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総理がいなくてもやっていける日本――フィナンシャル・タイムズ(和文と英文)【どこへ行く、日本。】
http://www.asyura2.com/07/senkyo42/msg/273.html
投稿者 gataro 日時 2007 年 9 月 21 日 21:05:35: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10048047838.html から転載。

総理がいなくてもやっていける日本――フィナンシャル・タイムズ(和文と英文)
テーマ:ポスト安倍

2007-09-21 20:03:49 gataro-cloneの投稿

安倍首相が12日に突然辞意を表明し翌日入院。首相官邸には代理も置かれないまま主なしで1週間以上が推移した。与謝野官房長官が一応留守を預かる形にして、政府は「規定に従い、代理を置く状況ではない」と繰り返している。

メディア(東京新聞―http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2007092102050437.html)の報じるところによると代理を置かない理由はこうらしい。

内閣総務官室によると、首相の外遊時以外で、戦後に首相臨時代理を務めたのは、大平政権の伊東正義官房長官、小渕政権の青木幹雄官房長官の二人で、いずれも首相が入院したことが理由だった、そうだ。

だったら今回も与謝野官房長官が代理を務めればよさそうだが、与謝野長官は首相の入院当初から「危機管理の観点から懸念の声があることは承知しているが、代理を置くケースに当たらない」との判断を繰り返している。

その理由として「十分な静養が必要だが、判断力に支障が生じることはない」との担当医師の判断を挙げる。実際、与謝野長官は首相と入院先で二度面談し、人事案件などの指示を仰ぎ、了承を得ている、と言うのだ。

政権側の説明だけを聞いていると、国会審議を拒否するために代理を置かないようにしているのではないかと勘ぐりたくなってくる。そんなこんなを英フィナンシアル・タイムズ紙は「総理がいなくてもやっていける日本」と皮肉たっぷりに次のように書いている。記事は和文と英文の両方を転載しておく。

(但しgataroは、フィナンシャル・タイムズ紙の記事内容のすべてに同意するわけではない。例えば、“安倍氏というのはベネズエラのチャベス大統領の日本版だったのか?”などの記述については不同意である。)

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http://news.goo.ne.jp/article/ft/politics/ft-20070921-01.html

総理がいなくてもやっていける日本――フィナンシャル・タイムズ
2007年9月21日(金)17:22

(フィナンシャル・タイムズ 2007年9月19日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

米テレビドラマ「The West Wing(ザ・ホワイトハウス)」に、物語上のジェド・バートレット米大統領が撃たれて緊急手術を受けるという話がある。大統領は間もなく回復するが、その後、大論争が持ち上がる。大統領が手術を受けていた間、いったい誰が国を動かしていたのか、というのだ。全ては平常に戻るが、大統領が麻酔をかけられていた数時間、実は憲法上の危機が起きていたのではないかという議論が後からぶりかえす。というのもあの数時間の間、アメリカには正当な最高権力者がいなかったからだ。

現実の日本では、安倍晋三という若すぎた首相が12日に辞任。52歳という年齢は首相には若すぎたと言われてしまったが、辞任の本当の理由はまだ全てが明らかになっていない。23日には、与党・自由民主党の新しい総裁が決まり、25日には国会で総理大臣として指名される。辞意を表明した翌日、くたびれきった安倍氏は入院し、政府から退場した。とするとこの国を動かしているのは、正確にはいったい誰なのだ?

と言うことを、誰も気にしていない。あるいはほとんど気づいてもいない。そしてそのこと自体が、日本における権力と民主主義の本質について、なかなか興味深い点をいくつか浮き彫りにしている。

結局のところ、安倍氏は国民に選挙で選ばれた首相ではなく、半世紀にわたって権力を独占してきた政党に選ばれた首相だったというわけだ。ということは、安倍氏というのはベネズエラのチャベス大統領の日本版だったのか?――と思われるかもしれない。しかし日本の首相というのはベネズエラの大統領とは全く違う。確かに数年前から、内閣は少しずつ権限を強めてはいるが、日本の総理大臣というのは先進国の中でもきわめて力の弱い指導者のひとりなのだ。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は1989年発表の名著「日本権力構造の謎」で、このパラドックスを詳しく分析した。あの本が発表されて以来、日本の政界は二転三転しているが、混乱の末にやがて何が新しく生まれてくるのか、誰もはっきり見通せないままだ。

1993年に自民党は9カ月間、政権の座を追われた。野に放り出されたこのわずかにして唯一の経験の後、自民党は他党との連立に頼ることで権力にしがみついてきた。そしてこの不安定な状況下の日本では、まもなく二大政党制が成立するのではないかという憶測がさかんに飛び交うようになった。

