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片岡鉄哉氏を悼む(ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報)
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投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 1 月 11 日 00:26:53: twUjz/PjYItws
 

http://amesei.exblog.jp/d2008-01-10

2008年 01月 10日
片岡鉄哉氏を悼む。


 私は、不覚にも全然知らなかったのだが、元米スタンフォード大学フーバー研究所で一時期フェローをしておられた、国際政治学者の片岡鉄哉氏が、昨年末急逝されたと言う話を知人をつてにして聞いた 片岡氏が活躍しておられた「産経新聞」や雑誌「VOICE」にもその訃報は載っておらず、また、所属していたフーバー研究所のウェブサイトにもその旨の報はない。(http://www.hoover.org/

 どうも、研究者や学者の訃報というのは、弟子だった人とか、教えを請うた人が任意で所属していた大学に連絡するものらしい。それを受けた大学事務局が、情報をとりまとめて、同窓会報やウェブサイトのアルマナイ欄に載せるのが通例だというのだ。勿論、遺族がひっそりとしておいてほしいと希望する場合もある。

 知人をつてに聞いたところでは、末期のガンだったという。私は、片岡氏に直接お会いしたことは一度しかない。それも高田馬場駅前で開催された、小さな勉強会に参加したおり、その後に評論家の宮崎正弘氏なども参加した簡単な打ち上げの親睦会に参加しただけである。私は一参加者に過ぎなかった。

 しかし、その時に片岡氏が話された内容は、以後、同様の内容は雑誌記事にもなっていると思うのだが、主著である『さらば吉田茂』(文庫版『日本永久占領』)にも書かれていなかった、直接的な日本人に対する問いかけだった。その内容は以前私が文字に書き起こしておいたものがある。それをここで紹介したい。(全文は最後に貼り付ける)

 片岡氏が紹介した中で重要なのは、ある雑誌に掲載された、田原総一郎と宮沢喜一の対談で、宮澤が発した次の一言である。宮澤は、吉田外交の継承者でありながら、このようなモラリスティックな疑問を常に抱いていたようだ。


(引用開始)

宮澤 「実は私は、外務大臣のときに次官以下の幹部の諸君に宿題を出したのですよ。まず、こう問いました。日本は憲法によって戦争の放棄を宣言し、どこの国とも仲良くするということを外交方針にしていると、私は考えているのだが、間違いはないか、とね。げんに、憲法の前文に『諸國民の公正と信義に信頼して……』と書いてあるのですよ。みんな、間違いない、その通りだと答えました。そこで私は言ったのです。もしも、どこの国とも仲良くするということを、実際に行うとこれは大変にモラリティの無い外交にならざるを得ない、とね。そうでしょ」

田原 わかりません。どうして、です?

宮澤 「どこの国とも仲良くすると言うことは、たとえ、どんなひどい、不正や非人間的な事が行われていても、その国に対して、制裁行動は起こさないで仲良くするということでしょう。これはモラリティの無い外交ではないですか」

宮沢氏がイランやソ連の行動を指しているのだろう、とは、容易に推察できた。

田原 非人間的なことが行われていれば、やはり、それに抗議すべきじゃないのですか。

宮澤 「抗議してやめてくれれば良いのですが、もしも改めなかったらどうするのです」

宮沢喜一氏は、逆に問うた。

宮澤 「口先でいうくらいじゃ抗議にもならない。まるで効果はない。といって、日本は武力行使はダメ、威圧もダメ、十字軍を出すこともできない。一体、どうすればよいのです」

どうすればよいのか、と、私は宮沢氏の言葉をそのまま口にするしかなかった。

宮澤 「結局、日本はモラリティのない外交しかできない。また、国民も本心ではそれを望んでいるのではないですか。一切の価値判断をしない外交。しかし、これは、ごまかし外交でしてね。価値判断と言えば損得勘定だけでしょうな。価値判断がないのだから、何も言えない。言うべき事がない。ただ、頭を叩かれれば引っ込める。世界の空気を眺めて大勢に従う。日本はこれまでそれでやってきたのですよ。念のために言っておきますが、日本の外交、いかにあるべきか、という宿題の解答は外務省の諸君からいまに到るももらってません」

