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【カナダde反戦:フランス版エル誌】イラク戦争から脱走した米兵たち「「武器よさらば」【村野瀬玲奈の秘書課広報室】
http://www.asyura2.com/07/war93/msg/495.html
投稿者 一市民 日時 2007 年 6 月 23 日 21:22:49: ya1mGpcrMdyAE
 

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-258.html
村野瀬玲奈のおしごと日誌。

カナダde反戦 (フランス版エル誌から) (不定期連載『海外の記事を読む』)
以前、フランス版エル(ELLE)誌から、フランスでの反人種差別教育の取り組みについての記事を紹介しました。今日は、同じく最近のフランス版エル誌から、戦争に反対してアメリカからカナダに脱走したアメリカの脱走兵士たちの話を紹介します。

翻訳開始
「エル」(ELLE)誌フランス版 2007年6月4日号(通巻3205号)より

イラク戦争から脱走した米兵たち 「武器よさらば」

イラクの地獄を再体験しないため、この米兵たちは妻子を連れてカナダに移住した。この脱走兵たちはどのように人生のやり直しをしているのだろう?


隣の部屋には、若いカップル一組と彼らの二人の幼子が静かにしている。「彼らはおとといここに到着し、まだ少し疲労にやられています。私たちはすでに彼らのために住居を見つけることができました」と、トロントにある団体「反戦者援助キャンペーン(War Resisters Support Campaign)」の責任者であるミシェル・ロビドゥがささやく。ミシェルは反戦脱走兵を受け入れ、彼らにアドバイスを与え、彼らを安心させるカナダのボランティアの一員である。「私たちは彼らに住居を見つけてやり、労働許可証を取得する手伝いをし、政治難民の地位を取得するための長い手続きをおこなう彼らをずっと援助するのです。」今まで、ミシェルは50人ほどを援助した。彼女によると、脱走兵の流れは拡大するばかりだということだ。「現在、一週間に二人の脱走兵を受け入れています。これはかなりの数です。昨年は一ヶ月に二人のペースだったのですから。私たちは、脱走兵の到着と(アメリカ政府の)公式の声明とがはっきり結びついていることを確認しました。兵士たちが公式声明の側にもう希望を感じなくなり、戦乱が長期にわたる危険があると意識し、彼らがイラクに緊急に発たなければならないとき、彼らは私たちに電話をし、手紙を書き、国境の反対側からの情報を収集するのです。彼らは決心をするのに数ヶ月を要することもありますよ。」
アメリカ国防総省の最新の統計(2007年3月に米軍から発表された統計)によると、この戦乱の最初から5200人以上の米兵が脱走しただろうということである。その大部分はアメリカ合衆国内に隠れたままである。それ以外の者たちは、アメリカ政府が手出しできない場所であるカナダへの亡命を選んでいる。「私たちのところまで来る脱走兵の大部分には妻子がいます。」とボランティア女性が推定する。そして、離れたくない家族、守りたいと願う家族がこれらの脱走兵にいるからこそ、彼らは国境を越えようとするのです。」彼女の話を聞くと、カナダへの脱走の決心に積極的に貢献するのはしばしば妻たちであることがわかる。妻たちは、家族が散り散りになって連邦に苦しめられるよりも、逃走する夫といつも一緒にいることを願っているのである。「彼女たちは強く決然とした妻たちです。一人で相談にくる兵士たちはかなり恵まれていないように感じています。」こうしたカップルと会うと、たしかに、兵士にとって配偶者がどれだけ大きな支えになっているかがわかる。どの女性も夫を一所懸命に支え、しばしば彼の名前で語り、彼らを受け入れる地が涸れることのないように闘っている。戦争から脱走してきた最初のアメリカ人兵士の家族は4年前にトロントで知られるようになった。彼女はずっと政治亡命者の地位を得ようとしている。アメリカ出身の弁護士であり、自分自身もベトナム以来カナダへの亡命者であり、今日脱走兵の事例を扱っているジェフリー・ハウスはこう告白する。「解決にはほど遠い状態です。カナダ政府は気づかれないようにしています。カナダ政府はカナダ領土内にアメリカの脱走兵士が存在することを受け入れていますが、彼らのケースに公式の地位を与えてはいません。」今のところ、脱走兵とその家族はパスポートをもう所持していない。彼らは、自分たちのアクションに踏み出した日に、パスポートをカナダ国家に譲渡したのである。この手続は彼らをアメリカ連邦から保護することになるのだが、妻子をカナダの領土に留め置くという制約を課することになる。ひとりの兵士で、その家族全員が「脱走者」になるのである。

