★阿修羅♪ > 戦争87 > 867.html
 ★阿修羅♪
【詳細】2006年、10の最も報じられなかった人道的危機
http://www.asyura2.com/07/war87/msg/867.html
投稿者 あっくん 日時 2007 年 1 月 12 日 20:07:57: hhGgKkD30Q.3.
 

(回答先: MSF、「2006年、10の最も報じられなかった人道的危機」を発表 (国境なき医師団 日本) 投稿者 あっくん 日時 2007 年 1 月 12 日 20:04:22)

http://www.msf.or.jp/2007/01/10/5710/200610.php

2006年、10の最も報じられなかった人道的危機
(2007年01月掲載)

[10の最も報じられなかった人道的危機] に関連したニュースを表示

「国境なき医師団(MSF)」では、毎年年間を通じて世界で最も注目を浴びず、報道されることの少なかった人道的危機のワースト10のリストを発表しています。このリストの目的はメディアの関心の外側で、出口の見えない危機にとらわれ続ける人びとの窮状を訴えることにあります。

中央アフリカ共和国:武力衝突からの逃走

中央アフリカ共和国(CAR)の一般市民は、2006年に再び恐ろしい暴力の犠牲となった。1960年にフランスから独立を勝ち取って以来、この国は相次ぐ政変や暴動に悩まされてきたが、そうした紛争がまたも勃発した。そして今再び、この貧困国の国民360万人の窮状は概して見過ごされた。2005年11月以来、この国の北西部では政府軍とさまざまな反政府勢力との間に戦闘が発生している。いずれか一方の勢力を支持していると疑われた一般市民は標的にされるか、あるいは十字砲火にさらされている。道路沿いの多くの村が襲撃や略奪を受け、あるいは焼きうちにあっている。約10万人の住民が追われ、その一部は国境なき医師団(MSF)が援助を提供している隣国のチャドへ逃れた。残りは雨風をしのぐ場所、食糧、清潔な水、そして医療もない状態で、過酷な国内の森林に逃げ込むことを余儀なくされた。MSFは2005年11月にCAR北西部で活動を開始した。2006年を通じて着実にその活動状況を拡大し、カボ、バタガフォ、パウア、マルコウンダ、ボギラとその周辺地区で、これまで基礎医療サービスをほとんど受けられていなかった人びとに一次医療および二次医療を提供した。2006年にMSFは外科手術を毎月200件以上行うとともに、複数の移動診療チームが森林に逃げ込んだ人びとに対して週平均1800件の診察を行い、医療を提供した。その多くが5才未満の子どもである患者は、大部分がマラリアや寄生虫感染症、急性の呼吸器感染症にかかっている。2006年秋にはパウア、マルコウンダ、カボの周辺で武力衝突が再発し、多くの人びとが再び森林に隠れることを余儀なくされた。10月の終わりには、反政府勢力である「統一のための民主勢力同盟(UFDR)」がCAR北東部で攻撃を開始し、ビラオやウアンダ・ジャレなどの数都市を支配下に置いた。反政府勢力の当局がMSFや他の人道援助組織の現地入りを拒否していた間は、民間人への援助は遮断された状態が続いた。12月に政府軍が支配下にあった地域を再び制圧した後、MSFチームはようやく援助ニーズを調査することを許された。