(引用終わり)


 これを読むと、宮沢元首相が紛れもなく、リベラリズムの信奉者であり、麻生太郎外相などに見られる「価値観外交」の萌芽のようなものを持ち続けていた人だと分かる。むろん、宮澤氏は、当然、無条件に価値判断をする外交を賞賛しているわけではないだろう。ネオコンのようなアメリカ政治の暴走に対しては異論を唱えるべきと考えていたはずだ。

 私は、この宮澤氏の設問がいつも引っかかっている。外務官僚はその答えを出していないそうだ。確かに難しい問題だろう。

 片岡氏の主張は、主著『さらば吉田茂』以外の雑誌寄稿文や論文では、かなり理念的な面では、保守的であり、一部ではネオコンに接近している面もないではないと思う。その意味では、私のような「吉田ドクトリン」派の人間に転向したものにとっては、賛成できるかと言われれば、そうではない。

 しかし、片岡氏の文章はそれを超えて読ませる内容だった。結果的に最後の書になってしまった、『核武装なき「改憲」は国を滅ぼす 』(PHP研究所)もそういう一冊だった。片岡氏の主張にうならざるを得ないのは、彼の持っている鋭い日本国内政治分析力ゆえだろう。異なる政治的な意見を持っている人だから、読まないというタイプの論客ではなかったと思う。

 片岡氏自身も以下のように述べていた。産経新聞に書いた書評の一つである。その中にこういう言葉がある。

 「私が政治学者として習得したことがある。ある人間、組織について情報が欲しかったら、敵のところに行けばよいのだ。アメリカン・リベラルの欠陥、裏情報を知りたければ、共和党に聞けばいい。無論その逆もなりたつ。」(産経新聞・2004年11月07日)

 例えば、中国研究をしている人なら、台湾の学者や法輪功が書いた中国政治分析を読む。アメリカ研究をしているなら、反米やマルクス系学者の評論を読む。国際金融について研究している人なら、陰謀史観で書かれた本を読む。これである。

 これが全て成功するわけではない。確かに感情的に思いこみで書かれたものはたくさんある。しかし、その中にも、輝くダイヤは存在するものだ。

 私はこれを実行してきたのだが、手練の政治学者である片岡氏もそれを実行していたというのは、勇気づけられる話だった。

 それと同じ意味で、片岡氏の書かれた、『日本永久占領』と言う本は、片岡氏の応援すると思われる(現在の安倍晋三や前原誠二のような)理念系の保守政治家に対しては今では懐疑的な批判的な私にとっても未だに重要な意味を持つ本である。

 最近、活動の噂が聞こえてこなかったのでどうしたのだろうと思っていた矢先の訃報だった。ご冥福をお祈りします。

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片岡鉄哉(かたおか てつや) スタンフォード大学フーバー研究所上級研究員
1933年(昭和8)、栃木県生まれ

 早稲田大学政治経済学部卒業。シカゴ大学大学院比較政治学専攻博士課程修了。ニューヨーク州立大学教授、筑波大学歴史・人類学系教授を経て現職。

 早い時期から、日本国憲法がうたう平和主義と日米安保に頼りきった経済主義を「吉田外交」の限界として批判、外交論壇のなかで異端視されたが、近年「脱・吉田外交」が日本の課題となるに及んで、もっとも注目される論客の一人となった。

 著書:『"黒船待ち"の日本』(82年、日本教文社)、『さらば吉田茂』(92年、文藝春秋 )、『日本は「政治大国」になれる』(92年年、PHP研究所)、『退場するアメリカ』(95年、PHP研究所)、『日本永久占領』(99年、講談社)ほか多数。朝日新聞記者も務めた作家の片岡鉄兵氏を父に持つ。

