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〔メモ〕吉田茂内閣への強力な援護射撃となった「下山事件」(低気温のエクスタシー)
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/479.html
投稿者 スタン反戦 日時 2008 年 11 月 21 日 06:35:12: jgaFEZzEmIsYo
 

http://alcyone.seesaa.net/article/109968713.html


☆元厚生省高級官僚への連続殺傷事件はイラク、インド、タイ、チャイナでの無差別殺傷事件に似ている。社会組織揺さぶりが目的?

http://www.asyura2.com/08/senkyo55/msg/1103.html

投稿者 新世紀人 日時 2008 年 11 月 20 日


国民に恨まれている厚生労働省の元高級官僚を殺傷しても国民は「ザマア見ろ」などと思って、この事件を深追いしないだろう。

だが、国民の間には不気味な不安定感が漂い始めるのだ。

私には戦後直ぐに起こった三鷹事件や下山事件に似た事件に思えてならないのだ。

これ等の事件は国民の間に社会不安を煽る事になり、その間隙をぬって占領軍の政治誘導が行われた。


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☆ウィキペディア「下山事件」の項→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

下山事件が発生した1949年(昭和24年)当時、中国大陸では国共内戦における中国共産党軍の勝利が決定的となり、朝鮮半島でも北緯38度線を境に共産政権と親米政権が一触即発の緊張下で対峙していた。このような国際情勢の中、日本占領を行うアメリカ軍を中心とした連合国軍は、対日政策をそれまでの民主化から反共の防波堤として位置付ける方向へ転換した。まずは高インフレにあえぐ経済の立て直しを急ぎ、いわゆるドッジ・ラインに基づく緊縮財政策を実施する。同年6月1日には行政機関職員定員法を施行し、全公務員で約28万人、同日発足した日本国有鉄道(国鉄)に対しては約10万人近い空前絶後の人員整理を迫った。

一方、同年1月23日に実施された戦後3回目の第24回衆院総選挙では、吉田茂の民主自由党が単独過半数264議席を獲得するも、日本共産党も4議席から35議席へと躍進した。共産党系の産別会議(全日本産業別労働組合会議)や国鉄労働組合もその余勢を駆って人員整理に対し頑強な抵抗を示唆、吉田内閣の打倒と人民政府樹立を公然と叫ぶような騒然とした世相であった。

この様な世相の中で、下山総裁は人員整理の当事者として労組との交渉の矢面に立ち続けた。事件前日の7月4日には、3万人の従業員に対して第一次整理通告(=解雇通告)が行われている。当時の増田甲子七官房長官が解剖の結果も出ないうちから他殺を示唆するコメントを発表するなど、当時下山事件の一報を聞いた人の多くが共産党系労働組合絡みと直感するのも無理からぬ状況となっていた。

共産党およびその影響下にあった労働運動は、下山、三鷹、松川事件に関与したと報道されたことによって世論の強い批判を受け、活動の自粛を余儀なくされることとなった。

結果的に、国鉄を含めた各業界における人員整理は、当初予想された混乱もなく日本占領を行う連合国軍及び日本政府の思惑通りにスムーズに進行した。

このような事情から、下山事件には米進駐軍、あるいは日本政府が関わっていたのではないかと囁かれる事となる。作家松本清張は『日本の黒い霧』の中で、米軍CIC(Counter Intelligence Corps―防諜部隊)が下山暗殺に関わり、下山の遺体は進駐軍専用列車で運搬されたのではないかという説を提唱した。松本の説自体は当時の鉄道運行表の検討からほぼ否定されたが、松本が中心となって発足した「下山事件研究会」では引き続き進駐軍与説を中心に事件の研究が進められた。

「下山事件研究会」の中心人物の一人でもあった上記の朝日新聞記者・矢田喜美雄は、執拗に事件の追跡を続けた成果を1973年(昭和48年)に著作『謀殺下山事件』にまとめた。同書の中で、矢田は取材の過程で米軍防諜機関に命じられて死体を運んだとする男に行き着いたとして、その人物とのやりとりを記述している。

1999年、『週刊朝日』誌上で「下山事件-50年後の真相」の記事が連載された。この内容を元に諸永裕司著『葬られた夏』、森達也著『下山事件(シモヤマ・ケース)』、柴田哲孝著『下山事件-最後の証言-』が2000年代前半に相次いで出版された。これらの書籍では、事件は元陸軍軍属・矢板玄が設立した組織・矢板機関の関係者が関わった他殺事件と結論付けている。


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《矢板機関を設立した矢板玄は岸信介を巣鴨プリズンから釈放することに尽力した人物である》

☆岸信介とCIA (2007年10月13日。オフイス・マツナガ)

http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50454697.html

なぜ、鬼畜米英と叫んだ戦争指導者が、米国の手先になったのか。その秘密を解くカギが最近発売された完全版『下山事件 最後の証言』(柴田哲孝著、祥伝社文庫)にある。

柴田氏の祖父(柴田宏氏)が勤めていた亜細亜産業の社長で戦前の特務機関である矢板機関の矢板玄(くろし)氏の証言に、その秘密が書かれている。以下、矢板証言の注目部分を引用する。
  

