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□ドイツマスコミスキャン〜赤軍派テロリストの釈放 [JANJAN] 
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投稿者 white 日時 2007 年 2 月 13 日 09:32:49: QYBiAyr6jr5Ac
 

□ドイツマスコミスキャン〜赤軍派テロリストの釈放 [JANJAN] 

▽ドイツマスコミスキャン〜赤軍派テロリストの釈放(上)

 http://www.janjan.jp/world/0701/0701288974/1.php

ドイツマスコミスキャン〜赤軍派テロリストの釈放(上) 2007/01/29
 シュトゥットガルト――シュトゥットガルト上級地裁が22日明らかにしたところによると、終身刑で服役中の赤軍派テロリスト、ブリギッテ・モーンハウプトが近いうちに釈放される見通し。同じく赤軍派のテロリストで、こちらも終身刑で服役中のクリスティアン・クラールに対しても、大統領が恩赦を検討している。釈放の是非に関しては政治家の間でも意見が分かれており、具体的な日時はまだ決まっていない。2人は1977年に発生した3件の殺人事件などで起訴され、1985年に5つの終身刑と15年の禁固刑を言い渡されていた。

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 赤軍派というのはその名称からわかるように左翼のテロ組織である。ドイツ語でRote-Armee-Fraktion(ローテ・アルメー・フラクツィオーン)というので、その頭文字をとってふつうRAFと略される。また、設立時のメンバーであるアンドレーアス・バーダーとウルリーケ・マインホーフの名前をとって「バーダー・マインホーフ・グループ」と呼ばれることもある。

 いわゆる左翼と呼ばれる人たち(および左翼に思想的に近しい人たち)は社会的弱者の救済に熱心である一方、国や大企業といった強者を憎悪する傾向がある。これは、弱者が弱者である所以は、強者が弱者を弾圧ないし搾取していることにあり、この関係を何とかしなければ、という考え方が背景となっているためで、その意味では理解できなくもない。

 しかし、この思想の出発点となるはずの連関を忘れ、単に強者を憎悪することだけに集中するようになると、善意の左翼運動は悪意に満ちたテロリズムへと姿を変えてしまう。これが端的に表れたのがドイツ赤軍派である。

 赤軍派の創設は1970年。70年代から80年代初めにかけて活発に活動し、35名以上の犠牲者を出したが、1998年に解散し、今は存在していない(と言われている)。最盛期には銀行を襲撃して資金を調達し、アメリカ軍基地や政財界の要人へのテロ――爆弾テロが多かった――をくり返している。

 その中でも上の記事で言及されている1977年の一連のテロは、社会に与えた衝撃が特に大きく、現在35歳以上のドイツ人ならだれでも覚えているそうである。時期は少しずれるが『よど号事件』(1970年)や『あさま山荘事件』(1972年)をイメージすると近いかもしれない。それらをまず紹介しよう。

 最初の事件は4月7日、ドイツ南西部のカールスルーエで起こっている。

 連邦検事総長のジークフリート・ブーバック氏(57歳)が車で出勤する途中、交差点の赤信号で停止したところ、近づいてきたオートバイが車内に向けて発砲。ブーバック氏と運転手のヴォルフガング・ゲーベル氏(30歳)が即死、同乗していた連邦検察庁の職員ゲーオルク・ヴルスター氏(33歳)も、救助されたときにはまだ息があったが、6日後に搬送先の病院で死亡した。犯行に関与した赤軍派メンバーは3人。その中にはクラールも含まれていた。

 次の事件は7月30日、場所はフランクフルト近郊のオーバーウルゼル。その日は夏らしい良い天気だったという。

 ドレスナー銀行のユルゲン・ポント会長(53歳)の自宅を見知らぬ若い男女が訪ねてくる。2人は花束を持参しており、それを受け取ったポント氏が花瓶を取りに席を立とうとすると、夏なのにコーデュロイのジャケットを着ていた男がいきなり銃を取り出した。ポント氏は「気でも狂ったか」と怒鳴りつけ、銃身をつかんで脇へそらす。すると今度は女が銃を取り出し、続けざまに発砲。至近距離で5発の銃弾を浴びたポント氏は即死し、犯人らは逃走する。後の捜査で男はクラール、女はモーンハウプトであることが判明している。

