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ベネズエラ:21世紀の社会主義への挑戦・ 「チャベス現象」を超えるイニシアチブが問われている = 週刊かけはし
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投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 6 月 14 日 19:04:27: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.jrcl.net/web/frame070618f.html

 ベネズエラの民間TV局RCTVをチャベス大統領が閉鎖した問題は、「21世紀の社会主義」を掲げる同政権の権威主義的ポピュリスト体質をどのように捉えるべきかを突きつけている。現在必要なことはチャベスの急進的反帝主義を礼賛することではなく、草の根からの革命プロセスをラディカルな参加型民主主義として発展させていくことである。(編集部)


全世界に広がる共感と連帯運動

 ベネズエラのボリバル主義革命の核心には緊張が存在する。この緊張はこの数年間存在していた。しかし、ウーゴ・チャベスが二〇〇六年十二月に大統領に再選され、ベネズエラを「二十一世紀の社会主義」に向かって推進する「五つのエンジン」が発表され、この移行を組織する新しい統一社会党の呼びかけがなされてからの最近数カ月間に、この緊張は前面に姿を現した。それは、革命の反自由主義的・反帝国主義的達成物(それは否定することはできない)とその社会主義的約束(それは未だ約束に過ぎない)の間の緊張である。
 グローバルな正義の運動と国際的左翼にとっての灯台となる過程を最初に確立したのは、もちろんベネズエラの深部の構造的変革であった。それは多くの場合騒々しいが、それにもかかわらず市場原理を最優先するワシントンの意図と手を切るものであった。「社会主義」の約束を口にする以前にウーゴ・チャベスが二〇〇五年一月のポルトアレグレにおける世界社会フォーラムで歓迎を受けたことの背後にあったのは、この一貫した反自由主義的態度であった。
 この影響は、ラテンアメリカの枠や、ヨーロッパ・北米の従来からの連帯運動の枠をはるかに越えて広がっていた。このことを物語る二つの例を挙げよう。
 インドネシアでは、新しい左翼政党パペルナスが国の天然資源や経済開発に対する民族的主権を再表明する綱領を説明し正当化するために、ベネズエラの例を繰り返し引用している。
 もう一つの例は、エジプトである。カイロの市場では、売り物のデーツ(ナツメヤシの実)を積み上げた山のそれぞれに有名人の名前を付けて、そのドライフルーツの品質の目安とするという習慣がある。昨年のレバノンにおける戦争の後に、最も質の劣る渋い山が「ブッシュ」、「ブレア」、「オルメルト」(イスラエル首相)などと呼ばれたことは驚くべきことではない。そして、最も良質の甘いデーツがヒズボラの指導者にちなんで「ナスララー」と呼ばれたことも驚くことではない。しかし、他のおいしいデーツと並んで、そのすぐ後には、「チャベス」という良質のデーツもあったのである。もちろん、侵略に抗議してイスラエルから大使を引き上げたベネズエラの指導者の名前である。


