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米国民主基金という名の工作機関 = ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2007年7月号
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投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 7 月 26 日 23:11:41: mY9T/8MdR98ug
 


米国民主基金という名の工作機関

エルナンド・カルボ・オスピーナ(Hernando Calvo Ospina)
ジャーナリスト

訳・斎藤かぐみ




 イラン、チリ、ニカラグア等々、米中央情報局(CIA)が繰り広げた「汚い戦争」が、1950年代から何度もスクープされた。これらの事件は米国内でさえ、時にスキャンダルを巻き起こした。米国政府はその後、レーガン大統領によって米国民主基金の創設を見ることになる。この新機関はCIAより目立たないし、何よりも問題沙汰になりにくい。だが、その目的は変わらない。反政府派への資金援助を通じて、非親米的な政府に揺さぶりをかけるということだ。[フランス語版編集部]


 「われわれが今日やっていることの大部分は、25年前にCIAが秘密裡にやっていたことと同じだ」。1991年9月22日、ワシントン・ポスト紙に驚くべき証言を寄せた関係者の名は(1)、アレン・ウェインステイン。米国民主基金(NED)の初代理事長を務めた歴史学者である。非営利団体たる同基金は、人権と民主制の擁護という崇高な目的を掲げている。ウェインステインが言及したのは、このNEDのことにほかならない。

 1967年2月26日、まだNEDが存在していなかった時代に、ある事件がワシントン・ポスト紙にスクープされ、世界を震撼させた。CIAが諸外国で、労働組合や文化団体、メディアや有名知識人に資金を送っていたという事実と送金経路が報じられた。元CIA局員のフィリップ・エイジーは、われわれの取材に応じて、古巣の「カンパニー」についてこう語っている。「CIAは米国の有名財団のほか、送金目的のために設立した幽霊団体を利用した(2)

 ジョンソン大統領は、その種の活動が1947年の創設時からCIAの任務に含まれていることを知りつつも、世論の圧力を抑えるために調査の開始を要請した。「第二次世界大戦後、民主的なわれわれの同盟者は脅威にさらされており、彼らを政治的に支援する仕組みは存在しなかった。そのため米国の政策決定者は、アドバイザーや機材、資金を秘密裡に送り、孤立無援の欧州の新聞や政党を助けようと、秘密の手段を利用した(3)」。冷戦が始まった状況下で、ソ連の「イデオロギー的な影響」を阻止するためだ。

 親米政権に反対する勢力の弱体化や、さらには一掃に、援助先の組織が成功したケースもある。これらの組織は米国の利益に都合のよい環境を醸成した。1964年のブラジルのゴラール政権の転覆などでは、切り崩し工作がクーデタに結び付いている。73年9月にチリでアジェンデ政権が転覆された例を見てもわかるとおり、ホワイトハウスがそうした活動を止めたわけではない。エイジーは言う。「軍部の地ならしをするために、『市民社会』やメディア界の主要勢力に資金を流した。要はブラジルのクーデタの改良版だ」

 CIAに対する上院の調査が新たに始まったのは1975年のことだ。この調査の大きな焦点は、ルムンバ、アジェンデ、カストロなど、世界各地の政治指導者を標的とした謀略と犯罪行為である。同じ時期、アフリカやラテンアメリカでは、さまざまな革命勢力が伸長した。この事実に照らせば、「市民社会」諸団体への潜入工作は確かに決め手ではあるものの、その際に使った手段がよくなかったと、米国政府としても認めざるを得なかった。NEDはこう述懐する。「世界中で思想闘争を推し進めることに関し(・・・)ジョンソン政権は、国外での活動に堂々と資金援助できるような『半官半民の仕組み』を作ることを提言」した(4)

 これを受けて79年に、民主党と共和党、労組指導者と企業経営者、保守派の大学研究者、外交関連の研究所が共同で、米国政治財団(APF)を設立することになる。その手本となったのは西独である。西独では第二次世界大戦後、「シュティフトゥンク」の名で知られる四大政党の財団が(5)、キリスト教民主同盟(CDU)のコンラート・アデナウアー財団を筆頭に、政府の資金援助を受けて冷戦の先兵となっていた。

