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光市母子殺人事件 今枝仁弁護士(光市事件弁護団の)の話
http://www.asyura2.com/07/senkyo42/msg/183.html
投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 9 月 19 日 20:16:06: mY9T/8MdR98ug
 


http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/imaeda.htm

ここでの議論はかなり有意義と思いますので投稿します。
 昨日橋下弁護士に訴訟を提起した原告の今枝です。
 光市弁護団は、全員が死刑廃止論者ではありません。私は元検察官ですし、現行法を前提に弁護活動をなすのが正当と思ってます。弁護団の中には死刑廃止論者が何人かいるようですが、そのような議論は弁護団の活動の中でなされていません。もちろん、弁護活動に死刑廃止運動のために事件を利用しようという意図もありません。誰が言い始めたのか、そういうレッテルを世間が鵜呑みにしただけです。
 弁護団は(というより他の人の思いは分からないので少なくとも私は)、今までなされた事実認定に疑問を持ち、真相をより解明し適正な量刑を果たされるために弁護活動をしています。
 現在の被告人の発言は、弁護人が指示したり教唆したものではありません。被告人は旧1・2審では、訴訟記録の差し入れもしてもらっていなかったので、記憶喚起も曖昧であり、検察官の主張に違和感を唱えても弁護人に「下手に争って死刑のリスクを高めるより、反省の情を示し無期懲役を確実にする方が得策」と示唆を受けたと述べます。最高裁段階で証拠の差し入れを受け、記憶が整理され、今の主張に至っています。
 また、家裁での調査記録に「戸別訪問は孤独感が背景」「予想外に部屋に入れられ不安が増大した」「被害者に実母を投影している」「退行した精神状態で進展している」「死者が生き返るとの原始的恐怖心に突き動かされている」「発達程度は4、5歳レベル」などと書かれています。いずれも今までの認定と矛盾し、今の主張と整合しています。また家裁記録には「劇画化して認識することで自己防御する」とあります。そうすると「ドラえもんが」や「魔界天性」等も、そういう被告人の性癖が露呈されただけとも言えます。
 さらに1審の被告人質問では殺意を否認する供述をし、強姦の計画性は刑事や検事に押しつけられた、と否認しています。現在の供述の片鱗は、すでに随所に現れていたと言えます。なお被告人質問は1審で2回、2審で4回ほど行われていますが、犯行態様について聞かれたのはわずか20〜30分間、全体の10分の1以下の時間に過ぎません。
 現在は、被害者の遺体の法医学鑑定も大きな争点です。弥生さんについて「両手で体重をかけて締めた」とされていますが、片手のみの跡が残っており、舌骨骨折もないから疑問を提起しています。夕夏ちゃんについて「頭上から後頭部を下に叩きつけた」とされていますが、頭蓋骨骨折も脳内出血も無いことから疑問を提起しています。被告人は「弥生さんは片手で押さえた」「夕夏ちゃんを叩きつけたというのはない」と述べており、現供述の方が客観証拠と整合します。
 これらについては、すでに5月に陳述し、マスコミにも配布した「更新意見書」に書かれています。ですから守秘義務違反も生じないし、これらの内容がきちんと報道されていない実態に疑問を感じます。橋下弁護士も、大阪の集会でこれを読んで以降は、「弁護団の主張自体はもう批判しない。1・2審であれば自分も同じ主張をしたかもしれない」としています。 
 さらに被告人が「午後からタンクトップのラフな格好で出廷した」と非難されていますが、その実態は、昼休みに護送車に乗った際、他の被告人の汚物が服に付き、着替えが無かったためです。弁護団は即日マスコミに説明しましたが、まったく報道されていません。
 また本村さんを睨んだとされましたが、被告人は斜視で(家裁記録にも「斜視であり、脳器質の異常が疑われる」とあります)、目が視線とは別の方を向いています。つまり実際に目があったときには、どこかほかのところを見ているかのように見えるのです。そのことも記者会見で説明しています。
 そういう状況ですから、マスコミ報道だけを鵜呑みにして評価するのはちょっと待っていただきたいと思います。
 徐々にですが、弁護団の説明が伝わっていきつつあります。
 「説明義務違反が懲戒理由」という橋本弁護士の主張には賛同できませんが、もっと積極的に説明を尽くすべきという指摘には被告人の利益のために考えていくべきことと認識しています。
 裁判員制度を迎えるいま、刑事裁判の本質が正しく国民に理解されなければなりません。中でも刑事弁護人の役割は、なかなか理解されにくいものがあります。刑事弁護人は、たとえ全世界が被告人に唾棄しても、被告人を擁護し、被告人が述べるところに従って(議論はするとしても最終的には従い)弁護すべき立場にあります。だからといって、裁判所が受け入れる余地もない荒唐無稽な主張をしても被告人のために意味はありません。
 光市事件では、被告人の成熟度、強姦の計画性、殺意の有無・程度・殺害態様などを証拠に基づき争っており、報道過程で荒唐無稽で中身の無いもののようにされているにすぎません。視聴者が飛びつきやすいセンセーショナルな枝葉を拡大され表面に膜を張られ、根幹が見えなくされています。
 裁判所は鑑定書や証人を採用し、検察官も法医学者の証人尋問を申請しました。このように、弁護人の主張はスルーされるわけでもなく、法廷では事実が証拠に基づき主張が激突しているのです。その本質を理解された上で、感情でなく論理的に批判を受けるのであれば、私たちも反省をしなければならないかもしれません。

