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事件当日、ノースタワーの60階にある、都市銀行NY支店の日本人行員の記録
http://www.asyura2.com/07/war97/msg/409.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2007 年 10 月 26 日 05:48:24: 0iYhrg5rK5QpI
 

(回答先: Re:訂正。下から4段目「あれやこれやの「ケム」の少ない画面ば」の「ケム」は「炎」だす。 投稿者 竹中半兵衛 日時 2007 年 10 月 26 日 03:28:06)

事件当日、ノースタワーの60階にある、都市銀行NY支店の日本人行員の記録

http://www.c-museum.jacic.or.jp/c-museumn/Topics/topic01.html

 9月11日(火)の朝、午前8時20分頃、いつもとほぼ同じ時刻にOneWorldTradeCenter60階のオフィスに出勤。出勤後は夜間に着信したファックスを見たり、銀行内部の電子メールをチェックしたりするのが常で、当日もいつもと同じ朝である。簡単なものにはその場で回答を済ませ、そろそろメールチェックも終ろうかという時(8時45分頃)に、上の方で「ドドーン」というものすごい音がし、建物の大きな揺れを感じる。気のせいか、ちょうど飛行機で飛んでいるときにエアーポケットに入ったような感じで、床が下に落ちこんだような感覚。思わず衝撃のあった方向(ビルの北側の窓)に目を向けると、上の方からガラス片、金属片、それからたくさんの書類のような紙片がばらばらと降り落ちていくのが見える。当時、派遣行員は殆ど出勤しており、皆「何だ?」と言って、強い緊張感が走る。窓から覗きこんで下を見ると、たくさんのがれき、上層階から昇る真っ黒な煙。オフィスのある OneWorldTradeCenter(北棟)の東側が広場になっており、その方向にある大会議室の窓から下を覗くと、いつもの広場とは全く違う、がれきだらけの光景が目に入る。最初に衝撃を感じてから、恐らく1分と経っていないだろうが、明らかに何かが起きたということで、全員避難を決定。皆、とるものもとりあえず上司の指示のもとに非常階段の方に向かう。何とか東京の本店、そして自宅に一報したいと電話にとびつくが、「携帯あるんだからとにかく逃げろ」と声を荒げる上司。とりあえずContingency Planや、救急用具の入ったバックパックを掴んでその場を離れる。もちろん、その時はもう2度とこのオフィスに戻ってこれなくなるとは夢にも思っていなかったが…

 非常階段では、何が起きているのかわからなかったせいもあるだろうが、皆とても落ち着いていた。順番を守って整然と歩いて降りる。時折、上層階で負傷や軽い火傷を負った人(自力で歩ける程度)が降りてくると、“Let them go ahead”と誰からともなく声がかかるなど、他人を気遣う余裕もある。負傷者を見ることで、何かが起きているという不安感が広がり、中には泣き出す女性も居るが、パニックというほどではない。“Keep moving”(止まらないで)、“Everybody’s gonna be fine”(皆大丈夫だから)と、他人に声をかけて励ます人も多く、過去の爆破テロの経験が生かされているのだと感じる。途中、”It seems that there was another explosion”(もう一つ爆発があったらしい)という話が耳に飛び込む。
どうやらテロらしいという噂も流れてくる。これがTwo World Trade Center(南棟)へのもう一機の突入だったのであるが、その時自分ではまさかテロではないだろうと思い、延焼か何かによる爆発かと想像する。そのうち消防隊の一団とすれ違い始める。ものすごく重い消防服に、扉を壊したりするための重装備、上層階に閉じ込められているであろう人達を助けるために、仕事とは言え危険なビルに入ってきている彼らを、皆拍手で送る。彼らのうち、一体何人が再び地上に降りて来ることができたのだろうか…