 3つ目の事件はケルンで発生した。赤軍派が起こした最大の事件とされ、『ドイツの秋』(Deutscher Herbst)――同名の映画が後に制作されている――事件とも呼ばれている。

 北国ドイツではもう秋の気配も感じられるようになった9月5日、ドイツ経営者連盟のハンスマルティン・シュライヤー会長(62歳)が仕事先から帰宅する途中だった。赤軍派の複数のテロリストに路上に現れ、車を止める。そして車が止まった直後に激しい銃撃が起こり、シュライヤー氏の運転手と後続車に乗っていた3人のボディーガード(警察官)全員が死亡。現場検証で、このときテロリストたちは117発もの銃弾を放ったことがわかっている。4名を殺害したテロリストたちはシュライヤー氏をその場から連れ去る。

 ここからは後で明らかになったのだが、シュライヤー氏はまずケルン近郊のビルに連れていかれ、そこからオランダを経由してブリュッセルに入り、10月18日までそこで監禁されていたようである。

 このときシュライヤー氏の行方をつかめなかったことは警察の捜査史上最大の汚点とされている。現地の捜査員は実際にケルン近郊のそのビルに足を踏み入れ、それどころか監禁されている部屋の呼び鈴を押すところまでいっていたそうである。しかも、その捜査員はここが怪しいと見抜き、捜査本部にそれをちゃんと連絡していた。このとき捜査本部がすぐに対応していれば、あるいは事件はこの時点で収束へ向かったかもしれない。

 しかし、捜査本部は「住民からの目撃情報の処理に忙殺されていた」ため、これを取り上げず、結果的にこのあとの悲劇を招いてしまう。

(続く)

(竹森健夫)


▽ドイツマスコミスキャン〜赤軍派テロリストの釈放(中)

 http://www.janjan.jp/world/0702/0702049424/1.php

ドイツマスコミスキャン〜赤軍派テロリストの釈放(中) 2007/02/05
 赤軍派が1977年に起こした主な事件は次の3つだ。

・出勤途中の連邦検事総長他2名を殺害(4月)
・ドレスナー銀行頭取(会長)の自宅へ乗り込んで同頭取を射殺(7月)
・帰宅途中の経営者連盟会長を襲撃。運転手1名と護衛警察官3名を殺害し、同会長を誘拐(9月)

 3つ目の事件の際、ハンスマルティン・シュライヤー会長は殺害されてもおかしくない状況であったが、生きたまま誘拐されている。殺害せずに誘拐したのはなぜか。

 理由は誘拐者たちからの要求ですぐに明らかになる。「収監されている赤軍派メンバーを即刻釈放しろ。要求に従わない場合、会長の命はない」。――シュライヤー氏を人質にした脅迫であった。

 当時の西ドイツは社会民主党と自由民主党による連立政権。首相のヘルムート・シュミット氏(社民党)はこの要求を拒否する。「テロリストの脅迫には応じない」と。

 赤軍派はあきらめず、次なる手段に訴える(シュライヤー氏はこの時点ではまだ殺害されていない)。どうしてもメンバーの釈放を実現したかったらしい。それだけ刑務所の中のメンバーは大物だったのである(創設メンバーのアンドレーアス・バーダーも含まれていた)。

 1人でだめならもっと多くの人質をとろう。そう赤軍派が考えたかどうかはわからないが、今度はパレスチナ・ゲリラと協力してルフトハンザ機『ランツフート号』をハイジャックする。そして乗客を人質に取り――操縦士は射殺されて機外へ放り出されていた――再び政府に圧力をかけた。

 シュミット首相はこれにも屈しない。ハイジャック機はアフリカ東端・ソマリアのモガディシュに着陸していたのだが、首相はソマリア政府と協議した上でテロ対策特殊部隊(GSG 9)を機内に突入させ、テロリスト4人のうち3人を射殺。1人を逮捕した(『ファイヤーマジック作戦』)。乗客は全員無事であった。

