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奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏(ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報)
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投稿者 そのまんま西 日時 2007 年 11 月 29 日 00:01:19: sypgvaaYz82Hc
 

奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏
(ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報)2007年 11月 28日

奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏(1)

  アルルの男・ヒロシです。額賀福士郎財務大臣に対する証人喚問が来月3日に行われることが決まった。ところが、自民党は、額賀大臣が疑惑のジェイムズ・アワーとの宴席があった日に行われたとされる勉強会の録音ディスクと黒塗りの記念写真を持ち出してきた。自民党はこれで疑惑が収束したとしたいところらしいが、むしろ疑惑は深まった様に思う。

  というのは、テレビニュースでは報じていないが、証拠となった勉強会は、安全保障問題についての勉強会だった。産経新聞によると、出席者は額賀氏、元防衛施設庁長官の宝珠山昇氏、秋山直紀氏(日米平和・文化交流協会事務所)などであり、まさに疑惑の日米安全保障会議の主要メンバーたちであり、アメリカからの意向を伺う安全保障族たちだったのである。しかも、テレビ報道では勉強会の録音日時は17時間の時差で記録されていた。このICレコーダーの時間設定が違っていたというのが大島国対委員長の説明だが、そのICレコーダーに証拠力を持たせるには、同じもので録音した別の録音データも同様に時差があることを示す必要がある。家族らとの食事の写真も黒塗りである上、データの改竄が幾らでも可能である。

 民主党は額賀・アワー宴席について、守屋次官からの情報提供であると説明した。守屋氏自身が、自民党が指示されて、偽証を行ったという可能性もないわけではない。しかし、それでは守屋氏にリスクが多すぎる。

 さらに可能性として、宴席から額賀氏は途中退出しており、その足で、勉強会に駆けつけたということもある。政治家というのは勉強会や宴席をはしごするのが仕事みたいなものだ。その場合、「ロビイスト」として額賀氏に面会したアワー氏の意見聴取を行った上で、額賀氏が安保問題の勉強会に参加したというストーリーを想像することも可能である。さらに宮崎元専務も宴席と勉強会に出席していたというのだから、宮崎氏の喚問も必要だろう。

 安全保障問題の勉強会というのが全てを物語っているような気がする。繰り返すが「永田メール問題」に発展するのは守屋氏が偽証を行っている場合に限られる。ただの友人を囲む宴席に出席したことを認められないのは、額賀氏が、アワーという人物から受けた様々な恫喝、間接的な要求に対する複雑な心情、罪悪感ゆえかもしれない。

 今回のテーマは、その額賀問題を報じる産経新聞(28日)の一面に載っていた、元首相補佐官の岡本行夫氏の特別寄稿についてである。「特別寄稿:インド洋に補給艦戻せ」とする同寄稿文では、日本はアメリカのテロとの戦いの戦線から離脱するなという要求に満ちているが、この人もまた、アメリカのミサイルメーカー、レイセオンのロビイストのトーケル・パターソンと密接な関係にあった。

 この寄稿文は、「アメリカ様を怒らせるわけには行かない。日本はなんとしてもアメリカのテロとの戦いに参加しなくてはならない」という心情にあふれていると強く感じた。

 この寄稿文の中で、きわめて残念だったのは、岡本氏がアフガン戦争に対する自衛隊の給油支援を行うべしという論拠として、イラクで死亡した外交官奥克彦氏を引き合いに出している部分である。奥克彦氏の死については、テロリストによるものという公式発表では片づけるには難しい幾つかの疑惑と状況証拠が横たわっている。岡本氏の文章を引用する。

(引用開始)

  ◆奥参事官の悲劇

 そもそも日本は、海外で邦人を防護する態勢にない。私はイラク担当の首相補佐官だったとき、イラクの国中を奥克彦参事官(殉職後大使)とともにまわった。彼が2003年、テロリストに襲撃されて悲劇的な最期を遂げたように、決して安全なミッションではなかった。

 だからわれわれ2人がイラク南部へ行くときには、南部地域を統括するポーランド軍司令官が、われわれのために一個小隊を警護につけてくれた。これだけの警護兵がつけば、テロリストはまず襲撃してこない。だから、南部でわれわれは安全であった。

 写真は、のちに奥参事官と井ノ上正盛書記官が襲われた車から撮ったものだ。このとき隣席には奥参事官がいた。くしくも明日11月29日は、彼らの命日である。

 しかし米軍が管轄する北部ではそうはいかなかった。米軍は「自分たちは別の任務がある。外国政府職員は、自国の軍隊に守ってもらいたい」という立場だ。だが、自衛隊に海外での日本人を防護する職務はない。われわれも当然、北部では護衛なしであった。

 現在バグダッドにある数十の大使館は、基本的にすべて自国の部隊によって守られている。私の知るただひとつの例外が、日本大使館だ。日本だけはイラク人や外国人のガードマンに頼るより仕方ない。

 自衛隊は訓練された士気の高い部隊だ。だから個々の自衛隊員の問題ではない。そうではなく、徹底した平等社会の日本にあっては、あるグループの日本人(自衛隊員)が他のグループの日本人(大使館員)の盾となって危険にさらされることは想定されないのである。

 そのような中で、民主党はPRTに参加する日本人専門家を警護する自衛隊や警察部隊を派遣できるのか。「いや、日本は専門家は出すが、警護任務は危険だから他の国がやってくれ」と言うのなら、恥の上塗りである。

 あるいは例によって、民生支援のカネで済まそうと言うのだろうか。アフガニスタンで必要なのはカネではない。リスクの中で任務に就く人々なのである。

岡本行夫氏 特別寄稿「インド洋に補給艦戻せ」(平成19年 (2007) 11月28日[水] )
(引用終わり)

 こう岡本氏は書いているが、奥克彦氏ら二人の外交官の死を巡っては、「米軍による誤射説」「米軍による謀殺説」も提起されている。私は、岡本氏の著書『砂漠の戦争』を書評しながら、この二つの疑惑について論じたことがある。以下にその文章を転載する。長文であるがご容赦頂きたい。

 余談ではあるが、岡本行夫氏は現在、岡本アソシエーツの代表を務める傍ら、太平洋問題について研究するシンクタンク「パシフィック・カウンシル」のボードメンバーでもある。このシンクタンクは、「グローバル志向の企業家と、民間人、政府関係者とのネットワークを築き、世界的なポリシーメイカーとオピニオンリーダーの意見交換を行う機会を設ける」などの目的の元に設立された、ロサンゼルスに本拠を構える環太平洋交流組織である。理事会メンバーには他に、元アメリカ国務長官のウォーレン・クリストファーがいる。公式HPによると、この「パシフィック・カウンシル」は、1995年に米外交問題評議会と共同で設立された組織だという。

 このシンクタンクの理事会名簿を過去にまで遡っていくと、キッシンジャー・アソシエーツ副会長のアラン・バトキン(Alan Batkin)、AIG副社長のエドワード・クルーナン(Edward T. Cloonan)、ボーイングの元副社長のレイモンド・J・ワルドマン(Raymond T. Waldmann)、JPモルガンのマネージングダイレクターのブライアン・オニール(Brian D. O'Neill)、法律事務所Perkins Coie LLPのニコラス・ロックフェラー(Nicholas Rockefeller)などの名前が見つかる。岡本氏とこれらの人物は同時期の理事会メンバーではないが、パシフィック・カウンシルの人脈に参加しているというのはグローバル企業のインナーサークルに参加しているという意味であり、岡本氏の出世ぶりが分かるであろう。


==========

(転載貼り付け開始)

アメリカの虎の尾を踏んだ奥克彦氏。 岡本行夫氏の『砂漠の戦争』(文藝春秋社)から、「日本の分け前」を巡る“日米スパイ戦争”の真の姿が見えてきた。 2004.07.25
中田安彦

<はじめに>

 外務省の敏腕外交官・奧克彦(おくかつひこ)氏とアラビスト・井ノ上正盛(いのうえまさもり)氏が昨年の11月29日に、イラク国内で何者かに暗殺されてから、そろそろ9ヶ月が経とうとしている。この事件は、日本の自衛隊派遣という外交政策を決定する上で非常にエポックメイキングな事件だった。

