★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK42 > 567.html
 ★阿修羅♪
安部首相の今回の辞任表明は、戦後の歴史の「臨界点」だったかも知れない。CIAに操られた自民党の崩壊の始まりだ。
http://www.asyura2.com/07/senkyo42/msg/567.html
投稿者 TORA 日時 2007 年 9 月 28 日 13:12:47: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu152.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
--------------------------------------------------------------------------------
安部首相の今回の辞任表明は、戦後の歴史の「臨界点」だった
かも知れない。CIAに操られた自民党の崩壊の始まりだ。

2007年9月28日 金曜日

◆「岸信介はCIAの助けで日本の首相になり、支配政党の首領になった」(大沼安史の個人新聞)
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2007/08/post_4ac3.html

「岸信介はCIAの助けで日本の首相になり、支配政党の首領になった」 
 
 ニューヨーク・タイムズ紙のティム・ワイナー記者の近著、ピュリッツアー賞受賞作、『灰の遺産 CIAの歴史』に、こんなとんでもないことが出ていた。

 「CIAの秘密の武器は……冷たい現金だった」という書き出しの、同書の第12章。

 祖父の岸首相を尊敬しているという安部首相にはぜひとも読んで点検してもらいた部分だ。例のごとく、「客観的な事実ではありません」というなら、ワイナー記者を相手に名誉毀損の裁判を起こしてほしい。

 ことは一国の名誉にかかわることである。「60年安保」を強行した岸首相が、米国の諜報機関、CIAの操り人形だったと決め付けられているのだから、ただちに「反論」すべきであろう。

 岸首相は、対米戦争の宣戦の詔勅に署名した、東条内閣の一人。そんな戦争指導者の命令に従い、彼らを信じて「鬼畜」との戦いに死んだ、「靖国」の「英霊」たちが聞いたら、「そんなバカな。おれたちは何のために死んだんだ?」と、唖然とすることだろう。

 岸信介氏らを信じ、死んで行った「英霊」たちのためにも、安部首相はワイナー記者相手の裁判で、「岸信介=CIAの犬」説は完全なデッチ上げだと証明し、祖父の名誉を、日本の戦争指導者の名誉を、戦後の日本の保守政治の名誉を守り抜いていただきたい。

 それでは、ワイナー記者は、『灰の遺産』第12章で、どんな「事実」を暴露しているか?

 この章でワイナー記者は、岸首相とともに、児玉誉士夫についても書いているのだが、ここは岸信介氏に限って、主なポイントを列挙しておこう(敬称略)。

 @ 日米開戦後の1942年、岸は軟禁中の米国大使、ジョセフ・グルーをゴルフに招いた(聖戦中に岸はなんと、敵性スポーツのゴルフをしていた。それも鬼畜の大使と!)。二人はそれ以来、友人になった。岸が戦後、巣鴨から釈放されたとき、グルーはCIAのフロント組織、「自由ヨーロッバ国民委員会」の初代委員長だった。〔大沼・注〕つまり、影響力を行使できる立場にあった」

 A 岸は巣鴨から釈放されると、まっすぐ首相官邸に向かった。官房長官の弟、佐藤栄作がスーツを用意して待っていた。「なんかヘンだね」と岸は佐藤に言った、「いまやわれわれは民主主義者だ」

 B 岸は「ニューズウイーク」誌の東京支局長、ハリー・カーンから英語の手ほどきを受け、米国の政治家を紹介してもらった。カーンはアレン・ダレスの親友で、CIAの対日パイプになった人物だ。

 C 1954年5月、岸は東京の歌舞伎座で政治家として復活を果した。岸は歌舞伎座に、米国大使館でCIAの情報・宣伝担当をしていたビル・ハチンソンを招いた。幕間、岸はハチンソンを連れ、日本の特権層の友人たちに彼を紹介して回った。それは岸の政治的な劇場となった。アメリカの後ろ盾があることを公的にアナウンスしたものだった。

 D その後、1年にわたって、岸はハチンソンの自宅の居間で、CIAや米国務省の担当者と秘密裏の会合を続けた。ハチンソンはこう証言している。「彼(岸)は明に、アメリカの少なくとも暗黙の支持を欲しがっていた」。この会合で、その40年間の日米関係の土台が築かれた。
 岸は支配政党の「自由党」を躓かせ、名前を変えて再建し、それを運営したいと言った。彼はまた、日本の外交をアメリカの欲望とフィットするかたちに変更することを誓った。その代わり、米国の秘密の支援がほしいと岸は頼んだ。

