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Re: 先ず、読むこと
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投稿者 航海者・名もなき人 日時 2008 年 10 月 08 日 20:30:50: 97HaXi6mYPVIk
 

(回答先: 先ず、読むこと 投稿者 忍 日時 2008 年 8 月 02 日 07:48:05)

大東亜戦争を総括した見解を返信しようかと思っっていたのですが、長くなってしまった上に空耳のエントリーも次に移ってしまったので別枠で投稿します。投稿の内容は東京裁判史観には与しませんが大東亜戦争肯定論を支持する人にも納得できないものになると思います。

大東亜戦争の敗戦における海軍の怠慢や戦術的誤りの責任も重大でしょうが、敗戦革命の問題となると重要なのはやはり陸軍統制派です。何故なら大東亜戦争の発端となった支那事変の拡大に日本側で関与したのは陸軍統制派だし大東亜戦争の時期に政治に関与していたのも陸軍だからです。

私も忍さんのホームぺージに載っていた孝明天皇陛下の攘夷の勅書を読んだときには感動しました。

…惟に因循姑息、旧套[旧来のやり方]に從ひて改めず、海内[国内]疲弊の極[結果]、
 卒(つひ)には戎虜(じゅうりょ)[外国人]の術中に陥り、坐しながら膝を犬羊[西洋人]に
 屈し、殷鑑遠からず、印度の覆轍[二の舞]を踏まば、朕實に何を以てか先皇在天の神
 靈に謝せんや。若し幕府十年を限りて、朕が命に従ひ、膺懲の師[懲らしめの軍隊]を作
 (おこ)さずんば、朕實に斷然として神武天皇神功皇后の遺蹤(いしょう)[前例]に則り、
 公卿百官と、天下の牧伯[諸侯]を師(ひき)ゐて親征せんとす。卿等其(それ)斯(この)
 意を體(たい)して以て報ぜん事を
  …然りと雖も無謀の征夷は、實に朕が好む所に非ず。然る所以の策略を議して、以て
 朕に奏せよ。朕其(その)可否を論ずる詳悉、以て一定不抜の國是を定むべし。(中略)
 嗚呼、朕汝と與(とも)に誓て哀運を挽回し、上は先皇の霊に報じ、下は萬民の急を救は
 んと欲す。若し怠惰にして、成功なくんば、殊に是朕と汝の罪なり。(徳川家茂に賜はれる
 勅書、同上)

このような方がまつりごとを執り行って下されば今日の日本も恥知らずな欧米や共産支那の言いなりにはならないのにと思いましたが、ないものねだりをしても始まりません。日本が今日のような体たらくに陥ったのは大東亜戦争が攘夷の精神から戦われた戦争ではなかったからです。私も以前は大東亜戦争は西洋文明との決別、近代の超克のための戦争だったと考えていましたが、陸軍統制派の存在を知ってからは考えが変わりました。大東亜戦争の時期にも日本人には攘夷の精神などなかったのです。戦中の鬼畜英米も敵方(イルミナティ)が用意したイデオロギーです。日本人は内面からの欲求によって戦ったのではなかったと考えれば日本人が敗戦後に極端なアメリカ崇拝者になってしまったのも納得がいきます。

本来なら近現代史家はもっと陸軍統制派の問題に取り組まなければならないはずですが、祖国敗戦革命の思惑を読み切れないのかあるいはイルミナティの対日工作員として史実の隠蔽に加担しているのか陸軍統制派の問題はまだ公に認識されているとは言えません。ただ統制派でも問題となるのは永田鉄山や東条英機のような中心人物ではなく参謀本部の若手参謀たちであるようです。

【国民のための大東亜戦争正統抄史1928-56戦争の天才と謀略の天才の戦い70〜72陸軍統制派の陰謀】
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/from70to72ww2.htm

 岡村寧次大将は、「汪精衛を中心とする和平中国政府の樹立を以て対重慶和平妥協を計るが如きは、至難にして寧ろ逆効果になる」と汪兆銘工作に反対し、北支那方面軍司令官(昭和十六年七月〜十九年八月)として「滅共愛民」「三戒(焼くな、犯すな、殺すな)」を掲げ、治安維持の掃共戦を指揮し、

「中共は之を反重慶地方政権として取扱う趣旨に於て中共本拠は之を延安政権と呼称し又之に属する軍隊にして、我が討伐を要するものは之を匪賊呼称を以て取扱い、且反共、剿共、滅共等の名称の使用は真にやむを得ざる場合の外之を避くるものとす。」(対支作戦に伴う宣伝要領)

という陸軍中央の反共戦停止指令(昭和十九年七〜八月)に対し、「反共政策をいささかなりとも枉げることはできない」と強硬に反対し、敗戦後、延安の中国共産党によって戦犯第一号に指定された「反共」将軍である。

