危機をきっかけに、自衛隊の海外出動をうながす動きが一挙に強まった。政府自民党はそのための法案を用意する。当然、国会で大問題となった。自衛隊の海外出動を禁止した参議院決議もあったからだ。
 一九五四(昭和29)年6月2日、防衛二法(自衛隊法と防衛庁設置法)が参議院を通ったその日、参議院は「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」を採択した。「現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照らし、海外出動はこれを行わないことを、茲に更めて確認する」という決議だった。以後三五年間、米軍などとの演習・訓練は別として、自衛隊が任務をもって海外に出ることはなかった。
 その後、一九九一年4月、海上自衛隊・掃海部隊のペルシャ湾派遣を皮切りに、翌九二年6月に成立したPKO法により自衛隊の海外出動が常態化してゆく。さらに九九年には、今度はPKOではなく、日本周辺の公海に出て、戦闘中の米軍の「後方地域支援」を受け持つ周辺事態法を制定、二〇〇一年に米国で同時多発テロが起こるとただちにテロ特措法を制定、米軍支援のためインド洋へ自衛艦を派遣し、つづいてイラク戦争ではイラク特措法を制定して延べ五千人をこえる陸上自衛隊員と航空自衛隊の輸送部隊を、全土が「戦場」と化したイラクへ送った。
 こうして、数多くの自衛隊員が海外へ出て行ったが、出先で自衛隊が銃火を交えることはなく、したがって他国の兵士を倒すことも、自らが銃弾に倒れることもなかった。理由は、自衛隊法以下の法律によって、自衛隊の「武力行使」はきびしく抑制され、その「武器使用」はきびしく制限されていたからである。
 この「武力行使の抑制」と「武器使用の制限」を合わせて、私は本書で「武力行使抑制の法体系」と呼んでみた。
 源流は、憲法9条である。特に「戦力不保持」の9条2項についての「解釈」から、自衛隊の定義──「自衛のための必要最小限度の実力組織」が導き出され、この規定が自衛隊法以下の法律をつらぬいて日本独自の「武力行使抑制の法体系」を生み出した。
 イラクに派遣された陸上自衛隊員の多くは、遺書を残していったという。しかし彼らは、全員がぶじ帰還できた。理由は、イラクに着いた彼らの行動を「武力行使抑制の法体系」ががんじがらめとも言えるほど固く規制していたからである。

 ところがいま、この「武力行使抑制の法体系」が根底から突き崩されようとしている。その先頭に立っているのが、ほかならぬ安倍首相であり、既成の法体系を叩き壊すハンマーとして持ち出されたのが「集団的自衛権」である。
 まさか、と思う人は、安倍首相の「私的諮問機関」として設置された、いわゆる「有識者懇談会」の正式名称を確かめていただくとよい。それは「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」となっている。マスコミでは安倍首相が示した四類型などから、たんにケーススタディを行う懇談会のように軽くとらえている向きもあるが、実際は法律を作り直すための理論武装グループ≠ネのである。そしてそこで「再構築」の対象とされている「法的基盤」こそが、私の言う「武力行使抑制の法体系」なのである。
 この「武力行使抑制の法体系」を突き崩して、普通の国の普通の軍隊として必要に応じて武力を行使できるようにするのか、それとも、武力不行使の原則を守ってこれまで通り「非戦」をつらぬくのか、いま日本国民が迫られているのはその選択にほかならない。

 そしてこの「法的基盤の再構築」の口実として使われているのが、またしても北朝鮮である。安倍首相が挙げた四類型の一つ、日本の上空をアメリカに向かって飛んでゆくミサイルを自衛隊のミサイル防衛システムで撃ち落とせるかどうか、という設問からも、それがわかる。日本の上空を通過してアメリカに向かうのは、北朝鮮のミサイル以外に考えられないからだ。
 思えば、冷戦の終結によりソ連という仮想敵が消滅したあと、新たに作り出された仮想敵が北朝鮮だった。現在、この国の安保・防衛政策の基本方針を定めた「防衛計画の大綱」において二大戦略目標となっているのは、海自と空自による「ミサイル防衛」と、陸自の「対ゲリラ戦」だが、ミサイル防衛は一九九八年の「テポドン・ショック」、対ゲリラ戦は九九年の「不審船」事件によって生み出された。つまり、どちらも「北朝鮮の脅威」から導き出されたものだ。
 そしていままた、「北朝鮮の脅威」を理由に「武力行使抑制の法体系」が突き崩されようとしている。
 そのことをどう考えたらいいのか。
 「北朝鮮の脅威」が政治的フィクションによって作り出された妖怪≠フ幻影にすぎないことを、私は本書で六カ国協議の推移を追うことにより明らかにしたつもりだ。それでもなお「北朝鮮の脅威」を言い立てる人には、こう静かに尋ねよう。
 ──北朝鮮は、何を目的に、いかなる利得を求めて、日本を攻撃してくるのですか?

 狭いタコツボ型思考に陥らぬこと、自己中心の独善的判断に陥らぬこと、つまり物事を広い視野で、かつ歴史的に見て判断する「理性」が、とくに歴史の曲がり角にあってどんなに大切であるかは、第二次大戦前の日本の歩んだ道が教えている。その終着点が、日本国民三百十万とアジアの民二千万人の死であった。
 「理性」が瀕死の床に横たわっているとき、その枕頭に立っているのはファシズムである。

  二〇〇七年 8月8日
梅田正己

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