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最近の考古学の成果(『偽イスラエル政治神話』)
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投稿者 木村愛二 日時 2007 年 1 月 13 日 08:04:49: CjMHiEP28ibKM
 

(回答先: 出エジプト記やユダヤ人のパレスチナ征服物語が覆る?(ベリタ) 投稿者 近藤勇 日時 2007 年 1 月 12 日 23:08:58)

最近の考古学の成果(『偽イスラエル政治神話』)

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-33.html
『偽イスラエル政治神話』
訳者解説

 本書の数多い主張の中には、まだまだ複雑な問題が潜んでいるが、ここでは四点についてだけ、補足をして置きたい。
 第一は、イスラエル国家、またはパレスチナの場所の問題である。
 本訳書では、八八頁〜八九頁に、エリコとアイの場合の、遺跡の考古学的発掘調査の実例が紹介されている。それらの調査結果は、旧約聖書の物語と食い違うのである。
 しかし、最近の考古学の成果を見ると、意外にも、これまでは軽視されがちだった口承伝説には、かなりの真実が含まれているようである。なぜ旧約聖書だけが、という疑問が残る。
 ところが、ここに、旧約聖書の固有名詞の読み方が間違っているのだという、有力な説があるのである。旧約聖書の地名、人名、部族名などの固有名詞の解読が間違っていたとしたら、当然のことながら、考古学的な知見とは矛盾が生じる。もしも、この旧約聖書誤読説が当たっているとしたら、これまでのすべての研究は、ご破算となり、全面的な見直しが必要になるだろう。
 この問題を私自身が知り得たのは、拙著『湾岸報道に偽りあり』(92)の発表直後に、ある読者が、これをぜひ読めと、当時すでに絶版の本、『聖書アラビア起源説』(草思社、88)を提供してくれたからである。
 著者のカマール・サリービーは、「ベイルート大学の歴史学教授で、中東史の権威である」(同書の「訳者はしがき」より。以下同じ)。
 訳者の代表はパレスチナ問題を追い続けている広河隆一だが、その解説から一部を引用すると、「旧約聖書の舞台はパレスチナではなく、サウジアラビアのメッカの南、アシールと呼ばれる地方だというのである」。
 この本の内容を知っている日本人は、ほとんどいない。だが、「欧米での刊行後、『ニュウズウィーク』『クリスチャン・サイエンス・モニター』『サンデー・タイムズ』などを含む世界の主だった紙誌に取り上げられ、一大センセーションを巻き起こした」という。
 日本語版の出版は一九八八年だが、その当時すでに、英・仏・独・オランダ・スペイン・アラビア・フィンランドの各国語版が出ており、インドネシア語版は準備中だった。論証の中心は「セム語学および固有名詞学の一分野である地名学」による旧約聖書の地名の照合にある。旧約聖書にはふんだんに地名が現われるが、現在のパレスチナ地方の地名とはほとんど一致しない。確かな証拠となる遺跡もない。エルサレムはアラビア語の「アル・シャリム」と同じく、「祝福された場所」の意味で、日本ならば「鎮守」の社とか森のような名称である。この地名は、あちらこちらにあり、もちろんアシール地方にもある。ソドムとゴモラは火山の爆発で消滅したとされているのに、パレスチナ地方には火山はない。ところが、アシール地方には類似の地名があるし、火山の爆発の跡が残っている。
 アシール地方には、古代からのユダヤ教徒の子孫もいる。同書には、現地の「ユダヤ人」の写真が収録されている。肌色は、むしろ、アフリカの黒人に近い。縮れ髪を編んで垂らしている。私はかつて、旧著の『古代エジプト・アフリカ史への疑惑』(74)で、セネガル人の研究者による古代エジプト人の黒人説を紹介したことがある。その際、エデンの園のサハラ砂漠説の可能性を指摘していたので、この写真を一目見ただけで興奮を抑え切れなかった。いずれ現地にも足を運びたいと願っているが、とりあえず、つい最近の現地探訪記事だけを紹介しておこう。
 日本経済新聞(97・5・27)の「文化」欄、京都大学霊長類研究所教授、庄武孝義の紀行文、「マントヒヒの楽園発見」には、つぎのような描写がある。
「サウジといえば砂漠というイメージを抱いていた私はアシール地方の緑の山々に目を見張った。国立公園でもあるこの山岳地帯は標高三千メートル、サウジ有数の避暑地だ。
 ヒトにとって快適な気候は、マントヒヒにも都合がいいようだ」
 お隣りのサハラ砂漠の山地の洞窟には超古代の黒人文明の壁画が残っている。そのころのサハラ砂漠は緑に覆われていた。アラビア半島全体も同様だったのである。
 考古学的な議論だけなら、こういう超古代の有様を、ゆっくりと楽しんで研究すればいい。だが、「『サンデー・タイムズ』紙(84・8・12)が言うように、『イスラエルのユダヤ人は、間違った場所に住んでいるのかもしれない』」という議論になれば、話は血なまぐさくなる。
 考えてみれば、日本列島なら縄文だ弥生だという時代のことである。旧約聖書が文字で残されるようになったのは古代ユダヤ・イスラエル王国の崩壊後とされている。本来は口伝えの伝承である。古代からの文明の中心地にあったから位置が確かだというものでもない。逆に、歴史の十字路といわれるほどの激しい戦乱の明け暮れを余儀なくされた地方だから、考古学的な証拠にもとづく厳密な鑑定が必要である。
 現在のパレスチナ地方は、古代ギリシャ神話の最大のテーマ、トロイ戦争の舞台と隣接してるのだが、ギリシャ神話には、ユダヤ人がまったく出てこないという指摘もある。つまり、伝承文学上の証拠でも、古代ユダヤ・イスラエル王国のパレスチナ地方説は、決定的に不利だということになる。
 本書の著者、ガロディは、アラブ人の学者たちとも親しい関係にあるから、この問題がまるで耳に入っていないとは思えない。他にも色々と聞いてみたいことがあるので、いずれ渡仏して直接の意見交換をしたいと願っている。今のところは推測でしかないが、以上のような「聖書誤読説」が正しいとしたら、ユダヤ教に発する地中海文明の三大宗教はすべて、その聖典の現代語訳を、全面的に変更しなくてはならない。これまた本書のテーマ以上に、国際的な大騒ぎとなる。だから、戦略的には、先送りして置いた方が良いのかもしれないのである。
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 http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-9.html
 『偽イスラエル政治神話』
第1章:神学的な諸神話
第3節:ヨシュアの神話・民族浄化
[中略]
[聖書の物語の史実性を検証する資料はない]