 今回のレポートではこの事件の背後に隠された、「日本のイラク復興支援」の真の姿と、アメリカの軍産複合体(ミリタリー・インダストリー・コムプレックス)のイラク戦争への介在の事実について分析・解説を試みる。その際には、岡本行夫・現外交顧問(前・首相特別補佐官)の『砂漠の戦争』、元朝日新聞記者の森哲志氏の、『自衛隊がサマワに行った本当の理由』(情報センター出版局)、浜田和幸氏の『イラク戦争 日本の分け前』(光文社)などの著作と、NHKスペシャル「奧克彦大使 イラクでの足跡」(2004年3月6日放送)の中の奧克彦氏本人のインタビュー内容を参考にした。

 私はすでに、昨年12月4日の段階で、「この事件に関する米軍の関与」について指摘している。さらにその後数回にわたって、私なりの仮説を提示してきた。事件が経ってからしばらくして雑誌(週刊誌・月刊誌)などでも、この事件と米軍の関わりについて指摘する論文・レポートが現れるようになった。私はこれらの情報からも多くを学ぶことができた。

 今月上旬に、首相特別補佐官を務めた岡本行夫氏の著作である、『砂漠の戦争』が文芸春秋社から発売された。また雑誌メディア等で、岡本行夫氏の今回の事件に対する、後ろ暗い関わりを示唆する内容の記事もあった。これらをふまえて私なりに今回の事件の真相に関する絵は描けていた。そういうこともあり、一つの区切りとして、これらの疑惑全てに関して、その真贋判定を行う必要があるだろうと考えたということもレポートの目的の一つである。

<ただ一つ、米軍の関与を臭わせた共同通信支局長の記事>


 まず事件の概要を振り返っておこう。事件を報じる『産経新聞』(平成15年12月1日)の記事である。

(転載開始)

 ■イラクで日本人外交官2人殺害 復興会議へ移動中銃撃
 官房長官「テロ可能性強い」/首相、自衛隊派遣は不変

 イラク中部のティクリート付近で二十九日午後五時(日本時間同十一時)ごろ、日本人外交官ら三人が銃撃されて死亡した。福田康夫官房長官は三十日午後、記者団に「(事件は)テロの可能性が強い」と述べた。三月のイラク戦争開戦以降、日本人が死亡したのは初めてで、政府は強い衝撃を受けている。イラクへの自衛隊派遣について小泉純一郎首相は同日夕、改めて強い決意を示した。ただ、与野党双方に慎重論があり、政府は対応に苦慮しそうだ。
死亡したのは、外務省職員でイラクに長期出張中の奥克彦在英国大使館参事官(四五)、在イラク大使館の井ノ上正盛書記官(三〇)と、イラク人運転手のジョルジース氏(五四)。

 外務省は対策本部を設置して情報収集などを急ぎ、田中和徳政務官らが同日午後、二人の遺体を引き取るためにクウェートに向かった。遺体は、現地からバグダッドの日本大使館に向けて陸路で搬送された。

 奥氏らは一泊二日の予定で、米軍主催のイラク北部復興支援会議に出席するため、防弾ガラス仕様の四輪駆動車でバグダッドを出発、ティクリートに向かう途中だった。現地からの報道によると、病院関係者は銃撃に使用された武器はロシア製自動小銃のようだと述べているという。

 奥、井ノ上両氏のパスポートが紛失していたが、現地を捜査した米軍が地元住民が所持しているのを見つけた。

 事件を受け小泉首相は三十日朝、川口順子外相と電話で会談し「イラクの復興支援に積極的に取り組むというわが国の基本方針が揺らぐことはない」との意向を伝えた。

 小泉首相は同日夕、「本当に残念。どうしてこんなことをするのか。憤慨にたえない」と述べた。自衛隊派遣への影響について「イラク復興・人道支援に、やるべきこと、やらなくてはならないことをしっかりやるという基本姿勢に変わりはない」との決意を示した。

 ただ、日本人犠牲者が出たことの影響は避けられず、野党が政府に派遣断念を強く要求しているばかりでなく、自民党の加藤紘一元幹事長や公明党の冬柴鉄三幹事長らからも派遣に慎重な意見が相次いだ。

 こうした中で、自民党の安倍晋三幹事長は「しっかり安全確保のために十分な調査の結果を踏まえて(派遣時期を)判断しなければいけない」と述べ、派遣時期が遅れる可能性を示唆した。

                  ◇
 ティクリート バグダッドの北約150キロにあるチグリス川沿いの都市。人口約20万人。フセイン元大統領の出身地で、同市出身者はティクリート閥と呼ばれ、政権中枢で重用された。バグダッドとその西方ラマディとを結んだ地域はイスラム教スンニ派教徒が多数派を占める「スンニ派三角地帯」と呼ばれる。フセイン氏への忠誠心が高い住民が多く、米軍ヘリが撃墜されるなど対米テロが頻発しており、米軍が掃討作戦を展開している。

2003年12月1日 産経新聞 一面
(転載終わり)

 二人は、イラク北部のティクリートという場所で行われたCPA(占領暫定統治機構)主催の会議に出席するために、現地にトヨタ製のランドクルーザーで向かっているところを、現地時間11月29日の正午頃に何者かに襲われて殺害された。当初から報道機関はイスラム勢力のテロリストによる要人殺害という線で取材・報道していたが、一つだけ、「共同通信」の記事は趣を異にしていた。現場を米軍の車列が通り過ぎたというのである。


(転載開始)
「共同通信」(2003年11月30日)

血の海の中、最後のうめき 車体左側に無数の弾痕 
テロ示す目撃証言
 
 【ティクリット(イラク北部)30日共同=上西川原淳】血の海となった車の中で、苦しそうにうめき声を上げる在英国大使館参事官の奥克彦さん(45)。助手席では、在イラク大使館書記官の井ノ上正盛さん(30)が左肩に弾丸を受け、既に息絶えていた−。イラク復興支援の最前線で奮闘していた日本人外交官二人が二十九日、志半ばで凶弾に倒れた。フセイン元大統領の出身地、北部ティクリット近くの襲撃現場に三十日入り、目撃者の証言を集めると、二人はテロの犠牲になった可能性が浮かび上がってきた。

 現場はティクリットの南十数キロにあるムカイシファ近くの幹線道路沿いだった。片側二車線の直線道路。視界を遮るものはほとんどなく、三百六十度地平線が見渡せるほど見通しがよい。
 道路脇の食料品スタンド店主、ハッサン・フセインさん(42)が発砲音を聞いたのは二十九日午後零時半(日本時間同六時半)すぎ。「バグダッド方向から走ってきた車がスタンドの手前で右に大きくカーブを切り、路肩を外れて六十メートルほど畑に鼻先を突っ込むようにして止まった。すぐ後ろから米軍の車列が通り過ぎていった」とフセインさん。

 奥参事官らの黒い四輪駆動車の車体左側には無数の弾痕。「ドアを開けたら前部座席に二人、後部座席に一人が血の海の中で倒れていた。一人はまだ息があり、苦しいうめき声を上げていた。助けようと思ったが何もできず、警察を呼んだ」とフセインさんは唇をかむ。畑に残った車の轍(わだち)の脇には、生々しい血痕が残っていた。

 駐留米軍や日本外務省は、奥参事官らが食料や水をスタンドで買うため、車を降りた後に襲撃されたとの情報があるとしているが、フセインさんの証言とは食い違う。
 現場のイラク人警察官にも話を聞いた。「所持金を含め、盗まれたものは何もない」と断言する。他の目撃者の話でも、奥参事官らの車が畑に突っ込んだ後、不審者が車に近づいた様子はない。

 警察官は「奥参事官は頭部と顔面に被弾しており、左の脇腹にも弾痕があったが、現場に着いたときにはまだ生きていた。井ノ上書記官と運転手は既に絶命し、手の施しようがなかった」と言って天を仰いだ後、「現場に薬きょうが落ちていなかったのはふに落ちない」と首をかしげた。
 井ノ上書記官の両手は肩口のところまで上がったような状態で死後硬直していたという。
(了) 

「共同通信」11/30
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2003/iraq3/news/1201-53.html
(貼り付け終わり)

 共同通信支局長の上西川原淳氏のこの記事では、地元住民の証言として、「バグダッド方向から走ってきた車がスタンドの手前で右に大きくカーブを切り、路肩を外れて六十メートルほど畑に鼻先を突っ込むようにして止まった。すぐ後ろから米軍の車列が通り過ぎていった」と証言が出ている。重要な点は、「二人の外交官殺害には米軍が関係している」という推測は、この記事が出発点になったということである。