 83年1月14日、レーガン大統領は国家安全保障秘密指令77号(NSDD-77)に署名する。これは前年6月8日に彼が英国議会で行った演説内容の具体化、つまり「グローバルな民主化キャンペーンに適切に資する」ような「インフラ」の整備を命じたものだ(6)。そのためには「対外政策に関連した他の取り組み(外交、経済、軍事)との緊密な連携、米国社会の諸部門(労働界、実業界、大学、慈善団体、政党、報道機関)との緊密な関係」が必要であるとする。

 レーガンは議会に対して、この指令に触れることなく、「デモクラシー・プログラム」なる名称の下にAPFの設立を提案した。これを受けて、83年11月23日にNED設立法案が成立する。設立の際、12月16日にホワイトハウスで開かれた「記念式典」で、大統領は次のように語った。「このプログラムは日陰の存在にはとどまらない。誇らかにスポットライトを浴びるものとなる。(・・・)そして無論、わが国の国益と整合したものとなる(7)

反サンディニスタ勢力を支援

 四つの組織がNEDの柱となり、その運営に当たっている。米国労働総同盟産別会議(AFL-CIO)の一部門としてNED発足前から存在し、後に米国国際労働連帯センター(ACILS)と改称した自由貿易連合研究所(FTUI)に加え、三つの組織がこれを機に設立されている。商工会議所の国際民間企業センター(CIPE)、共和党の国際共和研究所(IRI)、民主党の国際問題民主研究所(NDI)である。

 法的には民間団体であるNEDの予算は、国務省の予算に計上され、議会の承認を受ける。NEDのこうした位置付けのおかげで、政府は公的な責任を負わずに済む(8)。ほかにも戦略的なメリットがある。元国務省職員のウィリアム・ブルムに言わせれば、「非政府」組織というのは「空想と神話」であり、そうした位置付けが「米国政府機関では得られない信用を海外で得ることに役立つ」という(9)

 86年10月、レーガン政権を疑惑事件が見舞った。ニカラグアの反サンディニスタ勢力に対して、コカインの密輸などを通じた不法な資金援助が、ホワイトハウスを拠点に行われていたのだ。国家安全保障会議(NSC)の主導下で、オリヴァー・ノース大佐をまとめ役とした一連の仕組みは、その名も「デモクラシー・プログラム」と呼ばれていた。この作戦の第一線に立ったのがNEDである(10)。奇妙なことに、事件調査はニカラグア反革命勢力コントラの軍事機構を主眼とし、この「非政府」組織については手薄だった。しかしNEDは発足当初から87年まで、NSC諜報委員会のメンバーだったCIA高官、ウォルター・レイモンドの監督下に置かれていたのだ。

 「ロナルド・レーガンの『デモクラシー・プログラム』の直系たるNEDは、全米キューバ系米国人財団(FNCA)など、ラテンアメリカの多数のグループに資金を提供してきた」と、FNCAのホルヘ・マス・カノーサ議長(当時)は述べている(11)。この反カストロ過激派組織はNEDと同じ時期に創設され、「キューバの自由はニカラグアから」を合い言葉に、反サンディニスタ闘争に乗り出した。彼は続けてこう述べている。「協力関係が生まれたのは、CIA作戦局次長補で秘密活動の責任者だったセオドア・シャクリーが、中米政策に関して財団のメンバーに支援を求めてきた時だ」

 コントラ疑惑が吹き荒れていた最中の87年、NEDは行動を開始する。ニカラグア常設人権委員会などからなる反サンディニスタ戦線が、NEDの資金によって構築された。その甲斐あって90年の大統領選では、「独立系」を標榜する日刊紙ラ・プレンサの社主ビオレータ・チャモロが、米国の支持の下に選出されている。新政権は新自由主義モデルを実行に移し、サンディニスタ政権が民衆のためにとった措置は水の泡と消えた。