チャベス自身に共存する二側面

 これらはすべて、かつてファノンが「地に呪われたる者」と呼んだ何千万もの人々の中に、帝国に対するベネズエラの大胆な反対がもたらした共鳴を示すものに過ぎない。この共鳴は、二〇〇二年四月の反チャベス・クーデターの失敗と二〇〇三年以降の医療および識字ミッション(社会プログラム)の展開後に感じられ始めたが、この二十年間に経験したことのないものであった。
 しかし、さらに最近になって、ベネズエラで進行している過程にさらに大きく深い影響を与えることが起こっている。これは、二〇〇五年の、「二十一世紀の社会主義」に関する討論開始の呼びかけから始まった。この討論は、二〇〇六年十二月に彼が行った「次の時期のベネズエラの主要挑戦課題は二十一世紀の社会主義だ」という約束の後も、いっそう激しく続いている。もちろん、これはベネズエラ内部の闘いにとって決定的な重要性を持つものである。しかし、同時にこれはベネズエラの国際的影響力を転換させた。
 第一に、この十七年以上の間、ほとんどの人々の政治的ボキャブラリーから「社会主義」という言葉が消えてしまっていた国にいる人々にとっては、突然、別の星から来た人と思われることなく社会主義について語ることが可能になった。それだけでなく、ベネズエラは、少なくとも一九八〇年代のニカラグア以来最初の、二十一世紀には社会主義的民主主義がどのようになるのか、そこに到達するにはどのような戦略が利用可能か、をテストする生きた実験室である。
 これらの戦略的問題のいくつかは、近年理論的形で再び論じられ始めている。たとえば、フランスのLCRの『クリティーク・コミュニスト』のページでは重要な論争が行われており、ダニエル・ベンサイド、アントワーヌ・アルトゥス、アレックス・カリニコス、その他が参加している。彼らが提起している中心問題は、とりわけ次のようなものである。すなわち、現在の状況の下で、社会主義革命および新しい種類の国家の建設は、古い国家機構が崩壊する際に厳しい爆発的瞬間を伴うのか、反乱的なゼネストや長期の大衆的武装闘争の結果としてある種の「冬宮の嵐」状況を伴うのか。それとも、古い階級的利害を防衛している古い国家と並存して、あるいは古い国家の中でさえ、一連の新しい階級的利益を防衛する新しい国家構造の登場を予想することが可能か。
 これは、恐らく、ベネズエラのボリバル主義運動が現在直面している最も決定的に重要な問題である。単純化を恐れずに言えば、ベネズエラの政治過程は、民族主義的、反自由主義的、反帝国主義的革命であり、その中に、外に出ようともがいている社会主義革命が存在している、と記述することができる。逆説的であるが、チャベス自身の人格の中に、両方の側面が結晶化している。社会主義革命が外に出ようともがいている。


古い行政機構と新しい闘争経験

 なぜなら、この過程は一九九八年の非常に広範な階級を超えた同盟の支援を受けた従来型(すなわちブルジョワ代議制による)選挙の勝利から最初に発展し、少なくとも二〇〇二年四月の失敗に終わったクーデターまでは存続し、その制度的枠組みをほとんど越えなかった過程だからである。確かに、二〇〇〇年の新しいボリバル主義憲法は、これらの制度を一新し、民衆参加に関して、また人間的必要性と人間の潜在的能力の重要性に関して、指摘すべき多くの急進的内容を含んでいる。しかし、これは基本的前提(委任された代議制民主主義、私有財産関係)に異議を申し立てるものではなかった。また、ある程度、それを支援した階級同盟を守るものでもあった。
 二〇〇二年のクーデターに対する決起以降、特に二〇〇二年末の雇用主のロックアウトに抵抗する闘い以降、民衆の動員、ミッション、都市土地委員会、労働者管理の散発的部分的経験、いくつかの農村と都市の協力、そしてごく最近登場し始めた共同体評議会[一般には「コミュニティ委員会」と訳されている]は、古い枠組みを越えて進み始め、古い枠組みを「否定」し始めるに至っている。
 しかし、大統領府を含むベネズエラの権力の中央のレバーは、依然として古い行政的構造の中にあり、そこに「囚われている」。ボリバル主義運動にとっての問題は、そして恐らく今日の世界で考えられるほとんどの革命的状況にとっての問題は、既存の機構を通じてまず権力の座に着いたら(つまり、選挙で当選したら)、いかにしてこの既存の機構の裏をかくか、ということである。ベネズエラの場合は、この問題はもう一つの問題と結びついている。すなわち、運動がいかにして真の集団的指導力を発展させ、いかに誠実で有能であったとしても革命的「頭領」の至上の支配から自らを解放するか(チャベス自身がその絶対的必要性を認めているようである)ということである。
 ベネズエラにおける最近の二つの最も重要な発展と、それよりやや古い一つの発展は、可能な解決策を示していると思われる。やや古い発展とは、二〇〇五年の始めから少数の職場で展開された労働者管理との共同管理の経験で、最も重要なものはシウダガイアナのALCASAアルミ工場の経験である。この経験は範囲が非常に限定されており、その適用も不統一であり、中央指導部の支持を得ていないという気がかりな兆候が見られる。チャベスは、革命の新しい時期の優先事項を概略した十二月および一月の基調演説のなかで、この経験にはほとんどまったく触れなかった。しかし、この経験は依然として、旧体制に対する急進的オルタナティブとして、これまでで最も野心的で感動的な例である。
 最近の二つの発展とは、「ベネズエラが経験する最も民主的な党」である新しい統一社会党の呼びかけ、およびチャベスが二十一世紀の社会主義へのベネズエラの移行の五番目の最も重要なエンジンと位置づけた「共同体権力の革命的爆発」である。


