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南部の諸部族が武装レジスタンスに参加しつつある(Falluja, April 2004 - the book)
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投稿者 gataro 日時 2007 年 1 月 25 日 23:49:24: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://teanotwar.seesaa.net/article/32103648.html#more から転載。

2007年01月25日
南部の諸部族が武装レジスタンスに参加しつつある

占領軍・外国の干渉に対するイランのレジスタンスが南部で活発になっています。

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南部の諸部族が武装レジスタンスに参加しつつある
ダール・ジャマイル&アリ・アル=ファディリー
2006年1月22日
Electronic Iraq 原文(http://electroniciraq.net/news/2844.shtml

バグダード発(IPS)。暴力はイラクでさらに広まっている。というのも、イラク南部のシーア派アラブ人の部族たちが、新たな武装レジスタンスに参加し、占領軍と交戦しているからである。

イラク南部のレジスタンスは、最近3カ月でエスカレートし、英軍をはじめとする占領軍の被害が増えている。

独立系のウェブサイト「イラク連合軍犠牲者」によると、イラク南部では最近の7カ月で少なくとも24人の英軍兵士が殺され、同じくらいの数の負傷者が出ている。これまでに全体で少なくとも128人の英軍兵士がイラクで死亡し、それ以外の国の兵士も123人死亡している。そのほとんどは、イラク南部に駐留していた。

以前の犠牲者数ははるかに少なかった。

占領軍への攻撃は、強まる民族主義から来ているもののようである。

「これは報復ではありません」。バグダードの南200キロにあるクート在住の元イラク軍士官は、バグダードでIPSに対し、こう語る。「人々は、米軍主導の占領軍が約束したことに対して希望を失っています。そして、人々は、多国籍軍が支持する----そうでなくても少なくとも黙認している----イランの影響からイラクを救おうとしているのです」。

英軍・米軍の指導者たちは、イラク南部で誰が占領軍を狙っているのか言いたがらない。彼らはレジスタンスの戦士をただ「テロリスト」とだけ呼ぶか、あるいは、南部での争乱の唯一の原因としてシーア派の聖職者ムクタダ・アル=サドルが率いるメフディ軍を指さすだけである。

イラク南部でメフディ軍のメンバーが占領軍に攻撃を加えているのは確実であるが、それ以外に、過去の経験に基づき、地元のレジスタンスも根付いてきているようである。

「人々は、米国と英国によるイラク占領をこれまでもずっと忌み嫌ってきました。そして、粗末な武器を取って英国軍と闘った祖父たちのことを思い起こしているのです」。クートで校長をしているジャシム・アル=アサディは、最近訪れたバグダードでIPSにこう語った。

アル=アサディが言及しているのは、1920年代と30年代に、イラクから英軍を追い出すにあたって決定的な役割を担ったシーア派レジスタンスである。

南部で占領軍に対する武装レジスタンスの開始が遅れたのは、宗教指導者たちが信者に、ブッシュとブレア政権が約束したことを実現するための時間を占領軍に与えるよう指示したからである、とアル=アサディは言う。

「けれども、人々はもはや宗教指導者たちの約束を信じません。人々は闘いを始めたのです。それだけです」。

W・アル=タミミの名で呼ぶように求めたバグダードのある政治アナリストは、IPSに、占領軍は「死の部隊」と協力していると思うと語った。「私たちは、アメリカ合衆国とイギリスの占領軍が、イラク全土で「死の部隊」を支援しているのを目にしてきました。それでも私たちは和解を望んでいますが」。

アル=タミミは、自分の部族----シーア派もスンニ派もいる----のシェイクは「若い人々から、自分たちをレジスタンスに参加させろと大きなプレッシャーを受けています」と述べた。

イラク南部でレジスタンス勢力が大きくなっていることはますます明らかになっている。昨年8月末、「女王の王立軽騎兵隊」と呼ばれる英軍部隊1200人が、シーア派レジスタンスの戦士たちが発砲し続けた迫撃砲とミサイルのために、3年間にわたって駐留した基地から急遽撤退した。

英軍は、この撤退は、以前から計画されていた通りで、治安をイラク政府に返還する行動の一環であると発表したが、撤退が突然のものだったことは明らかである。

撤退時に、「英軍兵士たちは、イラク軍との調整を行わずに、軍司令部を明け渡した」と地元自治体の報道官ダファル・ジャバルは語っていた。

空っぽになった基地には略奪者たちがすぐさま入り込み、英軍が急いで撤退したのちに残された50万ドル相当と推定される機材を持ち去った。

昨年8月にはもう一つ重要な出来事があった。シーア派アラブ人の大部属ベニ・アサドの首長が、イランの後押しが疑われる「死の部隊」に殺されたのである。ベニ・アサドの人々は、殺人者たちがバスラでイラク内務省のために働いていたと考えている。

カユーン部族の人々はすぐさまそれに対して行動を起こした。路上と政府庁舎を占拠し、バスラのイラン領事館に火を放ったのである。聖職者たちとイラク政府官僚が、この件を完全に調査すると約束するまで抗議行動は続けられた。

「これもまた嘘でしたが、私たちの中には信じた者もいました」とベニ・アサドの上級指導者の一人が匿名を条件にIPSに語った。「シェイクはイランの協力者に殺されたのです。私たちは彼の魂に向かって、彼の貴重な命に対する報復を行うと誓いました」。

ベニ・タミムは、スンニ派とシーア派双方を含むもう一つの部族である。この部族の人々によると、自分たちのシェイクであるハミド・アル=スハイルが、今年1月1日、メフディ軍に殺されたという。メフディ軍はイランの支援を受けていると考えられている。シェイクは、バグダード北部にある、シーア派が多数を占めるシュラ地区で殺された。

「彼は70歳でした。メフディ軍の死の部隊は、彼を高い建物から突き落として残虐に殺したのです」と甥の一人がバグダードでIPSに語った。「これらすべての背後にはイランがいます。私たちベニ・タミムは、イラクを解体しようとしている奴らの黄色い風に抵抗する準備はできています」。

これら二部属の指導者たちを始め、南部の多くの部族の長たちは、スンニ派とシーア派グループの団結を実現しようと活動している。

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投稿者:益岡

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