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ヒラリー“大統領”が導く米中「ジャパン・ナッシング」への道=島村謙司 [中央公論]
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投稿者 white 日時 2007 年 6 月 05 日 18:51:12: QYBiAyr6jr5Ac
 

□ヒラリー“大統領”が導く米中「ジャパン・ナッシング」への道=島村謙司 [中央公論]

▽ヒラリー“大統領”が導く米中「ジャパン・ナッシング」への道=島村謙司(その1)

 http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070525-01-0501.html

2007年6月5日
ヒラリー“大統領”が導く米中「ジャパン・ナッシング」への道=島村謙司(その1)
来年の大統領選でヒラリーが当選したならば。彼女の人脈・金脈を辿ると政権の陣容、そして東アジア政策の行方が見えてくる。日本にとって最悪のシミュレーションがここに

ヒラリー政権の組閣名簿
 二〇〇九年一月二十日、米国の首都ワシントン。真冬とは思えない暖かな日差しに包まれながら、アメリカ初の女性大統領、ヒラリー・ローダム・クリントンは米議事堂前に用意された特設の舞台で、愛用する聖書に片手を置き、大統領就任の宣誓儀式に臨んでいた。
「私、ヒラリー・ローダム・クリントンはアメリカ合衆国大統領としての職責を全うすることに全力を挙げることをここに誓います」
 時折、傍らで見守る夫君・クリントン元大統領と目線を交差させながら、ヒラリー大統領は力強くそう言い切った。
「Renewal of America(米国の刷新)」−−。
 イラク戦争に疲弊した米国民をひきつけるため、ヒラリーは大統領選挙期間中からこれをキャッチフレーズにしていた。その言葉をふんだんに盛り込んだ就任演説をこなしたヒラリーは、恒例となっている議会からホワイトハウスまでのパレードに夫君、そして愛娘・チェルシーとともに参加。一連の式典後、ヒラリーは疲れた様子も見せずに大統領執務室に籠もり、自らの組閣作業を加速させた。
 大統領当選が決まった二〇〇八年末の段階で、すでにヒラリーは閣内重要ポストについていくつかの名前を発表していた。夫君以上に外交・安保問題が弱点とされていたヒラリーは大方の予想通り、外交政策を束ねる国務長官ポストに親中派で民主党外交サークルの大御所、リチャード・ホルブルック元国連大使を起用。一方の国防長官には「軍事知らず」のイメージを払拭するため、米制服組のOBでかつては民主党の大統領候補にも名乗りを上げたウェズリー・クラークを口説き落とした。
 副長官ポストに目を転じると、国務省には民主党外交サークル一の切れ者と評判の高いジム・スタインバーグ、ペンタゴンにはウィリアム・ペリー元国防長官の信任が厚く、オバマ副大統領の外交顧問を務めたアシュトン・カーター米ハーバード大学教授(元国防次官補)を配した。
 外交・安保チームの調整役となる国家安全保障問題担当の大統領補佐官には議会・民主党の上院外交委員会勤務の経歴を持ち、ワシントン政界には珍しい柔和な人柄で知られるジョン・ハムレ元国防副長官を充てた。このほか、国家情報長官には「ソフト・パワー」概念の生みの親として知られるジョセフ・ナイ米ハーバード大学教授(元国防次官補)が就任し、財務長官にはヒラリー選対への多額の資金援助で知られる投資家のジョージ・ソロスを政権の「目玉人事」として盛り込んだ。
 これら閣僚級の主要人事はヒラリー大統領と二人三脚を自任する大統領首席補佐官、ビル・クリントンが民主党内外の豊富な人脈を辿ってすべてを差配。年が明け、閣僚以下の人事段階になっても、クリントン首席補佐官はホルブルック、クラーク、ハムレら各組織のトップに人事権を委譲せず、霞が関の局長クラスにあたる次官補レベルの人事にまで細かく口を出した。
 閣僚以下のレベルで日本の関係者が目を見張った人事は、ブッシュ前政権時代、日米連携をあまり重視せずに米朝融和に突進したクリストファー・ヒル国務次官補の続投だった。
 駐ポーランド大使として見せた手腕をブッシュ前大統領に買われたヒルだが、ワシントン政界ではかねて「ヒルは良くも悪くもホルブルック直系の弟子」と言われていた。長年の師弟関係に加え、「ブッシュ前政権が行った政策の中でも良いものは踏襲する」という超党派の外交を旗印にするヒラリー大統領は、その象徴的存在として「ヒル続投」を進言するホルブルックに二つ返事で応じた。
 ヒルの上司にあたるニコラス・バーンズ国務次官も、ブッシュ前政権ではコンドリーザ・ライス前国務長官の側近として知られていたが、クリントン政権時代にも国務省の報道官として当時のマデレーン・オルブライト国務長官を支えた人脈が生き、ヒル同様に続投が決まった。