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 アルルの男・ヒロシ 拝


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国防問題研究会公開講座/講師:フーバー研究所シニアフェロー 片岡鉄哉
「変わるアメリカ、変わらぬ日本」2001年11月1日 於 高田馬場

【憲法死という日本の状況】

 いま私(片岡)が書いている米国の一般大衆向けの新しい本についての話から始めましょう。私が「さらば吉田茂」(文藝春秋社)を書き上げたのは湾岸危機のころでした。日本の不思議な外交行動は一体どこから来るのかということを考えて、日本国憲法(憲法)の生い立ちを振り返ってみましたが、それから10年たってみたらますますそう言う(おかしい)感じは強まってきています。

今度の本は、英語では"Death By Constitution"(憲法死)というものにしたい。日本が憲法のお陰でどうやって衰退したか、向こうの大衆に向けて書いた本です。日本の政治の状況をみて不思議に思うのは、橋本派と小泉首相とが、解散を巡って暗闘しているという記事が今日の新聞にもでていたが、表には出てこないが必ず憲法問題と関わってくるのです。

【吉田茂のモラル・コミットメント】

吉田茂の憲法を守るという決意についてはわかっています。
一つの国家が大きな成果なりをあげるときは、使命感(モラル・コミットメント)があるものですが、今の日本にはそれがない。中国も米国もそれを持っているにも関わらずです。吉田の場合は、表でモラルコミットメントを表せないので、憲法でそれを隠した訳です。

朝鮮戦争が始まると、ダレスが来日し、日本との平和条約交渉に拍車が掛かりましたが、吉田には引っかかっている点が2点あった。第1点にはカイロ宣言の問題。

ローズヴェルト、チャーチル、蒋介石が会談したあのカイロ会談で作成された、カイロ宣言はのちのポツダム宣言にも組み込まれています。カイロ宣言では、いわば歴史の改竄が行われた、
「日本が如何に暴力的に貪慾に他国の領土を盜んだ」とされてしまったのです。

台湾、朝鮮、樺太、千島、マーシャルと第1次大戦の初め以来からの領土までも、盜んだと言うことにされています。プロパガンダです。


(カイロ宣言の本文引用はじめ)

It is their purpose that Japan shall be stripped of all the islands in the Pacific which she has seized or occupied since the beginning of the first World War in 1914, and that all the territories Japan has stolen form the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and the Pescadores, shall be restored to the Republic of China.
Japan will also be expelled from all other territories which she has taken by violence and greed. The aforesaid three great powers, mindful of the enslavement of the people of Korea, are determined that in due course Korea shall become free and independent.
http://www.yale.edu/lawweb/avalon/wwii/cairo.htm
(引用終わり。挿入したカイロ宣言の原文:片岡氏配布のコピーは上記サイトを使用している)


そんなことから外務省の人間や吉田はカイロ宣言へ恨みを持っていました。

第2点としては、ダレスの態度です。ダレスは「今我々、自由主義陣営は共産主義者とたたかっている。日本の国民を引き連れてもう一度朝鮮で戦ってくれ」と吉田に言ったわけです。

確かに日本には「再軍備」をしようという人たちは居ましたが、そう言う人でさえも、もう一度朝鮮半島で「米国の手先」となろうという人はいなかったんですね。これが吉田を怒らせた二番目の理由です。

こういう事への怒りをあからさまには表せませんので、(吉田はモラルコミットメントの表し方として)「憲法は良い」と言い続けた。つまり憲法を評価することが、日本が復興して、経済的に発展するための便法になったわけです。

【角栄が発明した自民党政治手法】

日本の自民党は米国しか見えず、多角的な外交が出来ない。米国に対抗することが、「日本の自民党の至上命題になった」訳です。例えば60年安保の演出がそうでした。
米国と連携するような、岸信介とか中曽根康弘とか言う人が出てくると押さえ込む、吉田派は憲法の補強をやって、自繩自縛に陥りました。