 私は、この事件に関してまず最初に思い浮かんだのが、「米軍による暗殺説」だった。
イスラム原理主義によるテロや、イラクのレジスタンスによる殺害という線は思い浮かばなかった。一つの理由として、彼らによる犯行声明が一切出てこなかったからである。たしかに、同時期に韓国人技師が襲われているのだが、記事のような米軍目撃情報はなかった。技師と外交官では格が違うという問題もある。

 この推理からすると、米国側の狙いは、煮え切らない日本の世論を一気に、「自衛隊復興支援賛成」に持ち込むという秘密工作ということにある。この時点では、日本の「イラク復興支援法」は可決成立しており、後は自衛隊派遣の正式決定を待つばかりになっていた。ところが、11月10日に行われる、衆議院選挙の配慮から、正式決定は選挙後にされていたようである。

(続く)

by japanhandlers2005 | 2007-11-28 11:05 | Trackback | Comments(0)


奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏(2)

(前回の記事の続き)

奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏(1)

<米情報機関に“丸投げ”された殺害事件調査>

 事件が発生して、当然外務省が緊急チームを結成して現地に調査団を派遣するのだろうと思っていたが、現地は危険だということでアメリカ側に全ての捜査を丸投げした形になってしまった。さらに、当時のニュース記事によると、日本政府はCIA(アメリカ中央情報局)に捜査を要請したらしい。

(転載開始)

 米、CIA動員し徹底捜査 日本人外交官殺害事件

 【ワシントン3日共同】イラクの日本人外交官殺害事件で、米政府は米中央情報局(CIA)などを動員、犯人グループ特定に向けた徹底捜査に乗り出した。米政府高官が2日、共同通信に明らかにした。

  事件を調べている米軍主体の連合軍暫定当局(CPA)が、米国の同盟国である日本と韓国、スペインの3カ国を計画的に狙った連続テロとの見方を強めたためで、捜査に全力を挙げている。
 CPA当局は、日韓とスペインが11月29日から30日にかけた同じ時期に襲撃、殺害されたことや、日本人外交官と韓国人技術者が事件当時に乗っていた車が一般のイラク人が所有している車種でないことに着目。犯行グループが、米国と親交のある外国人と分かって追跡したとみている。

 同高官は「犯行グループは特定できていない」とする一方で「CIAや米軍、国務省を動員、事件の真相を究明するため徹底した捜査を実施している」と述べ、事件に関する情報は日本政府に逐一報告していることを明らかにした。(共同通信)
[12月3日18時7分更新]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031203-00000165-kyodo-int
共同通信(2003年12月3日)
(転載終わり)

 さらに、当時の『産経新聞』の報道によると、CPAのブレマー代表が、調査団を派遣しようとした日本政府に対して、「その必要はない。危険なので来なくて良い」と差し止めをしていたという風になっている。CIAが真相を隠蔽して捜査不能にしてしまったのではないかと疑いが残る。

 事件の真相については、いまだ公式的には調査中ということになっている。政府の及び腰姿勢をよそに、事件の真相について、いろいろな憶測が飛び交った。当初の共同通信の記事を否定するために、犯行組織は、「ムハバラト」という旧フセイン情報機関であるという報道がなされたり、「二人はくだもの屋の売店に寄ったところを襲撃された」という当初の米軍発表のズレを修正するためか、そういう事実はないという米軍のコメントが発表されたりした。さらに、当初事件翌日の「テレビ朝日」の報道では、二人のパスポートとIDカードが地元の部族長のところで米軍が発見したという報道がなされたが、「読売新聞」の報道では、ソブヒ・ハッダード特約通信員が、「畑に突っ込んだ車や遺留品はすべて米軍が回収」したと報じている。

 さらにビジネスマンのための夕刊紙である左翼系の「日刊ゲンダイ」(2003年12月3日付)では、「誤射か意図か分からないが米軍の仕業であることは真相」であるとかなり憶測を交えて報道している。

<民主党議員が提起した「米軍誤射説」>

 この事件の真相に関し、いわゆる「米軍誤射説」というものがある。私はこの説は採らないが、当時の状況を推定する上で何か手がかりになるだろう。
この誤射説を提示したのは、既に紹介した「日刊ゲンダイ」とアエラ編集長の田岡俊次(たおかしゅんじ)氏のほか、民主党参議院議員の若林ひでき氏と首藤信彦・衆議院議員である。若林氏は2月5日の国会で次のように述べている。

 そのほか、民主党中心の国会議員たちが、独自の調査を行っている。若林氏は公式プロフィールによると、ヤマハ出身労組出身で、電気系の労組の中央執行委員を務めた後、外務省一等書記官として奥氏とも仕事をした経験がある。民主党のイラク調査団として、奥氏の案内でイラク国内を調査した経験もある人物である。電機連合(全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会)というのは、日本の電機産業の従業員の労働組合であるようだ。

 若林氏のサイトには、独自の調査委員会の「報告書」が掲載されており、賛同議員の一覧もある。これだけの国会議員が、米軍による殺害説を主張していることはなぜか一切新聞では報道されない。
(若林氏のサイト:http://wakahide.com/diplomat.html


(引用開始)
http://www.janjan.jp/government/0402/0402241420/1.php

国会論駁!!!外交官は米軍に撃たれた
若林秀樹・参院議員の見解発表

 多くの謎がありながら政府の真相解明は進まない。解明しようという熱意も感じられない。業を煮やした若林秀樹・参院議員(民主)は、2月5日の参院イラク復興支援・有事法制特別委員会で、独自の「推論」と断りながら、「米軍が不審者と間違えて重機関銃で撃ったのではないか」という見解を明らかにした。

 若林氏の見解は、米軍が外務省に送った写真のうち次の3枚に着目している。
 
 1枚目。車両左側面の写真は、30発前後の弾痕が集中している。これは狙撃車から窓を開けて撃てるような撃ち方ではない。

 2枚目。車両右側面の写真は、まったく弾痕がない。いくら軽防弾車でも反対側からあれだけ撃たれれば貫通してなんらかの傷跡がつくはずだが、まったく弾痕がないのは、かなり高い位置から撃たれたに違いない。
 
 3枚目。車両正面の写真は、ボンネットの中央先端とウインドーの真ん中に銃弾の跡がある。これは人を狙っていない。

 これらの写真から若林氏は次のように推論した。
 この日、奥参事官らの車に先行して、やはり同じ復興会議に出席するCPAの幹部が乗った車列がバグダッドからティクリートに向かっていた。この車列の最前部と最後部は、高い位置に重機関銃を装備した装甲車(ハンビー)が護衛している。この車列は時速100km以上では走れない。

 一方、奥参事官らの四輪駆動車はスピードが出せるから、気付いたら追いついてしまった。そこで不審者と間違えられて、威嚇射撃(車両正面の弾痕)を受けた。奥参事官はCPAの人たちはよく知っている。右側の車線に出てヨコから説明しようとしたが、不審者と誤解されたまま、車両左側面から銃弾を浴びることになった。

 口径7・62mmで右回り4条の腔線を有する銃は、カラシニコフをはじめ世界中で多種多様なものが出回っている。米軍も使っている。奥参事官らは米軍のハンビー型護衛車に装備された機関銃で撃たれたのではないか。これが若林氏が参院の委員会で明らかにした見解だ。

 これに対して、川口順子外相は「先生のお考えはお考えとして承らせていただきましたけれども、政府としては真相解明が大事でありまして、真相の究明に一歩でも近づきたいと思っております」、小泉純一郎首相は「推論を伺っていましたけれども、私にはそういう専門的知識もございません。政府としては、真相解明に今後とも全力を挙げていきたいと思っております」と答えた。外相、首相とも、若林氏の推論を否定しなかった点が注目される。

 実際問題として、同じような誤射事件は起こっている。昨年9月18日、イタリア外交官ピエトロ・コルドーネ氏の乗った車が、ティクリート近郊で、米軍の車列を追い越そうとして、米軍の銃撃を受け、同乗していたイラク人通訳が死亡した。この辺りは「死の街道」と呼ばれ、米軍も厳重な警戒体制をとっている。他の地域でも米軍の誤射で友軍国の兵士やイラク市民が死亡する事件が相次いでいるが、フランクス米中央軍司令官は「それが戦争だ」と発言したこともあるぐらいだから、日本人外交官が謝って撃たれることも当然あり得ることだ。

http://www.janjan.jp/government/0402/0402241420/1.php
JANJAN (2004年2月26日)国会論駁!外交官は米軍に撃たれた