結核:人的犠牲の増加

先進国では多くの人びとが結核は過去の病気であると考えているが、この病気による犠牲者の数は世界的に増加しており、特にHIV感染率の高い途上国では顕著である。毎年、結核による死亡者の数は約200万人に上り、約900万人が発病しているとみられる。さらに、毎年45万人が新たに多剤耐性結核(MDR-TB)に感染している。このような恐るべき状況は2006年に入って一層悪化している。南アフリカのクワズル・ナタール州で544人の結核患者を調査したところ、このうち10%が第一選択薬の抗生物質と2種の第二選択薬の両方に耐性を持つ超薬剤耐性結核(XDR-TB)に感染していることが明らかとなった。これらの患者のほぼ全員が亡くなったため、この感染の規模は不明なままである。それはさておいても、今日一般的な結核治療に用いられる薬は1950年代から60年代にかけて開発されたものであり、最も一般的な結核の検査法である喀痰顕微鏡検査は1882年に開発され、全症例のうち約半数しか検出することができない。HIV/エイズ患者の第一の死因は結核であるにもかかわらず、既存の結核治療と診断法は、HIV/エイズに二重感染している患者にはほぼ全く適応していない。1975年から2004年までの間に世界中で新たに市販された1556種の新薬のうち、結核を対象とするものは3種だけであったという事実からも、結核への対応の遅れが浮き彫りとなっている。いくつかの取り組みが進行中であるとはいえ、結核がもたらす悲惨な影響力を防ぐためにかなり大がかりな努力が必要である。現在開発中の結核治療薬は、将来的に有望とはいえ、そのどれもが近い将来結核の治療を劇的に改善することはできないだろう。MSFの必須医療品キャンペーンのディレクター、ティド・フォン・シェーン・アンゲラー医師は語る。「結核は毎年数百万の人びとの命を奪います。このことが、現在の取り組みが機能していないことを示しています。私たちが現在結核の治療と診断に用いている手段は極めて不十分で時代遅れの上、この病気に取り組むために必要な緊急性が全く見受けられません。」

チェチェン共和国:悲惨な紛争の影響

チェチェンにおける紛争、そして一般市民に与えた影響は、世界の他の国々にはほとんど完全に知らされないままになっている。紛争の激しさは弱まっているものの、この悲惨な12年間の戦争に翻弄され生きてきた多くの人びとの身体的・精神的な傷跡は未だに癒えていない。紛争の最も激しかった時期に隣国のイングーシ共和国へと避難したチェチェン人の大多数は、現在自国に戻っている。首都グロズヌイといくつかの都市ではこの1年間で復興が速度を増しているとはいえ、何千人もの帰国者は帰る家を失い、複数の臨時宿泊センター(TAC)での惨めな生活環境に甘んじている。ロシア政府はチェチェン当局の治安維持に関する責任を増大させる政策を推進してきたが、暴力、拉致、虐待は依然として続いている。昨年はまた、隣国のイングーシ、ダゲスタン両共和国での武力衝突が激化したが、諸外国からの援助活動従事者やオブザーバー、ジャーナリストたちの現地への立ち入りは未だに制限されている。MSFは現地の医療インフラが皆無に等しいTACや貧窮にあえぐ農村地帯において、最も弱い立場にあるチェチェンの人たちに対して必要とされる医療と社会心理的ケアの提供を続けている。もう1つの長年にわたる紛争による明らかな犠牲は、チェチェンにおける結核の管理体制である。MSFは現在、既存の結核関連施設5ヵ所のうち4ヵ所を支援している。2006年にはグロズヌイで再建外科治療プログラムを導入し、顎顔面、血管、そして外傷をそれぞれ専門とする外科医を配置して戦争による傷跡の修復にあたっている。

スリランカ:援助が限定される中、攻撃にさらされる一般市民

スリランカの一般市民は、2006年8月に、特に東部と北東部において再発した政府軍と反政府勢力「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」との間の大規模な戦闘の矢面に立たされた。紛争地域における爆撃は激しく、数万もの人びとが避難を余儀なくされた。その他の人びとは立ち往生し避難できないでいる。一般市民を対象とする暴力の度合いは高まり、8月初旬にはNGO「飢餓に対する行動(ACF)」のスタッフ17名が殺害されるなど、現実は厳しさを増している。この殺害事件は、スリランカの政治家とメディアが国際援助団体はLTTEを支援していると非難したことで、NGOに対する疑念、非難、制限、そして監視の風潮が高まっている中起きた。その結果、保健省の管轄下にある複数の病院が外部からの支援を要請していたにもかかわらず、当局の中には紛争地域への人道援助団体の立ち入りを禁止または制限しようとする動きも生じている。他のあらゆる武力衝突と同様に、民間人が人命に関わる緊急援助を必要としている場合、紛争当事者たちは人道援助活動従事者たちの独立性と中立性を尊重しなければならない。MSFは10月に撤退を余儀なくされた後、12月末には再び北東部の町ポイント・ペドロで外科医療を提供できるようになった。しかし人道援助団体に対する安全の欠如と活動の制限は続いており、紛争の被害を最も受けている人びとに対して援助を提供することがますます困難となっている。特に東部のいくつかの地方は、外部の援助から完全に隔絶されている。