「第三次クリントン政権」の特徴
 米外交評議会の有力メンバーであるウォルター・ラッセル・ミードによれば、米外交サークルには大きく分けて四つのグループがある。第一のグループは「ハミルトン派」と呼ばれ、国際協調を基盤に経済繁栄を目指すのが特性と言われる。第二のグループである「ジャクソン派」は自らの国益確保のためには武力行使も厭わない強硬派とされ、第三の「ジェファーソン派」は共和党保守派に通じる孤立主義、対外不干渉をモットーとする。最後の「ウィルソン派」は理想主義的な傾向が強く、民主党から共和党に転向した新保守主義(ネオコン)派とも地下水脈では通じている。
 米同時テロ、アフガニスタン侵攻、そしてイラク開戦と突き進んだブッシュ前政権をミードのモデルを基盤に解析すると、第一期はハミルトン派のコリン・パウエル国務長官、リチャード・アーミテージ国務副長官らとジャクソン派のディック・チェイニー副大統領、ドナルド・ラムズフェルド国防長官らが激しく対立し、これにナイが「右派のウィルソン派」と呼んだポール・ウォルフォウィッツ国防副長官らネオコン一派が加担するという構図だった。
 第二期になると、パウエル、アーミテージらハミルトン派の重鎮が政権を離脱したことで、ブッシュ政権は一時期、ジャクソン派、ウィルソン(ネオコン)派の「二派連合」となり、対外的な強硬姿勢がより目立つようになった。だが、政権末期になると予想を超えるイラク戦争の後遺症に伴い、ジョン・ボルトン国連大使らネオコン一派が退潮を続け、ラムズフェルドの辞任によって、ジャクソン派も求心力を喪失。結果として、ハミルトン派の大御所、ブレント・スコウクロフト元大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の系譜を持つライス国務長官へと「パワー・シフト」(元ホワイトハウス高官)が始まり、やはりハミルトン派のロバート・ゲーツ国防長官とともに最終的にはハミルトン派色の強い外交・安保姿勢を見せた。
 これに対して、ヒラリー政権は国務長官のホルブルックや国防長官のクラーク、大統領補佐官のハムレらがいずれも「ハミルトン派」に数えられる一方、副大統領となったオバマや財務長官になるソロスらが民主党の伝統的な「ウィルソン派」の色彩をまとい、この二大潮流が政権内部で時には融合し、時には反発しながら主要外交・安保政策を形作っていく体制となった。
 共和党保守派に集結する「ジェファーソン派」や、ブッシュ前政権で権勢を誇った「ジャクソン派」、そして「ウィルソン派」の亜流とも言える「ネオコン派」はヒラリー政権から一掃された。
 閣僚級のホルブルックやナイに加え、その下を固めるジム・スタインバーグやバーンズ、ヒル、そしてペンタゴンのカート・キャンベルらがハミルトン派であることから、ヒラリー政権の外交姿勢が「単独行動主義(ユニラテラリズム)」を否定し、国連などを中心とした多国間主義に根ざしているのは誰の目にも明らかとなった。
 ただ、経済を中心とした国益重視の伝統的な民主党の姿勢は、夫君時代のそれと大きく変わることはなかった。結果、政権内部の「民主党ハミルトン派」は今回も「現実的な外交・安保政策」の実践と「国益=経済重視」というジレンマの中で、葛藤しながら政策運営に奔走することを運命付けられた。
 さらに、ヒラリー大統領は「救国政権」を印象付けるため、政権外部に自らが直接関与する超党派の賢人会議(グレイヘアー・グループ)を五つ設置した。これらはいずれも従来の伝統的な外交・安保案件から離れ、環境、エネルギー、テロ、人権・高齢化、大量破壊兵器の拡散防止など二十一世紀の人類が抱える共通の課題に取り組むことを狙っていた。超党派をうたう各委員会には民主党から共同座長としてクリントン前政権の重鎮だったペリー、オルブライトらが名前を連ね、名実共にヒラリー政権が「第三次クリントン政権」の性格も帯びていることを内外に印象付ける結果となった。