アンヌ・ステジェール記者

「反戦者援助キャンペーン」 http://www.resisters.ca


以下は、記事の中で写真とともに紹介されている5組のカップルの実例です。


*フィル(26歳)とジャミーン(27歳)、結婚、子どもなし。カナダに2006年10月から在住。
「悪人とは僕らのことではないのか?」

フィルの物語は愛国的急変の物語である。2001年9月11日の翌日、コミュニケーションの学位を持つこの若者は入隊した。「それは僕が祖国に与えることのできる最良のものだった。」フィルの部隊が2004年3月にイラクに着いたとき、彼はすでに自問していた。「大量破壊兵器もなく、サダム・フセインとビン・ラディンとの関係もないのに、なぜここイラクに来たのだろうと思っていた。僕は、歴史上の悪人はひょっとしたら僕らじゃないかと思い始めた。」その一年後、フィルは「嫌になって」アメリカに戻ってくる。残っている従軍期間は一年を切っていた。2006年6月、フィルは4年間の従軍を満たし、4年間予備兵として軍隊を離れることができるようになった。「僕が国旗のもとにまた招集される唯一の可能性は総動員令だった。だけど、それは本当に、ほとんどありそうにない可能性だった。」しかし、数週間後、米軍は「ストップ・ロス(中断無し)」という規定を採用した。それは、兵士の従軍期間を一方的に延長することができる規定である。フィルは彼の部隊とともに新たにイラクに出発するために召集された。ジャミーンは言う。「私は絶望し、気がどうかなりそうでした。フィルは彼の兵役を果たし終わっていて、この戦争にも反対なのに、イラクに強制的に戻らせられようとしていたのです。」二人は考えに考えた。この命令を甘受するか?カナダに行くか?投獄の危険をおかすか?彼の部隊の展開の数日前、二人は国境を越えた。「フィルは清廉な人です。『脱法者』になるというこの選択は彼の性格に反していました。私がいて彼を支えていなければ、彼は国境を越えようとはしなかったと思います。」フィルの妻は告白する。
(ジャミーンとフィルの写真:二人で笑顔で並んで立ち、カナダの旗を手に持っている。ジャミーンはフィルのほうを見ている。写真のキャプション:「愛国心から入隊し、『嫌になって』イラクから帰還」)


*ジェレミー(28歳)とエンガ(34歳)、結婚、子ども一人。2004年1月からカナダに在住。
「私の息子が父親を知らずに育つと考えると耐えられませんでした」

「ジェレミーは自分の父親を知らない。きっとそのせいで彼は入隊したんだと思う。ジェレミーは心の内面の戦いをしており、男性的な象徴を探していました。彼は夢だった学業のためのお金を得るために軍隊で4年間静かに過ごそうと思っていました。」そうエンガは語る。しかし、ジェレミーは2001年9 月11日の数週間前に入隊の契約をしていた...。その後、アフガニスタンでの7ヶ月、そして、イラクへの出発。エンガは回想する。「アメリカ側では死はすでに日常茶飯事になっていました。そのことで私は病気になりそうでした。私の息子が父親を知らずに育つと考えると耐えられませんでした。」二人は解決策を探そうとした。脱走?でも、どこに?そのころの2003年の末には、カナダへの脱走兵士のことは何もウェブ上には出ていなかった。ジェレミーは実際、カナダへの最初の脱走兵士として知られることになった。家族は2004年1月に国境を越えた。「トロントにクェーカー教徒のグループがいることは知っていました。私たちは彼らに私たちの状況を説明すると、彼らは私たちを住まわせてくれ、少しのお金をくれました。それから、私たちは弁護士を探しました。私たちは自分たちの子どもを守るために私たちのカナダでの在住を正規化したかったのです...。」その次に二人は、トロントでは非常にさかんだった反戦運動に近づいた。このようにして、団体「反戦者援助キャンペーン」が生まれ、それからはすべての脱走兵士を援助することになる。エンガとジェレミーは相変わらず、政治的亡命者として認定されることを願っている。「私たちは上訴を頼って、必要なら最高裁まで闘います。ほかの家族もみんな私たちを支援してくれています。私たちのケースの結末は彼らにも関係ありますから。」
(エンガとジェレミーの写真:二人で肩を抱き合って少し硬い表情でこちらを向いている。写真のキャプション:「2004年1月に脱走した初めての兵士」)


