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奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏(1)
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投稿者 クマのプーさん 日時 2007 年 11 月 28 日 19:28:52: twUjz/PjYItws
 

http://amesei.exblog.jp/6643464/

2007年 11月 28日
奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏(1)

  アルルの男・ヒロシです。額賀福士郎財務大臣に対する証人喚問が来月3日に行われることが決まった。ところが、自民党は、額賀大臣が疑惑のジェイムズ・アワーとの宴席があった日に行われたとされる勉強会の録音ディスクと黒塗りの記念写真を持ち出してきた。自民党はこれで疑惑が収束したとしたいところらしいが、むしろ疑惑は深まった様に思う。

  というのは、テレビニュースでは報じていないが、証拠となった勉強会は、安全保障問題についての勉強会だった。産経新聞によると、出席者は額賀氏、元防衛施設庁長官の宝珠山昇氏、秋山直紀氏(日米平和・文化交流協会事務所)などであり、まさに疑惑の日米安全保障会議の主要メンバーたちであり、アメリカからの意向を伺う安全保障族たちだったのである。しかも、テレビ報道では勉強会の録音日時は17時間の時差で記録されていた。このICレコーダーの時間設定が違っていたというのが大島国対委員長の説明だが、そのICレコーダーに証拠力を持たせるには、同じもので録音した別の録音データも同様に時差があることを示す必要がある。家族らとの食事の写真も黒塗りである上、データの改竄が幾らでも可能である。

 民主党は額賀・アワー宴席について、守屋次官からの情報提供であると説明した。守屋氏自身が、自民党が指示されて、偽証を行ったという可能性もないわけではない。しかし、それでは守屋氏にリスクが多すぎる。

 さらに可能性として、宴席から額賀氏は途中退出しており、その足で、勉強会に駆けつけたということもある。政治家というのは勉強会や宴席をはしごするのが仕事みたいなものだ。その場合、「ロビイスト」として額賀氏に面会したアワー氏の意見聴取を行った上で、額賀氏が安保問題の勉強会に参加したというストーリーを想像することも可能である。さらに宮崎元専務も宴席と勉強会に出席していたというのだから、宮崎氏の喚問も必要だろう。

 安全保障問題の勉強会というのが全てを物語っているような気がする。繰り返すが「永田メール問題」に発展するのは守屋氏が偽証を行っている場合に限られる。ただの友人を囲む宴席に出席したことを認められないのは、額賀氏が、アワーという人物から受けた様々な恫喝、間接的な要求に対する複雑な心情、罪悪感ゆえかもしれない。

 今回のテーマは、その額賀問題を報じる産経新聞(28日)の一面に載っていた、元首相補佐官の岡本行夫氏の特別寄稿についてである。「特別寄稿:インド洋に補給艦戻せ」とする同寄稿文では、日本はアメリカのテロとの戦いの戦線から離脱するなという要求に満ちているが、この人もまた、アメリカのミサイルメーカー、レイセオンのロビイストのトーケル・パターソンと密接な関係にあった。

 この寄稿文は、「アメリカ様を怒らせるわけには行かない。日本はなんとしてもアメリカのテロとの戦いに参加しなくてはならない」という心情にあふれていると強く感じた。

 この寄稿文の中で、きわめて残念だったのは、岡本氏がアフガン戦争に対する自衛隊の給油支援を行うべしという論拠として、イラクで死亡した外交官奥克彦氏を引き合いに出している部分である。奥克彦氏の死については、テロリストによるものという公式発表では片づけるには難しい幾つかの疑惑と状況証拠が横たわっている。岡本氏の文章を引用する。

(引用開始)

  ◆奥参事官の悲劇

 そもそも日本は、海外で邦人を防護する態勢にない。私はイラク担当の首相補佐官だったとき、イラクの国中を奥克彦参事官(殉職後大使)とともにまわった。彼が2003年、テロリストに襲撃されて悲劇的な最期を遂げたように、決して安全なミッションではなかった。

 だからわれわれ2人がイラク南部へ行くときには、南部地域を統括するポーランド軍司令官が、われわれのために一個小隊を警護につけてくれた。これだけの警護兵がつけば、テロリストはまず襲撃してこない。だから、南部でわれわれは安全であった。

 写真は、のちに奥参事官と井ノ上正盛書記官が襲われた車から撮ったものだ。このとき隣席には奥参事官がいた。くしくも明日11月29日は、彼らの命日である。

 しかし米軍が管轄する北部ではそうはいかなかった。米軍は「自分たちは別の任務がある。外国政府職員は、自国の軍隊に守ってもらいたい」という立場だ。だが、自衛隊に海外での日本人を防護する職務はない。われわれも当然、北部では護衛なしであった。

