★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ53 > 286.html
 ★阿修羅♪
表現の自由と「ひっかかり」 (nagoyan)
http://www.asyura2.com/08/bd53/msg/286.html
投稿者 そのまんま西 日時 2008 年 6 月 05 日 01:11:52: sypgvaaYz82Hc
 

表現の自由と「ひっかかり」 (nagoyan)
作成日時 : 2004/11/20 19:07

「表現の自由」というのは、通常、次の二つの根拠から正当化される。

まず、個人の人格的発展にとって、表現の自由は不可欠である、とするもの。表現者の側からは、感覚的に理解しやすい根拠なのではないか。

次に、民主政過程に不可欠な権利だから、というもの。この考えは、情報の発信者側と受信者側との両者の存在が前提されており、その両者の間に情報が流通することが民主政にとっての基盤となると考える。

少し、説明が必要かも知れない。民主政は、国民が選挙などを通じて、代表者と政策を選択する制度といえるが、その前提として、国民が代表者や政策について的確な知識を有していなければ、適切な選択ができない。そこで、国民は、的確な知識を獲得する権利を必要とするであろうが、何が、的確であるかを代表者が決定することは、前の前提に矛盾し、できない。つまり、代表者が不的確であると思う情報も含めて、国民に与えられなければ、国民は代表者や政策を的確に判断することが出来ない、ということになる。

 ということは、国民はありとあらゆる情報を受領する権利があることになり、これに対応して、表現者の側も情報を発信する権利があることになる。裏返せば、表現者は民主政過程に働きかけようとするためには、実際には客観的に誤っていても自己が正しいと思う情報を発信する権利があり、受信者の側は表現者の主観的な意図と無関係に自己の判断に利用するために情報を受領する権利がある、ということになる。(民主政にとって不可欠な権利としての表現の自由を基礎づける議論としては、他に、たとえば、「思想の自由市場」と呼ばれるような議論もあるが、そのような市場が存在するか、議論のありうるところだろう。一応、以上のような説明でも、用は足りるのではないか、と思う。)

さて、後者の考え方からすれば、一般論としては、受信者に提供される情報の量が多いほど、受信者側が選択の幅をますことができるので、情報の流通を制約することはできるだけしない方がよいということになる。
憲法が表現の自由(21条1項)を保障し、検閲を禁止する(21条2項)のは、以上のような理由からである。

憲法の標準的な教科書を紐解けば、どこにでも書いてあり、かつ、理解するにも5分とかからないような、ある意味、当然過ぎることをくだくだ書いているのは、ちょっと気になる記事を見かけたからだ。

それに、この範囲の話題は、わたしが愛読させていただいているstandpoint1989氏の「トラックバックとコメント」(http://standpoint1989.cocolog-nifty.com/hello/2004/11/post_8.html)以来、気になっていた。そして、この記事に前後する関連記事をなにげに読んでいたのだが・・・。

ええと、まず、最初に予防線をはっておくと、話題になっている方々の記事をろくに読んでいないので、その内容について言及する資格は、わたしには、まったくない。
しかも、わたしが、これから言及する記事については、お書きになっている内容について、ほとんど、同意できる。

つまり、「知識」があると他人から思われれる、あるいは、そう期待している人は、「知識」において劣位にある、あるいは、そう思っている人に対して、ある意味で権威であり、ときには、「権力」的でさえあるのだから、そういう人は、自己が発する言葉に対して、いっそう、厳しくあるべきだ、あるいは、用心深くあるべきだ、という表現者としての心構えを説いているものと、わたしは、理解する。

たとえば、民放のお気楽なワイドショーにおいて、何の資格があってこの問題にコメントするのかよくわからない「コメント力を鍛え」た有田さんや、ミラーマンこと植草さん、たちの、ほとんど放言に類するようなコメントには、ほんとに辟易させられる(た?)ことを思えば、記事のご主旨には、全く同意というほかない。

しかし、一点だけ、「ひっかかる」ことがある。
「彼に対し責任ある立場のものを通じて黙らせることは穏当な解決法であると考えている」(隅田清次郎残日録「云えないこと」http://sudas.cocolog-nifty.com/main/2004/11/post_11.html

新聞社に記者の誤りを指摘するのは、「親切」である。
しかし、一ブロガーに「責任あるものを通じて黙らせる」ことは、どうなのか。
わたしは、考え込んでしまう。個別的には、その方が、問題を手早く解決しうるのかもしれない。そして、その方が「穏当」であることも、確かにあり得よう。

しかし、相互チェックはともかく、相互「検閲」となるのでは、一般のユーザーに対する萎縮効果が大きすぎるように感じる。一個の行為の是非とは別に、その行為の波及する全体的な意味を考えるとき、その行為についての当否が行為自体の当否と別に判断されうる場合がある。
今回のケースは、まさにそれにあたるように感じる。

