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『悪霊』ドストエフスキー(KAKASHI式)
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投稿者 そのまんま西 日時 2008 年 6 月 07 日 09:40:02: sypgvaaYz82Hc
 

『悪霊』ドストエフスキー(KAKASHI式)
2008-01-13

新潮文庫(下巻)の裏表紙で、「組織を背後で動かす悪魔的超人」とスタヴローギンを紹介しているが、どこを読めばそのような解釈ができるのか理解に苦しむ。それはともかく、この作品は思想小説だ。主要の思想は大体5つで、その5つの思想を表すそれぞれの人物の葛藤や対決などを中心に描いた作品ということになる。

 主人公のスタヴローギンは極めて(というよりも完全に)個人主義的な無神論者だ。彼はこの世の既定の善悪を意識しながらもそれに捉われず(もしくは超越し)、退屈と怠惰の中で淫蕩と犯罪に身を浸しながら、常にそのような自分自身に対する恐れや戸惑いを抱え、そのような自分を赦したいという希望を思っている。彼はキリスト者とは対極の地平に立ちキリスト者を否定しながら、しかし彼の根底にある希望は、結局は神(キリスト教)を「信じたい」というものであり、彼はそのような思想の矛盾と神に極めて深い、純粋な恐怖を感じる。

 彼が自殺に至ったのは、キリーロフが言うような思想に呑まれた結果ではなく、そのような、思想に悩める青年である自分という存在に呑まれ、混沌とした自己に対する恐怖心が極まったためということになるだろう。彼は絶望はしていなかったが、そこにはまた、思想することに対する疲労も原因の一つとして加えられるべきかもしれない。彼の半ば自暴自棄とも思える悪行の数々は、彼の恐怖がいかに根深いものだったのかを表している。

 彼は悪行を苦行と位置付けており、無際限の苦しみを受けることによって少女の幽霊(結果、無神論という悪霊)を追い払うことができると考えていた。これは思想の恐怖を払拭することを望むものだ。さてそのような彼は、自身の内面以外に興味を向けることがなく、即ち革命思想を持たず、ピョートルと行動を共にしていたのは、単に退屈だったからだと自分でも言っている。したがって彼は「組織を背後で動か」してはいない。ピョートルが勝手に祀り上げただけだ。

そしてそのピョートルは無神論的革命主義者で、スタヴローギンのような悩める青年ではなく、確固たる信念によって行動するものである。その意味ではスタヴローギンが言っているように「情熱家」とも言えるだろう。彼はさしあたってロシア社会の一切合切を破壊し、道徳やシステムなどが全て払拭された地点から、自分も含めた新たなる指導者によって、より良い社会を築こうとする、極めて急進的な破壊思想の持ち主だ。人は全て自分の道具としてしか捉えることができず、それはスタヴローギンに対しても同様である。行動の人だけに、作品中最も顔を出す人物の一人だ。

キリーロフは特異な思想を持つ無神論者で、我意によって自殺を果たすことで、神とは己のことであるということを証明しようとする。この「人神思想」は、『カラマーゾフの兄弟』におけるイワンと悪魔の対決にも描かれている。神は必要だから存在するはずだが、それは存在しないのだということを知っている、という絶望的な矛盾の認識がそもそも彼の思想の根本にある。最後のキリーロフ対ピョートルの場面は、作品中のクライマックスの一つだ。

シャートフは、国民の中にこそ神はあり、国民一人一人には、それぞれの神が宿っている、というプロテスタンティズムを信念とする人間だ。もともと無神論者だったが、新大陸アメリカでの農民生活から、農民の労働によって神を得るべきだ、と最終的に結論する。彼はモラリストであり、善意の人であり、大地を愛する者である。彼を突き詰めると『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャが生まれる。

その他、純粋なロマンチストであり道化であるステパン、タイプの異なる聖性を表すマリヤとダーシャ、そしてキリスト者の象徴であり、スタブローギンと対極に位置するという意味で最も近い立場にあるチホン僧正など、作家の何らかの思想を象徴するような人物が数多く登場する。それら思想の鬩ぎ合いを越え、最後にドストエフスキーが訴えたことは、どのような無神論においても、結局は神が存在するのだし、少なくともロシアという国は、ロシア国民は、神無しではやっていけないのだ、ということだろう。

 この作品では、作家の持つ様々なキリスト教的思想のほとんど全てが、それぞれの人物の思想という形で表されており、作家の思想の集大成とも言えるこの作品を、ドストエフスキー思想文学の頂点と位置付けることに何の疑問もない。ただし小説としてこの作品を見た場合、これだけの長編の割には話が粗く、しかも極めて読み辛く、のみならず、現在日本でこの小説を読むことがどれだけの価値があるのかというと、これは若干考えるところがある。

 一般的に、面白くない上に得るものも少ないだろうということだ。この作品は会話文が他のドストエフスキー作品に輪をかけて仰々しく(訳文しか知らないが)、特にフランス語まじりのステパンの言葉は滑稽を通り越して不快でもあった。尚、この作品は、文庫版の最後に附されている「スタヴローギンの告白」の章が最も重要で、この作品の核心といっても過言ではない。恐らく全編を通して最も読み応えのある、読み物としても優れた章である。

http://d.hatena.ne.jp/kakashishiki/20080113/p1


亀山郁夫 〜 ドストエフスキー 『悪霊』を語る (1of3)(2of3)(3of3)
http://jp.youtube.com/watch?v=qGENuGn4LJU
http://jp.youtube.com/watch?v=XH2mup6GmWo&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=OD6uCfZgmHk&feature=related  

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