二大政党制成立の予測は、実現しつつあるように見えるかもしれない。2001年に首相となった小泉純一郎氏は、自分の党を「ぶっ壊す」と掲げて出馬。「自民党をぶっ壊す」というこのスローガンはあるいは、自民党が権力を握り続けるための最高の手法だったのかもしれない。小泉氏はこれで地すべり勝利を収めたのだから。そして2007年7月には、民主党の小沢一郎代表が同じスローガンを掲げて参院選を戦った。小沢氏も自民党をぶっ壊すと主張し、そして小沢氏も大勝した。ということはつまり、自民党の命運は途絶えたということなのだろうか?

手短かな答えはノーだ。というのも自民党は、確かにあからさまな問題をたくさん抱え込んではいるが、見た目と違って、決して政治的に破たんはしていないからだ。日本は確かに未だに、一党支配の国かもしれない。しかしそれでもどうにかして、民主国家であり続けているのだ。

日本が一党支配下の民主国家だという証拠は、先週の政界の動きからも明らかだった。というのも、国民は安倍氏が嫌いだった。だから国民は、安倍氏を辞任させたのだ。もって回ったやり方になったのは、安倍総理が自民党総裁だったからで、自民党総裁である以上、2009年9月に予定されていた衆院選までその立場は理屈の上では安泰だったからだ。安倍氏は、空気が読めないと批判されていた。しかし当の自民党は、空気を読むことができた。だから安倍氏は速やかに退場となったのだ。

いつもこういう展開になる。自民党は確かに、日本国民よりも保守色の強い保守政党だ。しかし自民党の政策は、世論の大きな動きをきっちり追いかけている。たとえば1970年にひどい公害問題に対して国民の不安が高まると、自民党は社会党のお家芸を盗んで、一夜にして環境重視の党に変身した。あるいはバブル崩壊後の長引く不況対策として民主党が自由市場主義を持ち出してくるや、自民党はそれに対抗して小泉氏を作り出し、民主党の政策を掲げて出馬させた。

今回の総裁選で、ほとんどの党内派閥が結集して福田康夫氏をこぞって支援している光景は、確かに「古い悪い自民党」復活の兆しなのかもしれない。しかし今のこの状況さえ、派閥同士が密室であれこれ取り引きしているこの状況さえ、世論の意向を反映したものだと言える。日本国民は、麻生氏の個性的な人柄が好きだが、それでもやはり総理大臣には福田氏の穏健で落ち着いた安定ぶりを好んでいるのだ。

なのでもしかしたら、日本は確実に二大政党制に近づいているというお題目は、妄想に過ぎなかったという結末になるかもしれない。それよりもむしろ可能性としてあり得るのは、福田氏の下で自民党が今一度、世論を反映する形で自らを作り変えるという展開だ。これはなかなか厄介な作業になる。小泉前首相による市場主導の改革を継続しつつも、改革に取り残されたと感じている人々を支援しなくてはならないからだ。

あるいは別の可能性として、自民党は次の選挙で負けるかもしれない。しかしそうするとかえって、もっと大々的な政界再編成につながるかもしれない。そしてその結果として、はっきりと主義主張の異なる二大政党が出現するよりも、様々な勢力がひとつの当選しやすい政党に結集するという結果になりかねない。その「当選しやすい政党」が自民党と名乗るか、別の名前にするかは、本質とはあまり関係のないことだ。

そしてひるがえって自民党総裁、別名「日本の総理大臣」のことだが。小泉氏がさかんに努力したにもかかわらず、権力のほとんどを握っているのは、総理大臣ではない。

日本における権力の一部は自民党が、そして一部は大企業が握っている。そしてさらに一部は、政官財という「鉄の三角形」のもう一角、つまり官庁が握っている。1990年代に度重なるスキャンダルや政策の失敗ですっかり面目を失った官僚たちは、今はじっと鳴りを潜めている。確かに往時の勢いはないかもしれないが、しかしそれでも官僚の影響力はおそらく今でも、政治家のそれを上回るはずだ。

たとえば今なら、貧しい地域にいる有権者の不満を解消するという政治的な要請に応えるならば、公共投資の拡大が当然ということになる。しかし官僚たちが、国の財布のひもを緩める気配はまったくない。

つまりだからこそ、安倍氏がモーニングジャケットを脱いで入院着に着替えても、誰もパニックしなかったのだ。自民党は見た目以上に権力をがっしり握りしめている。しかしその手に握った権力の実態というのは、見た目ほど強固なものではないのだ。