(引用終わり)

 以上のように若林氏は、ナンバープレートを外した、奥氏らの乗った車が米軍車列(ハンビー)を追い越そうとしたことから、米軍が危険車両として射撃を行ったという分析をしている。若林氏は事件が日本の友軍であるはずの米軍の誤射によって引き起こされた不祥事であることを考慮して、日米当局が共同して事実の隠蔽を行ったのではないかという仮説を立てている。当時は前月にイタリア軍に対する襲撃が南部のナシリアで発生するなど、米軍としては現地の治安情勢の悪化にぴりぴりしており、追い打ちをかけるように、誤射による同盟国政府要人の殺害が発覚すれば、自衛隊派遣反対世論に拍車がかかると懸念しただろう、と分析するのである。

 更に言えば、事件が発生してから、被害車両そのものが米軍・CPAの管理下に置かれていた事実や被害者の遺体がすぐに日本に搬送されたにもかかわらず、被害車両が事件発生から3ヶ月を経過してようやく日本に返還されたという事実、などをふまえれば、当然のように米軍の隠ぺい工作の疑いが浮上してくるだろう。

 これだけでもずいぶん衝撃的なのだが、さらに衝撃的な分析が現れた。犠牲者となった3人のうち奥克彦氏は、刃物で腹を切り裂かれたというのである。これは、当時ロイター通信によって配信された、遺体の動画映像をみた結果による一般人の分析である。たしかに切り傷のように見えなくもないが、私にはこの情報の真贋は判定できない。薬莢が現場に落ちていないのは不可思議な限りではあるが、遺体から銃弾が発見されたということを信用すれば、やはり射殺であろう。しかし、外務省の調査ではいまだに使用銃器が特定されていない。これは、使用したのが米軍の銃器であるために発表できないのではないか、という説がある。

遺体の写真
http://great.mailux.com/file_view.php?id=UP3FCB3439C5B19

<全く別の観点から殺害事件を考察する>

 以上が「米軍誤射説」の概要である。私はあとで説明するように、この米軍誤射説は取らない。可能性として考えられるのは、

@,一般的な見方通りに、イラクの抵抗勢力のゲリラ襲撃によって殺害された
A,アメリカの高度な意志による謀殺

の二つであろうと考える。

 @,の「ゲリラ説」も、あながち否定できない。いまから述べるA説はあくまで状況証拠にもとづいた仮説(論理的に考えればこうなる)というだけのものであって、現実というのは偶然に左右されるというのもまた真実であるからだ。

 またAと@が結びついた襲撃計画という線もある。裏で糸を引いているのは、アメリカ政府とCPA(占領暫定当局)であっても、銃撃を実行したのが現地のイラク人であるという事も当然起こりうる。ケネディを暗殺したのは、アメリカの軍需産業であっても、実行犯として使われたのがオズワルドであるというのと同じ事である。とくに今回の事件調査は、CPAとCIAが共同でかかわっていることを考えると、この線も否定できない。この場合、「3人を殺害したのはイラク人の勢力である」という命題と「3人を殺害したのは米国政府である」という命題はどちらも成り立つことになる。

 私はこの事件の真相を考える上で重要なのは、「二人が一体イラクで何をしていたのかということではないか」、と考えた。

<現代の明石元二郎だった奥氏>

 奥克彦氏は、イラクでの復興支援の状況を「イラク便り」というニューズレターで逐次報告していた。これはまだ外務省のサイトで閲覧できる。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/staff/iraq/index.html

 これを読んで頂ければもう分かるのではないか。奥克彦という外交官は、日本の第一級の情報官(インテリジェンス・オフィサー)であり、アメリカから視れば、日本のCIAと視られるような人物であったのである。外務省バッシングが、機密費流用問題が発覚して以来かまびすしいが、本来の外交官というものは命の危険を顧みず、自国の国益のために情報収集をおこなうというのが第1の任務である。

 奥克彦氏の仕事は、日露戦争の時の日本外交官、明石元二郎(あかしもとじろう)氏そのものである。タジキスタンで武装勢力に殺害された筑波大学助教授の秋野豊氏もそのような人のひとりである。

秋野豊 ユーラシア基金HP
http://www.akinoyutaka.org/

「産経新聞」(平成15年12月5日)の社説は次のように書いている。


(引用開始)

  わが国には「明石元二郎」というプロ情報員のお手本がある。日露戦争の最中、明石陸軍大佐は地下の革命運動家、レーニンの一派にふんだんに資金提供するなど数々の謀略工作を行い、当時のロシアの首都ペテルブルグで要人暗殺や工場のサボタージュを頻発させた。これによりロシア軍の東方展開に歯止めをかけ、対露戦争の勝利に貢献しただけでなく、一九一七年に帝政打倒のロシア革命を誘発した。明石大佐が明治政府から任された機密費は現在の貨幣価値で百億円強とされたが、自らの生活費は極力抑え、資金の約三割を政府に返却した。
 明石大佐が現代に残した教訓は、混乱する現地の人々の間に分け入って得られる情報(ヒューミント)と情報網構築の死活的重要性と、卓越した情報工作員ならたった一人でも歴史をも動かしうる働きが可能という点だ。

【主張】情報能力 現代版の「明石元二郎」を
[2003年12月05日 産経新聞]
(引用終わり)

 「産経新聞」のいうように、ヒューミント強化問題は、盗聴・偵察衛星が発達した現代にあっては見落とされてきた。
機密費問題で日本のマスコミは、外交機密費の無駄遣いという問題が事実としてあったにせよ、こういう重要な頑張っている外交官の意気を消沈させてしまった責任がある。

 そうなると問題は、「日本のインテリジェント・オフィサーであった、奥克彦氏がイラクで一体どのような活動をしていたのか」という点である。

<岡本行夫―奥克彦コンビの登場>

 この活動の内容については、奥氏が発信している「イラク便り」連載に詳しいが、ここでもうひとりの重要人物に登場して頂き、その人の文章を借りて、彼らの活動の実態を明らかにしよう。

 その人物とは、元外務省北米一課長の肩書きを持ち、この春まで小泉純一郎首相の特別補佐官を務め、現在は首相の外交顧問を務めている、岡本行夫氏である。

 岡本氏は、民間の活動としては、コンサルティング会社「岡本アソシエイツ」を運営しており、民間企業ばかりではなく、アメリカ、フランスの関係者にも太い人脈を持つ。この「岡本アソシエイツ」という名前については、私は「キッシンジャー・アソシエイツ」から採ったのかと思っていた。

 しかし、どうも実際には、現在米国務次官補を務める、知日派のジャパン・ハンドラーのひとりである、元ゼネラルダイナミック社重役の、リチャード・アーミテージ氏の運営するコンサル会社の名前にちなんでいるらしい。そのほか、岡本氏は、米知日派人脈として、マイケル・グリーン・現米国家安全保障委員会アジア上級部長や、トーケル・パターソン・同前上級部長らとのビジネスを通した交流もあると言われている。

 岡本氏は、米軍需コングロマリットの「ベクテル」社とのつながりも指摘されている。このベクテル社の重役経験のある、ジョージ・シュルツ 元レーガン政権国務長官こそは、今回のイラク戦争の背後にいる本当の黒幕であろう。そのような、「どす黒い」会社とのつながりがあったことから、今回の外交官殺害事件に関しての岡本氏行動が不審を呼んでいる。この点に関しては、詳しくは後で言及する。この岡本行夫氏の「裏切り者判定」も非常に難しいところである。

 その岡本氏が7月上旬に『砂漠の戦争―イラクを駆け抜けた友、奥克彦へ』という本を文芸春秋社から出版した。この本から分かることは、イラク復興支援に現地を駆け回った、奥氏らの「事実上の上官」が岡本氏であり、岡本氏は奥氏らが日本に挙げてくる情報を元に、日本の各企業に対する復興需要の「箇所付け」をやっていたということである。

 この本は、イラクに実際に岡本氏が訪問した際の体験記というべき内容も含まれており、この問題を考える上での「第1級の資料」である。この本を細部まで読み解して行けば、おそらく外交官殺害事件の真相も見えてくるはずである。