(その1)

 私が弁護団に加わった理由と経緯について
 正直に言いますと、端的に言えば、足立修一弁護士との友情関係からです。
 最高裁の弁論欠席後、社会からバッシングを受けている足立弁護士の憔悴しきった姿を見て、
事件が広島高裁に差し戻されたときに、負担と批判、リスクを広く分担するために、広島で何人かお手伝いしようという話になったときに、多くの弁護士は断りましたが、私は他人事として放置することができませんでした。
 しかしそのときは、私もそれまでの報道の影響を受けており、この事件におよそ救いというものはないだろうし、本村さんの発言にもある程度共感をしていましたので、死刑判決という結果になる過程でやるだけのことをやって弁護人の役割をこなせばよい程度の認識を出ていませんでした。
 その後、被告人と接見し、記録を読み込んでいるうちに、本件については看過できない事実誤認が生じており、これをそのまま維持されて量刑も死刑に変わるということになると、もはや刑事司法における正義には絶望せざるを得ないとも言える状況にあることが理解でき、証拠を吟味し、被告人の言い分に耳を傾け、その内容の合理性を考えながら、今のような訴訟活動をなすに至りました。

 主張の根幹は、被告人の精神的未熟性、生育歴と家庭環境の本件発生への影響、個別訪問の目的は強姦対象の物色でなかったこと、弥生さんに抱きついた時点では強姦の意図まではなく抵抗を受けてパニック状態で死に至らしめたこと、殺害態様として認定されているような行為態様ではなく確定的殺意の認定は不合理であること、夕夏ちゃんへの無惨な殺害行為は客観的証拠と矛盾し被告人の捜査段階の自白しかなくことさら凶悪に創作されていること、姦淫行為は純粋な性行為と言うよりは自殺した母親に甘えたいという抑圧された愛欲の面も窺えること、等です。
 確かに、その文章における表現方法において、マスコミに揚げ足をとられるようなデフォルメ的な表現があったことは、より慎重に検討すればよかったと今となっては反省する面もあります。根幹の主張に力が入っていましたが、枝葉をここまで拡張されて報道されることを予想すれば、枝葉のディテールをもっと慎重に描写すればよかったという反省です。

 被告人の斜視について
被告人は、片目の視線を見たい対象に合わせ、その際他方の目は外側を向きます。
 だいたいにおいて、左目で相手を見、そのとき右目はかなり外側を向いています。
 退廷するときも、被告人から見て右側が傍聴席ですから、被告人が前を見ていても、右目は斜め右前、つまり本村さんの方向を向いていた可能性はあります。
 その右目を、本村さんが、睨んだと感じたとしても不自然ではありません。
 その際、その右目は、何も見ていないので、感情のない、冷たい、不気味な目のように感じられるかもしれません。