米中二極構造への密約
 ホルブルック率いる新国務省チームが就任早々、手をつけたのが米中関係だった。ヒラリーは一九九二年の大統領選挙期間中、父ブッシュ大統領の対中政策を「弱腰」と批判し過ぎた影響で、政権奪取後に米中関係の修復に苦労した夫君の失敗例を間近に見ていた。議会・民主党には米中貿易摩擦や人民元を巡る為替レートの問題などから、対中強硬姿勢を求める声も強かったが、ヒラリーは身近なアドバイザーたちに「夫の轍は踏みたくない」と指示。選挙期間中から対中批判のトーンを意識的に抑え、「外交知らず」の批判を一気に蹴散らす秘策として、米中関係の劇的改善を水面下で目指した。
 このため、ヒラリーは選挙期間中から、対中関与政策をクリントン政権時代に提唱したホルブルック、ナイらの外交顧問団に対して、新たな対中戦略を練り上げるよう要請していた。
 ナイらの進言に基づいて、ヒラリーはブッシュ前政権で「中国=ステークホルダー(責任ある利害共有者)論」を唱えたロバート・ゼーリック元国務副長官の論法を踏襲することを選んだ。具体的には「北朝鮮、イランの核問題や人民元、台湾問題などで中国に責任ある大国としての振る舞いを求める」としたヒラリーの姿勢は、中国・北京指導部にも好感を持って受け入れられた。その余勢を駆ってホルブルック長官は早速、自らの訪中日程を発表した。
 表向きは「表敬訪問」としながら、「二十一世紀のキッシンジャー」を目指す野心家ホルブルックは、訪中直前の外交演説で、クリントン政権が編み出し、ブッシュ前政権が葬り去った「米中戦略的パートナーシップ」を復活させると宣言。日本、韓国など北東アジアの伝統的な同盟国を敢えて外し、インド↓パキスタン↓中国という訪問日程を組んだホルブルックは、北京・中南海で出迎えた胡錦濤国家主席らに対して、米中が連携して北東アジアが抱える諸課題に取り組むという大胆な青写真を描いて見せた。
 ホルブルックの構想は大きく分けて1米中軍事交流の加速、2台湾海峡情勢の安定化、3南北朝鮮の統一問題−−の三本柱から成っていた。
 この中で、ホルブルックと腹心のヒルは台湾問題について、クリントン政権がかつて伝達した「三不政策(一九九八年六月にクリントン大統領が中国を公式訪問した際、台湾の独立に反対し、台湾の国連加盟に反対し、二つの中国に反対すると表明したことを指す)」を事実上、踏襲することを確約。一方で、朝鮮半島については北朝鮮の金正日政権の無力化を進め、「親中国」でありながら、核放棄には応じる新たな体制発足に向け、米中両国が定期的に戦略会議を開き、具体的な段取りを煮詰めていくことも申し合わせた。
 ピーター・ペース統合参謀本部議長による二〇〇七年初春の訪中によって再開していた米中軍部のトップ交流も加速させ、偶発的核戦争の回避や、信頼性・透明性を高めるための戦略的軍事対話を開始することでも一致した。
 さらに核開発問題を中心に堂々巡りを続ける朝鮮半島情勢を安定化させるため、ホルブルックはブッシュ前政権が発案した六か国協議を母体として、米中両国が共同座長となる新たな「多国間安保機構」を北東アジアに創設することも提案した。
 対外的にこれらの「密約」はすべて伏せられ、一連の会談後、ホルブルックは「米国にとって、最も重要な戦略的二国間関係のパートナーである中国要人と、率直な意見交換ができたことをうれしく思う」とだけ述べ、北京を後にした。
 ホルブルックの敷いた路線に肉付けをする役割を負ったスタインバーグは、ブッシュ前政権の遺産である「米中戦略対話」を基盤として、中国側と具体的な作業に着手した。かつて国務省の政策企画部長を務め、長期的な観点から対中政策のあり方を模索したこともあるスタインバーグはかねて、共産党一党支配による中国の政治体制が長く続くものではないと見ていた。
 このため、スタインバーグは台湾、朝鮮問題で米中間の大胆な取引の構図を描く一方で、北京政府に対して中国経済の持続的発展に対する米国の全面的支援を約束。同時にその見返りとして、1為替政策を含む安定した経済政策運営、2沿岸部・内陸部の格差解消や、民族・人権問題への取り組み、3政治システムにおける日本型モデル(名目上は多数政党制度を導入しながら、実質的には自民党単独支配が続いたことを指す)の導入可能性を研究する−−などを水面下で提案した。
 ホルブルック、スタインバーグ、ヒルらが描いた北東アジアの新しいシナリオの数々。それらは紛れもなく、二十一世紀のアジア太平洋地域を米民主党が「米中二極構造」で運営していくことを想定したものだった。
(その2へ続く)
 
