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戦死よりも戦病死の方が多い。日本兵戦死者の60%が餓死。今も同じか?
http://www.asyura2.com/07/war87/msg/1221.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2007 年 8 月 10 日 18:30:51: KqrEdYmDwf7cM
 

(回答先: 『餓死した英霊たち』藤原彰著 「戦死者」の六割以上が餓死だった (かけはし2001.9.10) 投稿者 gataro 日時 2007 年 1 月 10 日 19:58:33)

『餓死した英霊』、『BC級戦犯裁判』(追記あり)
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1172174836/E965979095/index.html

藤原彰、『餓死(うえじに)した英霊たち』、青木書店
林博史、『BC級戦犯裁判』、岩波新書


これまで2度ほど、このブログで「15年戦争における日本軍の戦没者のうち過半数が広義の餓死である」という事実について言及してきたが、そのネタ本。実はこれまでもってなかった。2度までも依拠していながらもっていないというのは失礼なはなしなので、書店で見かけたのを機に購入。
本書の趣旨については、「はじめに」の末尾の文章がなにより的確に語っている。

 戦死よりも戦病死の方が多い。それが一局面の特殊な状況でなく、戦場の全体にわたって発生したことが、この戦争の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質をみることができる。悲惨な死を強いられた若者たちの無念さを思い、大量餓死をもたらした日本軍の責任と特質を明らかにして、そのことを歴史に残したい。大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭である。そのことを死者に代わって告発したい。それが本書の目的である。

なお、日本軍の民間人に対する略奪・残虐行為は大量餓死をもたらした補給の軽視・無視を背景としており、本書でもその点は(中心的な主題としてではないにせよ)きちんと言及されている。

第1章以降では無謀な作戦、無責任体制がどれほど悲惨な事態をもたらしたかが具体的に記述されている。2カ所ほど引用しておこう。いずれも悪名高いインパール作戦に参加した将校の手記からである。

 もうその頃になると、脚気で全身むくみあがった者はいなかった。とっくに落後したのだ。したがって、兵隊たちは一様に枯れ切った細い枯れ木にひとしかった。
 (中略)
 その頃、誰言うことなく、この街道を靖国街道と言った。その儘歩き続ければ、靖国神社に通じるという意味である。

 当時、靴の損廃がひどかったのでだれもが靴に困っていた。路傍に、それまで穿いてきた自分の靴を並べ、戦友に使ってくれと訴えるようにして死んでいる兵もあり、道行く将兵の涙を誘った。

軍靴といえば、サイズがあわなければ「足を靴にあわせろ」と言われたというエピソード(なのか伝説なのか、私も祖父から聞いた覚えがある)が、旧日本軍の非合理性・精神主義・補給軽視を象徴するものとして知られているが、兵士に靴すらまともに穿かせることのできない国家が連合国を相手に戦争をしたということの意味を、靖国支持者にはぜひとも考えてもらいたい。

とかくA級戦犯がクローズアップされることが多いなか、BC級戦犯(日本の戦犯には「人道に対する罪」は適用されなかったので、実質的にはB級戦犯)の裁判に焦点を当てたのが『BC級戦犯裁判』。A級戦犯の断罪は受けいれる人々でもBC級戦犯の不公平さ、不公正さを批判することが少なからずあり、本書の筆者もそうした一面があったことは認めているが、他方でそうした否定的な側面のみをクローズ・アップすることの問題点も指摘している。テレビドラマの『私は貝になりたい』とは異なり、現実には死刑になった二等兵がいないことに象徴されるように、上級の指揮責任者が免罪される傾向はあったにせよ末端の兵士ばかりの責任が問われたというのは誤りで、「命令に従った」立場の者への判決にはそれなりの配慮がなされていたことが指摘されている。また、「戦争犯罪人を戦勝国に引き渡し軍事裁判で処罰する方式」、すなわち“勝者の裁き”が初めて「国際的に認められた」のは第一次大戦後のベルサイユ条約によってであるが、「このとき日本は戦勝国としてそのことを承認していたことを忘れてはならない」、とされている。

両書ともに一抹の救いは、到底達成できようもない作戦を遂行するふりだけをしてメンツを守ることよりも部下の命を優先させた将校がいたこと(『餓死した英霊』、44頁)、担当地域において憲兵隊から住民を守ったが故に、後に戦犯として起訴された際に地元の女性と警察官が証言台に立って弁護してくれたため、1千人以上の民間人が殺害された事件の被告であったにもかかわらず禁固12年という比較的軽い罪ですんだ将校がいたこと(『BC級戦犯裁判』、125頁)など、「あたりまえのこと」を「あたりまえに」行なうのが困難な状況で「あたりまえのこと」をあえて行なった人間が存在したことである。今日アップした『es』に関するエントリで言及した“アイヒマン実験”においても、皆が皆平然と電圧を上げ続けたわけではない。しかしこれは人間性への希望であると同時に、「そうするほかなかった」という言い訳けが許されない理由でもある。

追記:『餓死した英霊たち』によれば、旧日本軍で大量の戦病死者が出た背景としては、補給軽視=輜重兵科の軽視のみならず軍医部の軽視もあったという。そして石井四郎の731部隊が細菌戦研究を行なった理由の一つが軍医の地位向上を目論んだことだと言うのである。
もう一つ。以前に『参謀本部と陸軍大学校』(講談社現代新書)を読んだときにも出てきたエピソードのような気がするが、旧日本陸軍は1907年に「歩兵操典」を大改正し、「戦闘に最終の決を与うるものは銃剣突撃とす」という一文を巻頭の「綱領」に明記した。そう、203高地でトーチカに無謀な突撃をかけ死体の山を築いた日露戦争の後に、である。もう私には「狂ってる」ということばしか思いつかない。

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