また昭和二十年八月十八日東京から南京に帰任した支那派遣軍の西浦進、野尻徳雄両参謀から作戦課の朝枝繁春中佐が起案した、

「この際むしろ赤色勢力を支那本土に導入し、これと米側勢力とを衝突せしめて東亜に混乱を招来し、以て日本が漁夫の利を図らんとする」

という趣旨の指令を報告された際、岡村大将は之を即時に拒絶し国民政府と密着一体となり断乎中共に対する方針を明示し、 

「対支支援の強化に関しては、真に支那民族の心を把握するを主眼とするも先ず重慶中央政権の統一を容易ならしめ、中国の復興建設に協力するものとす。重慶延安の関係は固より支那側自身にて処理すべきものなるも、延安側にして抗日侮日の態度を持する場合においては断固之を膺懲す。支那に交付すべき兵器、弾薬、軍需品等は統帥命令に基づき指示する時期および場所において、完全円滑に支那側に交付し、以て進んで中央政権の武力の充実に寄与す。」

と定めた対支処理要綱を起案し、戦後、西浦をして、

「小生在任期間総司令官は概ね幕僚の案を承認せられることが多かったが、このときの自主的な御決定は小生にとって極めて印象的であり、事後の総軍の進路を極めて明確ならしめたとの感想を持っている。」

と言わしめている。

 岡村寧次総司令官の構想と松井太久郎総参謀長の報告内容は相異なるが、松井総参謀長が、我が軍が四川に進攻し重慶を覆滅すべき理由として、「重慶政権との和平は成立せず、従って重慶を分裂崩壊させ(反共を掲げる南京親日政権ではなく)延安政権の中央化を企図」し、参謀本部戦争指導班長が参謀総長、次長にこれを全面的に支持するよう具申したことは、陸軍中央が敗戦まで支那戦線において大軍を動かし続けた真の目的や、南京政権(昭和二十年八月十六日解消)の正体を示唆していよう。

 一九四二年から四五年にかけ、タス通信特派員として延安に駐在したコミンテルン代表ピョートル・ウラジミロフの著書【延安日記】一九四五年八月十八、二十一日欄に次のような記述がある。

 「たまたま新四軍の司令部からの電報をみた。この電報をみても、中共党指導部と在華日本軍総司令部とが、絶えず接触していたことは明らかだ。日本軍総司令部との接触についての報告が、定期的に延安に送られていることは、この電報から明らかで、私は中共軍と日本軍の軍司令部の接触が長い間、行われたことをあとで確かめた。この接触の両端は延安と南京である。

 葉剣英は毛沢東に、私が新四軍からの電報の内容を知っていると話した。そのため、主席は私に、党指導部が侵略日本軍司令部と接触を持つことに決めた理由を長々と説明した。恥ずべき行為である。だからこそ、毛沢東は躍起になって私を納得させようとしたと云える。

 日本軍司令部との関係はすでにずっと以前に、極秘のうちにつけられた。中共党指導部でこれを知っているのはほんの数人だ。毛沢東のエージェントが、南京の岡村将軍の司令部に出入りしていたのだ。必要な際は、日本の防諜機関がこの男を用心深く護衛し、自由に南京と新四軍司令部の間を往来していたのである。新四軍にはこの男(日本人)宛の主席からしかるべき情報が届いており、この男が南京から持ってくる情報は、新四軍を通じて直ちに暗号で延安に打電される仕組みになっていたのだ。」

 アメリカ軍を支那大陸に吸引して日本本土の負担を軽減しようとする岡村大将の戦略は、支那をアメリカの支配下におき資本主義化してしまう為、「今後採るべき戦争指導の大綱に基く対外政略指導要領案」が示すようにソ連の力を藉りて支那の社会主義国家への転換を図り東亜新秩序を実現しようとする陸軍中堅層にとって、絶対に許し難い構想であった。だから種村佐孝大佐は、下剋上思想を露わにして機密戦争日誌昭和二十年五月十三日欄に、

 「支那方面作戦を大本営の意図する如く指導する為には岡村大将を更迭するを要す。面従腹背に陥るのおそれなしとせず。全般に対米大陸決戦思想なし持久後退をのみ事とす。支那満州朝鮮悉く然り、おそるべし。」

と記述したのであろう。

また朝枝繁春中佐は、ソ連軍の満洲侵攻と同時に、大本営から関東軍に「満洲の鉄道は一切これを破壊するな」と打電し、朝枝自身、八月十九日、満洲の新京に在る関東軍司令部に出張して、ソ連軍の捕虜になった。

ソ連軍の政治将校フェデンコ中将によれば、二十六日、朝枝はフェデンコに、「ソ連軍は米軍が上陸する前に朝鮮半島を全面占領し、対馬海峡を封鎖すべきだ」と提言し、彼が東京に帰る必要性と梅津率いる参謀本部と日本軍を支配する雰囲気と政策について個人的に説明したいと申し出て、次のように述べたという。