言論には、対抗言論で。

ある言論が「否」ならば、その言論の「否」なることは、言論によって明らかにされなければならない。もし、なにがしかの言論外の「力」によるのならば、それは、当のその言論にとって脅威であるだけなく、すべての言論にとって脅威となる。とくに、その言論が「否」であることがその理由(これを「内容規制」という)であり、その「否」であることが不明確な場合には、言論一般に対する萎縮効果は計り知れない。

わたしは、神でないから、何が真実であるか知ることは出来ない。そうである以上、基本的には、わたしが真実でないと思う言論にも、制約されない自由があるのだと考えるほかない。

確かに、表現者には、その振る舞いについてルールがあるべきだ。しかし、大仰に言えば、民主主義社会に生きる者には、表現者に対して寛容であるべきであるという、根本ルールが前提としてある。(勿論、表現の自由は国家を名宛人にしたものであって、私人間について当てはまるか議論なしとしない。しかし、根本精神において、変わるものでなく、極端な場合は、私法の一般条項を利用して、間接適用あるかもしれない。もとより、かかる、矮小な法律論は、誰も期待するものでもないであろう。)

ネットの厳しい現実に無知な馬鹿者のたわごとかもしれないが、今のわたしには、以上のように思われる。

いま、わたしを思い悩ませているのは、二つの相互に排斥する考え方である。

ひとつは、この駄文は、隅田氏の片言隻句をとりあげて、失礼を省みず、少々、「論難」したものであるから、隅田氏の元記事にTBすべきではないか、との思い。これは、隅田氏に読んでいただきたいという、多少の傲慢さもあるかもしれない。
しかし、他方で、先にとりあげたstandpoint氏の記事や野猫氏のコメントにあるように、TBは、読み手の流れを自己に「有利」に働くことに対する忸怩たる思い。
TBするか、しないか、未だに決しかねているが、どちらになっても、以上のような次第であるので、他意はない、とお断りしておく。

なお、最後に謝辞を。
ここで、取り上げさせていただいたブログはいずれも、愛読しているもので、わたし自身の勉強に非常に役立っている。

ことに、隅田氏は、どうやら、地理的にもご近所にあたるのではないか、と思われ、今池も三好もわたしの行動圏内なので、ひょっとしたら、どこかで、お会いしているかも知れず、勝手に親近感をいだいていおりました。

今回、非礼を省みずとりあげさせていただいたブログは、いずれも大変読み応えのある記事が多く、大変勉強させていただいており、また、今回のこの駄文も、かように優れた記事なくば、生まれ得なかったわけでもあるので、改めて感謝の意を表したい。


コメント(4件)

こんにちは。

私は、騙される自由ってのもあるんじゃないかと思いますね。
大人なんだし、法的に問題がないならば、明らかに誤ったことでも、言いたいのであれば言わせればいいと思っています。
それが言論の自由っていうものですよね。
リテラシーの問題はまた別物でしょう。
まあ、困った人たち(~~)と私は眺めているだけです。つまんない記事を書いちゃったなあと今はバカなことをしたなと思っています(笑) standpoint1989
2004/11/21 07:54

コメントありがとうございます。

「騙される自由」。おもしろいですね。「騙される」=受動的、「自由」=(本来)主体的。矛盾するような言葉ですが、妙に得心がいくのは、あきらかに「騙されたい」という願望が見え隠れする言論、あるいはそのような願望に応えようとする言論が実在するから、でしょうか。これは興味深い話のように感じました。
いや、「自由」というのは「責任」という意味なんだよ、という趣旨ならそれはそれで、やっぱり納得です。

情報受領者の「責任」という観点からは、リテラシーについても上記見解とは、ちがう答えがひきだせるかもしれません。程度問題かもしれませんが。やはり、勉強になります。

そして、standpointさんの記事は決して「つまらない記事」ではなかったと思います。わたしは、「場外乱闘」を含めて楽しんでいました。優れて中庸的な記事が、かくも論争提起的に働くのも、ブログの(ネットの?)「面白さ」ということなのでしょうか。多少のとまどいを覚えながら、成り行きを観察してみたいです。 nagoyan
2004/11/21 14:22

なるほど、「騙される自由」ですか。

自分の聞きたい情報、都合のいい情報ばかり集め、
気がついたら、凄く偏った思想になってたりします。
「騙される自由」≒「願望」
というのは鋭いですね。(笑) 流 相馬
2004/11/21 17:27

流さん、コメントありがとうございます。

「騙される自由」。いいですねぇ。含蓄があります。わたしにとっては、自分の記事よりもいただいたコメントの方がはるかに価値がありました。また、流さんが見事に定式化してくださって。どっかで、使っちゃいそうな気がします。そのときは気を悪くしないでください。(笑) nagoyan
2004/11/21 20:18

http://dainagon-end.at.webry.info/200411/article_15.html  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > Ψ空耳の丘Ψ53掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。