 むろん、岡本氏本人が「この事件は米軍の仕業である」ということを書いているはずがない。岡本氏は腐っても元北米一課長という、外務省親米派の重鎮というキャリアを持ち、現皇太子妃である小和田雅子氏とのロマンスも噂されるほどの人物であるからである。小和田氏との「ロマンス」については以下の「極東ブログ」というサイトに詳しい。(注:なぜか、「プリンセス・マサコ」という本では、雅子妃のロマンスの相手が奥克彦氏になっている)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/02/post_49.html

 さて、岡本氏が、外交官殺害事件について言及しているのは同書の以下の部分である。岡本氏は、米軍誤射説を明確に否定している。

(引用開始)

 奥たちの車は米軍に誤射されたという議論が日本では長く行われた。
 米軍は走っている車にいきなり「乱射」はしない。普通は、まず奥たちの車輔に停車命令を発する。奥はCPAの身分証明書を持った人間だ。もちろん停車命令に応じる。その上、奥のことだ、「ちょうどいい、これから先ティクリットまで先導してくれ」と言ったに違いない。

 現に一ヶ月前、ティクリットのそばで道に迷っていた我々の車に、米軍が「どうしたのか?」と近寄ってきた。奥はこれ幸いと、「第四歩兵師団の本部まで案内してくれ」と申し入れた。先方は二つ返事で引き受けた。

 奥の車が米軍の車を追い越そうとして米軍にやられたというのだが、あり得ないだろう。奥もジョルジーズも、そのあたりはよく心得ている。相手が不審に思うような形での追い抜きなど、やらない。第一イラクは右側通行だ。追い抜いたところを撃たれたのなら、なぜ左側からやられているのか。なによりも、奥の乗るランドクルーザーは、手入れもよく高価で一見して個人の車ではない。どこかの組織の仕事用のものだとすぐわかる。イラクで活動する組織は、例外なくイラク安定化を支援するために来ている。つまり米軍にとって味方の車だ。いかに荒っぼい兵士であっても、このような車両にいきなり数十発も発砲しない。

岡本行夫『砂漠の戦争』(40頁)
(引用終わり)

 ただし、岡本氏の文章にはないのだが、外交官を乗せた車は、走行中ナンバープレートを外して走行していた。テロリストでなくとも米軍が誤認して銃器を乱射する可能性はある。岡本氏は別の箇所で次のように書いており、米軍の中には、ずいぶん荒っぽい思考をするを部隊司令官もいたことは事実である。

(引用開始)

(CPAのアメリカ人)調整官が重々しい口調で言った。
「この付近でイラン国境と接するワーシート県を最近ウクライナの軍隊が担当するようになった。このあいだウクライナ兵が制止したにもかかわらず車が検問に近づいてきたので、彼らはイラク人を二人射殺した。ウクライナの兵隊を見直した。こうでなくてはならない」

奥が顔をしかめた。

岡本行夫 『砂漠の戦争』(140頁)
(引用終わり)

 更に言えば派遣されていた米兵の中には州兵あがりの素人同然の若年兵もおり、慣れない緊張状態で猛突進してくる「不審車輌」に銃を乱射しないといいきれるだろうか。

(続く)


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(前回の記事の続き)

奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏(2)

<日本のイラク復興支援15億ドルの資金の「箇所づけ」をしていた岡本―奥コンビ>

 『砂漠の戦争』では、岡本行夫氏が現地で活動する奥克彦氏の事実上の指揮官として連絡を受けていたことが記されている、と先ほど述べた。アラビア語のできる、井ノ上書記官と奥氏らは、時々岡本氏を連れてイラク国内を東西南北を案内し日本の復興支援資金のうちの無償資金援助15億ドルの使用目的を決めていった。

http://www.jnews.jetro.go.jp/cgi-bin/newsb/wlnews.cgi?id=iraq&no=620

 岡本氏は、外務省に出向している経済産業省の古田肇・経済協力局長たちの通産官僚たちとも連絡を取り合い、現地での調査や開発のプランについて検討していったようだ。この古田肇氏というのは、2002年頃外務省改革の一環として、ODA省結成が噂されたときに、外務省に出向した通産官僚である。日本の復興支援計画の作成に置いてかなり重要な位置を占めていたことが分かる。

 以前、このサイト内で通産省の産業政策としてイラク復興支援を位置づける分析を副島隆彦が行ったことがある。イラクの復興支援では、日本政府からイラクに対して、パトカー150台の供与が行われている。このパトカー支援の構想を考えたのが、何を隠そう、奥氏であったということを岡本氏は明らかにしている。

(引用開始)

 奥が2003年6月末に一時帰国してきたとき、アザデガン油田の話を彼にした。官邸の僕の部屋には、中東の大きな地図が貼ってあった。北アフリカからイランの西半分までを示す横四メートル、縦ニメートルの壁いっぱいの地図だ。100万分の1の航空用の地図を一二枚貼り合わせて作ったものだ。

 奥はそこへ立っていって、アザデガン油田の東側にある川を指さした。

 「ここにカルーン渓谷というところがあります。日本は、イランがここに作るダムに円借款を出したんです。そしたらアメリカが圧力をかけてきて、日本は結局止めました。また同じことをやってるんですかあ。しょうがないなあ。そりゃイラン怒りますよ」彼が言ったのは、日本が1993年にカルーン第4ダムに386億円の借款を供与したものの、約束していた第二期工事への支援をアメリカの圧力で止めて、当時のラフサンジャニ大統領を怒らせた件だ。

 アメリカは、イランが大量破壊兵器を作りテロリストを援助している山のような証拠があるからイランヘの援助は認められないと言ってきた。日本側は援助は放棄させられたが、「証拠」の方は、結局見せてもらえなかった。

 11月に入って、東京に駐在するイランのアリ・マジェディ大使が何回か訪ねて来た。イランに行ってくれと言う。「イラン政府はここまで日本に対して悪化した国民感情を修復したい、イランに行ってマスコミに語りかけてくれないだろうか。あなたは総理の補佐官だから、行けばそのこと白体が小泉首相がイランとの関係を重視しているというメッセージになる」

 僕が行っても何の役に立つわけでもない。それは外務大臣や特使のような偉い人の仕事だと断ったが、大使は「問題はタイミングで、今でないといけない」と引かない。あんたなら大した責任もないんだからすぐ動けるだろう、と見透かされていた。大使は執拗だった。

 イランに勤務したことのある奥と相談した。

 「是非、行ってください。行って、ついでにイラクとのボーダー・コントロールの話をしてきてくださいよ」

 イラクの安定化にとって重要なのはボーダー・コントロール、つまり国境警備である。過激イスラム主義者集団のアンサールイスラムの勢力は、既に大部分がイランからイラク領内に入ってしまっているとの情報もあったが、国境を通るテロリストや不法入国者の往来を防がなければならない。イラクと国境を接するクウェート、サウジ、ヨルダン、シリア、トルコ、イラン六ヶ国のうち、特にイラン、シリアとの国境警備は、CPAにとってもイラク内務省にとっても重要な関心事だった。

 奥はこう考えた。イラン、シリアの国境地帯をパトロールするイラク警察に何百台かの警備車輔を提供できないか。無線機のような機材も供与できないか。更に、もう一歩進めた。

 「イランとシリアにも警備車輌をやれないですかねえ。彼らにもイラクと協力して、内と外から国境線を固めてもらんですよ。イラクの安定化は進みます。イラクも国境警備のアメリカ軍もイギリス軍も喜びますよ。東京で検討してもらいたいんです」

 それにしても、すっかり悪くなってしまった日本とイランとの関係をどのように修復できるのか。僕のレベルで動かせる話ではないが、奥の声に押された。もうひとり、経済産業省の石油天然ガス課の片瀬裕文課長の強い要請があった。

 アザデガン交渉はまだ望みがあります。イラン側と懸命に話をしているが、イラン国内には反対勢力もいて、とにかく内容を合意するまでの間、岡本さんがテヘランに行つてイランとの政治的関係をつなぎ止めて相手を説得してくださいと。

 資源エネルギー庁と協議をつめ、総理と官房長官に報告して許しを得て、11月30日に日本を発つた。テヘランに着いたのは真夜中だつた。イランとシリア行きを勧めてくれた奥は2日前に殺されていた。