 NEDが資金の配分、NGOの創設、選挙時の工作やメディアを通じた攪乱に力を発揮してきたのは、主にCIAやUSAID(国務省管轄下の米国国際開発庁)、それに対外政策に関わる保守派「エリート」の面々(12)から体験を伝授されたおかげである。レーガン政権は東欧の社会主義諸国でも、テロ以外は同じ方法を活用した。NEDは「世界中の反体制派や改革派のニーズへの直接対応を想定していただけに帝国主義色の薄い、人権と民主制の擁護を謳った非政府十字軍」となった(13)。統治者と被治者の間に距離があった「現実社会主義」諸国では、NEDとそのネットワークが資金や宣伝を通じて、大量の「反体制派」を作り出すことは相対的に容易だった。ひとたび変革が達成されると、そうした人々のほとんどは結成していた組織ともども、何の栄誉に浴することもなく表舞台から消え去った。

 歴史的勝利の一つに数えられているのがポーランドの例だ。NEDは84年から「直接援助」の形で、労組、新聞、人権擁護団体の創設を促した。それらが「独立」組織という触れ込みだったことは言うまでもない。89年の大統領選の時は、ワレサ率いる運動組織「連帯」に250万ドルを提供した。同年に就任したワレサ大統領は、米国政府の強力な同盟者となる(14)

中東にも進出

 米国の冷戦態勢の一環として構想されたNEDは、欧州の社会主義ブロックが崩壊すると世界に手を広げた。ドルと少数の「専門家」を通じて、アフリカやラテンアメリカ、アジアや東欧の約90カ国で、社会・経済・政治プロセスへの干渉を重ねた。研究者ジェラルド・サスマンの言うように、選挙への介入は「米国のグローバルな政策目標の達成にとって極めて重要」になっている。NEDその他の米国の機関は、「民主制の構築」に寄与するものだとされている。しかしサスマンが強調するように、「70年代半ばまでのCIAの(・・・)露骨に攻撃的な手法に比べ、今日の選挙工作は主に情報操作と道徳ドラマの演出という形で進められる(15)

 90年に行われたハイチの大統領選では、NEDは3600万ドルを投じて元世銀職員のマルク・バザン候補を支援した。だが、結果はジャン=ベルトラン・アリスティドの大勝だった。91年9月29日、NEDとUSAIDの資金提供によるメディア・キャンペーンの末にアリスティド大統領は失脚し、その後に発足した独裁体制の下で、およそ4000人が命を失うことになる。

 NEDは発足から10年間で、「親米勢力を支援する500件のプロジェクトに2億ドルを分配した」という(16)。98年以降、多大な関心を向けた先はベネズエラである。「ボリーバル革命に対する粛然たる作戦だ」とエイジーは言う。「クリントンが始め、ブッシュ・ジュニアが強化した。反サンディニスタ活動に似ているが、今のところはテロも経済制裁もなしに、『民主制の推進、紛争の解決、選挙の監視、市民活動の強化』に努めている」。エヴァ・ゴリンジャー弁護士は、2001-2006年の公文書の中から、NEDとUSAIDがベネズエラの反政府グループや民間メディアに2000万ドル以上の資金を供与している事実を発見した(17)。チャベス大統領に対するクーデタ未遂の数日後の2002年4月25日には、NEDのベネズエラ関連予算が過去数カ月の間に議会の指示で4倍に増えていたことが、ニューヨーク・タイムズ紙にスクープされている。

 NEDが一貫して標的にしてきた筆頭格はキューバ政府である。キューバの「民主化移行」を推進するために、過去20年間に推定2000万ドルが投じられた。これとは別にUSAIDも96年以降6500万ドルを費やしている。米国政府は「民主的」選挙が何にもまして有用であると強調する。しかし、1992年のトリチェリ法(キューバ民主法)から1996年のヘルムズ・バートン法(キューバ解放・民主連帯法)、2004年5月の自由キューバ支援委員会に至るまでの公的文書には、選出される議員は親米的であることが必要だと明記されている。資金のほとんどは米国ないし欧州で活動する反革命組織に渡される。ポーランド、ルーマニア、チェコをはじめとする諸国政府も、キューバに圧力をかけるようになってからというもの、かなりの資金を受け取るようになった。NEDはキューバに関連して、2005年だけで240万ドルの資金を供与している(18)