 被告人の未成熟性の主張について
 家裁の記録は、「発達レベルは4、5歳程度」という部分だけではなく、随所において、被告人の精神的未熟性と、退行的心理状態を認定しています。
 家裁記録には、鑑別所技官の意見と、家裁調査官の意見の2通りあり、それぞれ複数の担当者が共同調査を行っていますが、いずれの意見においても、被告人の未熟性が認定されています。
 これに加え、あらたに鑑定を依頼した心理学者、精神科医のいずれも、その分析方法は異なるものの、結論においては被告人の精神的未熟性を認定します。父親の虐待から守りあつ母親と母子未分離の精神状態にあるなかで母親の自殺死体を目撃したことがトラウマとなり、発達は停止し、「ゲームなど虚構の世界に逃避し、その後退行状態に逃避する。その2重構造は容易に崩せない」等と評されています。
 これまでの刑事記録における被告人の供述内容にも随所に上記の評価を得心させるような発言があり、弁護人が接見した際の被告人の言動からも上記の評価は納得できるものであり、これらを総合して、主張の根拠としました。
 「不謹慎な手紙」の、「7年でひょっこり地上に芽を出す」という表現から、「普通の人がおよそ知らないような法制度まで熟知しており、ずる賢い上に能力も高いはず」と批判されますが、被告人によれば、本村さんの「天国からのラブレター」に、「少年であれば無期懲役になっても7年で釈放されうる」という記述で知ったそうです。仮にこれが事実ならば、遺族の著述で加害者が知識を得、それが不謹慎な手紙に記載され、しかも相手と検察官により暴露された、という不幸な連鎖ではないでしょうか。
 この言い分については、本村さんを傷つける可能性があるため、これまで伏せていました。
 しかし次回の被告人質問で出てしまうため、これが「枝葉」として拡張されすぎることを回避するため、被告人のためにあえて書きました。

(その2)

 弁護団の主張の報道について

 なんども繰り返すようですが、弁護団の主張がどういうものであるかは、報道を見ただけの感想で評価するのではなく、全体として評価していただきたいと思います。
 これについては、今、更新意見書等の資料をアップする作業を進めています。なお、最高裁段階の主張は、すでに「光市裁判」という書籍が発売されています。
 弁護団の主張の内容を検討して、なお「おかしい。納得がいかない。」と批判されるのであれば、我々も自己批判の検討材料とすることができますが、現在までの報道のほとんどは、枝葉だけを取り上げて根幹は紹介せず、「枝葉が腐っているから木ごと切り倒せ」というようなものと認識しています。
 私も、もし、外部から今の報道だけを見て判断したら、こういう荒唐無稽な主張をすることは被告人のためにならないばかりではなく、裁判制度を侮辱しているのではないかと感じるかもしれません。しかし、報道のされかた自体の問題が介入していることを理解していただき、主張を全体として評価して頂ければ、その中での枝葉の位置づけ(なぜそういう枝葉がそこにあるか)がより理解されるのではないかと思います。

(その3)

 弁護団による情報提供について、もっと早く情報を開示すべきではなかったかという他のコメントに対して

 情報提供についてですが、これまで弁護活動上の情報開示としては、弁論要旨や更新意見書等の書面を配布して記者会見をする程度が一般的であり、かつ、それで十分とされていました。
 光市事件弁護団も、通例に従ってそのような努力をなしていました。現在、重要資料を冊子にして配布し始めたほか、それらをインターネット上で開示することを準備中ですが、これまでそこまでやっていなかったことをもって説明義務違反になるというご批判でしょうか。
 確かに、誤った前提による誤報道については、もっと早く対応をすればよかったかもしれません。
 たとえば「21人全員死刑廃止論者だから、死刑廃止のプロパガンダのために事件を利用している」などという誤認については、放置してしまったがために誤解が固定してしまったかもしれません。しかし遺族である本村さんがそれをおっしゃっている場合にそれに反論することが、遺族攻撃と批判される可能性もあり、それを自粛したという面もあります。
 なお、そのような一例を挙げると、「不謹慎な手紙」の中の「7年でひょっこり地上に芽を出す」という記載について、元検察官のコメンテーターが、「こういうことは普通知らない。そういう悪知恵がついているということは、相当な知能犯」みたいなコメントをしているのをテレビで見たことがあります。しかし、被告人によると(守秘義務は解除されています)、本村さんの「天国からのラブレター」を読んだときに、「少年だと無期懲役と言っても7年で出所してしまう」と書いてあったことで知ったとのことです。仮にこれが本当だとすると、遺族の書籍が被告人に知識を与え、不謹慎な手紙に影響してしまった可能性、という不幸な連鎖の可能性があります。これまでこのことは「遺族批判」と批判されるおそれがあるので伏せてきました。しかし次回の被告人質問で明らかになるし、そのときにまたこのことが「枝葉」として拡大され全体像をぼかすおそれもあるので、思い切って書きました。
 こういうふうに、一つ一つあげればきりがないほどですが、報道で言われていることというのは、ふたを開けてみれば意外な理由や状況であったりすることが多いのが、生の事件というものです。
 報道で分かるのは、実像の1パーセントにも至りません。
 言うなら「事件は報道より奇なり」です。
 橋下弁護士ら弁護士であるコメンテーターは、そのようなことが十分に分かっていてしかるべき経験を有しているはずではないか、と思います。

