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将来、ワシントンの民主党政権とは、ロシアと利害の対立が、雨後の竹の子ように増大するだろう。【ロシア・ノーボスチ通信】
http://www.asyura2.com/07/war91/msg/1049.html
投稿者 hou 日時 2007 年 5 月 10 日 20:29:42: HWYlsG4gs5FRk
 

http://www.rian-japan.com/news/details.php?p=498&more=1

アレクサンドル・カラヴァエフ。ソ連解体後の旧ソ連研究センター。

どのような人物も国家も様々な意味において宿命的な間違いを犯すものだ。間違いとは旧ソ連地域はロシアの主導的な独占地域になるだろうと考えたことだ。
ロシアは、アメリカの国家安全保障に関する主要な政治的動機について忘れていたようだ。基本的には、このアメリカの立場が変わったのは、状況に応じた戦術面だけだった。もし危険な傾向が発生した場合、アメリカは、IMFのラインでロシアの経済を支持するための信用供与の提供や核宝庫の安全保障や大量破壊兵器の廃物利用のための資金の拠出をするなど、行動してきた。

この際、アメリカを、常にロシアを敵のリストに記入してしまう特別な敵として冷笑的に扱うべきではない。アメリカの外交政策の重要な動機は、将来的な利益と将来的な危険なのだ。この利益と危険の動機が組み合わさってソ連解体後の空間のアメリカの対応の外交模様が形成されているのだ。

西側に視点を向けた数十の新国家が誕生してから、アメリカは、様子見のため待機の姿勢を取った。CIS(旧ソ連国)の首都は資本を求め積極的にアメリカに巨額の投資プロジェクトを提案した。そして、もし、ロシアの立場からは、ロシアを巡る空間は、経済的に崩壊し、政治的には遠心的に見え(モスクワから離れ)、アメリカからは十分に一枚岩に見えた。アメリカは、自国側から観測した、CISの将来の輪郭をアメリカなりにヴィジョンを徐々に描いていた。

公式的なアメリカは、全体から離れようとする分離主義のよる紛争の解決に仲々入り込むことが出来なかった。ドニエステル沿岸地域から南カフカスとタジキスタンの紛争の停止で徹底的な貢献をしたのはロシアだ。ソ連解体後の紛争の最初の実践は、アメリカは、1992年3月のナゴルノ・カラバフ事件のミンスク会議の構成国に入り、その後、紛争解決欧州安保協力機構のミンスクグループの参加国の一員になり、特にアゼルバイジャンとアルメニアの紛争の参加国自身に積極的に要求する方法により、カラバフ問題の例を踏襲するようになった。この時、他の場合と同じように、紛争解決が出来たのはロシアの外交のお陰だった。1994年に、両国は、現在まで有効になっている紛争解決の非公式協定を遵守することで合意に達している。

ロシアとアメリカの唯一の共同プロジェクトは、ダルムツク地域紛争会議での作業グループでの活動であった。(ダルムツクは地域紛争の際の協定を定めた会議。米国にある。ダルムツクグループの活動の成果として、1997年6月27日のモスクワでのタジク間平和協定の調印にこぎつけた交渉が挙げられる。しかし、ここでも重要な確認をしておく必要がある。ダルムスクグループは国家プロジェクトではない。これは、1980年のアメリカとソ連邦との緊張緩和に従事していた人達の個人的な発案だ。

90年代の末に近づくと、CISの状況は複雑化するようになった。アメリカでは、CIS諸国に対し、ロシアが参加しない自分達だけの会議を提案した。しかし、再び、「ビロード革命」の状況まで、アメリカの利益を推進するためにこの状況をどのようにCIS諸国で利用するかは不明確な時代となった。現在のGUAM(グルジア・ウクライナ・アゼルバイジャン・モルドバの4カ国による国家連合)は、GUAMの枠内で国内市場を組織し、分離主義領土紛争の解決を、合同国家に戻すとにより、側面から援助するのを試みるオレンジ革命主義者の宣伝効果を狙った経済プロジェクトのように見える。

