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赤い国旗を振り回す中国人留学生は、文化大革命の赤い毛語録を振り回す紅衛兵を連想させる。つまり中国人は全然進歩していない
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投稿者 TORA 日時 2008 年 4 月 28 日 15:09:57: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
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http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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赤い国旗を振り回す中国人留学生は、文化大革命の赤い毛語録を
振り回す紅衛兵を連想させる。つまり中国人は全然進歩していない。

2008年4月28日 月曜日

◆文革マーチ奏でる虐殺五輪…紅衛兵気取るシナ群盲 4月20日 東アジア黙示録
http://dogma.at.webry.info/200804/article_9.html

反仏デモに押し寄せた中国の青年達、文革の紅衛兵を連想させる写真だ


(前略)

【仏資本スーパーへの波状攻撃開始】

米報道局CNNの次にターゲットとなったのは、フランスのスーパー大手カルフールだった。同社は、シナ国内にスーパー122店舗、ディスカウント店280店舗を展開している。

シナ棒リレーの華々しい抗議活動や、対シナ強硬姿勢を示す政治家の続出など、フランスは反虐殺五輪の急先鋒だ。そこでシナ国内に各都市に点在する仏資本が矢面に立たされることになった。

4月19日には、少なくとも7都市で同時多発的な抗議デモが起きた。湖北省武漢、安徽省合肥、山東省青島、雲南省昆明、そして北京、重慶、西安。

最もgoonsが群れたのは、恐らく武漢だ。市内のカルフール前に集まったシナ人の群れは、数千人規模にも上ったという。

当初、抗議者は2~300人規模。反仏スローガンや、チベット侵略を正当化するプラカードなどを掲げていた。それが、野次馬も巻き込んで1,000人を突破。市内のカルフール4店舗は休業に追い込まれた。

安徽省合肥では18日夜に抗議者が押し寄せ、陳列棚などを破壊。店員に暴行を加えたという。

大規模な同時多発デモである。果たして誰が、このカルフール波状攻撃のシナリオを描いたのか?

【抗議活動のコアは一般市民ではない】

仏資本の小売店を狙った反仏直接行動は、既に4月16日には顕在化していた。AFPは16日に雲南省昆明のカルフール前でヒートアップする憤青どもを撮影し、抗議が起きていることを速報。しかし、まだ広がりは限定的だった。

最近、シナ国内では「カルフールやルイ・ヴィトンがチベット亡命政府に資金援助している」とのデマ情報がネットで拡散。一部で不買運動の気運が高まっていた。パリのシナ棒回しから1週間以上経って、新たな標的に選ばれたのである。

17日には、陜西省西安のカルフールで抗議行動が繰り広げられた。だが、参加者も少なく、混乱は伝わっていない。

それが翌18日になると、山東省青島のカルフール店頭でフランス国旗が焼かれるなどエスカレート。参加する抗議者の数も激増している。

そして19日に爆発的な広がりを見せた格好だが、各地のデモでは一様に巨大な横断幕が用意されていた。ペンキ書きの素人レベルではなく、いずれも整ったものだ。

デモ参加者はネットに加え、携帯メールで連絡を取り合っていたという。憤青や一般市民による自発的な抗議行動を装っているが、共青団などの中共下部組織が背後にあったと推測できる。

3年前の上海反日デモも同様で、シナ国内では、公安と話をつけなければ、小規模のデモ活動すら不可能だ。しかも、ただ横断幕を持った連中が集まっただけではない。

安徽省合肥のカルフール前には、約40台の大型トラックが駐車場を埋め尽くして営業を妨害。空のトラックは誰が提供したのか…シナの運送会社には公安・軍が深く関わっている。強い後ろ盾があったのは、明らかだ。

19日は、後述する欧州での同時抗議に加え、北京のフランス大使館も狙われた。しかし、ステッカーを貼った車が何台か走り、散発的な抗議が行われただけで、治安当局が一帯を封鎖した。

自由国家ではなく、統制国家である。当局がバルブを閉めたり緩めたり、自在にできるのだ。憤青が「愛国」に燃えて立ち上がった…とするのは物語である。憤青が何人集まっても憤青に過ぎない。