(その4)

 被告人の問題の手紙について
 2審の段階で取りざたされた、被告人の「不謹慎な手紙」が今なおマスコミで取り上げられ、被告人が反省していないという根拠とされます。
 これについては、旧2審判決で、「しかしながら、被告人の上記手紙の内容には、相手から来たふざけた内容の手紙に触発されて、殊更に不謹慎な表現がとられている面もみられる(少年記録中では、被告人が、「外面では自己主張をして顕示欲を満たそうと虚勢を張る」とも指摘されている)とともに、本件各犯行に対する被告人なりの悔悟の気持ちをつづる文面もあり」とし、被告人なりに一応の反省の情が芽生えるに至っていると評価しています。
 つまり、手紙の一部ですから、全体の中の流れ・文脈や、その手紙を書く動機となった相手からの手紙の内容等を総合して評価すべきであり、枝葉を取り上げてのみ評価すべきではないとの価値判断をされたものと思います。
 確かに不謹慎な内容の手紙であることは否定できませんし、上記判決の評価に加えこれを擁護する説得力ある論拠もなかなか現時点で見あたりませんが、判決でこのように評価されていることを踏まえ、報道されるのが正しいあり方ではないでしょうか。

(その5)

 被告人が4〜5歳の発達レベルで(問題の)手紙を書いたというのかという批判のコメントに対して
 それから、弁護団は、「被告人の発達レベルが4、5歳程度」という主張はしていません。
 これは、「家裁の記録にはそう書かれている」、という指摘です。弁護団ではなく家裁調査官が言ったことです。
 弁護団としては、「4、5歳というのはあまりに言い過ぎだが、状況的に見て、事件当時は11〜12歳レベルの発達だったのではないか」と主張していいます。
 逮捕後の被告人の写真を見ても、中学1〜2年生かと思うような幼稚な風貌です。
 皆さんは、非行を繰り返した挙げ句の凶悪少年をイメージしておられるでしょう。私もこの事件に入るまではそうでした。
 そうすると、これを前提に類推すると、「不謹慎な手紙」を書いたころの発達レベルは、14〜15歳前後レベルという推測になるでしょうか。
 そうすると、手紙の内容と発達レベルがおおむね合致してくるのではないでしょうか。
 「4〜5歳レベルであの手紙を書いたというのか」という批判が論理的でないことは理解頂けましたでしょうか。
 なお、精神鑑定医は、「被告人は、父親の暴力から互いを守り合う母親との母子の精神的分離が未熟だった上、13歳のときに母親が自殺しそれを目撃したショック等で発達が停滞していた」とし,通常の18歳の少年と同等の責任を問うのは厳しい、と鑑定しています。

(その6)

 今枝弁護士に最高裁の弁論に欠席した責任を追求するコメントに対して

 ○○○さんのように、最高裁段階の弁護団と、現在の弁護団を混合して批判されることには戸惑いを禁じ得ません。
 橋下弁護士が懲戒請求を扇動し、懲戒請求を受けている1人である私は、最高裁段階で弁護人ではなく、よって欠席などもしておりません。
 それなのに、なぜ、その後弁護団に入ったということで、最高裁で欠席したことの批判を受けなければならないのでしょうか。
 批判されている弁護団に後から入ったら、自分が参加する前に自分が関与していない行為についても懲戒請求できる、という論拠はどこにあるのでしょうか。

(その7)