 60階から地上階に降りるまでの時間はおよそ1時間強。避難開始当時オフィスに居た仲間達はほぼ同じ時刻にオフィスを出たが、途中階で合流してくる人もあったことから、下に降りてくるころには多少の間隔が開いていた。私は行員の中では、ほぼ真ん中あたりにいたはずである。半階くらい前に支店長と副支店長がいて、やはり1階くらい後ろに別の上司と同僚がいた。下層階まで降りてくると、おそらく一気に歩いて降りるのは難しかったのであろう、太った人、年配の人が何人か階段の外側のオフィススペースの中で、消防士に付き添われて休んでいる姿を何度か目にする。ビルの5階くらいまで降りてくると、既に始まっていた消化活動のせいか、非常階段にもおびただしい量の水が流れていた。地上階(広場のある階)で非常階段をでると、広場の景色はこれがワートレか、今日自分が歩いてきたところとは思えない光景、まさに地獄絵図。金属片、がれきの山の中に、間違いなく人間の体であろうと思われる塊、それまで冷静であった自分の背筋に寒気が走る。とにかく落ち着こうと言い聞かせ、誘導されるままにエスカレーターを降りるとそこはスプリンクラーで水浸しになっていた。それまで汚れもせず、濡れもしていなかったのに、そこで初めてびしょ濡れになる。まだ、濡れて汚れた服を気にする精神的余裕がある。

 誘導されて9階建てのFiveWorldTradeCenterの地上階出口から外にでると、警察官や消防士に、止まるなと声をかけられそのままビルを離れる。途中ふと後ろを見ると、自分がいた北棟だけではなく、南棟までが炎上している。信じられないような光景に驚くと共に、その時初めてテロだという話が事実であることを確信する。事故であれば2棟同時になんてことはないからである。ほんの少し後ろを歩いていた上司、同僚と合流し、先に出ていた副支店長から、「派遣行員は予定通りバックアップサイト(ワールドトレードセンターから8ブロック南のビルに用意してある緊急時用のオフィス)に集合」するよう指示をされ、そちらに3人で向かうが、最短距離で迎える道は既に封鎖されており、回り道を余儀なくされる。歩いていると、この惨事の中で通常どおり営業しているデリがあり、同僚と顔を見合わせて思わず「すっげえなあ」と笑う。ビルを出て10分から15分くらいして、
ちょうどWallStreetの証券取引所のわきを歩いていた時、後ろからものすごい轟音が襲ってくる。後ろを振り返るが他の建物の影でツインタワーは死角で見えない。3番目のテロではないかと直感(実際は南棟の倒壊)。音はどんどん近づいていてくるが、走って逃げたその先に飛行機や爆弾でも落ちてきたらもう助からないと思い、生まれて初めて「死ぬかも知れない」ことを覚悟するといろんな記憶が鮮明に頭の中を巡る。同僚と声を掛けあって物陰に体を隠すが前からも後ろからものすごい粉塵が襲って来る。思わず上司と同僚と3人で、一番近くにあったビルの中に飛び込む。ビルに入って後ろを見ると、火山の火砕流のような煙がビルの前を走りぬけ、まだ外にいた人の姿があっいう間に煙の中に消える。ビルの中では、やはり避難してきた人が地下のフロアに降りていて、およそ50人くらいの人が休んでいた。我々も外に出られない以上そこでしばらく待機することにした。
とにかく、情報が錯綜。逃げこんでいた人も、何がなんだかさっぱりわからないといった感じである。外にいるときからずっと携帯電話でバックアップサイト、自宅、日本をかわるがわるコールしていたが全く繋がらず、先に出た人達が果たしてバックアップサイトに行けたのか、ビルのすぐ外で指示をするために残っていた副支店長はじめ後ろにいた人達が大丈夫だろうかとものすごく心配になる。事件がちょうど出勤時間帯であったため、ローカルスタッフの中には事故当時エレベーターの中にいる人もいたのではないか、エレベーターが止まって閉じ込められた人はいないか等、悪い予感が次々と起こる。そのうち、ビルの中に別の一団が避難してくる(これは2棟目の倒壊のとき)が、そのうちの一人から、”Both towers have collapsed”というとても信じられないことをきく。自分達が逃げこんだのが1棟目の倒壊時であったことをこの時理解したがとても信じられない。あの大き
なビルが倒壊するとは…後ろに居た仲間達のことがますます気になる。とにかく無事を祈るが、100人以上の行員を抱えるオフィスである。現地スタッフも含めて全員が無事で済むことは奇跡でも起きない限り無理だろうという思いがよぎる。