栄養失調:治療のための有効な戦略は実施されず

毎年世界各地で、急性栄養失調によって数百万という救えたはずの子どもの命が失われている。常に世界中で6千万人を超える子どもが急激な体重の減少と衰弱を特徴とする急性栄養失調の徴候を示しており、専門的医療を受けなければ命を落とすという深刻な危機にさらされている。栄養危機は通常、紛争や避難にのみ関連するものと考えられているが、急性栄養失調は政情が安定していても貧困に苦しむ国における発生率が高い。このような状況の中、長期的な開発問題の解決に固執すると、差し迫った需要を満たすことが犠牲となってしまう。最も重度の急性栄養失調をも治療するためのサービスは、大規模な人道上の緊急事態の場合以外には通常利用できない。さらに、そのような緊急事態の間にも、治療すべき患者の数に栄養治療センターの規模が追いつかないという事態がしばしば発生している。しかし、プランピーナッツ(ペースト状のピーナッツバターミルク)などの比較的最近開発されたそのまま食べられる栄養食品(RUTF)を用いて、他に内科的合併症のない多数の栄養失調児を自宅で治療するという近年の戦略が、新たに重要な成功をおさめている。エネルギー豊富かつ栄養価の高いこれらの食品は、食欲に乏しく胃が細っている栄養失調児の体重を急速に増加させるのに理想的であり、通院治療という作戦によって大人数の子どもの治療が可能となる。MSFは過去2年間、アフリカ中央部に位置する貧困国ニジェールでRUTFを用いた通院治療を行い、重度および中程度の急性栄養失調にかかっている15万人以上の子どもを治癒することに成功した。このような食品や治療計画は他国でも国営の医療サービスを介して導入・実施が可能であるが、現状では実現していない。栄養失調の根本的な原因を解決するための努力を続けることは不可欠であるが、一方で、現在、高い死亡リスクと向き合う数千万の子どもたちに簡単で有効な治療処置を提供することは可能なのである。

コンゴ民主共和国:極度の貧困と暴力に耐え忍ぶ人びと

2006年、広大な国土を有するコンゴ民主共和国(DRC)では、国民が数十年ぶりの民主的な選挙となる国民議会選挙と大統領選挙で票を投じた。この選挙でコンゴはしばしの間メディアの注目を集めたかもしれないが、同国で暮らす数百万もの人びとが耐え忍んでいる極度の貧困と暴力は、依然として緩和に向かう兆しを見せず、注目を集めることもないままであった。鉱物資源が豊富なDRCの東部では未だに暴力の嵐が吹き荒れており、政府軍(FARDC)も含めたさまざまな武装勢力が一般市民に暴力を振るい、悲惨な生活状況を生み出している。2006年初めには、南東部のカタンガ州でFARDCと反政府勢力のマイマイ派が戦闘を繰り広げ、数万人が避難を余儀なくされた。ドゥビエの町とその周辺で過密状態の中暮らすことを強いられた人びとは、耕作地も清潔な水もほとんど手に入れることができなかった。わずかな援助しか届かない中で、避難民は飢餓と病気の犠牲となっている。東部の北キブ州では、女性に対する性的暴力の発生率が憂慮すべき高さとなっており、1月から6月までの半年間だけで、MSFは3ヵ所の診療所全体で毎月150人近くの女性を治療した。北東部のイトゥリ地方では、国連の平和維持部隊である国連コンゴ民主共和国ミッション(MONUC)の支援を受けるFARDCとさまざまな民兵組織による戦闘が続いており、その結果、多くの村が破壊され、一般市民への暴力が横行し、おびただしい数の避難民が生まれている。6月には、家を追われた5万の人びとが、同地方の中心都市ブニアの60km南に位置する住民5千人の町ゲティに避難した。破壊された村を逃れ、数週間あるいは数ヵ月を森の中で過ごした彼らは、ゲティに到着した時にはひどい健康状態に陥っていた。このためMSFは、活動開始直後の時点で重度の栄養失調児数百人以上を治療した。MSFは国内の至る所で起きている髄膜炎、マラリア、コレラ、はしかの発生にたびたび対応しており、10年以上に及ぶ戦闘によって、もともと不十分であった公衆衛生体制が崩壊してしまったことがうかがえる。影響は現在の戦闘の被害を受けていない地域にまで及んでおり、MSFは最近、死亡率が緊急事態とされる水準の3倍近くに達するマニエマ州にある病院の支援を開始した。

