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Re: 地球を作った国常立尊の神が説くこの世とあの世の構造と死という意味が一番甘く説明されています。
http://www.asyura2.com/08/bd52/msg/545.html
投稿者 ヤハウエハのタタリ、祟りじゃ〜!! 日時 2008 年 4 月 07 日 03:30:18: DO6P.hRyTTh86
 

(回答先: Re:神の作った見えない世界の構造の図式化(地上を中心に図式化しましたので、ご覧下さい) 投稿者 ヤハウエハのタタリ、祟りじゃ〜!! 日時 2008 年 4 月 07 日 03:24:25)

(死後の世界について)


 国常立尊(くにとこたちのみこと)の通信によれば、死後の世界については聖書よりも詳しく説明されている。日本の古事記や日本書紀の中で説かれる地球創造神の龍神で、地球創造後もずっと地球の進化と人霊の進化に関わりを持ってきたと述べる神である。

 ある時から、地獄の閻魔大王として人々が犯罪者として地獄へ落ちて来る者たちを改心させるために、陰からの守護を行ってきたという。

 時が満ちて、この地球も太陽系や銀河系の進化と共に、地球が新たな段階へと入った。これは地球が造られた時から、決定されていたことだという。それは一言で言えば、霊は肉体世界での進化を終わり、次の魂、霊としての進化の段階に入ったという。だから、この地球世界では物質世界を卒業して、霊として生きる時代となった。

 それだけに人の転生輪廻についてもその真実を語っている。ある意味で仏教の説く世界よりも詳細である。もともと、国常立尊はこの世に釈迦もマホメットもキリストも人の生き方を説く聖人として送ったという。彼らの説いた世界の元は国常立尊にあるという。この意味で、国常立尊の死後の世界を紹介します。私の話しの内容は霊的世界に心が開かれた人を対象にします。セミプロ級の言い方になりますが、聞いている方もセミプロ級の方が多いと思われます。参考にされたい方は押し付けは致しませんので、考えるヒントにしてください。会費とか規約とかの面倒くさいことは何もありません。使用する文献は「日月神示」という教典の「地震の巻」を使います。「地震の巻」とタイトルされていますが、地震の話しは出てきません。あるのは、死後の世界の地獄の世界の閻魔大王として「人としての姿」が記載されています。

<死後の世界>

「・・・人間が、一度死の関門をくぐり、肉体を捨てた場合は、霊そのものの本来の姿に帰るのであるが、それは直ちに変化するものではなくして、暫時(しばらく)その状態に入るのである。
第一は極外の状態、第二は外の状態、第三は内的状態、第四は極内的状態、第五は新しき霊的生活への準備的状態である。七段階と見る時は、内と外との状態を各々三段階に分け、三つと見る時は内、外、準備の三つに区分する。」
(原典日月神示地震の巻 第十六帖)

 人間は死ぬと、霊が肉体から抜け出して、本来の姿に戻る。死んで間もない数日間は霊によっては自分が死んだことに気づかず、肉体のある場所にとどまり、何か夢を見ているような状況で過ごすらしいです。

 その間に、霊は第一は極外の状態、第二は外の状態の死んでよくわからない状態を過ごし、第三は内的状態、第四は極内的状態を経てどうも死んだらしいということに気づく。そして、第五は新しき霊的生活への準備的状態に入るという。

 丹波哲郎の映画の大霊界の継続シリーズで「前世を知って生まれ変わった少年」の映画があります。これなどもを参考にすると、紹介する事項がよくわかります。

 人間は完全なものはいないのであって、完全になろうと努力すること、その姿勢が大事だと思います。開き直らずに、生き方を求める姿勢が大切なのだろうと思います。

(死んだ者は中幽界とか精霊界とかいわれる場所に行き、自分の姿を確認する)

<死の世界>を入った者達は地上で数日過ごし、そのまま中幽界と呼ばれる場所へ昇って行きます。ここは死者が自分の魂がどんなものかを悟るための場所で、自分の生きた人生を走馬灯の如く振り返る場所で、その悟り具合が自分の行くべき世界を決めるといいます。「三途の川」があるところです。

 その時間は日本の神道では50日前後、仏教では49日、キリスト教では7日と言われていました。キリスト教の七日は死後の世界の時間ですが、仏教でいう初七日、一七日(7日)二七日(14日)、三七日(21日)、四七日(28日)、五七日(35日)、六七日(42日)、七七日(49日)にたいおうしているかもしれません。そうだとしたら、奇しくも仏教とキリスト教も、日本の神道も同じとなります。