 現在バグダッドにある数十の大使館は、基本的にすべて自国の部隊によって守られている。私の知るただひとつの例外が、日本大使館だ。日本だけはイラク人や外国人のガードマンに頼るより仕方ない。

 自衛隊は訓練された士気の高い部隊だ。だから個々の自衛隊員の問題ではない。そうではなく、徹底した平等社会の日本にあっては、あるグループの日本人(自衛隊員)が他のグループの日本人(大使館員)の盾となって危険にさらされることは想定されないのである。

 そのような中で、民主党はPRTに参加する日本人専門家を警護する自衛隊や警察部隊を派遣できるのか。「いや、日本は専門家は出すが、警護任務は危険だから他の国がやってくれ」と言うのなら、恥の上塗りである。

 あるいは例によって、民生支援のカネで済まそうと言うのだろうか。アフガニスタンで必要なのはカネではない。リスクの中で任務に就く人々なのである。

岡本行夫氏 特別寄稿「インド洋に補給艦戻せ」(平成19年 (2007) 11月28日[水] )
(引用終わり)

 こう岡本氏は書いているが、奥克彦氏ら二人の外交官の死を巡っては、「米軍による誤射説」「米軍による謀殺説」も提起されている。私は、岡本氏の著書『砂漠の戦争』を書評しながら、この二つの疑惑について論じたことがある。以下にその文章を転載する。長文であるがご容赦頂きたい。

 余談ではあるが、岡本行夫氏は現在、岡本アソシエーツの代表を務める傍ら、太平洋問題について研究するシンクタンク「パシフィック・カウンシル」のボードメンバーでもある。このシンクタンクは、「グローバル志向の企業家と、民間人、政府関係者とのネットワークを築き、世界的なポリシーメイカーとオピニオンリーダーの意見交換を行う機会を設ける」などの目的の元に設立された、ロサンゼルスに本拠を構える環太平洋交流組織である。理事会メンバーには他に、元アメリカ国務長官のウォーレン・クリストファーがいる。公式HPによると、この「パシフィック・カウンシル」は、1995年に米外交問題評議会と共同で設立された組織だという。

 このシンクタンクの理事会名簿を過去にまで遡っていくと、キッシンジャー・アソシエーツ副会長のアラン・バトキン(Alan Batkin)、AIG副社長のエドワード・クルーナン(Edward T. Cloonan)、ボーイングの元副社長のレイモンド・J・ワルドマン(Raymond T. Waldmann)、JPモルガンのマネージングダイレクターのブライアン・オニール(Brian D. O'Neill)、法律事務所Perkins Coie LLPのニコラス・ロックフェラー(Nicholas Rockefeller)などの名前が見つかる。岡本氏とこれらの人物は同時期の理事会メンバーではないが、パシフィック・カウンシルの人脈に参加しているというのはグローバル企業のインナーサークルに参加しているという意味であり、岡本氏の出世ぶりが分かるであろう。


==========

(転載貼り付け開始)

アメリカの虎の尾を踏んだ奥克彦氏。 岡本行夫氏の『砂漠の戦争』(文藝春秋社)から、「日本の分け前」を巡る“日米スパイ戦争”の真の姿が見えてきた。 2004.07.25
中田安彦

<はじめに>

 外務省の敏腕外交官・奧克彦(おくかつひこ)氏とアラビスト・井ノ上正盛(いのうえまさもり)氏が昨年の11月29日に、イラク国内で何者かに暗殺されてから、そろそろ9ヶ月が経とうとしている。この事件は、日本の自衛隊派遣という外交政策を決定する上で非常にエポックメイキングな事件だった。

 今回のレポートではこの事件の背後に隠された、「日本のイラク復興支援」の真の姿と、アメリカの軍産複合体(ミリタリー・インダストリー・コムプレックス)のイラク戦争への介在の事実について分析・解説を試みる。その際には、岡本行夫・現外交顧問(前・首相特別補佐官)の『砂漠の戦争』、元朝日新聞記者の森哲志氏の、『自衛隊がサマワに行った本当の理由』(情報センター出版局)、浜田和幸氏の『イラク戦争 日本の分け前』(光文社)などの著作と、NHKスペシャル「奧克彦大使 イラクでの足跡」(2004年3月6日放送)の中の奧克彦氏本人のインタビュー内容を参考にした。

