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近衛文麿を再評価する(天木直人のブログ)
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投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 1 月 02 日 09:55:42: twUjz/PjYItws
 

http://www.amakiblog.com/archives/2008/01/02/#000648

2008年01月02日
近衛文麿を再評価する


 正月休みが明けるまでは世間はお屠蘇気分である。活動はしばし休止し、世の中の動きを伝えるメディアも休んでいる。
 そういう時こそ、年末に興味深く読んだ諸君!2月号の「気骨の宰相・近衛文麿に、いまこそ再評価を」という記事について書いてみたい。
 私は歴史に不勉強で、近衛文麿という日米開戦直前に首相を務めた人物について殆ど知らない。知っている事と言えば、日米交渉が失敗すると内閣を「投げ出し」た無責任な首相だとか、貴族的性格の弱さがあったお公家さんであるとか、戦犯容疑で巣鴨へ出頭を命じられ服毒自殺をしたというくらいだ。
 しかしこの私の評価は、たとえば北岡伸一東大教授でさえも、安倍首相が退陣表明した翌日の07年9月13日付読売新聞に、「安倍さんを歴代の首相に例えるなら、近衛文麿に似ている。近衛は第三次内閣で、日米交渉で局面を打開できなくなって辞めた。安倍首相も近衛首相も、辞めればなんとかなるはずだ、というだけではないのか」、と書いていた程だから、多くの日本人はそう思っているのだろう。
 しかし歴史的人物の評価については、よほど詳しく史実を知らない限り正しく評価できない。それを教えてくれたのが諸君!の記事である。
 「近衛は不当に貶められている。いまこそ再評価されるべきだ」と主張する鳥居民氏(近現代史研究家)と工藤美代子氏(ノンフィクション作家・われ巣鴨に出頭せず(日本経済新聞社)の著者)の対談は、私にあらためて歴史を正しく知る事の重要性を教えてくれた。
 近衛文麿にほれ込んだ二人の語る近衛再評価論である。ほかの歴史家から見れば異論があるかもしれない。しかし少なくとも私には、あの日米開戦をめぐる天皇陛下の御聖断の背景や、戦後マッカーサーに新憲法起草を頼まれた近衛が一転して戦犯にさせられた経緯の真相を垣間見た気がする。

  鳥居と工藤が熱く語る近衛再評価の対談の要旨は次のごとくである。

1.近衛の名誉のために言っておくと(安倍首相の場合はどうかしらないが)、北岡教授が軽々しく言うような、「辞めれば何とかなる」とは、近衛は決して思っていなかった。むしろ近衛は最後まで日米開戦を回避しようと努力をした。
2.そもそも近衛批判を繰り返す歴史家たちは、戦前の内閣では首相に現憲法ほど権限はなく、閣僚の一人でも反対すれば「閣内不一致」となり、その閣僚が辞めないと頑張ったら、首相は辞職するしかないという事実を忘れている。 近衛の失態というよりも明治憲法の大きな欠陥によるところが大きい。
 中国撤兵によって米国との交渉の打開を図ろうとした近衛に対し、陸軍大臣東条英機は自己保身のためにどうしても賛成しなかった。再三にわたって説得を試みた近衛に対し、最後に東条は、「これは性格の相違ですなあ」と突き放した。中国との戦いを広げてきた東条の面子があった。
3.近衛には周りが言えない事でも率先して言う強い責任感があった。中国撤兵によって日米開戦を回避しようとしたり、天皇に退位を願って皇室を守ろうとする、この発想とそれを実行する勇気は、近衛以外誰も持ち得なかった。5摂家筆頭という名門の家紋を背負い、資産もあった彼には、地位や名誉・財産を求める必要はない。私欲を捨てて日本の為に働ける数少ない一人だった。
4.近衛はまた、世界的視野で物事を見ていた。帝国主義、対外膨張主義真っ盛りの時代状況において、「富というのはどの国にも均等に配分されなければならない。列強は植民地経営をやめて、独立を認めるべきだ」などと真っ当な感覚を持っていた。「歴代最悪の首相」はどう見ても不当な評価だ。
5.なぜ近衛の評価が歪められたのか。これこそが歴史の盲点である。その背景には、内大臣として天皇陛下の傍らに仕えていた木戸幸一の保身と嫉妬があった。GHQ対敵諜報部分析課長ハーバート・ノーマンの近衛排斥の工作があった。
 すなわち学生時代から近衛と親しかった木戸は、家柄も風貌も国民的人気もかなわない近衛に次第に嫉妬心を抱くようになる。そしてその近衛が中国撤兵を唱えだし、天皇陛下の退位を進言するようになった時点で、自分に責任が及ぶことを恐れ近衛の対米和平交渉をつぶそうと動く。軍部でさえも対米開戦にためらいがあることを、天皇に正しく伝えなかった責任を隠そうとする保身も働いた。 
6 GHQ対敵諜報部分析課長ハーバート・ノーマンも近衛の復活を望まなかった。戦後の日本における共産主義勢力の台頭をおそれるマッカーサーは近衛を信頼し、自由主義勢力を結集して、新憲法起案に取り組んでもらいたいと近衛に依頼する。それに危機感を感じた共産主義者のノーマンは、猛烈な宣伝攻勢を始める。新聞や世論などで急速に近衛批判が高まると、マッカーサーは一転して「近衛の憲法改定にはGHQは関与しない」と声明を出して近衛を切り捨てた。復活したかに見えた近衛の政治生命はこれで閉ざされることになる。

   以上が対談のあらましである。工藤と鳥居は最後に次の言葉で対談を締めくくっている。

   工藤  ・・・近衛は最後まで逮捕について多くを語ろうとしませんでした。さらに近衛はノーマンと都留(註 都留重人、経済学者・後の一橋大学学長。木戸の姪の夫で、ノーマンの親友でもあった。都留からノーマンにわたった近衛の情報はすべて木戸幸一から出ていたと考えられる)が、木戸のために策をめぐらし、自分を貶めていた事をまったく知らなかったと思われます。
  もしそうであったなら、実はあなたの知らないうちにこういう事が起こっていたのですよ、と彼の墓前に報告したい・・・
   鳥居  近衛は自殺する前日、次男に「我の心は知る人ぞ知る」と遺言します。近衛はアメリカとの戦争を回避しようと懸命に努力しました。戦いになってしまってからは、戦いを終わらせようと努力を重ねました。今こそ、木戸やノーマンによって歪められた近衛像ではなく、かれの本当の「志」を知るべき時だと思います・・・

  繰り返し述べるが、上記の対談で述べられた近衛の再評価に異を唱える歴史学者もいることだろう。史実は自分の都合の良いところだけを見て、それを強調して書かれるからだ。
  しかし少なくとも我々は、一つでも多くの情報、一つでも新しい知識を見出だそうとする努力の重要性を知らなければならない。同じ情報と知識の閉鎖性の中で、ただひたすらに自説を繰り返しているだけでは、独断に陥る危険性がある事に気づかなければならない。その事を教えてくれた対談であった。
  新年にふさわしく、あらたな気持ちで謙虚に歴史を振り返る、そういう柔軟な姿勢を忘れないでおきたい、そういう気持ちでこのブログをお届けする。



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