注:本誌にはヒラリー政権の主な顔ぶれを推測した表が提示されておりますが、画面の編集上、掲載できませんでした。詳しくは『中央公論』6月号をご覧下さい。
 
(しまむらけんじ/ジャーナリスト)


▽ヒラリー“大統領”が導く米中「ジャパン・ナッシング」への道=島村謙司(その2)

 http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070525-02-0501.html

2007年6月5日
ヒラリー“大統領”が導く米中「ジャパン・ナッシング」への道=島村謙司(その2)

北朝鮮と「共存共栄」を目指す
 ホルブルックの対中政策と連動する格好で、ヒルはブッシュ前政権末期から続けていた米朝対話の充実に力を注いだ。クリントン政権時代に創設された「北朝鮮政策調整官」の肩書を新たに入手したヒルは、交渉相手をそれまでの金桂寛外務次官から「事実上の外務大臣」と言われる姜錫柱第一外務次官に変更することを求め、自らのメッセージがより直接、金正日総書記に届く舞台も整えた。
 この時点で北朝鮮の核問題は六か国協議の合意に基づき、遅々としたペースではあるものの、一応前進する姿勢を保っていた。だが、ブッシュ前政権の末期になると北朝鮮は模様眺めの態度を再び強くした。議長国・中国の再三の呼びかけにもかかわらず、北京での六ヵ国協議への出席を拒み、国際原子力機関(IAEA)査察官の立ち会いを認めながら、段階的に寧辺にある黒鉛減速炉関連の施設解体を進めるという「じらし戦法」を続ける北朝鮮。これに対して、ヒルはホルブルックらが描いた戦略に沿って、米国が北朝鮮との「共存共栄」を目指している、とするメッセージを北朝鮮指導部に粘り強く送り続けた。
 クリントン政権でペリー元国防長官が送ったこともある「メッセージ」に対して、平壌は敏感に反応した。金正日総書記は姜錫柱を正式に外相に指名すると、ただちにワシントンに派遣することを決定。ニューヨークでの米朝接触を通じて伝えられた決定に対して、ホルブルックはワシントンで初の米朝外相会談を開催すると応じた。
 米朝外相会談に際して、ホルブルックは「我々の関心は核の拡散にある」と明言。すでに北朝鮮が保有していると見られる核爆弾(八発から一〇発程度)や、抽出済みのプルトニウム、さらには高濃縮ウラン(HEU)計画を事実上、棚上げする構えを見せ、北朝鮮の態度軟化を促した。さらに、ブッシュ前政権が対日重視の姿勢から「格上げ」した拉致問題について、ホルブルックは「基本的に人道問題であり、外交交渉にふさわしい議題とは思えない」と述べ、核・ミサイル問題を巡る米朝協議とは切り離す考えを明らかにした。

