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「貧国強兵」読後メモ(碧猫さんのブログ)
http://www.asyura2.com/07/senkyo44/msg/1093.html
投稿者 gataro 日時 2007 年 12 月 11 日 10:03:35: KbIx4LOvH6Ccw
 

(回答先: 軍事利権はオイシイ話だ(土佐高知の雑記帳) 投稿者 gataro 日時 2007 年 12 月 11 日 09:26:18)

土佐高知の雑記帳さんが言及されている森本忠夫さんのことを碧猫さんが書いておられるので、レス投稿として転載しておこう。今も昔も軍事関係にはほ〜んと頭の悪い売国的輩しかいないのがよく分かる。

===================================

http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-164.html から転載。

「貧国強兵」読後メモ
森本忠夫氏の著書、「貧国強兵 『特攻』への道」(ISBN4-7698-2348-6)
2002年6月17日初版発行

そもそもは、戦争責任無かった派の人達がよく使う「太平洋戦争は、アメリカに経済封鎖されエネルギー供給を止められたため、仕方なく戦争したんだ」(←うろ覚えだけど、こんな感じ)という主張に、戦争なんてエネルギーを大量に必要とすることを「エネルギー供給を止められたから」するのは非常に頭の悪い選択ではないのか?と疑問をもっていたので、疑問を解決できそうな本を探していた。

そういう目的で読んでみた本だが、大変興味深い情報がたくさんあり、しばらくネタに使えるぞと思っていたタイミングにコメント欄で少し言及してしまった(http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-160.html#comment938)ので、まずは第一弾にまとめてみたエントリがこれ。

著者は経済学が本職で、主にそっち方面の話であり、アメリカとの経済的な国力差を数字を使いつつ、これでもかとばかりに示してくる。この数字的な話に関しては、「旧日本軍弱小列伝」(http://www.luzinde.com/)の大日本帝国データベース(http://www.luzinde.com/database/main.html)にてまとめてあるので、そちらを参照してもらえばすむと思う(なお、もともとお気に入りサイトのネタ元だからこの本を読んでみたのが真相)。

これらの数字的な比較については、現代から見ての解釈であり後知恵であるとの批判がある様子だが、実はそういう訳じゃないようだ。

この本に示されている分析が後知恵と切り捨てられない事を示している記述が、「第一章 貧国の選択」「二、宿命の再生産構造」「薄氷上に立つ無資源国」の項(P.38ページ以降)にある。

____________________引用開始(強調は引用者による)
もともと日本といういう国は、対外的膨張主義の国是の下でアジア・太平洋に向かって大規模な侵略戦争を仕掛けるには、何よりもまず資源確保が前提であり、この前提を満足させるためには侵略戦争を仕掛ける以外に道はないとする、ただ一つの選択肢の下で事を運んでいた。しかし、この選択肢には自家撞着が纏わりついていた。資源を長期にわたり確保するには、長期の持久戦となる戦争で、侏儒日本がアトラスのごとき米国や大英帝国を向こうに回して連続的勝利を手中に収める以外に道はなかったが、日本の国力の十数倍もあるこれらの諸国と長期の持久戦を戦うこと自体、蜃気楼を追う所行でしかなかった。(中略)そもそも無資源の上に立つ日本が国民経済の再生産と軍事経済の確立を巡って抱え込んでいた問題の深刻さを象徴していたのは、その重要資源の大半をこともあろうに当時の敵国である米国、大英帝国、オランダないしその経済圏、さらには中国などに依存していたという宿命的な事実にあった。