岡本行夫 『砂漠の戦争』(256−258頁)
(引用終わり)

 以上引用したとおり、日本の経済産業省は、中川昭一・大臣のもとアメリカが反対するイランのアザデガン油田(とイラクのマジュヌーン油田)の開発を強硬に推し進めようとした。その際には現地の情勢安定化が必要となるが、奥氏が岡本行夫氏にアイデアとして提示したのが、イラク復興支援としてのパトカー供与だったというわけである。しかも、その供与決定は、漫然と行われたのではなく、日本の中東での石油資源確保という「地政学的目的」を十分に考慮したものである。ここがきわめて重要なポイントである。

 岡本―奥・井ノ上コンビは日本の国益を最大限増やすための復興支援のための資金の「箇所づけ」をイラク国内で行っていたのである。岡本氏の対米人脈について先ほど記述したが、この辺の油田開発に岡本氏がかかわっていたあたりの事実を考えると、岡本氏と米国が謀議をもって、奥氏の殺害の背後にいるということは考えにくい。

 ただし、岡本氏は奥氏を殺した犯人が誰であるかは知っているはずである。だから、3月中旬という中途半端な次期(主権移譲前)に補佐官を辞任したのであろう。

 奥克彦氏はアメリカから見れば、まさに日本のアメリカに対するスパイとして映っていたことは間違いない。それから、岡本氏が、米軍需産業と太いパイプを築いていたということも事実である。

 <メッキが剥がれた知日派・アーミテージ氏の正体>

 岡本氏の対米人脈を掘り下げた資料としては、ジャーナリストの歳川隆雄氏の『文藝春秋』(2004年3月号)の記事が詳しい。この「首相補佐官・岡本行夫『二つの顔』」という物々しいタイトルの記事には次のような記述がある。


(引用開始)

 もう一つ、気がかりな疑惑がある。外国企業が「岡本アソシエイツ」のクライアントに入っているかもしれないのだ。首相補佐官は国家機密を知りうる立場であり、国家間の公電も閲覧できる。それを外国企業のコンサルティング、情報交換に使わないという保証があるだろうか。取材によると、クライアントの可能性がある外国企業は二つ。「ベクテル」と「レイセオン」である。

 ベクテルは、共和党政権と一体といわれるゼネコン・エンジニアリングであり、今やイラク復興を一手に受注して米国内でも問題になっている。
「ベクテル社は岡本さんと古くから関係があると聞いています」(政界の知人)

 レイセオンは、米国トップのミサイルメーカーであり、イラク戦争でも大量の同社製のパトリオットミサイルが使われた。日本も本年度、MD構想の一環として地対空ミサイル配備のためレイセオンから購入する。

 岡本氏の友人であり、アーミテージ人脈につながるパターソン米大使上級顧問は、98年から00年まで、レイセオン日本支社長をつとめていた。99年5月当時、岡本氏はコソボ問題のNATO空爆をめぐって、

 「とにかく、儲かって仕方がないとアメリカのミサイルメーカーが喜んでいたけれど、最近じゃ『これでは申し訳ない、何か人道的なことに使えないか』といってきましたけどね(笑)」(『外交フォーラム』99年8月号)

と交流をうかがわせる発言をしている。もし今、両者がクライアントなら、国家機密上、許されない問題である。

歳川隆雄 「首相補佐官・岡本行夫『二つの顔』」 『文藝春秋』(2004年3月号)
(引用終わり)

 なんと、知日派人脈として民主党外交族議員とも交流の深い トーケル・パターソン氏は元レイセオン日本支社長であったというのである。すでに述べたように、アーミテージ氏はエンジン会社の、ゼネラル・ダイナミック社の重役を務めていたことがあり、この線から日本の自衛隊に攻撃用ヘリのエンジン売り込み攻勢がかかっているだろう。日本は性能のよいロールスロイス社ではなく、無理矢理米国製のエンジンを選ばされるように圧力がかかっている。最近、飛行機のエンジンの開発でも、ホンダとアーミテージの古巣のGD(ジェネラル・ダイナミクス)社が合弁を組むことが報道されている。

 また、日本のMD構想もアーミテージ氏やパターソン氏らの軍需産業の「アドバイザー人脈」によって良いように壟断(ろうだん)されているのだろう。知日派といってもメッキをはがしてみれば、この程度のものであるということを日本人は脳にたたき込むべきである。日本はやはり兵器の自力開発と情報収集の自力開発にもっと力を入れなくてはならない。

 「憲法9条改正」と日本の自衛隊の海外進出はこういう人たちのビジネス上の利益にもつながっている。どうせなら、日本の企業に儲けさせなければいけない。こんなことは当たり前のことである。

 私は憲法9条の改正無くしても、日本が自立の戦略をとることが可能であると常々書いてきた。むろん、憲法改正に絶対反対ではないし、場合によってはアメリカ側に拒否できるという前提があるのであれば、戦場レベルでの集団的自衛権行使も完全に否定はしない。

<18年に一度の、軍需経済サイクルがないと生き延びられないアメリカ>

 しかし、アメリカという国は、「崩しては壊し」を行う国である。アメリカは軍需産業なしには生きていけない国であり、ほぼ18年に一回軍需予算がピークになるという「軍需景気循環」(ミリタリー・ビジネス・サイクル) がある。チャルマーズ・ジョンソン氏の『アメリカ帝国の哀しみ』(2004年)に示された図表を視ればそのことは一目瞭然である。ちょうとイラク戦争が発生した2003年に軍需予算のピークが来ているところに注目して欲しい。アイゼンハワーが警告し、フォレスタルが悩み自殺し、ケネディを暗殺した「軍産複合体」というものの姿がこのグラフから浮かび上がってくる。


出典:The Sorrow of Empire,2004 Charmaers Johnson; Metropolitan Books page 55

 岡本行夫氏の今回のイラク復興利権に関する報道の真贋判定をしなくてはいけない。上の歳川氏の記事の示すとおり、岡本氏と「知日派」の関係はかなり深い。特に、ベクテルの関係は、後で述べる、ウムカスル港の土砂の浚渫(しゅんせつ)利権ともかかわってくる。しかし、今の段階で岡本氏が「黒色高官」(こくしょくこうかん)であると断定する決め手には欠ける。アザデガン油田開発問題に関する、岡本氏の行動がその反論となりうる。
この辺は読み手の「想像力」にゆだねたい。

<アメリカの虎の尾を踏んだ奥外交官>

 ここまでで、これをお読みの方は、奥克彦氏の殺害事件がテロリストの一過性の犯行とか、米軍の誤射であるとかそういう可能性のほかに、“日本の高級情報将校”として奥氏がアメリカから狙われていた、という可能性がある,というのが私の分析である。外交官殺人事件は、日米スパイ戦争ではないか。

 私の仮説は、いわゆる「アメリカの虎の尾」理論に基づいているのである。これはジャーナリスト・田原総一朗氏が若き日に書いた論文にちなんで私が勝手に考案した名前である。言うまでもなくロッキード事件による田中角栄失脚に、ヘンリー・キッシンジャーと立花隆、堀田力らが絡んでいた一連の謀略工作を指す。

 中曽根康弘元首相は、著書『天地有情』のなかで、概要「田中君はヨーロッパやソ連で石油取得外交をやった。それがアメリカの琴線に触れたのではないかと思います。世界を支配している石油メジャーの力は絶大ですからね。のちにキッシンジャーは『ロッキード事件は間違いだった』と密かに私に言いました」と打ちあけている。その他の箇所でも、キッシンジャー元国務長官は、ロッキード事件は自分の演出による謀略であったことを認めている。

 それでもなお、立花隆は、2000年ころに発表した『田中真紀子研究』(文芸春秋社)の中で、まだ「角栄失脚謀略説はありえない」と言っている。

 最近の虎の尾理論による説明ができる事件は、鈴木宗男、田中真紀子両衆院議員の「失脚」である。鈴木氏は「エクソンモービル」の、田中氏はアーミテージの虎の尾を踏んだと推定される。

 「虎の尾」理論とは、簡単に言えば、“アメリカの利権を横取りしたり、邪魔したりした者はアメリカの情報機関によって失脚、暗殺させられる”という理論である。

 この理論に奥克彦氏らの事件が当てはまるのか。その手がかりを残しているのは、誰あろう、奥克彦氏自身であった。

(続く)