極めて特別な状況が、ゴア-チェルノムイルジン委員会を巡り形成された。多分、これは、ロ米両国が実質的事業と結果を肯定的に評価した期間として認識されるロシア・アメリカ関係における唯一の時期だろう。委員会の構想は、(問題は進展しないまま宙に浮いていることがしょっちゅうだが)大統領(エリツィンとクリントンを指す)の共通の協定を、具体的な問題を下の方に、官僚的な第2、第3の問題、にいかに押し下げるか知っている国家の2番目の人物が実現することにあった。さらに、委員会は、非公式的な一連の「秘密の」問題の存在があったことが特徴であった。
このように、90年代の終わりには、CIS諸国とアメリカの関係は明確な図式が出来上がった。関係は、それぞれの国ごとに個々に形成された。CIS諸国内に矛盾や紛争が合ったにも拘らず、アメリカとユーラシアの距離の遠さ、そして、CIS諸国の首都にある程度のアメリカを理想とする思想があったことがアメリカとの関係を形成させた。CIS諸国のロシアに対するアメリカの「信頼の水準」を達成することはロシアはできなかった。全プロセスへの引き込みとそれぞれの国への経済政治義務からの制限があり、国家間そして分離主義による紛争が鮮明に現れた。アメリカは、ロシアと同じように、分離主義の問題に引き込まれなかった。アメリカにはこの無用の長物はなく、従い、手元には大きな自由があった。さらに、アメリカには、いくつかのゲームがあった。反対派、種々のエリートグループがあった。モスクワは政権にあったものを義務として引き受けなければならなかった。
最後に、アメリカは、無利子の融資の供与、IMF側からの巨額借款支援、などアメリカは社会経済発展の具体的計画にもとづき、相当額の資金を送金した。ロシアはアメリカに依存する状態は他のCIS諸国と同じだ。従い、旧ソ連諸国で真剣な独立したゲームについて論議する必要はない。最後に、アメリカのイメージは西から来るグローバリズムの全体傾向を上げている。市場経済、ドル支配の経済、地方市場への外国企業の進出、消費財の品揃いの急激な増大、広範に亘る産業技術、これらはすべソ連解体後の空間にアメリカが進出するのを非常に容易くした。
アメリカの議題には、ロシアとのパートナーシップの意義は、第一番の水準から他の最初の数十の問題の最後に落ちている。このような図式はイスラムの脅威が現れる前も明確だった。同時に、ロシアは、CIS諸国での多くの最専らロシアのテーマから目をそらし、重点は成り行き任せにした。肯定的な政治経験から、アメリカのようなパートナーとの関係ではシンメトリック(対象的)な形が必要で、見境いのない信頼の時代は終わったという意識を持つことが必要であることを引用したい。

迎撃ミサイル体制の現在の危機は、最終的にそして対照的に、崩壊の道を歩み始め、それは益々これから深まるだろう。2008年末には、クレムリンでの古いチーム(プーチンは去るがプーチンチームは残るだろう)とワシントンの新しい「民主党政権」の誕生のもとでは(アメリカでは力のバランスを取る共和党の方がロシアと組し易く、民主党政権はロシアと根本的に意見が対立することを意味している)、利害の対立は、雨後の竹の子ように増大するだろう。崩壊と矛盾の増幅を隠す試みは益々少なくなるだろう。
先鋭化は旧ソ連諸国の空間にも避けることなく反映して来るだろう。国際テロリズム(概念そのものがアメーバのように非常に形のないものであるが)、貿易や宇宙開発、核拡散防止闘争、などでの協力があっても、対立の重さでは勝ることはできないだろう。協力は、固まることはないだろうが、(米国民主党政権との)政治的見解の相違のもとでは目立たなくなるだろう。


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