 その数時間後、釈放要求のあった赤軍派メンバー3人が刑務所内で自殺する。2人は拳銃による自殺で1人は首を吊っていた。なお、この刑務所(シュトゥットガルト・シュタムハイム刑務所)は警備の厳しさで有名だったのだが、どうしてメンバーが拳銃を入手できたのかについては明らかにされていない。

 脅迫の失敗とメンバーの自殺を知った赤軍派は、ここでシュライヤー会長を殺害する。遺体はフランスのアルザス地方で発見され、後頭部に3発の銃弾が撃ち込まれていた。殺害は10月18日あるいは19日とみられている。.誘拐されたのが9月5日だったから、監禁は44日間に及んだことになるが、初動捜査のミスがひびき、警察は最後まで会長の居場所を発見することができなかった。

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 以上がブリギッテ・モーンハウプトとクリスティアン・クラールが関わった事件の概要である。犯行はすべて計画的で、しかも短期間に多数の人間が殺害されていることからわかるように凶悪かつ残忍だ。2人とも逮捕起訴された後、5つの終身刑と15年の禁固刑を宣告されている。

 「5つの終身刑と15年の禁固刑」と言っても、もちろん終身刑を5回加算することはできないので、実質的には1回の終身刑である(刑法典54条1項による)。ドイツは死刑がないから――ナチス時代に乱発された教訓があるので廃止されている――これが刑としてはもっとも重い。

 ただ、ここでちょっと注意が必要なのだが、終身刑になったら死ぬまで刑務所から出てこられないかというと決してそういうわけではない。ややオーバーな言い方をすれば「ドイツで終身刑で死んだ人はいない」のだ。

 終身刑は死刑の代わりではなく――死ぬまで収監されるのだったら、それは結果的に死刑と同じことになってしまう――どちらかと言えば日本の無期懲役に近いと考えたほうがいい。つまり「終身」と言っても「死ぬまで入っていろ」の意ではなくて、「有期刑よりは長い」ということでしかない。このあたりも法律で定められていて(刑法典57a条)、終身刑といえども一定の条件で釈放されることになっている(釈放後5年間は保護観察)。

 それによると終身刑の場合、まず最低でも15年は刑期を務めなければならない(15年以下だと有期刑より短くなってしまう)。しかし、それを超える分については再犯の可能性がないなどの専門家による判断にもとづき、「終身」になる前に出所することができる。実態としては平均17〜19年で釈放されることが多い。

 ただし「犯罪が特に重大である場合」はこの程度では済まず、外の空気を吸うまでに23〜25年ほど待たなければならない。刑法にはどういう場合が「犯罪が特に重大である場合」なのか具体的には書かれていないのだが、これは一般に裁判時の判決で判断される。

 モーンハウプトとクラールに対する判決は「5つの終身刑と15年の禁固刑」だったから、これはもう誰が考えても「犯罪が特に重大である場合」である。実際モーンハウプトには24年、クラールには26年という「終身刑」が示されている。

 そのモーンハウプトの刑期が今年3月に終わる。クラールも刑期終了にはまだ少し間があるが、大統領に恩赦を願い出ていて、許可されそうな情勢である。

 2人の犯罪が通常の犯罪であったら、誰も注目しなかったであろう。しかし赤軍派が行ったのは政府転覆計画であり、資金集めのための銀行襲撃や政財界の要人を狙ったテロである。社会に与えた衝撃の度合いが全く異なる。「かっとなって」とか「生活に困って」犯す罪とは話が違うのである。

 もちろん司法はテロリストと、テロリスト以外の犯罪者を区別していないので、こうした釈放は法律的には何ら問題がない。けれども法律的に問題がなければ人々が素直に納得するかというと必ずしもそうはならない。「テロ犯罪とそれ以外の犯罪を同一視していいのか」というわけだ。

 犠牲者の遺族は強く反対している。政治家の反応も一様ではない。

(続く)

(竹森健夫)


▽ドイツマスコミスキャン〜赤軍派テロリストの釈放(下)

 http://www.janjan.jp/media/0702/0702119851/1.php

ドイツマスコミスキャン〜赤軍派テロリストの釈放(下) 2007/02/12
 釈放に対する政治家の反応は、与野党を問わず、おおむね「左派系が賛成で、保守系が反対」に分かれている。