 弁護団は被害者・遺族の気持ちを考えていないというコメントに対して 被害者・遺族の気持ちを考えていない、という批判に対し、誤解され得ることを承知で、正直に気持ちを述べます。
 私は、前述のように自分自身事務所を拳銃で銃撃するという被害に遭いましたし、裁判所刑事部事務官、検察官、刑事弁護人の職務を通じ、何十・何百という被害者の方と話をし、その法廷供述を目の当たりにし、何百・何千という供述調書を読んできました。
 不謹慎に思われるかもしれませんが、仕事がら死体の発見状況、解剖状況を見ることも多く、ご遺族のやるせない気持ちに触れることもたくさんありました。
 その課程で、図らずも不覚ながら涙を流したことは数えきれません。 
 本件も特にそうですが、それ以外にも、松本サリン事件の現場記録には胸がつぶれる思いをしました。
 普通の生活の課程で、突如サリンによる攻撃を受けた人は、何が起こっているか分からない状況で苦しまれ死に至っており、その状況からそれがはっきりと分かりました。
 通常の事件では、被害に遭った方が亡くなっている状況だけですが、その現場付近は、ありとあらゆるすべての生き物が、死んでいました。 池の魚は浮き、鳥は地に落ち、アリは隊列のまま死に、まさに地獄絵図とはこういうものか、と感じました。 
 そして、亡くなった方々の生前の写真、友人らの追悼の寄せ書き、それらの資料からは、突如として亡くなった方々の無念や、ご遺族・知人らの残念な思い、怒りは、想像を絶するものと思われました。
 私は、日常の生活とは無関係なところで起きている事件の、マスコミ報道を見て怒っている方々の多くよりはきっと、職務経験的に、被害者やご遺族らのお気持ちを、もちろん十分理解したとまでは言えないかもしれないものの、少なくとも触れて目の当たりにし体験しています。その壮絶さは、ときには肌を突き刺す感覚で身を震わせます。
 職務の過程で、もし自分や家族がこういう被害に遭ったらどう思うだろうか、同じような被害に遭って果たして加害者の死刑を求めないだろうか、という自問自答は、それこそ毎日のように私の心を襲います。そしてときには苦しみ、ときには悩み、日々の職務を遂行してきました。正直に言いますが、自責の念にとらわれて煩悶することも、ありました。
 しかし、対立当事者間の主張・立証を戦わせて裁判官が判断する当事者主義訴訟構造の中での刑事弁護人の役割は、被告人の利益を擁護することが絶対の最優先です。
 むやみやたらに被害者・遺族を傷つけるような行為は自粛すべきものの、被告人の権利を擁護する結果、被害者・ご遺族に申し訳ない訴訟活動となることは、ときには避けられません。
 そういう衝突状況で、被害者・ご遺族を傷つけることを回避しようとするばかりに、もしも被告人に不利益が生じた場合は、刑事弁護人の職責は果たしていないことになってしまいます。
 被害者・ご遺族の立場を代弁し、擁護するのは検察官の役割とされています。それが当事者主義の枠組みです。
 典型的な例は、被害者が死亡しているのが明らかな場合に、被告人が「自分は犯人でない」と主張し、それに従って弁護するときです。
 ご遺族からすると、検察官が起訴した以上その被告人が犯人であり、犯人が言い逃れをするのは許し難く、被害感情を傷つけることになります。