 私はすでに、昨年12月4日の段階で、「この事件に関する米軍の関与」について指摘している。さらにその後数回にわたって、私なりの仮説を提示してきた。事件が経ってからしばらくして雑誌(週刊誌・月刊誌)などでも、この事件と米軍の関わりについて指摘する論文・レポートが現れるようになった。私はこれらの情報からも多くを学ぶことができた。

 今月上旬に、首相特別補佐官を務めた岡本行夫氏の著作である、『砂漠の戦争』が文芸春秋社から発売された。また雑誌メディア等で、岡本行夫氏の今回の事件に対する、後ろ暗い関わりを示唆する内容の記事もあった。これらをふまえて私なりに今回の事件の真相に関する絵は描けていた。そういうこともあり、一つの区切りとして、これらの疑惑全てに関して、その真贋判定を行う必要があるだろうと考えたということもレポートの目的の一つである。

<ただ一つ、米軍の関与を臭わせた共同通信支局長の記事>


 まず事件の概要を振り返っておこう。事件を報じる『産経新聞』(平成15年12月1日)の記事である。

(転載開始)

 ■イラクで日本人外交官2人殺害 復興会議へ移動中銃撃
 官房長官「テロ可能性強い」/首相、自衛隊派遣は不変

 イラク中部のティクリート付近で二十九日午後五時(日本時間同十一時)ごろ、日本人外交官ら三人が銃撃されて死亡した。福田康夫官房長官は三十日午後、記者団に「(事件は)テロの可能性が強い」と述べた。三月のイラク戦争開戦以降、日本人が死亡したのは初めてで、政府は強い衝撃を受けている。イラクへの自衛隊派遣について小泉純一郎首相は同日夕、改めて強い決意を示した。ただ、与野党双方に慎重論があり、政府は対応に苦慮しそうだ。
死亡したのは、外務省職員でイラクに長期出張中の奥克彦在英国大使館参事官(四五)、在イラク大使館の井ノ上正盛書記官(三〇)と、イラク人運転手のジョルジース氏(五四)。

 外務省は対策本部を設置して情報収集などを急ぎ、田中和徳政務官らが同日午後、二人の遺体を引き取るためにクウェートに向かった。遺体は、現地からバグダッドの日本大使館に向けて陸路で搬送された。

 奥氏らは一泊二日の予定で、米軍主催のイラク北部復興支援会議に出席するため、防弾ガラス仕様の四輪駆動車でバグダッドを出発、ティクリートに向かう途中だった。現地からの報道によると、病院関係者は銃撃に使用された武器はロシア製自動小銃のようだと述べているという。

 奥、井ノ上両氏のパスポートが紛失していたが、現地を捜査した米軍が地元住民が所持しているのを見つけた。

 事件を受け小泉首相は三十日朝、川口順子外相と電話で会談し「イラクの復興支援に積極的に取り組むというわが国の基本方針が揺らぐことはない」との意向を伝えた。

 小泉首相は同日夕、「本当に残念。どうしてこんなことをするのか。憤慨にたえない」と述べた。自衛隊派遣への影響について「イラク復興・人道支援に、やるべきこと、やらなくてはならないことをしっかりやるという基本姿勢に変わりはない」との決意を示した。

 ただ、日本人犠牲者が出たことの影響は避けられず、野党が政府に派遣断念を強く要求しているばかりでなく、自民党の加藤紘一元幹事長や公明党の冬柴鉄三幹事長らからも派遣に慎重な意見が相次いだ。

 こうした中で、自民党の安倍晋三幹事長は「しっかり安全確保のために十分な調査の結果を踏まえて(派遣時期を)判断しなければいけない」と述べ、派遣時期が遅れる可能性を示唆した。

                  ◇
 ティクリート バグダッドの北約150キロにあるチグリス川沿いの都市。人口約20万人。フセイン元大統領の出身地で、同市出身者はティクリート閥と呼ばれ、政権中枢で重用された。バグダッドとその西方ラマディとを結んだ地域はイスラム教スンニ派教徒が多数派を占める「スンニ派三角地帯」と呼ばれる。フセイン氏への忠誠心が高い住民が多く、米軍ヘリが撃墜されるなど対米テロが頻発しており、米軍が掃討作戦を展開している。

2003年12月1日 産経新聞 一面
(転載終わり)