憲法を巡っての第2段階、それは田中角栄の時代です。田中には吉田との完全な合意が存在しました。彼はプライベートには「日本をもう一度偉大な国にしよう」という風に考えて居たと思います。佐藤栄作内閣の終わりころ、これはベトナム戦争の尻拭いをさせられたニクソンの時代ですね、ニクソンは日本の態度を問題にして、「ニクソン・ショック」の演出を行いました。
そのころ佐藤首相は沖縄を返せと言っています。この頃の話については、最近、楠田實という人が「楠田實日記」を出版しました。佐藤に対し、ニクソンはこう言うわけですね。

「オキナワは返そう」と、だけれども、それと引き替えに『貿易と防衛のリンケイジ』をやって欲しいとこう言うわけです。つまり、繊維問題の解決です。あのころの日米の貿易問題と言えば、繊維だったんですね。佐藤首相は、当時の宮沢喜一通産大臣に交渉を任せます。ところが、宮沢さんは有能な官僚あがりの政治家だったので、「官僚としては、自由貿易と防衛の問題のリンケイジを拒否します」と言っちゃったわけです。そこで、佐藤は田中角栄に繊維交渉を任せます。田中というのは護憲の職業政治家です。今までは職業政治家といえば、鳩山一郎や三木武吉といった人で、改憲の考え方の人でした。、

田中が繊維交渉でやったことは簡単に言えば、「損失補てん」です。ニクソンは防衛問題でのただ乗りを責めて、「繊維製品の輸出をやめろ」と言った。これに対し、田中は「廢業した人は財政資金で補償する」と対応した。当時は毎年、2割から5割の税收のアップがありましたから、税金が余っている訳です。余った税金で、繊維業者を救済したわけです。

これが自民党政治の手法になっちゃったんですね。

竹下さんもやろうとしました。金利を操作することでジャパンマネーを米国にくれてやるということになりました。

1987年にブラックマンデーが発生、その時に就任直後の竹下登首相に米国から「困ったから助けてくれ」という電話がありました。相手は、ジェイムズ・ベーカーだったと思います。「日銀の金利を切ってくれ」と言うわけです。

同年の10月に竹下さんは金利を下げる決定をしました。それで超低金利になって、バブル経済となったわけです。この決断は竹下の大チョンボと言っていいでしょう。

この他にも米国から様々な「請求書」が来ました。実験装置を作りたい、宇宙ステーションをつくりたい、ソ連に融資してやってくれなど色々です。こういう要求を官僚ではなく政治家に向けてやるわけです。言ってみれば、金丸信さんやら自民党には票田というか権力の源泉が二つあった。一つは、日本の農村地帯による土建票、もう一つは米国です。

金丸さんといえば、いまのブッシュの親父と中が悪くなったことがある。国対での馴れ合いの関係にあった社会党の田辺誠に唆されて、「金丸さん、一緒に北朝鮮に行こうよ」と言われた。そこで田辺は、金日成と金丸を二人切りにしてしまうわけです。金丸は手玉に取られました。それを聞いたブッシュは怒った。金丸は一時、「江戸城登城禁止」と相成ってしまいました。それを解除してもらうために、日本は巨額の財政支出の約束をさせられてしまった。米国の方も、日本はどうせ何を言っても無駄だというあきらめがあったのでしょうか、ただのタカリの相手としか見なさなくなったんでしょう。

【憲法の"補強"】

ニクソンに話を戻しましょう。ニクソンが訪中してしまい、日本は孤立した状態におかれてしまった。「米国よりも中国に接近せねばならない」という状況に追い込まれた。要するに、キッシンジャーも日本も周恩来にハメられたと言っていいでしょう。角栄は米国よりも中国に接近し、結果的に「台湾は中国の固有の領土であること」を尊重するという譲歩をさせられてしまいました。ニクソンの上海コミュニケはここまで踏み込んだ表現ではなかったと思います。この日中共同声明によると、周辺事態法による台湾での日本の参戦は声明違反になってしまいます。そこで小渕首相の時代に決まった周辺事態法を見てみますと、「戦場から一線を画したところ」と言う表記になっています。(田中は周恩来の罠にハマって)日米同盟を割ってしまったといえるでしょう。