 しかし弁護人は、被告人が「自分が犯人でない」と主張する以上は、その言い分に従い(証拠構造上その言い分が通るのが困難であればそれを説明し議論した上で最終的には従い)、被告人が犯人ではないという主張・立証を尽くさなければなりません。
 その場合、職務に誠実であればあるほどご遺族を傷つける可能性もありますが、それをおそれて被告人の利益を擁護することに手をゆるめてはならない立場にあります。 
 そして、被告人の弁護をなす課程で、「被害者・遺族の気持ちをまったく理解しようとしない。」という批判を受けます。
 人間ですから被害者・ご遺族の立場に最大限配慮しているかのような態度をとって、批判をかわしたい気持ちもありますが、そのような自分の都合で被告人の権利擁護の手をゆるめることはできません。
 このような刑事弁護人の苦悩は、経験のない一般の方に理解していただくのは困難かもしれません。なにも見下しているわけではなく、実際に体験してみないと分からないことはほかにもたくさんあります。
 私も体験したわけではないので適切な例でないかもしれませんが、会社で例えると、従業員をリストラせざるを得ない上司の立場に似ているでしょうか。
 リストラされる従業員の苦悩を、その上司は経験上痛いほど自分なりに感じて苦悩していることも多いでしょう。
 そして第三者は、「リストラされる者や家族らの気持ちを考えているのか。」「考えていないから平気でリストラができるんだろう。」と批判するかもしれません。
 おそらく、「そのような一般論はいいけれど、光市事件差し戻し審の主張内容からすると、被害者の尊厳やご遺族の気持ちを考えていないのではないかと批判されても仕方ないだろう。それに被告人の利益にもなっていないではないか。」とのご指摘があろうかとは思います。
 しかし、これだけの凄惨な事件の弁護活動を職務とし、毎日のように記録(もちろん本村さんの「天国からのラブレター」も)に触れ、世間から激しいバッシングを受けている過程で、被害者・ご遺族の気持ちにおよそ思いを馳せないというような人間が存在し得るでしょうか。
 自分の家族が同じような被害に遭ったら、という自問自答は、数え切れないほど繰り返し、何度夢に見たことでしょう。
 こういうバッシングを受けたり脅迫行為も受けている状況ですから、他の大勢の方々とは異なり、私たちには現実に起こりうる危惧です。
 「主張内容からみる限り、被害者・ご遺族の気持ちをまったく理解しようともしていない」「被告人の利益にもなっていない」とのご批判についても、マスコミ報道から受けた印象だけではなく、私のつたない文章(すべての思いがとうてい筆舌に尽くせぬことにもどかしさを感じます)や、もうすぐ広まりわたるだろう弁護団の主張全部やその根拠となった鑑定書等を検討した上で、ご再考いただきたいと思います。
 すべてを書き尽くすことは到底できませんが、家裁記録に「孤立感と時間つぶしのため、会社のPRと称して個別訪問した」「部屋の中に招き入れられて、不安が高まっている」という記載は「個別訪問は強姦相手の物色行為ではなかった」との主張に結びつき、「被害者に実母を投影している」「非常に退行した精神状態で進展している」という記載は「甘えようとする気持ちで弥生さんに抱きついた」という主張に結びつくなど、従前の記録中の証拠にも、現在の主張の根拠は多数あったことを紹介しておきます。