 この問題については、つとに37年(昭和12年)、日中戦争勃発の最中、故名和統一教授が名著「日本紡績業と原綿問題研究」において、日本の逢着していた諸矛盾を周到に分析し、以下のような要点を指摘していた事実を改めて想起する必要があろう。
 名和教授は、当時の日本の貿易を巡る貿易相手国と貿易商品の組み合わせを三つの基本的環節に分類し、問題の所在を剔抉した。日本の対外貿易は「第一環節」としての日・米間の生糸=綿花貿易、「第二環節」としての日・英間の綿布=重工業製品貿易、「第三関節」としての日・満(満州)貿易から成り立つと分析された。
 日本は、「第一環節」において米国に圧倒的な市場依存度を持つ生糸を輸出、米国から石油、機械類、屑鉄、木材パルプおよび綿花を輸入している。これらの輸入商品はその全てが日本にとり死活的な重要商品であり、とりわけ綿花の場合、貿易のメカニズムから見て日本がそれを輸入し外貨獲得の最重要品目である綿布を生産・輸出する上で決定的な意味を持っている。しかし、米国にとってはたとえ日本からの生糸輸出が止まったとしても、まるで痛痒を感じない貿易関係が貫かれている。しかし一方、日本にとっては生糸の輸出が止まれば、綿花の輸入は不可能となり、綿花の輸入が止まれば、綿製品の輸出はあり得ず、綿製品の輸出が止まれば、軍需用とを含む重工業原料の輸入は停止されるというスパイラル上の悪循環を避けることは不可能である。とすれば日本にとって対米生糸輸出こそ、日本の貿易、従って日本経済全体の再生産にとって「アキレスの腱」となると名和教授は断言したのである。
____________________引用中断

この記述があるページには表が二つほど示されており、
一つめの表;日本の生糸輸出と綿花輸入にアメリカが占める比重の年次比較表によると、例えば1934年の日本の生糸総輸出量に占めるアメリカ合衆国の割合は84.14%、アメリカの綿花総輸出量に占める日本の割合は31.8%。
もう一つの表;日米貿易額の推移表では、1934年の日本からの輸出総額が約40億円(うち、生糸は24億)、アメリカからの輸入総額が77億(うち、綿花は40億)で、37億ほどの輸入超過。
二つの表を併せ、各年度の数字を示しつつ、継続的に、綿花以外の工業原料や工業製品がアメリカより多量に輸入されていること、そして輸入超過ゆえに外貨獲得が不首尾であることが解説されている。

____________________引用再開
 次いで第二の環節。つまり輸入綿花を加工して綿布を生産し、綿布を世界市場に輸出して外貨を稼ぎ、重工業の原料を輸入する、主として日=英貿易について名和教授は次のように指摘した。この環節においても日本の輸出品が容易に保護主義の対象となるにもかかわらず、日本が英国およびその経済圏から輸入する商品のほとんど全てが日本にとっては重工業、軍需工業用原料として不可欠の資源であったと。
 教授の指摘通り、当時の日本は鉄鉱石を英領マレーや海峡植民地(シンガポール、マレー)や豪州から輸入し、例えば35年(昭和10年)には鉄鉱石総輸入量の58%を依存。(中略)アルミニウムをカナダから輸入し、例えば36年(昭和11年)同72%を依存、鉛を同様カナダから輸入し、例えば36年(昭和11年)には同44%を依存、亜鉛をカナダと豪州から輸入し、例えば36年(昭和11年)同66%を依存(中略)するなど、英国の経済圏に大きく依存していた。日本の対英帝国圏との貿易はこれも日本の入超となっていた。
 こうした事態の中で、もし、日本が米英両国を向こうに回して衝突するとなれば、その「衝突は悲劇的であらねばならぬ」と当時、名和教授は正確に日本の運命を予言していた。

 最後に第三環節について教授はこう指摘した。
 日本は貿易相手国を中国(中国、満州、関東州)および香港としたこの環節で、工業製品、機械類を輸出、農産物、食料品、鉱物資源を輸入して著しい輸出超過となっている。この環節の貿易はしかしながら、例えば(中略)36年(昭和11年)20.4%と五分の一に過ぎず、さらに政治情勢の不安定な「第三環節」に属する市場が、「第一環節」「第二環節」の市場に代替することは不可能である。(中略)教授は書いた。「(中略)貿易表は日本が大陸政策強化の準備として、重工業・軍需工業生産力拡充に焦慮すればするほど、世界市場への依存、原料輸入は増大すると云ふ循環を示した。ここに日本経済推進の深憂が存在する」と。
____________________引用終了

