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大衆受けするようなパフォーマンスをして国民感情を取り込んでしまえば「空気」は権力者に味方する。小泉総理はそれを真似した
http://www.asyura2.com/07/senkyo45/msg/756.html
投稿者 TORA 日時 2008 年 1 月 02 日 15:35:06: GZSz.C7aK2zXo
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu159.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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大衆受けするようなパフォーマンスをして国民感情を取り込んでしまえば
「空気」は権力者に味方する。小泉総理のそれを真似したのだ。

2008年1月2日 水曜日

◆読めない「空気」とはなにか  内田一ノ輔
http://www.melma.com/backnumber_108241/

本来「KY」とは、労働災害を防止するための「危険予知活動」の省略形で、昔から広く使われている由緒ある用語であって、断固として「空気が読めない」の省略として使われるのは遺憾であると以前投稿した。

若い女性が仲間内で使う分には構わないが、マスコミ。メディアまでが流行語として頻繁に使うのは反対である。

しかし、マスコミ曰く、「KYとは空気が読めないの省略形であるとする事が、すなわち場の空気であり、空気を読んだに他ならない」。

KYは、労働災害を防止するための「危険予知活動」の省略形であるとコダワル私は、さしずめ「空気が読めないオヤジ」ということになるのか。

さて、この「空気を読めない」あるいは「空気を読む」の「空気」とは何なのでしょう。

山本七平氏の著書である『「空気」の研究』では、例として、戦時中の戦艦大和の沖縄出撃を挙げている。大和の出撃は無謀とする人々にはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。

だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至は根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。従ってここでも、あらゆる議論は最後には「空気」できめられる。

最終的決定を下し、「そうせざるを得なくしている」力を持っているのは「空気」であって、それ以外にはない。

これは非常に興味深い事実である。というのは、おそらく我々のすべてを、あらゆる議論や主張を超えて拘束している「何か」があるという証拠であって、その「何か」は、大問題から日常の問題、あるいは不意に当面した突発的事故への対処に至るまで、われわれを支配している何らかの基準のはずだからである。

「空気」とはまことに大きな絶対権を持った妖怪である。一種の超能力かもしれない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も説明できないような状況に落とし込んでしまったのである。(山本七平/『「空気」の研究』より)

昭和16年夏、首相官邸に隣接した場所に「内閣総力戦研究所」を設けられ、軍部・官庁・民間から選りすぐった将来の指導者たちが集められ、それぞれの出身母体に応じて「模擬内閣」を組織し、兵器増産の見通し、兵站ほかを科学的に分析し、戦局の展開を予想した。

結果は、「奇襲作戦が成功し緒戦の勝利は見込まれるが、長期戦になって物資不足は決定的となり、ソ連の参戦もあって敗れる」という結論を導き出した。(猪瀬直樹氏/著書「日本人は何故戦争をしたのか−昭和16年夏の敗戦」より)

この様な結論を得ていながら、日米開戦に踏み込ませてしまったものとは何なのか。政府内での「空気」だったのか。または、その「空気」を作り上げたハル長官の作戦であったのか。歴史的には後者の様である。

最近、沖縄戦で「住民の集団自決」に軍の命令があったのか等の議論が歴史教科書の記載内容について問題となっている。ここでも、「空気」が徘徊している様である。

多数の集団自決が起こったのは間違いのない事実である。

軍の命令があったかどうかについては、現場を見ずに地元で発刊された書籍資料のみで、軍の命令があったと断じた大江健三郎の「沖縄ノート」が、あったという「空気」を醸し出し、それに反発した曽野綾子氏が現地を歩いて取材し、軍の命令があったという証拠は見つけられなかったとしている。(曽野綾子 著所/「或る神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決」より)

軍の隊長に集団自決を命じられて、簡単に自決出来る人は滅多にいません。ましてや、自決したのは年配の男性や女子供ばかりであった。

実際の自決のうち、手榴弾によるものは極僅かで、自決の出来ない女子供を、男が斧やナタで殺し、残ったものが最後に殺しあうと言う悲惨なものであった。

米兵が来れば女性はレイプされ、皆がなぶり殺しにされると教えられた極限状態での住民の心情には、投降しようと言う言葉を口に出せない、死なねばならないと言う、一種の「空気」が支配していたとしても間違いではないでしょう。

戦後の沖縄の人たちは、自決命令が有ったかどうかより、「戦場となった住民の苦しさが理解されていない」「国は守ってくれず見捨てた」「自決した人たちの悲しみ」と言う切ない思いが、軍命令は無かったという事を受け入れることが出来ないのでしょう。

同じようなことが韓国にも当てはまる。現在でも、親日家・親日的発言をするもの、韓国的歴史認識を否定するものは「売国奴」として糾弾され、社会的地位が奪われる。

韓国の今日があるのは、日本からの資金・技術等の援助が大きな役割を果たした事、植民地時代に多くの近代化政策が取られ莫大な予算が割り当てられた事実を口にするのはタブーである。

「植民地にされ国を奪われた悲しみ、切なさ」を日本人は理解していない、許せないと言う「空気」が国全体を支配しており、逆らうものは許されない。

「空気」とは「場の雰囲気程度の事」であり、「JKは女子高生」と理解する方が幸せなのかも知れない。


◆小栗旬「オレは許せない」 「KY」現象に批判噴出 12月27日 YAHOOニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071227-00000003-jct-soci

■「極端から極端へと民意が振れ、民度がかつてなく低下しています」


 社会学者の宮台真司さんは2007年12月22日のブログで、社会の「共通前提」が崩壊してしまった現状で、「ノリ」によって擬似的な共通前提を作り出さないとコミュニケーションが進められない状態だと分析し、「空気」を壊すことへの「異常な忌避」が生まれたと指摘。