【異論唱えた留学生を袋叩き】

憤青の特徴は、決して強大な権力には歯向かわない事である。一方で、弱い者は袋叩きにして憚らない。その代表的なケースが、米国留学生バッシング事件だ。

シナ棒がサンフランシスコで立ち往生した4月9日、ノースカロライナ州の名門デューク大学では、チベット支援学生と虐殺支持派のシナ人が対立。一触即発の状態になった。

そこで仲裁に入ったのが、チベット支援学生側にいた山東省青島出身の王千源さん、20歳だった。

その後、王さんは常軌を逸したバッシングを受けることになる。4月17日付のNYタイムズによれば、ネット上で「売国奴」と罵られ、古い顔写真から実家の住所まで晒され、殺害予告も受けた。

「帰国したらお前の死体は細切れになる」

さらに、実家には汚物もまかれたそうだが、これが憤青の実際のレベルだ。過激発言の一方で、実力行使となると悪質なイタズラ程度になる。またネット上では、王さんの親が書いたとされる謝罪の手紙も出回った。

RFA(ラジオ自由アジア)のインタビューで、王さんは、手紙が偽造であることを明かしたが、その内容は、謝罪というより、自己批判声明の色が濃かった。

個人を吊るし上げて自己批判させる…それは正に文化大革命当時を思わせる光景だ。チベット大虐殺隠しで強硬姿勢を貫く中共政府、そして反対意見の糾弾に加勢するシナ人民。

大陸には、文革の悪夢が甦っている。

【人民戦争…紅衛兵気取りのシナ群衆】

植民地チベット人の抵抗に対し、中共侵略政府は「人民戦争」を宣言した。

この「人民戦争」とは、毛沢東らが理屈付けした特殊な概念で、毛選集にも度々登場。紅軍・初期の中共軍が掲げた戦闘概念で、銃後の農民らと一体になって持久戦を遂行するというものだ。

3月中旬以降、中共当局者は、北朝鮮並みの過激なトーンで、チベット平和勢力を糾弾し続けている。そこに文革時代の匂いを逸早く嗅ぎ取ったのは、シナ知識人達だった。

3月22日、シナの著名な反体制評論家・劉暁波氏や作家の王力雄氏ら30人が12項目の緊急声明を発表。その4項目で、こう指摘している。

「我々は共産主義指導部が口にする文革時代のような言葉が事態の収束には何ら役に立たず、政府のイメージを悪化させると認識する」

シナ各地の反仏デモでは、若者が毛沢東の肖像を掲げて行進する姿が見られた。連中がシンボルに戴いたのは、胡錦濤ら現行指導部ではなく、遥か旧時代の毛沢東だった。

非常に無気味な現象であると同時に、現在のシナの言論状況を的確に反映している。欧米の論調を歯牙にもかけず、自己陶酔型の幼稚な主張を繰り返すシナ人たちは、正に紅衛兵気取りである。

そして、中共スローガンを連呼しているのは世間知らずのドメスティックなシナ人だけではない。

【五輪に向け文化大革命マーチ始まる】

4月19日はシナ国内のみならず、欧州の都市でもシナ人の同時抗議が行われた。パリやロンドンには1000人を超すシナ人が集まり、中共政府の主張をトレースした。

大規模動員の核となったのは、デューク大もそうだったように、エリートコースを約束された留学生たちだ。そこに、89年の第二次天安門事件と今次の決定的な違いを発見する。

六四事件が発生した際、米国内のシナ留学生有志は団結して中共の弾圧に抗議した。民主化勢力に対する指導部の弾圧を力強く非難。帰国を拒み、その後の人生を大きく変えた者も多かった。

シナ人自身による批判の高まりは、先進国の対シナ感情を大きく変え、将来的にシナが常識国に変貌する予感を抱かせたのだ。そして当時、獄中にあった魏京生氏などは悲劇のヒーローとなり、救出活動が花開いた。

しかし現在のシナ留学生は、多様な報道にタッチできる環境にあっても、中共の偏向報道を鵜呑みにし、チベット問題では前時代的な植民地主義から離れられない。

彼らは他国の首都で、その国の政府などを批判する自由を謳歌している。また、欧米メディアが時に自国政府を猛批判する事実も知っているだろう。シナ国内では一切禁じられている事柄だ。