*クリス(19歳)とメラニー(20歳)、結婚、子どもなし。2007年1月からカナダに在住。
「私たちはロマンティックな大冒険のようにこの状況を生きている」

「クリスが入隊したとき、私ははっきりと彼を思いとどまらせようとしました。でも、軍隊は彼にとって以前からの夢だったのです。彼はアラバマ州のフォート・ベニングの基地のそばで育ち、軍隊に対する理想主義的なイメージを持っていたのです。」そうメラニーは語る。そんなに金持ちでない階層出身のこの若いカップルは、軍隊を家庭を築く方法だと考えていた。「軍の新兵募集係は俸給と健康保険をちらつかせました。」特に、募集係は新兵にイラクに行くことは絶対にないと約束した。しかし、2006年12月、クリスは彼の所属部隊がイラクに展開することを知った。「彼がイラクに行くなんて問題外でした。契約は両方の当事者の間の約束事です。もし軍の側が約束を破るなら、彼も約束を守る必要はありません。」そう言いながらメラニーは感情を高ぶらせる。クリスとメラニーには、情報を得て、決心を固めて、荷物をまとめて、国境を越えるのに10日もなかった。トロントに到着すると、彼らは「反戦者援助キャンペーン」に連絡をとったが、彼らはまた妄想におそわれた。「クリスはこの団体にはFBIの息がかかっていると恐れていました。映画にあるみたいに。」二人は今日、トロントの郊外で生活している。クリスはパラシュートのコーチになりたいと思っている。彼もメラニーも、彼らの行動の影響をすべて把握しているようには見えない。「一番つらいのは、私たちが故国アメリカにもう二度と帰ることができないだろうと思うことです。でも、今のところ、私たちはむしろロマンティックな大冒険のようにこの状況を生きています。」
(メラニーとクリスの写真:メラニーがクリスに後ろから抱きついて、首を軽く後ろに向けたクリスにキスをしている。写真のキャプション:「二人は、軍隊に裏切られたと感じた」)


*ジョシュア(27歳)とブランディ(28歳)、結婚、子ども4人。カナダに2005年3月から在住。
「夜に、ジョシュアは手榴弾を投げつけられる夢を見ていました」

「イラクから帰還すると、私の夫は痛ましいほどの状態でした。彼にはもう人ごみが耐えられませんでした。夜には、彼は手榴弾を投げつけられる夢を見たり、切り落とされたイラク人の首が見えたりしました...。」そうブランディは回想する。妻と子どもがいなければジョシュアは確実に立ち直れなかっただろう。しかし、妻子のためにこそ彼は入隊したのであった。「私たちはとても貧しかったのです。当時、軍隊に入ることが最良の方法だと思えました。新兵募集者たちも、これだけ大人数の家族のいる私なら、アメリカの地を離れることは決してないと保証してくれていましたから。」そうジョシュアは言う。しかし、イラク侵略の最初からジョシュアはイラクに送られた。8ヶ月の先頭の後で短い休暇のためにアメリカに戻ってくると、彼はこの「非人間的で正当性のない」戦争から逃れたいと思った。14ヶ月の間、家族はフィラデルフィアで姿を隠す生活をおくった。彼らは自分たちの車の中で眠った。「潜伏してすごしたこの長い期間はとてもつらかったです。ジョシュアは車を使って出かけるときはいつも、逮捕される危険を背負っていました。そして、私は、子どもたちと一緒に残される危険を背負っていたわけです。」そう彼女は回想する。少しの貯金を持ってカナダに行くことをやっと二人は決心した。「子どもたちが安定した暮らしができ、家庭があって、学校がある唯一の方法、それが私たちの望みのすべてでした。」国境で不安が高まる。彼はすでに長い間脱走兵士だったので、税関職員は彼の身分を簡単に見破るかもしれなかった。しかし、税関職員はただこう言っただけだった。「カナダへようこそ。」
(ブランディとジョシュアの写真:二人がキスをしている脇に両親似の三人の幼い子どもたちがいる。写真のキャプション:「家庭の父親として、ジョシュアはイラクに行くわけにはいかなかった。しかし、米軍はその約束を守らなかった」)


