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イエス様の話:「カルマからの脱出」とは : イエス・キリストを信じる信仰で、イエスの義を受けることです
http://www.asyura2.com/08/bd52/msg/433.html
投稿者 堀奈 日時 2008 年 3 月 23 日 09:59:28: BV7dSl6KiUiyA
 

(回答先: イエス様の話:「カルマからの脱出」とは「自分を神に明け渡し、自我を捨てること、すると、人は神に合一すること、そうすると、 投稿者 ヤハウエハのタタリ、祟りじゃ〜!! 日時 2008 年 3 月 22 日 04:10:09)

 いつもためになる話を聞かせてもらっています。関連ある話で、「魂の狩人ニムロデ」の話を紹介しておきます。

http://www.goodnews.gr.jp/jp/06Library_files/noa/noa_all/n_49.htm
偽り宗教の創始者ニムロデ

今まで、創世記に現われたノアの洪水について話してきました。今日は、創世記10章に現われたニムロデについてお話しします。

クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。ラマの子孫はシェバ、デダン。クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」と言われるようになった。(創世記10:7〜9)

 猟師に関する話が、聖書に時々出てきますが、エゼキエル書では、偽りの預言者を猟師と言っています。多くの人々が偽りの預言者に魂を奪われ、彼らの所有物になってしまい、死に渡されるみじめな姿を表わすために、聖書では、偽りの預言者を魂を狩る猟師と言い表しました。

 ノアの三人の息子の中の一人であるハムの息子クシュが、ニムロデを生みましたが、彼は地上で最初の権力者となり、主のおかげで力のある猟師になりました。彼が主のおかげで力ある猟師になったということは、人の魂を狩る猟師になったことです。多くの人々は、聖書で言っている猟師が、どのように人の魂を狩るのかについて考えて来ました。

 そこで、創世記10章10節には、彼の王国の初めは、バベル、…という話が出て来ます。したがって、ニムロデがバベル塔を建てた本人であることが分かります。黙示ではバベルに対する裁きがある時、そのバベルの商品の一つが、「人の霊魂」であることを言っています。

 ほとんどの人々は、信仰についてよく知らないため、自分たちの霊魂が神の前で、どれほど重要なものなのか分からないまま、自分が好む何かのことや、自尊心、体面のために、単に自分の霊魂を売ってしまう場合がよくあります。ですから、偽りの預言者たちが現われ、人々の霊魂を狩ります。今までの聖書の歴史を考えてみると、人々が神の前に出て行こうとする時、その道をさえぎる霊的な勢力が、確かにありました。

 その勢力が、バベル塔のような大規模な塔を建てて、神の前に出て行こうとする心を止め、神から離れて、ほかの所に行くようにさせたのです。旧約の時代、イスラエルの民たちがエジプトから出て、荒野の生活をした時、金の牛を造る罪を犯しました。それがなぜ罪なのかというと、神に向かうべき民たちの心を、神ではないものに心を取られるようにさせたためです。

 そのようなことは、バベル塔を建てたニムロデの時代からしきりに続けられました。旧約聖書を見ると、二つの大きな城が出て来ますが、その一つがまさにニムロデが建てたバベル塔の根源であるバベル城で、もう一つはエルサレム城です。黙示の最後のところを見ると、バベル城はのろわれ、エルサレムが天から下って来ます。(黙示21:2)

 旧約時代から続けられた聖書の歴史は、バベル城とエルサレム城の戦争の歴史でした。ある時期は、エルサレムにいたたくさんの人々が、バベルの捕虜として捕えられて行き、エルサレムにあった神殿の道具まで、バベルに取られてしまいました。しかも、名前、言語、食べ物、彼らの信仰まで取られたことを、ダニエルを通して分かります。

 そのような方法で、サタンが神ではないものを、神のように思わせて造った宗教をバベル城、バベル塔と言います。偽りの宗教の創始者は、まさにニムロデという人ですが、彼は力ある猟師で、地上の最初の権力者でした。すなわち、彼は特別な霊的な力を持って、人の心が神に向かうのをさえぎり、自分に従うようにさせたのです。

 幾つかの例だけでも、偽りの宗教と真の信仰の差がすぐ分かります。しかし、それよりまず私たちが知っておくべきことは、神の思いは、人間の思いと異なるので、人間が神のところに出て行くためには、自分の思い、意志を捨てなければならないことです。
神は、

わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、(イザヤ55:8)

と言われました。ですから、

主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。(イザヤ55:6,7)

と、聖書は言っているのです。私たちの思いは、アダムが善悪の知識の木の実を取って食べてからは、私たちの考えるすべてをサタンが握っているのです。私たちの心にある憎み、淫乱、むさぼりなどは、私たちの中から芽生えるものではなく、サタンが私たちの心の中に、そういう思いを入れているためです。