 ビルに逃げ込んでから、自分が緊急用のバックパックを持って来ていたことを思い出し、中に入っていた防護マスクを周りに居た人達と分け合う。濡れタオルや水なども配られる。そのうち外の煙も少し収まり、外に出られるようになったというのでとにかくもう1度バックアップサイトを目指そうということになる。歩きながらも携帯をかけ続けるがやはり繋がらない。しかもバックアップサイトに向かう南行きの道はどこも閉鎖されていて近寄れないため、とにかく煙の来ていない北側に歩くことにする。バックパックに入っていたラジオを聞いていると、ようやく少しずつ何が起きているのかが明らかになってくる。旅客機がハイジャックされて、そのうちの2機がWTCに飛びこんだらしいということ、ペンタゴンでも爆発があったということ…。しかしあまりの内容に、ラジオを聞いてもまだ信じられない。
チャイナタウンを抜けるころやっと電話もタイミングが良ければ繋がるようになり、自宅やバックアップサイト(派遣行員、現地行員あわせて約20人がバックアップサイトに辿り着いた)、国際電話も繋がるようになって、やっと自分が無事であることを伝えることができた。気がついたら既に時計は既に1時近くになっていた。

 その後、バックアップサイトに戻る算段をしたり(結局は入れず諦めて自宅に向かうことになりましたが)、ローカル行員の安否の確認をしたり、一日終るまではもっと長かったのですが、とりあえず「避難記録」と呼べるのはこのあたりまではないかと思います。今回の事件の場合、とにかく私は強運だったとしか言い様がありません。あと20分通勤が遅かったら(実際にそういうときもあります)私は広場の真ん中を歩いていたはずですし、飛行機があと20階〜30階下を飛んでいたらオフィスは直撃だったはずです。非常階段を降りるのにあと15分余計にかかっていたら、最初のビルの倒壊時に逃げることができたかどうか…。全くの無傷でいる事が信じられず、人の命とは紙一重なのだということをこれほど強く感じたこともありませんでした。

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タケシの番組「911の疑惑」では、このWTC1の内部の状態は、外面から見た「炎より煙のほうが多く見える」という描写とはまるで違う地獄絵であったことが推察できます。この記録では、飛行機の衝突時に地上60階に居た時点での衝突のショック(激震)を感じて、即座に非常階段から避難して地上階に到達したのに要した時間が約1時間と言ってる。8時46分に衝突があって、9時46分にはWTC1の1階に到達。ビルから退却すて10分少々の9時59分にWTC2が倒壊すた。WTC1は10時28分崩壊だから崩壊までにまだ30分の猶予があったわけだすが、この状況について、ただただ「煙が多い」だけで片付けることはでけねすな。避難途中で火傷を負った人も居る。

このことから推測すると、まだこの時点では地上階までは火災の影響は見られないが、

>ビルの5階くらいまで降りてくると、既に始まっていた消化活動のせいか、非常階段にもおびただしい量の水が流れていた。

ということだ。つまり、避難途中で行き交った消防士たちは、記録の筆者が5階で現認すた(消火活動から出る)「おびただしい量の水」がどの階から流れているのかは、時間的な推定をもとに計算することがでけんべすい。まんず非常階段を上から避難してくる人たちさ遮られてスムースに非常階段を登ってゆぐのは不可能だったべす。せいぜい40から50階あたりではねべすか?だらば、そこまで火災が迫っていた、っつう推察が可能。

「爆発音」は聞いてねえみてだなす。

地上60階って、生半可な高さではねえよ。日本じゃ新宿副都心の安田ビル(すがむがすは知んねだす)より高いはずだ、あるいは池袋のシャンシャインクラスの屋上の位置だ。都庁の天辺あたりっつてもおがすぐねべ。おっかねえから登ったこつねだすが。ほれば垂直に避難すんだがんね。ビルの中んこつも推察ばめぐらさねえで、「煙が多いようだ」なあんて、しらじらしい。


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