その矛盾を抱えつつ、中共侵略政府を援護し、大虐殺支持を絶叫する姿は滑稽である。欧米の識者は、そのようなシナ人に抵抗感を覚えると共に、中共が自己変革できないことを再認識したに違いない。

六四事件以降の19年間で進歩がないばかりか、シナ人は確実に退化している。しかも文革時代というレトロな時代への逆行だ。

毛沢東が進めた文革の致命的な欠陥は、一旦加速すると誰もブレーキを掛けられない事だった。過激発言を繰り返す現在の中共指導部は、このままアクセルを踏み続けるしかない。

多くのチャイナ・ウォッチャーは、北京虐殺五輪を前にして中共がソフトイメージを醸し出すと読んでいたが、実際はその逆だった。

虐殺五輪は文革時代のマーチが奏でられる中で行われる。

ナチス五輪を凌ぐ、毛沢東讃歌の狂気の政治ショーが、この21世紀に開かれようとしているのだ。


◆憎悪と破壊の「文化大革命」 国際派日本人養成講座
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog110.html

■1.紅衛兵登場■

 1966年5月25日、北京大学の学生大食堂に、学生や教職員が 押し寄せ、騒然とした空気が広がった。東の壁に巨大な大字報(壁新聞)が貼り出されていたのだ。学長の陸平ら、大学や北京市の共産党幹部が名指しで批判され、「毛沢東思想の偉大な赤旗を高く掲げ、すべての妖怪変化とフルシチョフ流の反革命修正主義分子を一掃し、社会主義革命を最後までやり抜こう」と主張していた。

 6月1日夜、中央人民放送局は、これを「全国初のマルクス・レーニン主義の大字報」と称賛し、翌日、党機関紙「人民日報」にも、大字報の内容が「歓呼を送る」との論評つきで転載された。陰で共産党中央が動いているに違いない。陸平の心は凍った。

「われわれは紅色政権(赤い政権)を防衛する衛兵である」 北京の精華大学付属中学に張られた大字報の署名は「紅衛兵」。党幹部の子弟たちは毛沢東神格化が強まる中で育ち、「毛沢東思想による革命継続」に熱狂した。学内には大字報があふれ、紅衛兵たちは町に繰り出してデモを行った。[1,p128]

 この騒乱を劉少奇国家主席は深刻に受け止め、トウ小平党総書記とともに、杭州で静養中の毛沢東のもとへ飛んで、事態の収拾に乗り出すように求めた。

 しかし、毛沢東は軽く手を振り、「乱れるにまかせればよいではないか」と言い放った。しばらく帰京する気はないので、二人で臨機に問題を処理するように、と答えた。劉少奇は、まだ騒乱の真の標的が自分である事に気がつかなかった。[1,p131]

■2.誰が「中国のフルシチョフ」なのか?■

 この10年も前、56年2月にソ連の党第一書記フルシチョフはスターリンの独裁を批判する秘密報告を行った。神格化され、無謬性が信じられてきたスターリンの偶像は徹底的に破壊された。

 毛沢東は激怒しつつも、「中国にも修正主義が現れ、自分も死後に鞭打たれるのだろうか?」と疑心にとらわれた。「誰が中国のフルシチョフなのか?」[1,p140]

「大躍進」政策が破綻し、59年には国家主席の地位を劉少奇に譲った。その修正主義的政策は着々と成功を収めている。このままでは、自分はいずれスターリンと同じ末路となる。この危機を打開するために考え出したのが、大衆動員によって、党の外から修正主義者達を打倒しようとする「文化大革命」であった。

 しかし、戦術の天才・毛沢東はいきなり、本丸の劉少奇を攻撃して、自分の思惑を明かすようなことはしない。まず北京の学生たちが、北京大学や北京市の党幹部を「反革命」と糾弾する。誰が誰を攻撃しているのか、分からないうちに、国家全体を混乱に陥れ、それに乗じて劉の失脚を狙うという遠大な戦法であった。(後略)


(私のコメント)
聖火リレーはオーストラリアから日本に着き韓国へ渡りましたが、各地で赤旗を打ち振る中国人留学生によって、聖火リレーの沿道は占拠された形となった。旗は中国から送らせて大使館でただで配られたようだ。旗は結構高くて、チベット旗を買おうと思ったら90センチ足らずの旗が2000円もする。中国人留学生が持っていた旗は2メートル以上の大きな旗ですが、日本で買えば10000円以上はする。