  「昨今の『KY問題』が突きつけているのは、共通前提の崩壊がもたらした過剰不安と、不安の埋め合せへの過剰要求です。それらのせいで截然とした二元論が要求されがちです。その結果、極端から極端へと民意が振れます。その意味で民度がかつてなく低下しています」

と、「民意の低下」やメディアが「KY」を利用している現状を批判している。
 上武大学大学院教授でブロガーとしても知られる池田信夫さんは07年12月23日に自身のブログで、宮台真司さんのこの指摘に賛意を示しつつ、

  「日本のメディアは空気によって党派がわかれ、慰安婦でも沖縄でも、初めに結論ありきで、歴史的事実におかまいなしに、朝日=岩波ムラと産経=文春ムラにわかれて罵倒の応酬が続き、論理的な論争が成立しない。たとえば『諸君!』に執筆すると、文春ムラに入ったとみなされ、そっち系の雑誌からばかり注文が来るようになる」

とメディアの「空気を読む」姿勢について批判を展開している。

 小栗旬さんの「KYって言葉が許せない」「どこまで知的レベルを落とせばいいんだ、この国は」という発言とどこまで共通性があるのかは分からないが、少なくともメディアが「KY」を頻発する現象に違和感を覚える人が多くいるのは確かなようだ。

(私のコメント)
去年は「KY」という流行語が流行りましたが、流行語大賞に選ばれるかと思ったらベスト10にも選ばれなかった。もっぱら安倍前総理に対して使われた言葉だから主催者が外したのだろう。安倍総理は小泉内閣を引き継いで政権を担当したから何かと小泉総理と比較される。小泉総理は異常なほど内閣支持率にこだわり気にしていたのに比べると安倍内閣は支持率が低下し続けた。

安倍総理に小泉流の国民向けのパフォーマンスは望むのは無理でありマスコミ受けするメッセージは国民に受けなかった。参院選挙においても演説は下手であり紋切り型の演説を繰り返した。しかし小泉流の改革はあちこちに歪みをもたらしていたからそれに対応すべきだったのですが選挙では大敗してしまった。にもかかわらず辞任しなかったからマスコミは「KY」という言葉を用いて攻撃した。

「KY」と言うのは「空気が読めない」の略語ですが、面と向かった発言は無いにしろ状況は決まっている雰囲気を「空気」と呼ぶようだ。根拠のある議論よりも「そうせざるを得ないような雰囲気」によって決定されてしまう。その場において根拠のあるデータに基づく反論は「空気を壊す」とか「水をさす」といった言葉で排除されてしまう。

日本社会にはこのような「そうぜざるを得ないような雰囲気」が満ち溢れている。そのような事は学校とか会社に満ち溢れている。私の経験でも会社などにおいても五時が終業時間と決められていても五時に帰ろうとすると上司に睨まれた。サービス残業をするのが会社に対する忠誠心の現れであり、用がなくても仕事をやるフリをせざるを得なくなる。

会社においては就業規則を守るよりも上司の指示の方が優先される。だから食品偽装などの偽装事件が相次ぎましたが、違法な行為を上司から指示されればそれに従わざるを得ない。職場の「空気」がそうだったからだ。しかし社員の非正規雇用の増加によって会社に対する忠誠心は失われて、会社の不正は内部告発で暴露されるようになった。

内部告発が続発するようになった事自体はいい事であっても会社の存続は危うくなる事もある。年金問題も社会保険庁廃止が決まってから内部告発が民主党にもたらされて安倍内閣への攻撃材料にされた。いわば労使がもたれあっていた組織がリストラや非正規雇用に切替が進むと「職場の空気が壊される」事になる。

いわば「空気」というのは一体感の事であり、沖縄で集団自決問題が起きるのも、沖縄が戦後に日本から切り離されてしまった事も関係している。いわば集団自決問題は会社における内部告発のようなものであり、日本と沖縄との一体感に「水が入った」状態だから起きている。日本に裏切られたと言う感情こそが「沖縄の空気」なのだ。だから実際はどうであったかということよりも感情の問題だ。

だから感情問題は冷静に議論しようとすればするほど相手は感情的になり問題がこじれてしまう。政治家としては沖縄の人の感情がおさまるように対応が求められた。同じような関係は韓国にも中国にもそのような「空気」が存在しているようだ。冷静な学術的な議論は相手には受け入れられない。

戦前においては韓国も中国も日本との有る意味での一体感があったのだろう。ところが日本だけが高度経済成長して韓国や中国は切り離されて不満が爆発したのだ。これは感情問題であり論理的な議論などで解決が付く問題ではない。このように「空気」とは厄介な問題であり感情問題だから相手が理性的になるまで待たなければならない問題だ。

マスコミなどが盛んに「KY」などという流行語を連発するようになったのも、弱者切り捨ててきな政策と無関係ではない。政府と国民との一体感の関係から対立関係へと関係が変化したからだ。福田総理に政治決断を求めても福田総理は官僚の方を見て国民感情を逆なですれば内閣支持率は落ちるだろう。

このような感情問題を解決するにはどうしたら良いのだろうか? ヒトラーは「大衆は女のようなもの」だと言っていましたが、大衆受けするようなパフォーマンスをして国民感情を取り込んでしまえば「空気」は権力者に味方する。小泉総理のそれを真似したのだ。つまりマスコミは国民受けするパフォーマンスを総理に求めているのだ。

そこには冷静な議論も無く「空気」だけで内閣の支持率が上下すると言う民度の低下が感じられる。だから安倍内閣の支持率が低下して行ったのも、国民感情を満足させるようなパフォーマンスが欠けていたというだけの話であり、「空気」によって安倍総理は選挙で負けた。


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