新しい国家へと転換する闘い

 この三つを合わせたものは、古い真実を再確認するように思われる。解決策は民主主義、すなわち、社会生活のあらゆる領域への民主主義の急進的拡大でなければならない。なぜなら、結局、それが社会主義だからである。実際、生産手段の「集団的所有」は、経済に対する民主的集団的支配の拡大を意味するのでなければ、無意味である。
 一月八日に、彼の新政府の誓いとして、共同体権力の挑戦課題を次のように述べた。
 「今年は、共同体評議会とともに、われわれは地方を乗り越える必要がある。われわれは、まず第一に法律によって、共同体評議会の一種の地域、地方および全国連合の設立を開始する必要がある。古いブルジョア国家は依然として存在し、生きており、ぴんぴんしているが、われわれは共同体国家、社会主義的国家、ボリバル主義的国家、すなわち革命を遂行できる国家を建設するに従って、少しずつ古いブルジョア国家の解体を開始しなければならない。ほとんどすべての国家は革命を防止するために生まれた。だから、われわれの任務は大それた任務である。すなわち、反革命的国家を革命的国家に変換することである」。
 これは実に遠大な展望である。ベネズエラの革命家で元大臣のローランド・デニスは、しばしば左からのチャベス評論家の役割を演じているが、共同体評議会について次のように語ったのは確かに正しい。


大衆的革命運動の伝統が不在

 共同体評議会(二百〜四百家族を結集し、地方的支出や開発計画に関して議論し決定する)はブルジョア国家を廃止する歴史的機会を提供する。理論的には、すでに一万八千の共同体評議会が存在する。これが三万に増えるはずである。実際には、その多くはこれから立ち上げ、活動を開始しなければならない。
 しかし、共同体評議会に関連して、現在考えられる二つの問題が存在する。一つは、それらは完全には自律的ではないことである。それらは法律によって設立され、規制される。チャベス派が占めている国家であったとしても、「古い国家」が作成し通過させた法律である。
 これは、ポルトアレグレやブラジルの他の多くの急進的マニフェストの参加型予算との大きな違いである。ブラジルの参加型予算はかなりの程度ベネズエラのイニシアティブに刺激を与えた。ブラジルでは、貧しい近隣住民の中の社会的運動と地方自治体の中の党(PT)が結集し、ブラジルの独裁崩壊後の憲法の抜け穴を利用して「非公式」に参加型予算を作成した。その基本的指導原則の一つは、自立的で自己規制的でなければならないことである。参加型予算に関する立法は一切存在せず、独自の規則を作成し、自分たちの裁量でそれを変更でき、自治体や党の代表者はこの件については直接発言権はない。
 第二の問題は、やはりポルトアレグレの参加型予算とは異なり、共同体評議会は地方予算の一〇〇%に対する最高決定権を持っていない(部分的にしか行使されなかったが、これもポルトアレグレの経験のもう一つの基本原則である)。実際には、ベネズエラの共同体評議会が議論し支出する金銭は、その総額を大統領府が共同体権力のために直接割り当てたもので、昨年度の総額は約十六億ドルであり、今年度はこの約二倍である。彼らは既存の公共予算を支配するのではない。また、選挙で選ばれた市長、知事や地方議会の下にある資源や行政機構とどのような関係になるのか、彼らがこれらを吸収し取って代わるのか、それとも並存するだけなのかは、不明確なままである。
 これらの二つの問題は、部分的には一方が他方の結果という関係にある。近年のあらゆる種類の地方的動員の爆発にもかかわらず、ベネズエラには強力な組織された社会運動や大衆的革命運動の伝統がなく、そのようなイニシアティブを組織できる大衆的革命的政党や階級的党が存在しない。ある程度これら代わるものとして、「チャベス現象」が存在するだけである。
 新しい統一社会党(PSUV)建設の呼びかけが潜在的に非常な重要性を持っている理由がここにある。一人の中央指導者への依存を越えて進む最善の方法かもしれない。しかし、それはその党が本当に開かれた民主的な党であり、すでに行われた決定を伝えるための一枚岩的道具でないことが条件である。これは自分たちをマルクス主義者あるいは社会主義者と自己規定しているベネズエラの複数の小さな潮流や党にとって大きな挑戦課題である。