中国では共産主義革命以来、イデオロギー優先時代と現実主義的な路線を揺れ動いており、現在は極端な現実路線を突っ走る形になっている。貧富の格差は極端に広がり、取り残された9000万人もの貧しい農民は年収が100ドルにも満たない。中国では暴動が年間8万件も起きている。

まさに中国はガスが充満した状況であり、1966年当時の文化大革命が起きた頃によく似ているのではないかと思う。経済が順調に拡大している間はいいが、停滞が起きると不満が爆発する。留学生達は恵まれた共産党幹部などの子弟が多いから、本国から指令が飛べば中国人留学生達は一斉に行動する。

中国人留学生達は一面では学生であるが、また別の面では政治活動家でもあるのだ。だから聖火リレーでは全国から数千人もの動員がかけられる。中国人の評論家などは組織的なものではないと言っているが、大学ごとのサークルで集まって、大使館から細かな指南書まで出されていた。

◆中国当局? 聖火支援学生らにマニュアル指南 4月25日 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080425/chn0804252353019-n1.htm

留学生は政治活動は行なわない取り決めがあるはずなのですが、日本の警察は中国人留学生に対しては政治スローガンを掲げてもお咎めはないようだ。日本人はいくら厳しく取り締っても問題は起きないが、中国人留学生を暴力行為で逮捕すれば外交問題になる。だから中国人が車を箱乗りしようが警察はお咎めなしだ。捕まった6人は日本人か中国以外の外国人だった。

このような傍若無人な中国人留学生を放置していれば、日本国内で文化大革命を引き起こしかねない。国会では外国人の地方参政権や人権擁護法案がまた動き出していますが、彼らの組織立った行動が地方政治に影響を与え始めればどうなるのだろうか? 市町村役場を赤旗を持った活動家が数千人も取り囲んだらどうなるのか分かるはずだ。土曜日に長野で起きたことを連想すれば十分にありうる。

問題は中国国内がどうなるかですが、振り子が一方に振られたままというのはありえないのであり、時期はわからないが改革開放政策の揺り戻しはきっと来るはずだ。北京オリンピックは中国にとってはパンドラの箱であり、IOCはきっと中国でオリンピックを開いた事を後悔するだろう。

中国で行なわれた2004年のサッカーのアジアカップがその予兆となる事がおきたのですが、極端な愛国運動から日本チームの乗ったバスが襲われたり、大使館の公用車が壊されたりした。おそらく北京五輪でも中国の観客から欧米チームなどに罵声や政治的なプラカードが掲げられるかもしれない。

チベット暴動は未だにはっきりしませんが、情報が封鎖された状態では国民も疑心暗鬼になりやすく、パニックも起きやすくなる。しかしネットなどで瞬く間に情報が広がるから政府もうかうかしていられない。文化大革命や天安門事件などは政権の交代をもたらしましたが、オリンピックを利用した愛国デモは胡錦濤に対する揺さぶりの意味があるのかもしれない。冒頭の写真を見ても毛沢東の肖像を掲げるなど文化大革命を連想させる光景だ。

「東アジア黙示録」で指摘されるように中国人は進歩するどころか退化してしまっているように見える。天安門事件の頃はアメリカに留学していた中国人留学生は北京政府の弾圧に抗議するだけの見識は持っていた。しかし今回のチベット暴動に対する弾圧に抗議する留学生はいないようだ。

中国における経済発展による中華思想が甦って、米中による世界支配体制まで構想している様に見える。軍幹部同士の会談では米中によって太平洋を東西で分割支配する構想まであるようだ。誇大妄想的な中国人らしい発想ですが、狂った中国を彷彿とさせるニュースだ。だから聖火リレーが妨害されただけで、国内では反仏デモが起きる。

文化大革命は毛沢東が神格化された教育を受けた中から発生した運動ですが、今回の場合は江沢民時代の愛国教育を受けた世代が反仏デモの主体になっている。このような排外思想が外資系のスーパーなどへの抗議につながるのですが、放置していれば文革のような「中国の失われた20年」が再発するだろう。


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