…この分析が、太平洋戦争開戦四年前、1937年に既に公表されていたとのことだ。
そして、森本氏は「日本経済の抱えるこうした諸矛盾の発展過程で国家指導者達は自らの置かれた実情を顧みることなく、ひたすら対外的膨張主義の路線を突っ走っていたが、戦争の危機が迫り資源の供給国が禁輸の挙に出ることで、日本の戦争経済を扼殺することは火を見るよりも明らかであった。」と記述している。

 こういう背景があって、分析は公表されていたのに、なおかつ、アメリカとの戦争を決断した当時の指導者達は、やはり批判の対象となってしかるべきだろう。


そういう訳で、他にも言いふらしたい紹介したい箇所がたくさんある本なので、時間があって気が向けばいずれエントリにしまふ。。。

この本に示されている分析が後知恵と切り捨てられない事を示している記述が、「第一章 貧国の選択」「二、宿命の再生産構造」「薄氷上に立つ無資源国」の項(P.38ページ以降)にある。

____________________引用開始(強調は引用者による)
もともと日本といういう国は、対外的膨張主義の国是の下でアジア・太平洋に向かって大規模な侵略戦争を仕掛けるには、何よりもまず資源確保が前提であり、この前提を満足させるためには侵略戦争を仕掛ける以外に道はないとする、ただ一つの選択肢の下で事を運んでいた。しかし、この選択肢には自家撞着が纏わりついていた。資源を長期にわたり確保するには、長期の持久戦となる戦争で、侏儒日本がアトラスのごとき米国や大英帝国を向こうに回して連続的勝利を手中に収める以外に道はなかったが、日本の国力の十数倍もあるこれらの諸国と長期の持久戦を戦うこと自体、蜃気楼を追う所行でしかなかった。(中略)そもそも無資源の上に立つ日本が国民経済の再生産と軍事経済の確立を巡って抱え込んでいた問題の深刻さを象徴していたのは、その重要資源の大半をこともあろうに当時の敵国である米国、大英帝国、オランダないしその経済圏、さらには中国などに依存していたという宿命的な事実にあった。

 この問題については、つとに37年(昭和12年)、日中戦争勃発の最中、故名和統一教授が名著「日本紡績業と原綿問題研究」において、日本の逢着していた諸矛盾を周到に分析し、以下のような要点を指摘していた事実を改めて想起する必要があろう。
 名和教授は、当時の日本の貿易を巡る貿易相手国と貿易商品の組み合わせを三つの基本的環節に分類し、問題の所在を剔抉した。日本の対外貿易は「第一環節」としての日・米間の生糸=綿花貿易、「第二環節」としての日・英間の綿布=重工業製品貿易、「第三関節」としての日・満(満州)貿易から成り立つと分析された。
 日本は、「第一環節」において米国に圧倒的な市場依存度を持つ生糸を輸出、米国から石油、機械類、屑鉄、木材パルプおよび綿花を輸入している。これらの輸入商品はその全てが日本にとり死活的な重要商品であり、とりわけ綿花の場合、貿易のメカニズムから見て日本がそれを輸入し外貨獲得の最重要品目である綿布を生産・輸出する上で決定的な意味を持っている。しかし、米国にとってはたとえ日本からの生糸輸出が止まったとしても、まるで痛痒を感じない貿易関係が貫かれている。しかし一方、日本にとっては生糸の輸出が止まれば、綿花の輸入は不可能となり、綿花の輸入が止まれば、綿製品の輸出はあり得ず、綿製品の輸出が止まれば、軍需用とを含む重工業原料の輸入は停止されるというスパイラル上の悪循環を避けることは不可能である。とすれば日本にとって対米生糸輸出こそ、日本の貿易、従って日本経済全体の再生産にとって「アキレスの腱」となると名和教授は断言したのである。
____________________引用中断