 特に、ヨハネ13章を読んでみると、悪魔がイスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れたことが分かります。その思いを入れる前までは、彼の心にイエスを売ろうとする思いが全くありませんでした。悪魔が彼にイエスを売ろうとする思いを入れてから、彼の心にイエスを売ろうとする思いが芽生えて来ました。彼はどうして自分がそのように思うのか知らないまま、ただその思いに従いましたが、その思いを主観する本人は、まさにサタンでした。

 サタンは、イエスの12弟子の一人であるイスカリオテ・ユダだけ誘惑したのではなく、今日、地上に住んでいるすべての人々を誘惑しています。サタンが彼を誘惑したように、今私たちの心の中にも、淫乱な心、欲望、憎しみなどを、ある人には「自分の思いが絶対正しい」「私の信仰は正しい」という高慢な思いを入れ、尊い神の御心を受け入れることができないようにさせます。

 私たちの思いは、神の思いと根本的に異なるため、私たちの思いを「直して」神の前に出られるものではありません。ですから神は、「悪者はおのれの道を捨て、不法の者はおのれのはかりごとを捨て去れ。」と言われました。イエスも「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、」と言われました。私たちは自分の思いと異なる時、自分の思いを「捨て」、神の御言葉を受け入れなければなりません。

 いくら信仰が強い人であれ、自分の思いを持って聖書を読むと、聖書を自分の思いどおりに理解して、神が私たちに教えようとする方向とは全く違う方向に行ってしまいます。サタンはそれを利用し、聖書を読む時、多くの人々の思いを宗教的な方向に引っぱって行きます。

 宗教的な方向に導かれるということは、たとえば聖書の内容の中で、「盗んではならない。」「殺人してはならない。」「姦淫してはならない。」という御言葉を読みます。このような御言葉は、私たちから聞いても良い話なので、それに従って、道徳的に良い生活をしようとする場合、それが正しくないと言う人は一人もいないのです。ですからニムロデは、人の霊魂を狩る時、人間的な善行や道徳的な善を追求し、また、それを教えることにより、自分の善の中に陥っていて、神が私たちを善で、義とみなされることについては、関心を持たないようにさせるのです。

 神は、私たち人間自ら善になることは不可能だと言われました。神がご覧になる時、人間の中には善が住んでいないのです。自分の中に善が住んでいないことを知れば、自ら善を行おうとしてがんばるべきではなく、イエス・キリストの恵みの前に出て来て、「主よ!私は善を行うことができません。あなたが私を哀れんで下さい。」と言って、自分の行った善に頼らずに、ただ主を信じる信仰で、神の前に出るようになります。もし、私たちがそのような人生を歩むと、私たち自身を否定し、神の前で自分の善を否定するようになります。すると、神の聖、義、完全が私たちの中に臨まれます。

 私は多くの人々に、イエスを信じて義と認められることについて話して来ました。すると、人々は、「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10)と言って反発しました。しかし、聖書の他の箇所を見ると「義人」という言葉がたくさんあります。ソドムとゴモラの町は、義人10人がいなくて、その町全部が滅びてしまいました。ですから、ソドムとゴモラの町には、義人が10人まではいなかったのですが、義人がいたのは確かです。そして、パウロは、ローマ1章17節で次のように言いました。

義人は信仰によって生きる。

ヤコブは、ヤコブ5章16節で、次のように言いました。

義人の祈りは働くと、大きな力があります。

 このように、聖書の中には確かに義人がいるのに、どういう人が、「義人がどこにいるのですか?」と聞くのか分かりますか? そういう人は、神が自分を義とみなされたことを知らず、自分で善を行い、自ら義と認められようとしてがんばる人です。自分で義と認められようとしてがんばって、うまく行かないと、初めて『あ!自分の力では義と認められない。自分の義ではだめだ。』と感じるようになります。それを真剣に感じた人々は、イエスの前に出て来て、哀れみを求め、イエスの義を受けることができます。

 パウロが、「私は義人です。」と言ったのは、自分の義で義人になったと言うのではありません。信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる。(ピリピ3:9)と言いました。自分が清く生きて義とされたのではなく、神から与えられた義を持ったのです。

 私たちは清くないのですが、神が私たちに義を与えて下されば、私たちは義人になるのです。それは、徹底的に私たちの行いによるではなく、神によるものです。ところが、多くの人々が「宗教」という清く見える名の下で、人間に善を要求し、言われた通りに生きようとしてがんばって行くうちに、自分の善に自己満足し、神の恵みを受けることができなくなってしまいます。ニムロデが猟師になり、人の霊魂を狩る方法が、まさにそのような方法です。

 もし、皆さんが信仰生活をする時、自分の力で義と認められようとしているならば、それはニムロデに騙され、滅びる道を歩んでいることです。私たちが義と認められる方法は、ただ一つ、イエス・キリストの前に出て行って、「私は絶対に義と認められません。」と言って自分を認め、イエス・キリストを信じる信仰で、イエスの義を受ける方法だけです。そうしないと、決して完全な義を受けることができません。

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