 私たちは専門家としての刑事弁護人ですから、なんら証拠に基づかない主張の組み立ては行っていません。
 あの「ドラえもん」ですら、捜査段階の供述調書に出てきます。

(その8)

 超初級革命講座で、多方面にご迷惑をかけてはいけないので一応説明を終了する旨書きましたが、やはりどうしても説明し誤解を解いたり、さらに議論の前提となる情報を提示したいとの思いがあり、今日コメントすることにしました。
 私の予想以上に、ご理解やご支援をいただき、恐縮、感謝、なにより安堵致しました。
 なおも反対意見も根強いですが、私は、意見には反対意見があるからこそ意味があるのであり、全ての反対意見をねじ伏せようとするものは意見ではなくプロパガンダに過ぎないと思っていますので、批判も大歓迎です。批判されることによって、意見は洗練されていくことが可能になります。
そしてプロパガンダをするつもりは一切ありません。
 また、私は形式的には「理を述べた」つもりでしたが、自覚していなかった者の、実質的には「情を述べた」面も多々あり、しかもその「情」の部分が意外に支持を受けたようで、情を欠いた論理が、これまで法曹関係者に軽視され国民から不満が募る要因となっていたのではないかという問題意識が生まれました。
 丸山弁護士は、「裁判は情に流されてはならない」と述べましたが、情に流され過ぎて理を失ってはならないものの、あまりにも情を軽視した裁判は国民から信頼され期待される司法とは言えなくなりつつある、という社会情勢を感じました。
 そういう意味では、懲戒請求という制度を誤解させ扇動(本人は乗らなかったので先導や船頭ではない。)するような発言をした橋下弁護士の行為は違法だとは思うものの、示された問題意識に一部真摯に理解すべき部分があったことは否定しません。
 このコメントは、弁護団の公式見解ではなく私個人の考えであり私個人のみが全責任を負うべきものですが、上記した観点から鑑みると、これまでの光市事件の説明方法について、弁護士の身に付いた「論理」「強調」「アピール」という技法の用い方が下手で、強調すべきところがうまく強調できず、下手に強調すべきでないところの表現が下手(雑)で、受け手にとっては変に強調されて過印象を与えてしまった面は、不用意、未熟と思われても仕方がないかもしれないな、と思うようになりました。
 単に法廷で述べるだけの意見ではなく、記者会見しマスコミに交付する前提もあり作成された意見ですから、誤解や偏見が生じやすいマスコミの報道情勢に鑑み、誤解され偏見を持たれないような配慮はもっとすべきだったと反省しています。
 いくら理論的に説得を試みても、相手の情に響かない論理は、詭弁と言われても仕方がない場面もあるということを勉強しました。
 もちろん、報道の側の方では、より誤解と偏見がない報道姿勢を模索していただきたいとの思いと現状への不満は変わりません。
 その後いくら説明を尽くしてもいまだ誤解が解けない点も多々あります。
 例えば、アエラに、「赤ん坊を床に叩きつけたのは『ままごと遊びの感覚だった』」と引用されていますが、弁護人の更新意見で「ママゴト」と表現しているのは、水道工を装っての戸別訪問行為のことのみです。
 これまでの記録にも「暇つぶしと称して寂しさを紛らわすために」「会社の制服である作業着を着て会社名を名乗り会社のPRのつもりで」などとあること等から、強姦相手を物色するための行為ではなく、時間つぶしで仕事を演じて「仕事していない」罪悪感の代償行為であったことを評して「ママゴト」という言葉を使ったのですが、「ママゴト=幼い子供」というイメージが介在してか、夕夏ちゃんを叩きつけた行為がママゴトであったと主張したかのように誤解されいます。
 しかしそもそも弁護人らは「夕夏ちゃんを頭の上から叩きつけたというような行為は、夕夏ちゃんの遺体に頭蓋骨骨折や内出血が無いような状況から不自然で、被告人の捜査段階の自白にしかなく、公判でも述べられていないから、捜査官の創作である」旨主張しているのです。
 このような明らかな間違いが報道され続けることには閉口しますが、文字通り「口を閉ざし」ていても問題は解決しないことに早く気付けばよかったのかもしれません。
 それから、特に理解して頂きたいことがあります。
 橋下弁護士は、「供述の変遷理由を国民や被害者に説明しない説明義務違反が懲戒理由」と主張していますが、供述の変遷理由は次の被告人質問で被告人から聴くことになっています。
 その内容を、事前に説明しろと言われたら、それを不用意にすることによって被告人の利益を害する結果となることは目に見えています。検察官に反対尋問の材料を与えてしまいます。裁判所に予断を与えるおそれもあります。
 また、弁護団が審理を遅延させているのではないかという批判について、今現在「月に3日」の集中審理を行っているのは、弁護団からの提案です。
 遠隔地から来る弁護人の都合という実際的な面もありますが、この差し戻し審を、迅速に進めたいという訴訟戦略でもあります。
 その結果、年内結審も不可能でないペースで訴訟が進んでいます。
 繰り返しますが、集中審理は「弁護側からの提案」なのです。もしも通常のペースで審理していたら、もっと時間がかかっていただろうし、仮に「死刑廃止のプロパガンダ」や「どんな手を使ってでも死刑を阻止」しようとしているのだったら、牛歩戦術のような方法をとっていたりするのではないでしょうか。
 そしてこの重大事案をこの迅速ペースで審理可能となったのは、約20人もの弁護士が集まっているからできたことなのです。
 もちろん、繰り返しになりますが、反対意見や批判をねじ伏せようとは思いません。
 しかし、状況認識を正しくされた上で、反対や批判の評価をなして頂きたいと願います。
 そのような反対意見のみが、相手の心に響き良い影響を与えることがあると思います。
 また、批判されることは、今後私たちがどうすべきかという点で参考になることもあります。
 「人間の心に響かない論理はいくら筋が通っていても詭弁だ」というご批判は、とても(表現できないくらい)有益でした。
 最も説得すべき裁判官も、人間ですから。
 長文におつきあい頂きありがとうございました。
 橋下弁護士のように簡潔に説明できないのが私の弱点です。

当エントリーは、ブログ『弁護士のため息』の以下のメッセージにより、掲載させて戴きました。(来栖宥子)

※ この今枝弁護士のお話は転載OKです。ご本人の了解を得ています。弁護団の一人である
今枝弁護士から直接発信された情報として、できるだけ多くの方にお読み頂きたいと思います。

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