この事に関しては宮沢元首相が頭のいいことを言っている。宮沢さんは日本の憲法のスポークスマン的な人ですが、文藝春秋の80年の3月号で次の様に言っています。


「実は私は、外務大臣のときに次官以下の幹部の諸君に宿題を出したのですよ。まず、こう問いました。日本は憲法によって戦争の放棄を宣言し、どこの国とも仲良くするということを外交方針にしていると、私は考えているのだが、間違いはないか、とね。げんに、憲法の前文に『諸國民の公正と信義に信頼して……』と書いてあるのですよ。みんな、間違いない、その通りだと答えました。そこで私は言ったのです。もしも、どこの国とも仲良くするということを、実際に行うとこれは大変にモラリティの無い外交にならざるを得ない、とね。そうでしょ」

−わかりません。どうして、です?

「どこの国とも仲良くすると言うことは、たとえ、どんなひどい、不正や非人間的な事が行われていても、その国に対して、制裁行動は起こさないで仲良くするということでしょう。これはモラリティの無い外交ではないですか」

宮沢氏がイランやソ連の行動を指しているのだろう、とは、容易に推察できた。

−非人間的なことが行われていれば、やはり、それに抗議すべきじゃないのですか。

「抗議してやめてくれれば良いのですが、もしも改めなかったらどうするのです」

宮沢喜一氏は、逆に問うた。

「口先でいうくらいじゃ抗議にもならない。まるで効果はない。といって、日本は武力行使はダメ、威圧もダメ、十字軍を出すこともできない。一体、どうすればよいのです」

どうすればよいのか、と、私は宮沢氏の言葉をそのまま口にするしかなかった。

「結局、日本はモラリティのない外交しかできない。また、国民も本心ではそれを望んでいるのではないですか。一切の価値判断をしない外交。しかし、これは、ごまかし外交でしてね。価値判断と言えば損得勘定だけでしょうな。価値判断がないのだから、何も言えない。言うべき事がない。ただ、頭を叩かれれば引っ込める。世界の空気を眺めて大勢に従う。日本はこれまでそれでやってきたのですよ。念のために言っておきますが、日本の外交、いかにあるべきか、という宿題の解答は外務省の諸君からいまに到るももらってません」

文藝春秋1980年3月号 「ソ連は怖くないですか」宮沢喜一/聞き手 田原総一郎 から


私は宮沢さんの周囲の人から、「日本は占領されている。自主性はない。頭を叩かれたらやるしかない」と宮沢さんが考えているというのを聞いたことがあります。

米国の大統領や国務長官などは、「日本は真珠湾については、罪悪意識はない、ひょっとするか何時の日か復讐されるのではないか」というようなブリーフィングを受けているのではないか、という考え方があります。日米は疑心暗鬼に陥っているというのが宮沢説。加藤紘一さんや竹下さんもこういう風に考えていると思う。日本には西尾幹二のような本が色々と出ていますし、沖縄の米軍は「ビンのフタ」であるという言われ方もされています。

しかし、私は宮沢説を取りません。米国は言われれば出ていくでしょう。竹下派のバラマキ外交はひどいものです。それは今でも尾を引いています。

【現下の問題】

今日の新聞に内閣改造の話が出ていました。テロ対策措置法で、公明党は自民と民主の連携を阻止するために「事後承認」を持ち出した。靖国問題では、米国の国務省の介入があったようです。この種の介入は日本側にもパートナーとなって居る人物が居るはずで、これは野中広務さんと外務省ではないかと推測しています。野中さんの北京訪問は小泉首相の廬溝橋記念館訪問の打ち合わせだったと思います。小泉首相を押さえ込むには米国も一枚噛ませればいいと判断したんでしょう。