この記述があるページには表が二つほど示されており、
一つめの表;日本の生糸輸出と綿花輸入にアメリカが占める比重の年次比較表によると、例えば1934年の日本の生糸総輸出量に占めるアメリカ合衆国の割合は84.14%、アメリカの綿花総輸出量に占める日本の割合は31.8%。
もう一つの表;日米貿易額の推移表では、1934年の日本からの輸出総額が約40億円(うち、生糸は24億)、アメリカからの輸入総額が77億(うち、綿花は40億)で、37億ほどの輸入超過。
二つの表を併せ、各年度の数字を示しつつ、継続的に、綿花以外の工業原料や工業製品がアメリカより多量に輸入されていること、そして輸入超過ゆえに外貨獲得が不首尾であることが解説されている。

____________________引用再開
 次いで第二の環節。つまり輸入綿花を加工して綿布を生産し、綿布を世界市場に輸出して外貨を稼ぎ、重工業の原料を輸入する、主として日=英貿易について名和教授は次のように指摘した。この環節においても日本の輸出品が容易に保護主義の対象となるにもかかわらず、日本が英国およびその経済圏から輸入する商品のほとんど全てが日本にとっては重工業、軍需工業用原料として不可欠の資源であったと。
 教授の指摘通り、当時の日本は鉄鉱石を英領マレーや海峡植民地(シンガポール、マレー)や豪州から輸入し、例えば35年(昭和10年)には鉄鉱石総輸入量の58%を依存。(中略)アルミニウムをカナダから輸入し、例えば36年(昭和11年)同72%を依存、鉛を同様カナダから輸入し、例えば36年(昭和11年)には同44%を依存、亜鉛をカナダと豪州から輸入し、例えば36年(昭和11年)同66%を依存(中略)するなど、英国の経済圏に大きく依存していた。日本の対英帝国圏との貿易はこれも日本の入超となっていた。
 こうした事態の中で、もし、日本が米英両国を向こうに回して衝突するとなれば、その「衝突は悲劇的であらねばならぬ」と当時、名和教授は正確に日本の運命を予言していた。

 最後に第三環節について教授はこう指摘した。
 日本は貿易相手国を中国(中国、満州、関東州)および香港としたこの環節で、工業製品、機械類を輸出、農産物、食料品、鉱物資源を輸入して著しい輸出超過となっている。この環節の貿易はしかしながら、例えば(中略)36年(昭和11年)20.4%と五分の一に過ぎず、さらに政治情勢の不安定な「第三環節」に属する市場が、「第一環節」「第二環節」の市場に代替することは不可能である。(中略)教授は書いた。「(中略)貿易表は日本が大陸政策強化の準備として、重工業・軍需工業生産力拡充に焦慮すればするほど、世界市場への依存、原料輸入は増大すると云ふ循環を示した。ここに日本経済推進の深憂が存在する」と。
____________________引用終了

…この分析が、太平洋戦争開戦四年前、1937年に既に公表されていたとのことだ。
そして、森本氏は「日本経済の抱えるこうした諸矛盾の発展過程で国家指導者達は自らの置かれた実情を顧みることなく、ひたすら対外的膨張主義の路線を突っ走っていたが、戦争の危機が迫り資源の供給国が禁輸の挙に出ることで、日本の戦争経済を扼殺することは火を見るよりも明らかであった。」と記述している。

 こういう背景があって、分析は公表されていたのに、なおかつ、アメリカとの戦争を決断した当時の指導者達は、やはり批判の対象となってしかるべきだろう。


そういう訳で、他にも紹介したい箇所がたくさんある本なので、時間があって気が向けばいずれエントリにしまふ。。。


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