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奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏(4)

(前回の記事の続き)

奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏(3)

<あまりにも生々しい奥氏の証言>

 奥克彦氏は昨年、一時帰国したときにNHKのインタビューに答えて話している。その内容の一部は、今年3月6日に放送された、NHKスペシャル「奧克彦大使 イラクでの足跡」で放送された。奥克彦氏はこのインタビューの中で、「アメリカのイラク戦争の目的は大量破壊兵器ではなく石油利権である」と断言している。

 このインタビューを聞いてみると、なるほど奥氏はアメリカに不信を抱かせる行動を沢山やっていると言うことが分かる。これで狙われない方がおかしいといっても良いくらいである。奥氏は国連中心のイラク復興には賛成だったが、アメリカの軍産複合体主導のイラク戦争そのものには常に懐疑的な眼を向けていた人物であった。

 この番組で奥克彦氏が話している内容はあまりにも率直すぎてここまで放送しても良いのかという内容である。たぶん、奥氏は、インタビュー当時は「オフレコ」を条件に話していただろう。2時間に渡るインタビューテープの全貌が非常に気になる。この番組のプロデューサー(製作統括)は、山本浩、岩堀政則の両氏であるが、この二人は公共放送としてできるギリギリの範囲で、外交官暗殺事件暗部について触れている。


(NHK番組の奥克彦氏の発言の引用開始)

 奥氏「明らかにまずイラクの石油を温存する。その次はイラクの生産体制をアメリカのコントロール下に置く。これが最初からこの戦争のねらいだったと思いますけどね。その体制をアメリカは作っているなというのが非常によく分かりましたけどね。

 大量破壊兵器が見つかったかどうかということの関心?そこに対する関心って言うのはあまりないんですよね。それは戦争をはじめる理由のひとつだったですけれども、そのためにやっているわけじゃないから。それはサダムのレジーム(政権)をつぶすためにやっている戦争だから。

 机上の空論をやっているわけです。いろいろと。(ORHAは、)この役所はこういう風にしようとかね。実際にバグダッドに移ってからドタバタし始めて、その当時描いた絵とはぜんぜん違うようなことをやっているわけですよ。着いた日から思いました。こりゃだめだなと。

 この組織は動かないから情報収集やって、日本の支援の一番目立って意味のあるところを取るのが仕事だなっていうのは、もう着いた瞬間にすぐわかりました。

(引用終わり)

 奥氏はNHKの記者に対して、「この戦争は石油利権を巡る戦争であって、大量破壊兵器の存在の有無はあまり重要ではない」という風にここまではっきりと断言している。さらに、「この組織が動かないから、自分で日本の復興支援のための情報収集をやる必要がある」と感じたことを率直に話している。この調査の際に、アメリカから不審がられていたことも認めている。


(引用開始)

 奥氏「文書へのアクセスは国防省のクリアランス(基準)に従ったアクセス権なんですよね。レベル1、レベル2、レベル3あるんですけれども」

 NHK:奥さんはレベル1まではもらえるんですか

 奥氏「レベル1ももらえないの。レベル3というのはインテリジェンス(機密情報)ですよ。だから、私は人の話をあっち行ったり、こっち行ったりして聞いているだけで、だから新聞記者のような仕事をしているわけですよね。
“あいつ何やってんだ”と思われているわけですよね。本国に報告ばかりやっていると。」

(引用終わり)

 イラク戦争では、マスコミの情報を操作・掌握するために、米国政府は、エンベッド(米メディアの米軍への埋め込み取材)という手法を用いて、報道陣の取材内容を事実上統制するという北朝鮮並の情報統制をしいていたことは、私が「ジェシカ・リンチのヤラセ事件」の分析で既に説明している。そういう状況の中で、同盟国の外交官とは言え、ここまで奔放に動き回る人物の存在はアメリカにとって目の上のたんこぶであったことは間違いない。

<奥氏を殺害したのは、「ジョージ・シュルツ」である>

 都合が悪くなるのは、一緒に復興支援に拘わっている米軍の中佐、少将レベルの人物にとってではない。イラク戦争のいかがわしい部分を隠蔽した、ロックフェラーやシュルツ、そしてORHAのガーナーや、CPAのポール・ブレマー3世たちである。国際軍産インナーサークルの中核に位置する、シュルツとブレマーはそれぞれ、「ベクテル」や「キッシンジャー・アソシエーツ」の重役レベルの人物であり、復興利権のうま味を真っ先に味わうことのできる人々である。

 特にベクテルに関して言えば、具体的な支援案件が奥氏の「活躍」のよって、邪魔されているのである。奥氏が『外交フォーラム』という雑誌に寄稿した文章ではそのいきさつが書かれている。それはイラク南部のイラク最大の商業港である、ウムカスルの土砂浚渫案件である。

(引用開始)

 5月1日に、ブッシュ大統領が「イラクにおける主要な戦闘行為が終了した」と宣言する前から、国連の援助機関はイラク国内での活動を再開していました。特に南部イラクを中心とした、水、医薬品の供給は、まだバクダッド周辺で激戦が続いていた4月上旬には、ウンム・カスル港周辺や、バスラ近辺で展開されていました。私も復興人道支援局(ORHA:CPAの前身)がクウェートで戦後のイラクの青写真を描いていた4 月上旬、国連児童基金(UNICEF)の水調査団に加えてもらって、ウンム・カスル唯一の病院での水供給調査に参加しました。この時の私は、イラクへの武力行使発生後、イラク領内に入った最初の日本政府関係者だったと思います。

 しかし驚いたのは「調査」といいながら、UNICEFの関係者はポリビニール製の組立型簡易水タンクを携行していて、その日のうちにタンクを組み立てて病院に水を供給し始めたのです。解放されたイラク領内の水供給システムが全く機能せず、UNICEFがクウェートで借り上げたタンクローリー車が、ひっきりなしにイラク領内に入り、あちこちで水を配っていた頃です。国連事務所爆破で亡くなってしまったUNICEFのクリス・ビークマン次長が、1日に60台規模のタンクローリーで緊急水供給をやっている、と説明してくれました。

 この背景には、戦前からUNICEFがイラク国内の医療施設、教育施設の現状をきちんと把握していたことがあって、応急措置とはいえ、現場で直ちにプロジェクトを実施できたわけです。私はそれまでの経験から、国連の援助機関はどちらかというとオーバーヘッド・コストばかり高くて効率が悪い、と感じていたのですが、それは誤りでした。これこそ、お手本のような緊急援助です。

 また、当時、ウンム・カスル港の土砂の浚渫が問題になっていました。英軍がいち早くこの事態を重視し、私に日英共同でウンム・カスル港の浚渫をやろう、さもなくば、世界食料計画(WFP)が調達した食料援助船が入港できず、折角の食料支援もイラクの人たちに届かなくなってしまう、と協力を呼びかけてきました。WFPの担当者も必死でした。日本政府としては、法的にイラクのように相手国政府が未成立の場合、非政府組織(NGO)か国際機関を通じた支援しか、実施できません。そこで私は直ちにクウェートにある国連開発計画 (UNDP)事務所にこの話を持ち込んで協力を仰ぎました。担当のベルギー人、ピーター・ルーズベルトは、「ミスター・オク、簡単ではないかもしれないけれど、やってみようよ」と、にっこり笑って応じてくれました。

 実際、このプロジェクトは、英国国際開発省(DFID)のクレア・ショート大臣(当時)が、軍関係への援助になる、といって引いてしまい、また、米国のコンサルタント会社ベクテルが入ってきて、明日からでも浚渫を始めるので日本の出る幕はない、といわれるなど、いろいろな横槍が入りました。

 しかし結局、ピーター・ルーズベルトが粘りに粘って、日本のプロジェクトとして仕立て上げてくれました。そのピーター本人は、たまたま別の場所にあるUNDPのバクダッド事務所にいて難を逃れたのですが、爆破テロで、ご夫人が腕にかなりの負傷を負ってしまいました。

『外交フォーラム』(2003年11月号)
奥克彦「イラクの戦後復興における国連の役割」
(引用終わり)