「ソ連軍が大陸、対馬、済州島を押さえ対馬海峡の艦船の出入りを封鎖すれば、日本を占領した米軍との関係でより有利な立場を得る。それだけでなくソ連軍がこの通りに展開すれば米軍の大陸進出を阻み、国際社会でのソ連の重みを増すことになる。このため参謀本部、軍中枢部は上記の地域について連合国が最終決定を下す前に、連合国抜きにソ連の利益となる決定に持ち込むべきだと考えている。秦はワシレフスキーとの会談でソ連軍の南下作戦の加速の必要性について述べた(註、八月十九日、極東ソ連軍司令部で、関東軍総参謀長秦彦三郎中将は瀬島龍三中佐と共に、極東軍総司令官ワシレフスキー元帥を首班とするソ連軍首脳と停戦交渉を行った)。日本軍の判断では十分に迅速だとは考えられなかったからだ。

私の来訪の目的は、ソ連軍南下の軍事的、政治的条件を整えることにある。この参謀本部と軍中枢の意見は国防大臣、外務省、天皇側近には秘密にされている。」

 大東亜戦争終末の資料は、陸軍中枢を支配していた統制派革新幕僚が、総理大臣や支那派遣軍総司令官、陸軍大臣を操りながら、東亜の赤化を画策していたことを粉飾なく示唆している。

「さて、今まで見てきたように太平洋戦争は単に日本軍の戦略性の欠如によるものだけではなかった。それはそれで一つの真理であるが、日本が戦争に敗北した最大の理由は日本の陸・海軍の指導者たちの中に日本の敗北を望む者たちがおり、このような人物たちが、陰に陽に日本を敗戦に導いていったのである。
 日本海軍の指導者たちは殆どが「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソン陣営に属する者たちであった。太平洋戦争開始前には対米英協調路線を主張し、一見平和主義であるかの如き装いであったが、ひとたび日米開戦となるやまっしぐらに日本の敗戦を画策した。それは一旦、野球の試合を始めた以上、一刻も早く九回の裏を終えたいと願ったかのようであった。しかもそれは最初から負ける試合であった。
 陸軍の様相は少し複雑であった。山県有朋亡き後の陸軍は軍閥が台頭し、皇道派、統制派、満州派のほかに大本営参謀本部の作戦課に属する高級参謀たちが、さまざまな力学で暗闘をくり広げた。
 統制派は永田鉄山、東条英機、武藤章、佐藤賢了、田中新一といった主戦論者であり、「大東亜共栄圏」の夢を見て戦争を強行していったが、彼らは結局参謀本部の若手高級参謀によって操られた哀れなピエロたちであった。
 参謀本部の作戦参謀たちこそ「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソンの意向に沿って、海軍とともに日本を敗北に導いた黒幕であった。
 服部卓四郎、辻正信、瀬島龍三、朝枝繁春ら陸士、陸大卒の超エリート集団が策定した作戦計画はことごとく日本陸軍にとって酷く悲惨な結果をもたらした。彼らにはいったいどのような「魔の手」が及んでいたのであろうか。」(ヤコブ・モルガン『山本五十六は生きていた 誰がなぜ歴史の真相を歪曲したか』第一企画出版 348-350頁)


あとドイツについてですが日本はドイツに多大な迷惑をかけています。日本が北進(対ソ攻勢)に踏み切らなかったためにドイツはソ連攻略の好機を逸し、さらに日本が真珠湾を攻撃してしまったためにアメリカにヨーロッパの戦線に参入する口実を与えてしまいドイツは西は英米、東はソ連から挟撃されることになりました。それでもドイツは同盟国日本のためにアメリカに宣戦布告してくれたのです。しかしドイツの敗戦は確定的となり敗戦後はホロコーストがでっち上げられてドイツ人はかつて人類が体験したことがないほどの自虐史観に苦しむことになりました。戦後の受難はそれだけではなくアイゼンハワーに100万人の捕虜を殺され、それ以外にもドイツは連合国とそれに与する野蛮人たちからありとあらゆる陵辱を受けました。ドイツがその非道を受けることになった原因は日本にもあります。日本が民族の絶滅政策はしていないということを理由にドイツと差別化して自己の正当化を図るのは恥ずべきことです。日本人は支那、朝鮮ではなくドイツにこそ責任を負わなければならないのです。

消えた百万人 ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
http://homepage2.nifty.com/muraji/gunji/1000000.htm
敗戦国ドイツの惨状
http://revisionist.jp/nigel_01.htm

「ナチス製円盤」の謎
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha777.html#03

■Q: 「この円盤開発に、日本人の科学者も関わっていた、と言われているが、そのへんのことについて何か知っているか?」

■A: 「そういう噂も聞いたことがあるが、私は、収容所に入れられて以来、この円盤開発のプロジェクトから外されていたので、そのへんのことはよくわからない。日本といえば……、あの当時、日本が真珠湾攻撃をしかけたというニュースを聞いて、私はもうだめだ、と思った記憶がある。」

■Q: 「えっ、なぜ真珠湾攻撃が……?」

■A: 「あの頃、私たちドイツ軍士官の間では、アメリカがこの戦争に乗り出さなければ、我々は勝てるという自信があった。ところが、日本が真珠湾に奇襲をかけたとなると、当然、アメリカが参戦してくる。私たち空軍士官の仲間たちは、これで全ては終わった、と顔を見合わせたものである。」  

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