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http://www.ft.com/cms/s/0/fbc74f64-6711-11dc-a218-0000779fd2ac.html

Japan gets by without a prime minister(The Financial Times)
By David Pilling
Published: September 20 2007 03:00 | Last updated: September 20 2007 03:00

There is an episode of The West Wing in which Jed Bartlet, the fictional US president, undergoes emergency surgery after being shot. He quickly recovers, but afterwards there is a massive inquiry about who was running the country while he was under the knife. Even though everything has returned to normal, there is talk of a constitutional crisis owing to the fact that, for a few hours, America was leaderless.

In Japan, Shinzo Abe, the boy prime minister - at 52, the verdict was he was too young for the job - quit on September 12 for reasons that are still not entirely clear. A new leader of the ruling Liberal Democratic party will be chosen next Sunday and confirmed as prime minister by parliament on September 25. The day after he resigned, an exhausted Mr Abe checked into hospital - and checked out of government. Just who, precisely, is in charge?

That nobody seems bothered - or even really to have noticed - raises some interesting questions about the nature of power and democracy in Japan.

After all, Mr Abe was the unelected (by the public) leader of a party that has monopolised power for half a century. You might think that made him the Hugo Chávez of Japan. Yet, despite some shift of power to the cabinet in recent years, the Japanese prime minister remains one of the weakest leaders of any advanced nation.

That paradox was dissected by Karel Van Wolferen in his classic 1989 study, The Enigma of Japanese Power. The political scene has been in convulsion since then. But no one has quite worked out what will emerge to take its place.

In 1993, the LDP was expelled from power for nine months. Since its brief (and only) time in the wilderness, it has clung to power by recourse to coalition partners. This precarious situation has provoked constant chatter that Japan is on the verge of a two-party system.

Those predictions might appear to be coming true. Junichiro Koizumi, who came to office in 2001, ran on a platform of smashing his own party in what may be the LDP's best ruse yet for hanging on to power. He won a landslide. In July 2007, Ichiro Ozawa, leader of the opposition Democratic party of Japan, ran on the same platform. He too would smash the LDP. He also won big. Does that mean the LDP is doomed?

The short answer is No. That is because, for all its manifest failings, the LDP is not as politically bankrupt as it seems. Japan may still be a one-party state. But it somehow contrives to be a democracy, nevertheless.

Evidence of that was available last week. The public did not like Mr Abe. In short order, Mr Abe was gone. It was ever thus. It is true the LDP has been consistently more conservative than the Japanese public it represents. But its policies have tracked swings inpublic opinion. When the DPJ putforward a free-market approach to solving post-bubble economic stagnation, the LDP invented Mr Koizumi, who ran with the opposition's agenda.

The spectacle of party factions rallying round Yasuo Fukuda may indeed be a sign of the "bad old LDP" reasserting itself, as Mr Fukuda's opponent, Taro Aso, asserts. But, even now, the party's backroom wheeler-dealing mirrors public sentiment. Japanese people like Mr Aso's colourful personality, but prefer Mr Fukuda's moderate, "Steady-Eddie" approach.

The mantra that Japan is moving inexorably towards a two-party system may thus turn out to be a chimera. More likely is that, under Mr Fukuda, the party will reinvent itself, yet again, to reflect the public will. That is a tricky task. It requires squaring the circle of adhering to Mr Koizumi's market-led reforms while providing relief to sections of society that feel left behind.

Alternatively, the LDP could lose the next election. But that would be more likely to trigger a wholesale realignment of political forces into one electable party than the emergence of two parties with clearly discernible ideologies. Whether that party calls itself the LDP or something else is largely irrelevant.

This brings us to the related question of the LDP president - a personage otherwise known as the prime minister of Japan. Despite Mr Koizumi's best efforts, substantial power remains elsewhere. Partly it lies with the party and partly with big business. And partly, it lies with the third side of the "iron triangle", the bureaucracy. Humiliated by scandal and policy failure in the 1990s, the bureaucrats are lying low. But, disillusioned as they are, their influence probably still trumps that of politicians.

Now, for example, the political imperative demands more public spending to alleviate voter malcontent in poorer regions. But the bureaucrats show no sign of loosening the nation's purse strings. That is why, whenMr Abe swapped his frock coat forhospital robes, no one panicked. The LDP's hold on power is stronger than it looks. But the nature of that power is weaker than it appears.

Copyright The Financial Times Limited 2007

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