 この寄稿文とは別に奥氏はこの雑誌の英語版に別の長文の原稿を寄稿する計画があったという。この原稿は事件発生の直前まで執筆されていたのだが、奥氏の殺害事件が起きてしまったことにより、オクラになってしまったらしい。しかも、前出の歳川隆雄氏が「テレビ朝日」の番組で述べたところによると、事件発生後、「奥氏の詰めていた、日本政府仮大使館から、奥氏の使用していたパソコンとフロッピーディスクが紛失していた。また、事件現場からも奥氏のものとみられる、PDA(携帯用パソコン)とノートパソコンが一時紛失していたことが分かっている。

 以上の引用文章をみると、奥氏がイラク復興ビジネスで、アメリカの虎の尾を踏んでしまったということが分かる。ベクテルの横やりを拒絶して日本の案件として、国連と共同で、ウムカスルの浚渫を実施したのである。NHK番組では、浚渫船スタッフのみならず、港の作業員もが着用した、日の丸の入ったT―シャツが映し出されていた。
こうすることで事業にお金を出したことは日本政府であることが一目瞭然となったのである。

<国連事務所爆破事件はネオコンの謀略の可能性も>

 さらに上の引用文章では、国連職員のルーズベルト氏とユニセフ職員のビークマン氏がプロジェクトの推進にかかわったと言う指摘がある。この二人は、8月19日に発生した、バグダッドの国連事務所爆破事件で犠牲になっている。クリス氏は本人が爆死、ルーズベルト氏は夫人が腕に重傷を負った。

 このテロでは他に、国連事務総長特別代表のセルジオ・デメロ氏が殺害されているが、当時は国連までもがテロの標的になったと騒がれた。上の経緯などを見ていると、他の場所でもこれらの国連スタッフはアメリカとの摩擦を起こしていたのではないかと推測される。この国連事務所テロもアメリカの利権ネオコン派の一派が国連を復興利権から手を引かせるために仕組んだ“演出”であった可能性は十分にあるように思われる。CIAやネオコン系の情報機関が、現地イラク人をけしかけて自爆テロを起こさせたのではないだろうか。

 アメリカの虎の尾を踏んでしまった人々が次々とテロの標的にあっているというのは偶然としては出来過ぎであるような気がする。

<日本企業がイラクに戻る日はいつか>

 NHK番組では、7月にイラク復興支援法が成立したのち、奥氏と岡本氏はイラクの自衛隊の派遣候補地を選定するための調査に出かけるとともに、日本企業がフセイン政権時に建設した生産インフラの調査に出かけた。11月2日のことである。二人は、北部モスルから、ティクリット、バグダッド、バスラなどをイラク中を南北2000キロに渡って調査を続けたという。その半月前の10月15日には日本政府は、イラク人道復興支援のための無償資金として15億jを醵出することを決定、それを手みやげに17日の日米首脳会談に小泉首相は臨んでいる。二人の訪問はこの資金の箇所づけのためのものである。三菱、三井、トーメンなどの日本企業の建設した発電所の視察だとか、日本のODAによって建設された病院の視察が目的だった。病院には日本企業が、医療機器の援助ができないかということを調べたらしい。

 特に今回の訪問ではイラクの学校の復興計画に日本が資金をだせるのかということを中心に調査を行った。「学校に支援を行えば子供たちが大きくなっても覚えていてくれるだろう」という日本の「ソフト・パワー戦略」である。

 日本は対外債権として、イラクにかなりの額を持っている。金額にして60億j。これ長期的に全部回収することができ、イラクの復興支援案件を国連を通して日本が受注できれば、日本の経済界のビジネスチャンスにつながると同時に、民生部門の支援で日本の存在感をイラク国内に示すことができる。しかも、イラク人の雇用を増やすことができれば、イラク人からも感謝されるという好循環が期待できる。しかし、一方でアメリカがイラクから吸い上げる原油売買代金が日本の金庫に入ってしまうわけであり、アメリカとしてはこれを許すわけにはいかない。

 サウジアラビアなどにかなりの利権を持って食い込んでいる、ブッシュ家やカーライル、その大番頭のジェームズ・ベーカー3世が日本を初めとする大口債権国に怒鳴り込んでくるのも無理はない。


(転載開始)

イラク債権 大幅放棄 首相、米特使に表明

 小泉首相は29日、都内のホテルでジェームズ・ベーカー米大統領特使(イラク債務問題担当)と会談し、主要債権国会議(パリ・クラブ)加盟国の足並みがそろうことを前提に、日本が持つ総額約70億ドルにのぼる対イラク債権の削減に同意する意向を表明した。
 会談では、ベーカー特使が「日本としてもぜひ積極的な対応を取って欲しい」と述べ、イラク向け債権の削減に協力を要請した。

 首相は「イラク復興を失敗させてはならない」とした上で、「パリ・クラブ債権国が合意に沿って同様な対応をするなら、日本もかなりの債権放棄を行う用意がある」と述べ、債務削減に前向きに取り組む考えを示した。

 具体的な削減額については、政府は、年明け以降のパリ・クラブ会合などを通じ、他の主要債権国の動向を見極めながら最終決定する方針だ。

 日本の対イラク債権は、1980年代までの貿易保険の政府補償分(36億2700万ドル)と旧日本輸出入銀行(現国際協力銀行)による円借款未払い分(4億8200万ドル)の計41億900万ドルと、これらの遅延損害金(約29億ドル)からなっている。

( 2003年12月30日付  読売新聞 )
http://www.yomiuri.co.jp/features/gulf2/200312/gu20031230_01.htm
(転載終わり)

 そういう世界情勢の中でイラクに派遣された自衛隊は復興支援活動を行っている。しかし、復興支援活動の資金需要を探っていた、優秀な外交官を失ったことは日本の国益に対して大きな損失である。日本の政治家・外交官は常に「アメリカの虎の尾」を踏まないように戦々恐々としながら活動しているが、奥氏の行動はあまりにも大胆すぎたのである。

そんな奥氏をアメリカのブッシュ大統領が、演説で褒め称えている。

(引用開始)

 「テロに屈せず」奥大使称賛  米大統領演説
 ■日本のイラク派遣も評価

 【ワシントン=近藤豊和】「理想を信じてイラク復興に尽力したカツヒコ・オクという日本人の外交官がいた」−。ブッシュ米大統領は十九日にホワイトハウスで行ったイラク戦争開始一周年の記念演説で、イラクで殺害された奥克彦大使の名前を挙げ、大使のイラクでの復興支援活動への尽力ぶりを紹介、「テロに屈せずイラクに自由と復興をもたらす貢献者」の象徴としてたたえた。

 大統領は演説の締めの部分で、「奥大使はCPA(連合軍暫定当局)で活動し車中で襲撃され殺害された」と大使に言及。「彼は日記に『イラクの自由な人々はテロの脅威と戦いながら、イラク復興を確実に進めている。イラク国民がテロリストの手中にはまらないようわれわれは手を差し伸べなければならない』と書いている」と、奥大使がイラクで活動中に外務省のホームページで公開していた「イラク便り」のさわりを紹介した。

 大統領はさらに、奥大使の「これは自由を守るためのわれわれの戦いだ」との記述を引用、「イラクに自由を確立するのはわれわれの戦いだ」と強調、テロとの戦いなどで国際結束を訴えた。

 大統領はまた三度にわたり日本の国名を挙げ、「日本は歴史的な関与の仕方でイラクに平和をもたらそうと部隊を派遣した」と、自衛隊のイラク派遣を高く評価した。

『産経新聞』(平成16年3月21日)
(転載終わり)

――虎の尾を踏んだ当の相手である、ブッシュ政権に賞賛された、泉下(せんか)の奥大使はいかなる気持ちであっただろうか。
NHK番組は、次のような言葉で締めくくられている。

「二人が亡くなって3ヶ月あまり、宮殿の2階にある、奥さんと井上さんが使っていた部屋です。ベッドは取り除かれ、暫定行政当局(CPA)のオフィスに変わっていました。アメリカ主導の占領統治。イラクでその現実を見つめ続けた日本人外交官。日本は何ができるのか。残された足跡が問いかけています」■

二人の使っていた部屋はアメリカ主導の行政当局のオフィスに変わっていた。事件に遭遇したランドクルーザーが日本に届いたのは3ヶ月後である。

これでは真相究明など出来るわけはない。なぜ岡本氏はそこに疑問を持たないのか。実に不可解である。

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(貼り付け終わり)


# by japanhandlers2005 | 2007-11-28 11:14 | Trackback | Comments(2)


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