 選挙とビジネスは同時に前進しなければならない。それが米国政府の進めようとする民主化だ。ブッシュ大統領は2004年1月20日の一般教書演説で、「中東における自由選挙、自由貿易、報道の自由、組合の自由の推進」という活動内容に新機軸を打ち出せるよう、NEDの予算倍増を議会に要請した。思想工作に軍事活動を付随させる、という意味だ。中東でのNEDの活動は、従来は些細なものでしかなかったが、2003年にはアフガニスタンに進出している。ウェブサイトによれば、「民主制と市場経済の構築を助けるために、貿易の確立と強化」を決意したという。その地ならしに向け、NEDは「あらゆる新興NGOに対して支援を」提供している。

 イラクでも、特に北部を中心に、同様の目的からNGOへの資金供与を行っている。他の諸国の場合と同じく、NEDの支援を受けた地元組織はすぐにそれに依存するようになった。そして「民主化闘争」の旗印の下に、住民の利益に適うとは言いがたい制度の実現に向けて邁進を始めている。

世界的なネットワーク

 NEDの理事長は年に一度、または要請に応じて、上院外交委員会に報告する義務を負っている。これは他の非政府組織には見られないことだ。84年4月から理事長を務めるカール・ガーシュマンは、「民主化支援」の予算増額が急務であると2006年6月8日に力説している。彼はロシアやベラルーシ、ウズベキスタン、ベネズエラ、エジプトで、「準強権的」政府と対峙するNGOへの追加支援が必要だと主張して、12月7日には「民主制の推進、欧州的な道筋」という欧州議会の会議の席上でも同様のことを述べた。

 ブルムによれば、NEDの基本哲学は「自由企業と階級協力を特徴とし、(・・・)政府が経済に最小限しか介入せず」という体制の下で社会はよりよく機能するという発想にある。「自由市場経済が民主主義や改革、成長と等値され、外国投資の利点が強調される。(・・・)NEDの報告書は『民主主義』という言葉で溢れているが、せいぜいその意味するところは機械的な選挙民主主義であり、経済的な民主主義ではない。権力構造や現状を脅かすことを意図したものは何もない」。つまり「NEDのプログラムは、新世界秩序における経済のグローバル化と軌を一にしており、また、米国の外交政策に波長を合わせているのである」

 ブッシュ・シニア大統領は89年9月の国連総会で、「自由世界」の課題は「自由の基盤」を強化することだと言明した。翌年にはカナダ議会が米国政府の後押しを受け、NEDと同種の財団「ライツ&デモクラシー」を創設し、92年には英国議会がウェストミンスター民主基金(WFD)を公式に発足させた。さらにスウェーデンではスウェーデン国際自由センター、オランダではアルフレト・モーゼル財団、フランスではロベール・シューマン財団および(社会党系の)ジャン・ジョレス財団が設立され、NEDの財団ネットワークが具体化した。

 これを枠組みとして、世界のNGOの「プロジェクト約6000件」を連動させた民主プロジェクト・データベースが作られている。同じくNEDを中核として、「独立研究所、大学研究所、および政党や大学、労組、民主化・人権運動などの研究プログラム」を集めた民主研究所ネットワーク(19)も結成された。「民主派の学者と運動家の間」の接触を促すことが目的だ。また、NEDの下には国際メディア支援センター事務局が置かれている。これは「世界中の自由で独立したメディアへの支援を強化するために、メディアの専門家を一堂に集める」プロジェクトである(20)

 ガーシュマンは国務省の公式ウェブサイトで、これらの財団や人間、組織が一丸となって「世界的な民主化推進運動の創出」に向かっているのだと述べている。このNEDを核とした「ネットワークのネットワーク」には、ドイツのフリードリヒ・エーベルト財団、スウェーデンのオロフ・パルメ国際センター、オーストリアのカール・レンナー研究所、スペインのパブロ・イグレシアス財団(社会主義労働者党系)などが参加している。