*パトリック(32歳)とジル(32歳)、子ども一人。カナダに2005年9月から在住。
「夫の司令官の言葉は私を凍りつかせました」

「ハニー、家には帰らないよ。でも心配しないで、そのうち電話するから。」この電話をジルは冗談だと思った。「その日は私の誕生日でしたから、私は彼が何かサプライズを用意していると思いました。」しかし、パトリックはすでにカナダにいた。そして、二日後、人生のうち9年半を軍隊に捧げたこの軍曹は公式に脱走兵士となった。「イラクから帰還してきた部隊とすれちがうクウェートで僕は疑い始めた。彼らの話は僕に恐怖を与えた。死体での遊びのこと、隊列を止めることができなかったから轢かれた子どもたち...。この戦争は僕たちから人間性を奪った。」こうパトリックは言う。休暇中、彼はイラクに戻るという見通しに耐えられなかった。彼は妻に何も言わずに脱走した。もしあらかじめ彼から脱走のことを言われていたとしたら妻は彼のことを支えなかっただろうと告白する。「一緒に暮らした年月の間ずっと、私は完全な兵士の妻を演じてきました。私は国旗の色にケンタッキーの私たちの家を染めていたほどです。」彼女はこう言う。さらに、夫のこの決断は彼らの息子を危険にさらした。「息子のライアンはてんかんを患っており、彼の治療には大金が必要でした。私たちは医療保険を失うところでした。」パトリックの脱走が正式になった次の日、ジルは彼の司令官と電話で話した。「『息子さんのてんかんがまたぶりかえさないことをあなたたちのために祈ります』という司令官の言葉が私を凍りつかせました。」これでジルは軍隊魂を捨てた。24時間後、彼女は家を空にして、小型トラックを借りてトロントのパトリックと合流した。「結婚して、私は最高と最悪を経験しました。それに、『ね、パパはとても勇敢な兵士だったのよ』と息子に語らなければならないなんて望みませんでしたから。」
(ジルとパトリックの写真:二人が公園のようなところでおどけている。写真のキャプション:「ジルとパトリックは軍隊に忠実だった。『人間を人間でなくする』この戦争までは。」)


コラム「ベトナム戦争脱走兵士とイラク戦争脱走兵士の同じ闘い」
ベトナム戦争脱走兵士のうち、約6万人から10万人がカナダに亡命した。そして、彼らは今日、自分の時間をさいて、自分のお金を出して、一時の宿を提供して、脱走してくる兵士を援助している。昔の脱走兵士は、より若い脱走兵士たちの権利のために闘うことによって、自分の過去を振り払っているのである。二つの世代は両方とも同じ道をたどったと語る。前線に緊急に出発しなければならないこと。しばしば道徳的理由から、それが不可能であること。場合によっては投獄されることも覚悟しなければならないこと。良心的兵役忌避者の資格を得る試みが空しく終わること。全員が、解決策を探して眠れぬ夜を過ごしたことを語っている。選択の余地を残すと言いながらもカナダを強く希望する妻の無条件の支え。夫たちは軍隊の仲間を捨てたという罪悪感を語る。妻たちは伴侶が安全でいることでほっとすると語る。全員が親族を故国に残してきた悲しみを語るが、故国を捨てた悲しみを語る者はまれである。
(以上翻訳終了)

..........