 二人は、イラク北部のティクリートという場所で行われたCPA(占領暫定統治機構)主催の会議に出席するために、現地にトヨタ製のランドクルーザーで向かっているところを、現地時間11月29日の正午頃に何者かに襲われて殺害された。当初から報道機関はイスラム勢力のテロリストによる要人殺害という線で取材・報道していたが、一つだけ、「共同通信」の記事は趣を異にしていた。現場を米軍の車列が通り過ぎたというのである。


(転載開始)
「共同通信」(2003年11月30日)

血の海の中、最後のうめき 車体左側に無数の弾痕 
テロ示す目撃証言
 
 【ティクリット(イラク北部)30日共同=上西川原淳】血の海となった車の中で、苦しそうにうめき声を上げる在英国大使館参事官の奥克彦さん(45)。助手席では、在イラク大使館書記官の井ノ上正盛さん(30)が左肩に弾丸を受け、既に息絶えていた−。イラク復興支援の最前線で奮闘していた日本人外交官二人が二十九日、志半ばで凶弾に倒れた。フセイン元大統領の出身地、北部ティクリット近くの襲撃現場に三十日入り、目撃者の証言を集めると、二人はテロの犠牲になった可能性が浮かび上がってきた。

 現場はティクリットの南十数キロにあるムカイシファ近くの幹線道路沿いだった。片側二車線の直線道路。視界を遮るものはほとんどなく、三百六十度地平線が見渡せるほど見通しがよい。
 道路脇の食料品スタンド店主、ハッサン・フセインさん(42)が発砲音を聞いたのは二十九日午後零時半(日本時間同六時半)すぎ。「バグダッド方向から走ってきた車がスタンドの手前で右に大きくカーブを切り、路肩を外れて六十メートルほど畑に鼻先を突っ込むようにして止まった。すぐ後ろから米軍の車列が通り過ぎていった」とフセインさん。

 奥参事官らの黒い四輪駆動車の車体左側には無数の弾痕。「ドアを開けたら前部座席に二人、後部座席に一人が血の海の中で倒れていた。一人はまだ息があり、苦しいうめき声を上げていた。助けようと思ったが何もできず、警察を呼んだ」とフセインさんは唇をかむ。畑に残った車の轍(わだち)の脇には、生々しい血痕が残っていた。

 駐留米軍や日本外務省は、奥参事官らが食料や水をスタンドで買うため、車を降りた後に襲撃されたとの情報があるとしているが、フセインさんの証言とは食い違う。
 現場のイラク人警察官にも話を聞いた。「所持金を含め、盗まれたものは何もない」と断言する。他の目撃者の話でも、奥参事官らの車が畑に突っ込んだ後、不審者が車に近づいた様子はない。

 警察官は「奥参事官は頭部と顔面に被弾しており、左の脇腹にも弾痕があったが、現場に着いたときにはまだ生きていた。井ノ上書記官と運転手は既に絶命し、手の施しようがなかった」と言って天を仰いだ後、「現場に薬きょうが落ちていなかったのはふに落ちない」と首をかしげた。
 井ノ上書記官の両手は肩口のところまで上がったような状態で死後硬直していたという。
(了) 

「共同通信」11/30
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2003/iraq3/news/1201-53.html
(貼り付け終わり)

 共同通信支局長の上西川原淳氏のこの記事では、地元住民の証言として、「バグダッド方向から走ってきた車がスタンドの手前で右に大きくカーブを切り、路肩を外れて六十メートルほど畑に鼻先を突っ込むようにして止まった。すぐ後ろから米軍の車列が通り過ぎていった」と証言が出ている。重要な点は、「二人の外交官殺害には米軍が関係している」という推測は、この記事が出発点になったということである。

 私は、この事件に関してまず最初に思い浮かんだのが、「米軍による暗殺説」だった。
イスラム原理主義によるテロや、イラクのレジスタンスによる殺害という線は思い浮かばなかった。一つの理由として、彼らによる犯行声明が一切出てこなかったからである。たしかに、同時期に韓国人技師が襲われているのだが、記事のような米軍目撃情報はなかった。技師と外交官では格が違うという問題もある。

 この推理からすると、米国側の狙いは、煮え切らない日本の世論を一気に、「自衛隊復興支援賛成」に持ち込むという秘密工作ということにある。この時点では、日本の「イラク復興支援法」は可決成立しており、後は自衛隊派遣の正式決定を待つばかりになっていた。ところが、11月10日に行われる、衆議院選挙の配慮から、正式決定は選挙後にされていたようである。

(続く)


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