 NEDの予算増額を正当化する目的で、すばらしく「明快」な報告書が96年に議会に提出されている。「グローバルな思想戦争の咆哮が続いて」おり、「米国の利益と価値が、世界中の諸々の反民主勢力からのイデオロギー攻勢にさらされ続けている時代に、これほど有効な外交政策手段を放棄するわけにはいかない」という。「米国の利益と理想は依然として、深く根を張った共産体制、ネオ共産主義勢力、攻撃的な独裁政権、急進的ナショナリスト、イスラム原理主義勢力によって脅かされている。このような現実がある以上、イデオロギーの戦場を自由で開放的な社会の敵に明け渡すわけにはいかない。米国民主基金は、未来を守るための思慮ある投資として、継続的な資金を受けるに値する(21)」。その3年後、下院外交委員会のベンジャミン・ギルマン委員長も、同じ目的から96年の報告書を大幅に踏襲した。

 民主制、自由選挙、表現の自由、といった題目をブルムはこんなふうに言い換えてみせる。「新しいステキな響きをもった名前の組織に(CIAの)悪事をやらせることになった。(・・・)NEDは、政治的にも、PR上も、シニシズムとしても、傑作だった(22)


(1) The Washington Post, 22 September 1991.
(2) フィリップ・エイジーへのインタビュー、2005年。彼のスペイン語スピーチも参照(http://www.rebelion.org/cuba/030919agee.pdf)。
(3) http://www.ned.org/about/nedhistory.htmlによる。知識人に対するCIAの工作については以下を参照。Frances Stonor Saunders, Who Paid the Piper ? The CIA and the Cultural Cold War, Granta Books, London, 2000.
(4) http://www.ned.org/about/nedhistory.html
(5) 社会民主党(SPD)のフリードリヒ・エーベルト財団、キリスト教民主同盟(CDU)のコンラート・アデナウアー財団、キリスト教社会同盟(CSU)のハンス・ザイデル財団、自由民主党(FDP)のフリードリヒ・ナウマン財団。
(6) http://www.ned.org/about/reagan-060882.html
(7) http://www.ned.org/about/reagan-121683.html
(8) NED設立法には「同基金は、米国政府の機関ないし関連団体と見なされてはならない」と規定されている。
(9) ウィリアム・ブルム『アメリカの国家犯罪全書』(益岡賢、作品社、2003年)。後段で訳文を一部変更した。
(10) Cf. The New York Times and The Washington Post, 15 and 16 February 1987.
(11) Alvaro Vargas Llosa, El exilio Indomable, Espasa, Madrid, 1998.
(12) アレン・ウェインステイン、ダンテ・ファセル、エリオット・エイブラムズ、リチャード・アレン、ジョン・ネグロポンテ、ジーン・カークパトリック、ジョン・ボルトン、オットー・ライヒ、ウェズリー・K・クラーク大将、ジョン・リチャードソン、ウィリアム・ミッデンドーフ、フランク・カールッチ、フランシス・フクヤマなど。
(13) Nicolas Guilhot, << Le National Endowment for Democracy >>, Actes de la recherche en sciences sociales, No.139, Paris, September 2001.
(14) http://www.ned.org/about/nedTimeline.htmlによる。NEDが直接、またはCIPE、IRI、NDI、ないしAFL-CIO関連機関を通じて間接的に、各地で行った資金援助の例が挙げられている。
(15) Gerald Sussman, << The myths of "democracy assistance": US political intervention in post-soviet Eastern Europe >>, Monthly Review, Vol.58, No.7, New York, December 2006.
(16) Nicolas Guilhot, op. cit.
(17) Eva Golinger, The Chavez code : cracking US intervention in Venezuela, Olive Branch Press, 2006.
(18) Laura Wides-Munoz, << Les USA financent des groupes anticastristes a l'etranger >>, Associated Press, 29 December 2006.
(19) http://www.wmd.org/ndri/ndri.html
(20) http://www.ned.org/about/cima.html
(21) James A. Phillips and Kim R. Holmes, << The National Endowment for Democracy : A prudent investment in the future >>, Foreign Policy and Defense Studies, The Heritage Foundation, << Executive Memorandum >>, No.461, Washington, D.C., 13 September 1996.
(22) ウィリアム・ブルム前掲書。

((ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2007年7月号)


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