 賛成の人たちは「テロリストを犯罪者として特別扱いしない」という司法上の決まりや、20年以上も収監されているのだから、もう十分だろう、という人道的配慮を理由として挙げることが多いようだ。

 たとえば、社会民主党で内務政策が専門のディーター・ヴィーフェルスピュッツ氏は「赤軍派の犯行が恐るべき犯行であることには変わりがない。しかし、そのことと犯人が刑務所にとどまらなければならないことは厳密に分けて考えるべきだ」としている。

 同じく社民党で、司法政策が専門のヨーアヒム・シュテュンカー氏も「釈放は法秩序に内在しているものであり、法律上の可能性は他の犯罪者と同様にテロリストに対しても有効でなければならない――ドイツは全体主義国家ではないのだから」と述べている。

 緑の党のハンスクリスティアン・シュトレーブレ氏も「釈放は『赤軍派テロリストも、その他の犯罪者も同じ基準で判断する』姿勢を示すものだ」と、同意見である。

 左派ではないが、自由民主党で閣僚経験のあるゲーアハルト・バウム、クラウス・キンケルの両氏も「犯罪者を生涯にわたって服役させることはないというのは、ドイツの司法制度の良き慣習である」と述べ、釈放への努力を支持している。

 人道的配慮の代表はヴォルフガング・ティールゼ連邦議会副議長(社民党)だろう。同氏はターゲスシュピーゲル紙に「二人がもう危険な人物ではないことは明らかだし、裁判所と大統領に『24年間で贖(しょく)罪は十分だ』と言ってもいいような気がする」と述べ、長期服役囚に対してあわれみを示す。

 緑の党のフォルカー・ベック氏も「恩赦というのは人道的なジェスチャーであり、20年以上の服役を経て、今や適切なものとなった和解のシグナルでもある」と釈放に前向きだ。同党のアンティエ・フォルマー元連邦議会副議長も「これほど長い刑期を過ごしたのだから、もう1度チャンスを与えるべき」との見解を示す。

 左派党のペートラ・パウ連邦議会副議長も「過去に重大な罪を犯した2人だが、社会復帰の機会は与えるべきであり、釈放はむしろ遅すぎるくらいだ」としている。

 これに対し、釈放反対の人たちは「テロリストたちが現在に至るもはっきりと改悛の情を示していない」「犠牲者や遺族の気持ちを考慮しなければならない」などの理由を挙げている。

 たとえば、与党キリスト教社会同盟(CSU)のエトムント・シュトイバー党首は「強い国家は自分の敵をも赦(ゆる)せなければならない、というのはまったくその通りだ。しかし、そのためには(テロリストたちの)心からの改悛が不可欠である」と主張する。だから「テロリストに国の方から和解のシグナルを送る義務はない。テロリストたちがまず改悛し、法治国家に忠誠を誓うのが筋だ」として、服役期間の長さという形式だけで司法処理を行うことに異を唱えている。

 同党のマルクス・ゼーダー幹事長も「釈放は犠牲者と遺族に対する侮辱」であり、「反省の色を全く見せていない赤軍派のテロリストたちに、恩赦を与えてはならない」と述べ、釈放に向けた動きを批判する。

 バイエルン州のギュンター・ベックシュタイン内相(CSU)も同様に「早期釈放は、犠牲者の遺族の気持ちを深く傷つけることになるだろう」と配慮の必要性を訴え、「赤軍派のテロは、ドイツを非常事態すれすれのところにまで追いやったのだ。そのことについてクラールとモーンハウプトは、これまで全く反省も悔恨もしていない」と、厳しい態度を要求している。

 キリスト教民主同盟(CDU)のフォルカー・カウダー院内総務も反対だ。特に最小刑期満了には2年余りを残しているクラールの恩赦については「大統領の高度に個人的な、良心的判断で決まることではある。だからあれこれ口を出すべきではないのだろう。しかし私にも個人的な考えはある。民主主義を破壊するため、妻からは夫を、子どもたちからは父親を、無慈悲に奪った人間に慈悲(恩赦)を施すべきではない」と厳しい。また「私は犠牲者のみなさんのことをまず大事にしたい――加害者ではなくて、だ」とも述べ、釈放賛成派が犠牲者の気持ちに触れないことを問題にしている。