 E ダレスが岸に会ったのは、1955年8月のことだった。ダレス国務長官は、一対一で岸に、支持を期待していると言った。日本の保守層が一体化し、共産主義と闘うアメリカを支持できるかどうか
聞いた。

 F 岸は米国大使館の高官であるサム・バーガーに言った。若くて地位の低い、日本で知られていない人間を、連絡役にするのがベストだと。お鉢は、CIAのクライド・マカヴォイに回った。マカヴォイは沖縄戦の経験者で、フリーで新聞記者の仕事をしていた。クライドが来日してすぐ、バーガーは彼を岸に紹介した。これにより、CIAの外国政治指導者との関係のなかでより強固なもののひとつが生まれることになった。 
 
 G CIAと自民党の最も重要なやりとりは、情報提供に対する金(マネー)の支払いだった。マネーは自民党の支持の取り付けと、その内部の情報提供者のリクルートすることに使われた。アメリカ人たちは、若い将来性のある自民党政治家に金を支払っていた。彼らはのちに、国会議員や大臣、長老政治家になっていった。

 H CIAはイタリアでの失敗に懲り、アメリカの実業家を金の運び屋に使った。その中には、岸が建設しようとしていた自衛隊に売り込みを図る、ロッキード社の重役も含まれていた。

 〔大沼・注〕後の「ロッキード事件」に登場する「ロッキード社」は、CIAに実は使われていたのだ! ロッキード事件が田中角栄追い落としを狙った、CIA陰謀であるとの見方に、またひとつ、傍証が出た。

 I 1957年11月、岸は「自由民主党」の名の下、保守勢力を糾合した。自民党の指導者として岸は、国会に議席を持つ人間をリクルートし、彼の配下に入れる工作を、CIAに許可した。

 J 政権トップに登り詰める中で岸は、安保条約の改定をアメリカ側に約束した。岸との連絡役のCIAのケース・オフィサー、クライド・マカヴォイは、戦後日本の外交についてレポートすることができた。

 K 1957年2月、岸が日本の首相になる日、国会で安保条約にかかわる死活的に重要な手続きが行われる予定だった。これについて、マカヴォイは、こう証言した。「岸とわたしはその日のクーデターを流産させた」と。マカヴォイはさらにこう語った。「アメリカと日本は、合意に向かって動いていた。これを日本共産党は特別な脅威を感づいた。投票が行われるこの日、共産党は国会で反乱を起こす計画を立てた。このことをわたしは、わたしの情報源の、左翼の社会党の本部員の通報で知った。岸は天皇に謁見する予定だったが、わたしは緊急会談を申し入れた。岸はモーニングにシルクハット、縞のズボン、コートの出で立ちで、秘密の会合場所に現れた。わたしは岸に話す権限を与えられていなかったが、岸に共産党が国会で反乱を企てていると教えた。国会の慣例では、午前10時半か11時に、食事などのため審議が中断することになっていた。岸は休憩と取るなと自民党の国会議員に命じた。自民党議員以外の議員が退席したすきに、自民党は彼らだけで法案を採決し、通してしまった」

 L 1957年6月、岸はアメリカを訪問、ヤンキースタジアムで始球式を行い、白人専用のゴルフ場でゴルフをした。岸は新しい日本大使に決まっていた、マッカーサー将軍の甥、ダグラス・マッカーサー2世に、もしアメリカが権力基盤強化の手助けをしてくれれば、日米安保条約は国会で成立するだろうし、高まる左翼の潮流も取り除くことができると語りかけた。岸は、一連の内密の支払いではなく、CIAによる財政的支援の恒久的な財源を求めた(Kishi wanted a permanent source of financial support from the CIA rather than a series of surreptitious payments.)。

 M アイゼンハワー大統領は自民党の有力者へのCIAの金の支払いを承認した。CIAの役割を知らない政治家は、アメリカの大企業からの金だと思い込まされた。CIAの金はすくなくとも15年間、4代の大統領にわたって続いた。

 N 岸信介とともに、戦時内閣で大蔵大臣を務めた元戦犯の賀屋 も釈放され、国会議員として復活した前後に、CIAによってリクルートされた。賀屋のCIAとの関係は、1968年にピークを迎えた。賀屋は、選挙戦を自民党に有利なものにするCIAの秘密作戦で中軸の役割を果した。