『トーラ』(『モーゼの五書』)と、それに付属する“歴史的文書”は、一世紀以上にわたる聖書解釈者の検証が明らかにしたように、口伝えの伝承を文字に記録して編纂したのである。その元になる伝承は、前九世紀の年代記作者らと、ダヴィデの征服と帝国建設を正当化し、さらには誇張しなければならないという主要な先入観念に駆られたソロモン時代の法学者らが作ったものである。しかし、ダヴィデの業績に関しては、聖書の物語以外に、何らの歴史的検証の材料も、何らの考古学的痕跡も、何らの別途の記録もない。外部の歴史から確認できる最初のできごとは、ソロモンに関するもので、アッシリアの古文書にその痕跡が残されている。

 それ以前に関しては、聖書の物語の史実性を検証する外部資料は全くない。たとえば、イラクのウルの考古学的遺跡は、アブラハムに関して何の情報も提供してくれない。その状態は、あたかも、トロイの遺跡の発掘が、ヘクトルやプリアムについて何も物語らないのと同様である。
[中略]
 発掘の結果が示すところでは、イスラエル人が到着したはずの前一三世紀の終りには、エリコを取ることはできなかった。なぜなら当時のエリコには住民がいなかったからだ。中期青銅時代の町が前一五五〇年以前に破壊され、以後は放棄されていた。前一四世紀に再び、まばらな定住があった。この時代の陶器が発見された中期青銅時代の墓は再使用されていた。一軒の家が発見され、その中には前一四世紀の中頃の小さな水差しがあった。前一三世紀に割り当てられるものは、何もない。後期青銅時代の築城の痕跡はまったくない。

 ミス・K・M・ケニヨンの結論によれば、エリコの破壊を前一三世紀の終りに現われたというイスラエル人に結び付けることは、不可能である(『エリコを掘る』ほか)。

 アイを取った件についても同様である。

《すべての征服の物語りの中で、これがもっとも詳しい。奇跡的な要素がまるでないので、もっとも事実らしく見える。ところが、不幸なことに考古学によって裏切られる。

 この地点は、二つの異なる調査団によって発掘された。結果は完全に一致した。廃墟の山は、前期青銅時代の名前の分からない大きな町で、前期青銅時代三期の間、前二四〇〇年以前に破壊されている。前一二〇〇年以後に至るまでは放棄されており、その頃に砦のない貧しい村が廃墟の部分の上にできた。この町は、遅くとも、前一〇世紀のはじめまでしか続かなかった。その後は、この地点は完全に放棄された。イスラエルが現われたという当時には、アイの町はなかったし、アイの王もいなかったし、そこには前一二〇〇年からの古い廃墟があっただけだ》
 (『古代イスラエルの歴史』&『アイの発掘』)
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