民主党支配の時代
 二〇〇八年の大統領・議会選挙は与党・共和党にとって、悪夢の連続となった。〇六年の中間選挙で上下院の多数派となった民主党は、イラク戦争の泥沼化を発端とする「反ブッシュ感情」の波に乗ってホワイトハウスを奪還するだけでなく、議会両院でも主導権を握り続けることになった。
 上院ではかつて、大統領選挙にも名乗りを上げたジョセフ・バイデン外交委員長が外交分野の大御所として君臨し、国防問題では二〇〇四年大統領選挙に立候補したケリー上院議員の「幻の国防長官」と呼ばれたカール・レビンが名実ともに仕切る格好となった。
 バイデン、レビンとも国内経済の問題に絡め、対中政策では強硬、柔軟のどちらともとれる中立的な姿勢を保ったが、北朝鮮政策については政権発足当初、直接対話を拒否し続けたブッシュ前大統領を厳しく批判し、米朝直接対話の必要性を強く主張していた。
 一方、対日政策ではバイデンが北朝鮮の核問題に絡め、断続的に「日本核武装論」を展開し、日本への根深い不信感を隠そうとしなかった。上院外交委員会にはリチャード・ルーガーらハミルトン派に属する共和党の現実主義者もいたが、民主党主導の議会では「手かせ足かせ」をはめられたも同然の状態となり、その発言力は大きく低下した。
 さらに議会・民主党の対アジア政策に大きな影響を与えたのは、下院を席巻する「エスニック・ポリティクス」だった。近年、急速に増えるベトナム系、韓国系などアジア系米国民を支持母体とする新人議員の登場は、国際関係委員会の委員長となった議会有数の人権派トム・ラントスや、対中人権問題で強硬姿勢を続けるナンシー・ペロシ下院議長らの政治思想と相まって、米議会内で一大勢力へと発展した。
 中国政府による人権弾圧や信教・言論の自由制限、あるいは北朝鮮政府による国民への弾圧などを主要ターゲットにしていた米議会の人道主義派は、勢力拡大に伴って新たな「政治的獲物」を必要としていた。そして、彼らの目に留まったのがほかならぬ日本だった。
 小泉政権時代に日米両国間に微妙な政治問題として浮上した靖国参拝はブッシュ前政権の知日派グループによって抑え込まれ、大きな紛争に発展することはなかった。しかし、続く安倍政権の従軍慰安婦問題を巡る対応は議会・民主党の人権派を強く刺激し、ヒラリー政権の登場と相まって、大きな政治的うねりを引き起こしていた。
 一方で、北朝鮮による拉致被害や広島・長崎での原爆被害を訴えながら、他方では第二次大戦中に発生した従軍慰安婦問題に正面から向き合わない日本の姿勢に対して、ペロシ下院議長らは「受け入れることのできない政治的なダブル・スタンダード」だと非難。下院で採択された新たな緊急決議は中国の人権弾圧、北朝鮮による圧政・拉致と並んで、日本の歴史認識を批判する内容となった。