 ―― 以上が、ワイナー記者の暴露のハイライト部分である。
 CIAの機密文書の解禁で、岸信介がCIAのエージェントであったことは明らかになっていたが、これほど深い関係だとは知らなかった。

◆「戦後レジーム」の黄昏 安部首相の辞任」(大沼安史の個人新聞)
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2007/09/post_832a.html

 安部氏は「日本帝国」を日の出の勢いで「大東亜」に押し出した岸信介の孫だった。敗戦を生き延びた「祖父の国」は、三代目で行き詰った。

 安部氏がどんなに有能でも、初めから無理なことだった。
 日没の時は、変えることはできないのだ。

 これは安部氏でなくとも、「日の丸」のコースを定め、そこに乗りかかっていた戦後日本の権力をほしいままにしてきた支配層の人間なら誰でも、そうである。

 彼らこそ、落日そのものであったのだから……。

 「年金」問題で地獄の釜の蓋が開いた。「官の支配」の真実が覗いた。
 「国民」の暮らしなど、ほんとうはどうでもいい、かつて国民を戦争に動員した「1940年体制」のゾンビが尻尾を見せた。
 「国民」は、もはやこの国に平安な余生がないことを知った。

 「財政」も破綻した。「官」に食いつぶされた国家財政は、もはや死の宣告を待つばかり。借金地獄のさなかにあって、「政策」どころのさわぎでなくなっていた。

 財源がないから、まともな「政治」ができなくなっていた。
 生活保護を取り上げ、餓死に追いやる自治体が出た。介護地獄は介護する老人を親殺しに導いた。

 「教育」も「再生」しなかった。「ゆとり」退治に狂奔し、「学テ」ではカンニングする教委まで現れた。

 「経済」も行き詰った。「いざなぎ超え」のはずの景気は上げ底景気で、GNPはついに失速、またも縮み始めた。

 要は、この国から、すでに「内政」は失われていたのである。

 「外交」ではどうか? 

 「国連常任理事国入り」の「花火大会」が、撃ちてし止まんで終わったあとは、「対米従属」の海を漂流するだけ。
 
 「世界」が見放したブッシュ政権のサポーターになることが「国際貢献」だと思い込み、「拉致」問題では頼みのブッシュにも突き放されてしまった。

 そしてあの「慰安婦」問題での体たらく。

 「対外援助」も先細りで、国際社会における存在感はますます影の薄いものになって来た。

 「世界経済」に対しても、爆発寸前の巨大赤色(?)矮星のように、「格安マネー(円)」を「大放出」し、世界中にバブルをつくって、民衆の恨みを買った。 

 一言で言えば、安部首相の「美しい国」は、国の内外において空洞化が救いがたいほど進んでいたのである。

 それが破局の一点に向かって、一気に進み出したのが、今の日本の姿だろう。

 その意味で、安部首相の今回の辞任表明は、戦後の歴史の「臨界点」だったかも知れない。体制崩壊の負の連鎖反応が一挙に拡大し、「美しい国」の日暮れを赤く染め上げたのだ。

(私のコメント)
昭和の妖怪の岸信介の本当の正体は日本のジャーナリストからは暴かれる事は無いと思っていましたが、やはりニューヨーク・タイムス紙のティム・ワイナー記者の書いた「灰の遺産 CIAの歴史」という本で暴かれた。多くの証人と証言と公文書によって得られた事実だから間違いはないのだろう。今までもCIAから自民党に多くの金が流れた事は噂としてはあっても日本のマスコミはほとんど無視されて事実は伏せられてきた。

読売新聞のナベツネが何故自民党の実力者を呼びつけるほど権力があるのか? 戦後の裏の政治史をめくって見れば分かるとおり、自民党はCIAによって作られた政党であり、岸信介や児玉誉士夫などが中心人物でナベツネは正力松太郎の後継者なのだ。だからCIAによって安倍総理は危険人物とみなされナベツネの指示で新五人組みは安倍総理に辞任を迫ったのだ。引導を渡したのは中川秀直だ。

安倍総理は最後の抵抗として国会で所信表明演説までして抵抗したのだが、中川が直接面会に来て引導を渡した。中川にしてみれば安倍総理では自民党の支持率が落ちる一方なので総理を代える必要に迫られたのだろう。しかし総理を福田に代えたところで自民党の体質が変わるわけではなく、小泉改革は国民を騙してその嘘がばれるまでのアダ花だった。