【憲法の悪用】

日本の弱いところは米国とのつき合いで真実を言えないということです。

あの太平洋戦争は、私は道義的には日本は正しいと思っていますが、負けるのをわかっていて避けないと言うのはやはり間違いだと考えています。実はあのとき、共和党の連中はローズベルトが何をするつもりだったのか、全て知っていました。ローズベルトはフーバーの責任を問うて、彼を引きずりおろし、バラマキ政治を始めました。しかし、ローズベルトは大恐慌からの痛手から回復することが出来ず、もはや戦争をやるしかないという所に追い込まれていくわけです。
仮定の話ですが、日本は共和党を上手に使って、ローズベルトに先に手を出させるように仕向けたら、日本と米国は引き分けに終わったかも知れません。

米国の覇権が滅んだときになるまでは、「米国の真実は世界の真実である」と米国は言い続けるでしょう、そうしないとあの国は持ちません。

【アフガン戦争について】

最後に、米国のアフガン戦争についてですが、ひょっとするとベトナム戦争になるかも知れません。真珠湾ではすまないかも知れない。あのときは、4,5人炭疽菌で亡くなっても国民は落胆などしなかった。当時は情報管制が敷かれていたから。ローズベルトが車椅子に乗っていたと言うことも隠されていたほどです。

【質疑応答】

Q 米国に原爆、東京大空襲について日本に謝罪させる事ができるのでしょうか

 クリントン政権時代に、ヒラリーの票が目的で、米国はドイツから補償金を取ってユダヤ人に補償させるというということをホワイトハウスが保証することを決めました。ドイツは(日本の左翼団体が主張するような思惑ではなく)、「絶対にこれでお終いだ。ドイツはベルリン共和国になる」と言って、応じました。

 こんどこれを聞き附けたある団体が「ドイツは50億ならば日本からは80億くらいは取れるのではないか」として、新聞にコラムを出した。

 これに対し、アマコストやら3人が反論した。その反論の論理構成はこういうことです。「この問題をいじくると、講和条約を破棄せざる得なくなる」と藪からでた蛇で、「米国の犯罪を追及されては困る」という風に考えたようです。

 慰安婦問題だって、問題にされるのは日本の国威が衰えているからではないかとも思います。金丸信さんが元気だったころに今の天皇陛下が、ロンドンに行ったときにビルマで日本の捕虜とされた男性から、モーターケードに尻を向けられたと言う事件があった。しかし、昭和天皇がロンドンに行ったときにはそんなことはなかった。日本の国家にスキが出来てきたと言うことではないでしょうか。

Q 日本とキリスト教国とのつき合い方についてどう考えるか
 
 日本のモラル・コミットメントは、以前はリージョナルヘゲモニー=東洋平和だった。特攻隊に朝鮮の人がいた。そう言う時代もあった。

 米国は9月11日と前と後では全然違う。クリントンとモニカ・ルインスキとの情事のような話はあれだけじゃなくてまだまだ一杯ある。平和は人間を墮落させるとはよく言ったもの。こんなことをいうと社民党の女性議員さんから「片岡というやつは軍国主義だ」などと批判されてしまいそうですが(笑)

 ブッシュと散々競り合ったゴアでさえ、いまは「ブッシュさんが大統領になって良かった」と言っています。

 ベトナム戦争の時代に、米国は一度負けました。戦争に負けると言うことは社会の価値がひっくり返ると言うことです。あのころの米国にも、カウンターカルチャーというか、日本の進歩的文化人というような人たちが出てきた。

 日本の場合には憲法の問題もありますが、単純に制度疲労の問題もあります。制度の作り直しが必要かも知れない。米国というのは二大政党で、定期的に制度の作り替えをしている。つまり戦争です。レーガンのころ、ニューディーラーの腐敗が表面化しました。たとえば、Welfare Queenと言って政府の補助金で私生児を育てると言うこともやりました。そういう風な流れの中でレーガンの戦争があると思います。

筆記録作成:アルルの男・ヒロシ

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