ソマリア:戦争と災害に見舞われ、苦境に陥る人びと

現在ソマリアで起きている紛争は一時的に世界の注目を集めているかもしれないが、ソマリア国民が直面している日々の悲惨な生活状況はほとんど忘れ去られたままとなっている。ソマリアは15年前から内戦状態にあり、この内戦は国民の健康に破滅的な影響を及ぼしている。ソマリアの健康指標は世界でも最低の水準にあり、例えば平均寿命は47才で、子どもの4人に1人以上は5才の誕生日を迎える前に命を落としている。2006年の紛争は、首都モガディシオや地方で激しい武力衝突が勃発したことに特徴づけられる。6月に、イスラム法廷会議が統括する連合勢力が、長年にわたり住民に略奪行為などを働いていた民兵組織からモガディシオの支配権を奪い、同国中南部で急速に勢力を拡大した。そして12月下旬には、西側諸国とエチオピアの支援を受ける暫定政府がイスラム法廷会議をその支配下の地域から撤退させた。このような政情不安の中で、11月にはソマリアを集中豪雨が襲った。この集中豪雨でシェベリ川とジュバ川が氾濫し、数万世帯が家を失い、生活に必要な穀物が破壊された。豪雨の半年前にはこの2本の川の間に位置するベイ地方が干ばつを乗り越えたばかりであり、干ばつの際には、ディンソールにあるMSFが運営する病院に重度の栄養失調児600人以上が収容された。MSFチームは初期治療の実施や外科手術を行う病院および診療所の開設のほか、モガディシオ、バコール地方、ベイ地方、ガルグドゥード地方、ジュバ川下流地方、ムドゥグ地方、シェベリ川中流地方などで栄養失調や結核、カラアザールの治療プログラムを実施し、医療ケアの大きな空白を多少なりとも埋めようと手を尽くしている。とはいえ、暴力があまりにも蔓延している上に、ソマリアの氏族構成が極めて複雑であることから、ソマリアで活動しようとする援助団体は少ない。しかし、国の医療サービスが存在しない中、さらなる支援が切実に必要とされている。

コロンビア:恐怖の中に生きる

コロンビアでは40年以上にわたって激しい内戦が続いており、同国はスーダンに次ぐ多数の国内避難民を抱えている。戦闘の影響を受けている地域で暮らす市民にとって、虐殺、処刑、脅迫、恐怖などは避けては通れない日常生活の現実である。麻薬取引を資金源として、政府軍、民兵組織、国民解放軍(ELN)やコロンビア革命軍(FARC)の武装ゲリラの間で戦闘が繰り広げられる中、これまでにコロンビア国内の300万人近くの人びとが家から避難している。2002年以来、アルバロ・ウリベ大統領は反政府勢力が占拠している地域を奪還するために大規模な軍事作戦を展開しており、千以上の町に政府軍を配置している。大半のコロンビア国民は、誘拐や犯罪が減少し、町の中を以前より安全に歩けるようになるなど、治安情勢は目に見えて改善したと考えているが、さまざまな武装勢力が支配権をめぐって争っている地域に暮らす人びとにとっては、暴力と人びとの苦難は緩和されていない。これらの戦闘地域の人びとは、予防接種などの基礎医療サービスから隔絶されがちである上に、地元で活動を展開する武装勢力を支援していると見られているため、緊急医療が必要な場合にも村の外にケアを求めることは極めて危険である。家を追われた人びとの多くは、主要都市周辺に次々と形成されているスラム街に避難している。そして避難先では貧困と劣悪な生活状況に耐え忍び、医療サービスやカウンセリング・サービスもほとんど受けられず、絶えず存在する病気が発生する危険性にさらされて生活している。体の健康が懸念される一方で、暴力事件を目撃したり、その犠牲者となったりすることで引き起こされる急性トラウマなどの精神障害についても、ほとんど何の治療も行われていない。MSFはアンティオキア、ボゴタ、チョコ、コルドバ、ノルテ・デ・サンタンデール、ナリーニョ、スクレ、ボリバル、トリマの各県とボゴタ特別区で常設の診療所と移動診療所を通じて活動をしているが、現在も続くコロンビアの内戦によってもたらされている膨大なニーズのうち、ほんの一部しか満たせていない。