 以上のように、政治家は賛否両論だが、事件に直接関わった人たち――犠牲者とその遺族・関係者――の意見は、もっとはっきりしていて、事件から30年近くがたっても、テロリストたちを赦すような雰囲気は認められない。反省や謝罪をしないばかりか、事件そのものについても何も語らないため、当時の感情がそのまま昇華されずに残っているような感じである。これもいくつか紹介しよう。

 ブーバック連邦検事総長が襲撃された時に重傷を負い、病院で死亡した連邦検察庁のゲーオルク・ヴルスターさん(当時33歳)には3人の子どもがいた。当時13歳だった息子のリューディガーさんは、犯人たちから謝罪の言葉が聞かれないうちは、釈放に理解を示す遺族はいないだろうと言う――「遺族の思いはみな同じでしょう」。

 ブーバック氏の息子・ミヒャエルさんは「今でも赤軍派のことを話すのは、容易なことではない」という。「私たちにとっては、連邦検事総長が殺されたわけではないのです。母にとっては夫が、私にとっては父が殺されたのです」

 「父を殺した人間たちの気持ちは、私には分かりません。テロリストたちは国家を憎み、攻撃しようとしました。国家を代表する人たちを『死に値する』という理由で抹殺しました。信じられないほどの思い上がりや不遜で、彼らはそうした人たちをあっさり取り除いたのです。はっきりした根拠もなく、到底受け入れられないような理由で」

 ミヒャエルさんはまた「赤軍派のテロを政治行動とみなす人たちがいまだにいます。あれは殺人以外の何ものでもありません。これで狂信の行き着く先がわかるでしょう」と、赤軍派を擁護する動きも批判している。9.11テロについても「同じような理由をつけて暴力を正当化する人間が、ここにもいたということです」と述べ、イデオロギーや狂信の危険性を指摘する。

 ハンスマルティン・シュライヤー経営者連盟会長の妻で、今年90歳になるヴァルトルーデさんも「2人が自由に身になったりしたら、侮辱されたような気分になるでしょう。あの人たちは自分のやったことが分かっているのに、これまで1度だって反省の言葉を口にしていないのですよ」と釈放には強く反対だ。

 シュライヤー会長が襲撃された時、護衛の警察官3名が命を落としているが、当時要人警護を指揮編成していたカール・ヴァイル元主任警部は、釈放問題について評している。

 「罪を償ったら新たなチャンスを与えるべきだ、というのは法治国家として正しい考え方です。私もそうだと思います。しかし頭でそうだと分かっていても、気持ちはあっさりと割り切れない。今でも、襲撃現場の写真を見ると怒りと悲しみがこみ上げてきて、思ってしまうんだ。『こんなひどいことをやったやつらは、一生刑務所に入っているべきだ』とね」

 ヴァイルさんにインタビューしたのは『ビルト』紙だが、同紙は記事をこう結んでいる。

 「ヴァイルさんが同僚のことを話す口調は、まるで事件が起こったのが昨日であるかのようだった。ヴァイルさんにとって、事件はこれで終わり、ということには決してならないのである。今でも彼は死亡した部下の誕生日と命日には墓を訪れているという。襲撃で死亡したラインホルト・ブレンドルさん(享年41歳)の墓は、シュトゥットガルト・ツィッフェンハウゼンにある。2月1日が誕生日で、71歳になるはずだった――30年前、赤軍派のテロリストが66発の銃弾を彼に撃ち込んでいなかったら、だが」

 殺された3人の警察官のうち、一番若かったのは要人警護に配属されて半年足らずだったローラント・ピーラーさん。当時20歳だった。父親のパウルさんは今でも犯人を赦せない。

 「こういう人間たちが自由の身になることが、正しいことだとは思いません。私たちは一生事件と向き合わなければならないというのに」

 シュライヤー会長襲撃後に起こったルフトハンザ機ハイジャック事件で、2歳の息子とともに乗り合わせたレット・ヴァイダさんも事件をつらい気持ちで思い出す。同機のパイロットだったユルゲン・シューマンさん(当時37歳)が赤軍派シンパに射殺されるのを手をこまねいて見ていることしかできなかったからだ。 その時の気持ちは、今になっても薄れない。