<中幽界(欧米では精霊界という)について>

「地獄はないのであるが、地獄的現れは、生前にも生後にもまた死後にもあり得る。しかし、それは第三者からそのようにみえるのであって、真実の地獄ではない。大神は大歓喜であり、人群万類の生み主であり、大神の中に、すべてのものが成長しているためである。
 死後、一先ずおかれる所は、霊、現の中間であり、其処では中間物としての中間体を持っている。意志のみでは力を生まない。理解のみでは進展しない。意志と、理解との結合によって弥栄する。このことは、中間の状態、すなわち、死後の最初の世界において、何人もはっきりと知りえる。
 しかし、生存時に於いて、既に過去を清算している霊人は、この中間世界にとどまる必要はなく、その結果に対応した状態の霊界に、直ちに入るのである。清算されていないものは、清算が終わるまで、この中間世界にとどまって努力し、精進、教育される。
 その期間は五十日前後っと見てよいが、最も長いものは十五、六年から二十年位を要する。この中間世界から天国的世界をのぞむ時は、光明に満たされている。故に、何人も、この世界に進みやすいのである。また、地獄的な世界は暗黒に満たされている故に、この世界に行く扉は閉ざされているのと同様であって、極めて進みにくいのである。天国には昇り易く、地獄にはおち難いのが実情であり、神の御意志である。しかし、この暗黒世界を暗黒として感ぜずして進みゆくものもあるのであって、そのものたちには、それがふさわしい世界なのである。其処に、計り知れないほどの大きい広い、神の世界が展かれている。この地獄的暗黒世界は、暗黒ではあるが、それは比較から来る感じ方であって、本質的に暗黒の世界はなく、神の歓喜は限りないのである。
 以上の如く、中間世界からは、無数の道が無数の世界に通じており、生前から生後を通じて、思想し、行為したことの総決算の結果に現れた状態によって、それぞれの世界に通ずる道が自らにして目前に開かれてくるのである。否、その各々によって、自分自身が進むべき道をひらき、他の道、他の扉は一切感覚し得ないのである。
故に、迷うことなく、自分の道を自分で進み、その与えられた最もふさわしい世界に落ち付くのである。他から見て、それが苦の世界、不純な世界に見えようとも、当の本人には楽天地なのである。何故ならば、一の世界に住むものには、二の世界は苦の世界となり、二の世界に住むものには、一の世界はまた苦の世界と感覚するからであって、何れも自ら求むる歓喜にふさわしい世界に住するようになっているのである。また一の世界における善は、二の世界では善はなく、二の世界の真が一の世界に於いては真でもない場合が生じてくる。しかし、その総ての世界を通じ、更に高きに向って進むことが、彼らの善となるのである。ゝは中心であり、大歓喜であり、神である。
 死後の世界に入る時に、人々は先ず自分の中の物質を脱ぎ捨てる。生存時に於いては物質的な自分、すなわち、肉体、衣類、食物、住宅などが主として感覚の対象になるから、そのものが生命し、且つ自分自身であるかの如くに感ずるのであるが、それは自分自身のほんたいではなく、外皮に過ぎない。成長し、考慮し、行為するものの本体は、自分自身の奥深くに秘められた自分、すなわち霊の自分である。霊の自分は、物質世界にあっては物質の衣(肉体)をつける。故に、物質的感覚は、その衣たる物質的肉体のものなりと錯覚する場合が多いのである。・・・・・」(原典日月神示地震の巻 第十七帖)