当面の挑戦課題は民主主義

 これらの中の革命的マルクス主義の伝統を明言している最も重要な部分であるPRS(革命社会主義党)は、現在分裂している労働組合連合UNTの中央指導者を含んでいるが、この問題をめぐって分裂した。最も有名な指導者たちのなかには、PSUVプロジェクトへの参加を選んだものもいれば、外部に留まることを決めたものもいる。われわれの観点から見ると、前者のグループが絶対に正しい。彼らは、この機会を逸してはならない、なぜなら、一部の古い官僚的分子によってプロジェクトが乗っ取られる現実的な危険が存在し、革命家はPSUVが完全に民主的であることを確保し、ベネズエラ資本家階級やボリバル主義革命を内部から掘り崩してきた新しい官僚の代表を含まないようにするために、彼らと闘わなければならないからである、と主張している。
 これは一九八〇年代に第四インターナショナル・ブラジル支部の同志たちが行った闘いと非常によく似ている。それは、新しいPTを、「ボスのいない労働者党」として、最大限の内部民主主義を持ち、傾向(分派)の全面的な権利を認め、指導部構成の少数派比例代表制、女性に対する三〇%枠、などを採用した党として発展させるための闘いであった。この闘いは大いに成功し、PTが十年以上にわたって国際的左翼にとっての灯台となる上で重要な役割を果たした。
 要約すると、ベネズエラの革命過程は三つの即時的および中期的挑戦課題に直面しているように思われる。@新しい党は、真の大衆的革命党になることができるか。これは、ベネズエラ労働者階級のすべての部分とすべての潮流(最も広い意味で)および社会の他の被抑圧部分の活動を組織し調整するための、完全な複数主義的民主的空間を提供することができるかどうか、を意味している。
 AALCASAやその他の場所で始まった、労働者管理との労働者共同管理の典型的経験を、公共部門や民営部門の広範な部分に拡大することができるか。また、これを共同体評議会と結合し、共同体評議会やその他の民衆的地域権力を巻き込んで、職場や広範な経済に対する民主的支配力を行使することができるか。
 B新しい共同体評議会は、地方および地域予算ならびに開発計画のすべての面にわたる最高決定権を持つ民衆権力の真の中心となることができるか。これらの機関が全国的に結合して、民衆の利益を守る新しい種類の国家を構築することができるか。
 言い換えると、当面する挑戦課題は民主主義である。これらの挑戦課題は、公式の政治の領域を越えて社会組織の隅々に及ぶ参加型民主主義の急進的拡大を指し示している。そしてもちろん、これは常に│二十一世紀以前も、二十一世紀も、それ以後も│社会主義とはそのようなものであったことを意味しているのである。民主的権利のこれまでにない深化。このように見ることによって、国有化や私有資本の没収の問題は、必須条件というよりは、自然な結論になる。
 資本が資本家によって支配されるのを止め、地域的および全国的な労働力と共同体の民主的決定に従うようになればただちに、私的資本として機能するのを止め、まったく異なる論理、すなわち人間的必要性と潜在能力の論理に従い始め、また現在の緊急性によって、環境的生存の論理に従うようになる。また、この二点の間の移行は、約百年前に永久革命の理論が分析の課題として設定した問題の一つでもある。

▲ スチュアート・パイパーは、ベネズエラおよびラテンアメリカ担当の第四インターナショナル通信員である。
(「インターナショナルビューポイント」07年5月号)

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