ハイチ:一触即発の状況にある首都における暴力の蔓延

2006年2月の大統領選挙後、一時的に小康状態が続いたものの、ハイチの首都ポルトープランスでは暴力や治安の悪化が至る所でみられた。新政権が発足したにもかかわらず、ポルトープランスで活動を展開するいくつかの武装勢力とハイチ国家警察や国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)との間の衝突から、多発する誘拐や性的暴力に至るまで、さまざまな形で暴力が展開された。MSFが4ヵ所の医療施設で治療を行った患者の数は、この都市での絶え間ない低強度紛争が人びとに甚大な影響を及ぼしていることを物語っている。2004年12月以来、暴力に関連する負傷で7千人以上が治療を受けている。このうち、千人近くの女性と子どもを含む3千人以上が銃で撃たれており、また2600人が刃物で刺されていた。暴力の急増を受け、2006年初めにMSFはすべての武装勢力に対し、市民の安全を尊重し、市民が緊急医療を受けることを可能にするよう要求した。20万人が医療サービスから事実上隔絶された状態にある貧しいスラム街のシテ・ソレイユにおいて、MSFは同地区のセント・カトリーヌ病院とシャピ保健センターで暴力の犠牲者を援助し、妊産婦医療サービスと一次医療サービスの提供を継続して行った。ハイチでは妊産婦の死亡率が非常に高いことから、MSFは暴力が最も横行する地域で暮らす女性たちに緊急産科医療を提供するため、2006年3月に新たな医療施設を開設した。毎月新生児を出産する母親1200人のうち、その多くが緊急産科医療を必要としている。またMSFは、首都ポルトープランスで性的暴力の犠牲者の治療も行っており、総合的な心理・医療ケアを提供している。

インド:中部における衝突

2005年の「10の最も語られなかった人道的危機」でも焦点を当てた北東部のアッサム州とマニプール州をはじめ、現在インドのいくつかの地域で起きている紛争は、外の世界から長い間ほとんど注目されないままとなっている。インド中部のチャッティースガル州では、毛沢東主義派の反政府勢力、インド治安部隊、毛沢東主義派と対抗する民兵組織Salwa Judumの間の衝突が25年以上も続いており、5万人以上の市民が避難しているほか、中には強制的に家を追われるケースもあるという。隣接する州に逃げ込む人びともいる一方で、数千人が路頭に迷い、土地や食糧をほとんど手にできず、基礎医療や緊急医療サービスもまともに受けられずにいる。MSFは、同州南部のダンテワダ郡にある避難民キャンプで医療の提供を行っている。また医療チームは、遠隔地の農村で暮らす人びとに移動医療サービスと栄養支援も提供している。驚くべきことに、このような事態が生じているのはチャッティースガル州だけではない。インドでは長年にわたり、各地でいくつもの武力衝突が起きており、市民が諸勢力間の戦闘に巻き込まれて苦境を強いられている。その結果、多くの人びとが医療をほとんど、または全く受けられないまま、恐怖と暴力の中で生活を続けている。

 次へ  前へ


  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ      HOME > 戦争87掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。