 生存時に於いて、既に過去を清算している霊人は、この中間世界にとどまる必要はなく、その結果に対応した状態の霊界に、直ちに入るのである。こうありたいものです。

<中幽界とか精霊界へ行けば、自分の本性が現れる。そして、自分の魂の住む世界が決められる>

「死後の世界に入った最初の状態は生存時と殆ど変化がない。先に霊人となっている親近者や知人に会し、友に生活することも出来る。夫婦の場合は、生存時と同様な夫婦愛を再び繰り返すことが出来るのである。霊界は、想念の世界であるから、時間なく、空間なく、想念のままになるのである。しかし、かくの如き死後の最初の状態は長くは続かない。何故ならば、想念の相違は、その住む世界を相違させ、その世界以外は想念の対象とならないからである。しかして、最初の状態は、生存時の想念、情念がそのままに続いているから、外部的なもののみが強く打ち出される。故に、外部の自分に、ふさわしい環境におかれるが、次の段階に入っていくと、外部的なものは暫時うすれて、内分の状態に入っていくのである。内分とが外分とは、お互いに相反するが、霊人の本態は内分にあるのであるから、この段階に入って始めて本来の自分にかえるのである。生存時に於いては、地上的な時、所、位に応じて語り、行為するが為に、限られた範囲外には出られないが、内分の自分ともなれば、自由自在の状態におかれる。
 生存時に偽りのなかった霊人は、この状態に入って始めて真の自分を発見し、天国的光明の扉をひらくのである。偽りの生活にあった霊人は、この常態に入った時は、地獄的暗黒に自分自身で向かうのである。かくすることによって、生存時に於けるあらやる行為が清算されるのである。この状態に入ったならば、悪的なものは益々悪的なものを発揮し、善的なものは善的力を益々発揮する。故に、同一の環境には住み得ないのである。かくして、諸霊人は最後の状態になり、善霊は善霊のみ、悪霊は悪霊のみ、中間霊は中間霊のみの世界に住み、善霊は善霊のみの、悪霊は悪霊のみのことを考え、且つ行為することになる。そして、それは、その時の各々にとっては、その時の真実であり、歓喜である。」
(原典日月神示地震の巻 第ニ帖)

*霊の世界でいう「外分」「内分」について
あなたは自分を考える時に、自分にくっついているもので考えますか?たとえば、くっついているものとはこんなものです。
@東京で生まれた。 A金持ちの家に生まれた。 B家は家柄血筋がよい。 C山の手に住んでいる。
D父親と母親は東大を出ている。 Eわたしも東大を出る。 F父親は高級官僚であり、政治家である。大きな会社を経営している。 G財産が沢山ある。 H人が自分をもてはやしてくれるのは当たり前である。
I人生は勝たねばならない。人生は競争である。 J勝つためには罠を仕掛けて陥れことは当然である。
K人から馬鹿にされないように身の回りや持ち物をブランド物で飾らなければいけない。
L出世するためには強い奴に付いた方が勝ちである。 お歳暮やお中元を上司に贈らなければ出世は出来ない。部下が贈り物をしてこないから、出世させない。

@からGまでは自分の力で手に入れたものではありません。だから、これは外分となります。外分を死後の世界に持ち越しても、それは役に立ちません。死後の世界にはお金もないので、お金のことを話しても、お金を使って人を思いのままに支配しようと思っても、意味がありません。お金の必要性がないのです。死んだ人の意識からどんどんそんな感覚が失われていきます。
HからLは自分を偉く見せようとすると、その人の性格なり気質なり、人生観に、すなわち、内分になります。内分=その人の性格や価値観や生き方になります。
内分という性格や気質や性分や人柄はその人の本性になります。霊の世界では最終的にはこれしか残りません。残酷な性格を持った人は霊になったらその本性をあらわにし、そんな性格を持った人たちだけが住む世界へ行きます。


(参考文献)

霊界の様相については、霊界通信と呼ばれる本を読んでみたりするといいです。上の記述を補えますし、イメージが湧きます。

「霊界通信小桜姫物語」     潮文社出版
「死後の世界」 JSM ワード 潮文社出版(上)
これは精霊界すなわち中幽界と天国の世界が書かれています。
「死後の世界」 JSM ワード 潮文社出版(下)
「地獄から上がってきた陸軍士官」という形で、地獄の様相が書かれています。

 映画「ゴーストニューヨークの幽霊」
 映画「夢」
 黒澤明監督の映画で一番最後の場面が地球天国界の一番下、地球第一天国が出てきます。昔の牧歌的な日本の田園風景が出てきます。地上にいる我々が天国へ行く一般的な天国界です。第二天国界とか第三天国界は生きるという事を真剣に考えた霊が行くようです。


 こんな世界をイメージして、聖書や聖典や通信物を読まれれば、どれが本物かが分かると思います。真偽色々な話が書店には一杯並んでいます。何が本物かを知るにはこんな予備知識を持っていれば何となく分かると思います。私の場合は幽体離脱をもとにこのような結論に達しています。

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