昨日のニュースにもあったように、給与が200万円以下の国民が1000万人を超えてきた。また給与が1000万円を越える人も9万人も増えて格差拡大が顕著になってきた。小泉改革で熱狂した国民も改革の正体が明らかになるにつれて、今回の参院選挙の大敗北は必然だったのだ。安倍総理ももっと鮮明に小泉改革の誤りを認めて「生活が第一」の政策を打ち出すべきだったのだ。ところが「改革続行」とやってしまった。

自民党がCIAから金をもらって政治をしていたというのは衝撃的事実ですが、日本にはその事実を認めたがらない人たちが沢山いる。いわゆる権力の中枢にいる人たちでありマスコミも権力の中枢なのだ。だからテレビを見れば見るほど洗脳されやすくなり、思考能力は低下して印象だけで物事を判断するようになる。

本来ならば政治家は外国の情報機関から金をもらって政治をしてはならないはずですが、政界では当たり前の事実なのだ。だから国会にはアメリカや中国から金をもらって政治活動をしている国会議員が沢山いる。ところがマスコミはその事実を黙認しているから国民はその事が分からないのだ。マスコミ自体が外国の情報機関から金をもらったり様々な利権で首根っこを押さえられているのだ。

ネットの世界でも、同じ保守派でも親米ポチ保守が幅を利かせて、愛国保守派は少数派だ。だから小泉構造改革に反対して、郵政民営化法案にも反対して、アメリカのイラク戦争にも反対してきた。本来ならば左翼が強力ならばこのような活動を打ち出すべきなのですが勢力としては無力化してしまった。代わりに愛国保守派がネットで反対活動しているのですが、いわゆる保守派のブログを見ても「株式日記」がリンクされている事はめったに無い。本当の保守は愛国保守しかない。

親米保守というのは論理矛盾であり、日本の国益を優先するのであるならば、アメリカの国際金融資本による経済侵略行為は批判しなければならないのですが、保守派といいながら国際金融資本の手先のようなブログが多い。一番顕著な対立点は郵政民営化法案ですが、親米保守派は郵貯の340兆円を国際金融資本に売り渡す事に賛成のようだ。

明日の10月1日から郵貯は民営化されて構造改革が進めば地方は切り捨てられて金融サービスが受けられなくなるところが多くなります。まるで地方の活性化とは逆の事をやっているのですが、先の参院選挙で痛いしっぺ返しを食らってしまった。郵政民営化に賛成していた小泉信者達のブログはすっかりおとなしくなりましたが、国益に反することをしていれば国民の批判を浴びるのは当然のことなのだ。

CIAから金をもらって政治をしていた自民党は小泉改革に惑わされる事なく解体されるべきだった。そうしなければいつまで経ってもCIAによる日本支配が終わらない。しかしそれに代わる保守派の政党が見当たらず、民主党は「CIA=自民党」の裏返しの政党であり「ソ連のKGB=社会党」の流れをくむ政党だ。つまりソ連崩壊と共に社会党は無くなり、親中国派の民主党が誕生した。

日本の政党というのは外国から金を貰わなければ政治は出来ない構造になっているようだ。自民党にしても民主党にしても権力を持つ主流派は外国の工作機関から金や利権をもらっているから主流派なのであり選挙に勝ことが出来る。300億円もの政党助成金は彼らにとってははした金に過ぎないのだろう。

自民党も民主党も売国勢力にすぎない。安倍総理は「戦後レジームからの脱却」をスローガンにして、愛国保守派の初めての総理とも言える存在でしたが、就任早々から村山談話や河野談話を継承すると発言して従来型の自民党政治になってしまった。マスコミからも袋叩きにされてCIA=読売=新五人組みから引導を渡されて辞任した。それだけ日本の政治環境が愛国保守派には厳しいという事である。

どうしたら日本が真の独立を勝ち得るかというと、スパイ防止法をつくってCIAや中国から金をもらったら、その議員を国家反逆罪として捕まえる事ができる法律と機関を作ることだ。しかし今そんなことをしたら主要な国会議員が捕まってしまう。だからスパイ防止法や防諜機関が出来ないのだ。それらが出来なければ日本の政治は売国政治家による政治が無くなる事は無い。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 政治・選挙・NHK42掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。