このルポルタージュを読んだ私は、軍隊の行動原理が人間的な営みといかに相容れないかを感じました。現実として、本国(アメリカ)から遠く(アフガニスタン、イラク...)でおこなわれる戦争に出征することは、兵士にとっては自分の家族をビン・ラディンやテロの危険から守ることとはなんの関係もなく、生活の糧を得るためにやっているにすぎないのです。愛する家族をテロから守るために戦う、という「建前」の偽りがこれらの米兵の葛藤から伝わってきます。彼らにとっては、自分と家族の生活を守るために遠くの国への侵略に加担する、ということになっているのです。米軍は外敵からアメリカを防衛するために存在するのでしょうか?米軍をアメリカから遠くに展開することがアメリカにとって本当に自国防衛のためなのでしょうか?脱走兵たちの葛藤は、その答えが「ノー」であることを示唆していると思います。

また、軍隊が戦時に出動するということは兵士からも犠牲が出ることでもあります。兵士も市民であり、家族もあり、その命は尊重されなければなりません。つまり、軍隊は出動しないですむのがベストなのです。軍隊が出動しないですむ政治環境、軍隊を使わないですむ安全保障を可能にする外交環境をつくるのが、軍隊をどう動かすかを決めることよりもはるかに重要な最優先の政治家の仕事です。

「戦わずして勝つ」、これが最良の安全保障ではないでしょうか。

政治家が好んで戦時や紛争を招き、軍隊を出動させてそれを解決しようとするポーズをとるのは、市民(非戦闘員)の生命だけでなく、兵士の生命を無駄に危険にさらすことであり、まずい政治であり、政治の失敗です。日本の政府与党は軍隊を出動させることが安全保障であると国民に思わせたいようですが、軍隊を出動させたその瞬間、安全は存在していません。

「有事」は多くの場合、政治や外交の努力の失敗によってもたらされると思いますが、そのような失敗の場合に軍隊(自衛隊)をどう動かせば国家を防衛できるか、というのは政治の敗北の告白にほかなりません。そして、その場合、防衛の対象である「国家」には「抽象的な数としてでない、具体的な個々の住民(国民)」は含まれない場合が多いと予想されるのです。

政治や外交の失敗を放置して軍隊を動かそうとする軍隊観のもとでは、単なる安全保障を超えた目的で軍隊を海外に展開するアメリカの軍事戦略に無批判に追従しようとする日本の自公政権の軍事政策は、日本に住む人々を危険から守ることにはなっていないと改めて思います。

そして、日本でも自衛隊がアメリカ軍に付き従って海外に派兵されるように憲法や制度が完全に変えられた後、徴兵されて、あるいは志願兵として自衛隊、いえ、軍隊に入るようになると、家族ともども、このアメリカ人兵士とその家族のつらい気持ちがよくわかるようになるでしょう。そのような気持ちを自分で味わいたいとは思いませんし、誰にも味わってほしくないと思います。

戦争のリアルなことを何も知らない世代の人も、これらのアメリカの脱走兵の気持ちは痛いほど想像できるのではないでしょうか。アメリカのこの現実を見ると、日本でも自衛隊を防衛軍にして海外派兵して、軍事裁判所を創設して、そうすれば敵(どこの?)の日本侵略を防げると気軽に考えることはやはりできません。

憲法9条の文面改定にも解釈の改定にも賛成できません。

追記1:書き忘れてました。4番目のカップルのジョシュアさんは本を出しています。
"Putain de guerre !" Joshua Key
(題名は「戦争のくそったれ!」といった意味。フランスの有名出版社、アルバン・ミシェル Albin Michel から。)

追記2:「PAGE D'ECRITURE」さんも、フランスの週刊誌「ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」の2007年4月5-11日号(通巻2213号)に出ていたアメリカからカナダへの脱走兵の話をエントリーにしています。コメント欄からリンクをたどってぜひお読みください。

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