最大の危機を迎えた日米同盟
 歴史問題を発端として、ヒラリー政権と日本の関係は当初から異様な緊張感が走っていた。かつてクリントン政権発足時に駐日大使の有力候補に挙げられながら、日本の外交当局の強い反対にあって水泡に帰したと噂されるホルブルック国務長官は就任早々、対中重視の姿勢を鮮明にし、それとは対照的に日本へは冷淡な態度に終始した。
「米政界の大物」路線を継ぐ人材として、駐日大使に起用されたリー・ハミルトンはそれでも何とかホワイトハウスと首相官邸の仲を取り持とうと孤軍奮闘したが、その大本であるホルブルック−−ヒル体制の流れを止めるまでには至らなかった。
 ヒラリー政権内で唯一の「知日派」とされたキャンベルも、当初目標としていた国防次官の椅子を奪えず、政権内では局長クラスにあたる次官補のポストにとどまった。さらに、クラーク国防長官との接点も少なかったキャンベルは、ペリー国防長官との緊密な関係をテコに対日政策を取り仕切ったクリントン政権時代のように動くこともままならず、ホルブルックの日本軽視姿勢をただ手をこまねいて見ているしか術はなかった。日本などとの関係を買われて入閣しただけのテクノクラート、キャンベルはヒラリー政権の中にあって、「FOH(Friends of Hillary)」と呼ばれる側近集団にそれほど近い存在ではなかった。
 共和党知日派の大御所であるアーミテージとともに日米同盟に関する二つの報告書をまとめたナイもキャンベル同様、FOHの一員とはなりえず、ヒラリー大統領への影響力を行使するランク表では「第二陣」の位置に甘んじた。加えて、国家情報長官として、中央情報局(CIA)など情報機関のリストラ・強化策やイラク問題の後処理などに全精力を奪われたナイは、対日政策について日常の同盟管理(Alliance Management)に目を配る余裕はなかった。
 この結果、ブッシュ前政権時代に産声を上げた「日米戦略対話」はいつの間にか自然消滅。ブッシュ前政権で日米同盟強化に奔走したJ・トーマス・シーファー前駐日米大使が置き土産として残した日米自由貿易協定(FTA)交渉も大きな変質を迫られた。FTAという名のもとに、米側は日本の市場開放や構造改革を強く要求。その姿勢は多くの日本政府関係者にクリントン政権時代の日米包括協議を髣髴させた。
 歴史問題や経済交渉で冷え込んだ日米関係に追い討ちをかけたのが、やはりブッシュ政権の遺産である米軍再編を巡る問題だった。イラク戦争の責任を取って解任されたドナルド・ラムズフェルド元国防長官が「赤子のように大事にした」とされる米軍変革(トランスフォーメーション)を巡り、米制服組は政権交代を機に見直し要請の声を強めていた。こうした要請を背景に、職業軍人から政治家に転じたクラーク国防長官は米軍変革の抜本的な見直しを宣言。このうち在日米軍については、沖縄に駐留する八〇〇〇人の海兵隊のグアム島移転計画について、「待った」がかかった。
 米軍再編にあたって、「抑止力の維持」に並ぶ金看板である「負担の軽減」の象徴的存在だった海兵隊のグアム移転計画が凍結されたことに、日本政府は激しく反発。対抗措置として、米側が求めていたキャンプ座間への米陸軍第一軍団受け入れを拒否する構えを見せた。
 ホルブルックの親中路線と相まって、日本国内では対米不信感が急速に強まり、「北朝鮮の核開発計画や中国人民解放軍の軍事近代化には日本独自の抑止力が不可欠」との声が保守派を中心に湧きあがった。事態を重く見たナイやキャンベルらは米国による「核の傘」を強化するため、米核戦力の日本本土配備などを進言したが、これに反対するホルブルックらの意見を汲み取ったヒラリー大統領はキャンベルらの進言を黙殺した。
 冷戦後、その目標を失い、「漂流している」とまで揶揄された日米同盟はここに至って、発足以来、最大の危機を迎えた。ヒラリー政権による新たなアジア政策を踏まえ、米『ニューヨーク・タイムズ』紙はオピニオン面で刺激的な見出しのコラムを掲載し、日米関係が歴史的な転機を迎えつつあることを内外に印象付けた。
「ジャパン・バッシング(Bashing=日本叩き)」から「ジャパン・パッシング(Passing=日本素通り)」、そして「ジャパン・ナッシング(Nothing=日本無用)」の時代へ−−。
 
 ここに紹介したシナリオはあくまでも二〇〇七年春の時点で入手可能なデータなどを基に想定したものであり、現実がこの通りになるとは限らない。一方で、二〇〇八年の米大統領選挙において、ヒラリー・クリントン上院議員が民主党の有力候補であることは疑いようのない事実であり、その人脈・金脈を辿っていけば、ここで記した顔ぶれが「ヒラリー政権」で集結する蓋然性が高いことも確かである。
「チーム・ヒラリー」の主柱となるリチャード・ホルブルック元国連大使らの外交哲学や、それまでのキャリアを踏まえれば、ヒラリー政権のアジア政策が対中重視・対日軽視となる恐れも強いといわざるを得ない。
 クリントン政権で対中政策を総括したウィンストン・ロード元国務次官補(東アジア・太平洋担当)はかつて、米中関係を「ジェット・コースターのように上下動を繰り返す」と表現した。だが、米有力シンクタンクの外交評議会が最近、超党派でまとめた米中関係についての政策提言書では「随所に中国に甘い部分」(米国防総省高官)が見つかり、ロード元次官補らによる異例の「反対意見書」を添えた上で、公表に至っていることも見逃せない。
 二十一世紀の大国として中国が台頭する中で、米中関係も次第にその波長を緩く、穏やかなものにしようとしている今、日本は自らの立ち位置を正確に見出し、確固とした足場を作らなければならない。その意味で、「ヒラリー政権誕生」というシミュレーションを頭に思い描くことは、それなりに意味のあることではないだろうか。
 
注:本誌にはヒラリー政権の主な顔ぶれを推測した表が提示されておりますが、画面の編集上、掲載できませんでした。詳しくは『中央公論』6月号をご覧下さい。
 
(しまむらけんじ/ジャーナリスト)


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