 「国家を心底憎み、滅ぼそうとしていた人間たちに、どうして国家が温情を示さなければならないのですか。こいつらにかけてやるような情けなんかない。死ぬまで刑務所に入っているべきです。やつらは人殺しで国中を恐怖に陥れ、家族を永久に破壊したのですよ」

 ドイツの司法制度には、反省や改悛を測る物差しは用意されていない。また、そうしたものを具体的に設定することは、多くの困難を伴う。反省や改悛、あるいは謝罪などの強要は、人権侵害だという声も出るかもしれない。

 しかし、この赤軍派テロリストの釈放問題を見れば、司法制度が被害者に加害者への復讐を禁じる一方で、加害者に反省を強く促すことはしない──構造になっていることは明らかであろう。少なくとも赤軍派テロに関しては30年たった今も、恩讐の彼方には到達していない。

 ブリギッテ・モーンハウプト、クリスティアン・クラールの2人は、近いうちに釈放される可能性が高い(2月12日に決定が発表される)。釈放された場合、是非インタビューをしたいというメディア――特にテレビ――は多いという。犠牲者、遺族、関係者の心に訴える言葉は、果たして出てくるのだろうか。

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【参考1】

 一般市民が問題をどうとらえているかは『ケルナー・アンツァイガー』紙がアンケート調査をしている。

 それによると、釈放を支持すると答えた人の割合は、わずが19.3%。逆に釈放を支持しないと答えた人は64.6%だったそうだ。反対が圧倒的に多いことがわかる。

 なお、終身刑であっても「15年間服役すれば早期釈放されうる」刑法の規定についても、76.6%の人が支持しないと答えているそうである(賛成は14.3%)。

 凶悪犯に対する世間の見方は非常に厳しい。

【参考2】

 大統領に恩赦の請願をしているクリスティアン・クラールに関しては、請願の中で改悛の情を示している、という報道が後日『シュピーゲル』にあった。

 ただし、その請願がきちんとした書状ではなく、絵葉書――帆船の絵葉書だそうだ――に書きなぐったものだったという報道(『ビルト』)もあり、どこまで本気なのかはわからない。

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Haftentlassung frueherer RAF-Terroristen weiter umstritten赤軍派テロリストの釈放で論争続く
Freiheit fuer die letzten RAF-Haeftlinge?最後の赤軍派テロリストに自由を?
Schon bald auf freiem Fuss?まもなく釈放か
Debatte um Freilassung von Mohnhaupt und Klarモーンハウプトとクラールの釈放論争
"Auch die RAF kannte keine Gnade"「赤軍派に慈悲などなかった」
Gnade macht stark恩赦は強くする
Politiker plaedieren fuer Freilassung von RAF-Terroristen赤軍派テロリストの釈放に賛成する政治家
"Da ist noch so eine wunde Stelle"まだ傷は痛む
Ein Rechtsstaat ist auch gnaedig法治国家は寛大でもある
"Schlag ins Gesich der Opfer"犠牲者を侮辱するものだ
CSU-Widerstand gegen EntlassungCSUは釈放に反対
Moerderin mit guten Chancen auf Freiheit女殺人者に自由のチャンス
Entlassung? Entlassung!釈放か、釈放だ!
Deutsche gegen Freiheit fuer RAF-Terroristen市民は釈放に反対
Deutscher Herbstドイツの秋
Ex-RAF-Terrorist Klar bekennt angeblich Schuldクラールは罪を認めた
Freilassen ja, versoehnen nein釈放はいいが、和解はいけない
Christian Klar bekennt seine Schuldクラール、罪を認める
"Reue waere nur ein Lippenbekenntnis"改悛といっても口先だけかもしれない
Die Opfer des Terrorismus 19771977年の犠牲者たち
"Diese Menschen haben keine Milde verdient"こいつらにかけてやるような情けはない
Gnadengesuch schrieb er auf eine Postkarteあいつは恩赦の請願を絵葉書に書いていたんだよ

(竹森健夫)

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