〈岸を釈放したウィロビー〉

 (佐藤栄作は、兄岸信介の件で来たのではないか。岸信介を巣鴨プリズンから出したのは、矢板さんだと聞いているが)

 「そうだ。そんなことがあったな。だけど、岸を助けたのがおれだというのはちょっと大袈裟だ。確かに佐藤が相談に来たことはあるし、ウィロビーに口は利いた。岸は役に立つ男だから、殺すなとね。しかし、本当に岸を助けたのは白洲次郎と矢次一夫、後はカーンだよ。アメリカ側だって最初から岸を殺す気はなかったけどな」

 注=東条内閣の閣僚で、戦争指導者の一人であり、A級戦犯容疑者として逮捕された岸の釈放については、昨年9月22日付「赤旗」の「まど」欄が、「GHQ連合国軍総司令部のウィロビー少将率いるG2(参謀部第二部)の『釈放せよ』との勧告があった」ことを紹介している。ウィロビーは、直轄の情報機関として、キャノン機関や戦後も暗躍した矢板機関を持っていた。 


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《元国土庁審議官である仲津真治氏による「下山事件 最後の証言」(柴田哲孝著)の読後感想文》

http://www.world-reader.ne.jp/tea-time/nakatsu-060111.html

下山事件は、自殺と他殺の両説がありますが、著者は、轢断死体が、「自殺ならば、つまり生きたまま列車に轢かれたのであれば、当然 現れるはずの生活反応がほとんどなく、また、死体に全くと言って いい程、血液が残存していなかったなどの諸所見から、これは、死後の轢断である」とした東大法医学教室の鑑定を重く見ています。 また、これと併せて、他の諸々の証拠や信用できる証言から、下山 総裁は、死体発見現場から遠くない所で殺害された後、そこへ運ばれ、轢断されたと見るのが相当としています。

そして、この殺害には、祖父の宏氏が戦中から戦後にかけて在職していた亜細亜産業と言う会社が大きく関わっていたのではないかと、膨大な資料や証言から裏付けています。 この亜細亜産業と言う会社は、日本橋室町の通称「ライカビル」の中にあり、業務はパルプ産業や貿易業であり、主に陸軍のために 物資の調達や様々な工作を行っていたとも言われます。 

戦後は、家具や文具、日用雑貨などを扱い、GHQ(連合国軍最高司令部)に納入していたと申します。 

その際、戦中から培われたノウハウや、そこに関係する人々の人脈が活きて、諸々の活動が行われる機関になっていたのでしょうか。その本社所在地は、下山総裁が失踪した日本橋の三越に近く、また、その関係工場や作業場が、轢断現場から遠くないところに点在していることも、本書に記されています。

この会社の社長は矢板玄(やいた くろし)氏と言い、著者の大叔母の寿恵子さんが、「殺したのは宏兄さんではないと思う。」と言い、 事件を「計画したのは、(亜細亜産業)の社長矢板(玄)さんじゃないかと思うんだよね」と語った人物です。 

著者は、この大物の矢板氏にも会っています。平成4年(1992)の2月、その自宅を「柴田宏の孫です。御挨拶に」と言って訪ね、「貴様、何者だ」と聞かれ、日本刀を頭上から振り下ろされ、顔の前で止められると言う、凄まじい体験をしています。それでも、動かず、睨み合っていたところ、「いい刀ですね・・・」と言う、自分でも信じられない言葉が口を衝いて出たと言い、暫くして、矢板氏が大声で笑い出し、「お前、面白い奴だな。・・・」と言って、別室に移り、二人のやり取りが始まったとのことです。著者は、この喜寿を過ぎた人物から、重要なことことを多く聞き、 引き出していますが、再会出来ずに終わりました。矢板氏は、その後、間もなく、亡くなったと申します。そして、この亜細亜産業の人脈が基盤となって、事が計画され、相当数の人間が、個々の役割を果たしつつも、全体像を知らされずに、実行されたと見られると言うのですが、著者は結局、それが 具体的に誰々であり、どういう分担で行われたのかまでは、特定しておりません。 著者のような身内ゆえにアクセスが持て、情報を得やすい立場にあっても、事件はあまりにも複雑多様であり、事件後経過した半世紀前後の年月は長く、人々の記憶も薄れていると言うことなのでしょうか。


著者は、就任後間もない下山総裁が、第一次人員整理宣告の翌日に失踪、殺されたと見られる、その理由として、諸種の証言から、清廉な人柄ゆえ、前職であった運輸次官のとき、既に鉄道に巣くう政財界有力者の汚職を握っていて、不正な取引を切り、取引に伴う単価を下げるなどをしたからと言う見方をしています。また、総裁は、それを切り札に、コストダウンを可能にして人員整理を最小限に食い止めようとしていたと見ています。

他方、作家の松本清張の主張にもありますが、事件がGHQの謀略であったとの推論について、著者は、前年の昭和23年に鉄道汚職で当時の運輸次官が引責辞任していることなどから、当時、実権を持っていたGHQが他の人選をせず、下山氏を大抜擢して運輸次官に就任させ、さらに、国鉄の初代総裁に当てたのは、汚職の番人として送り込んだと見るべきで、そう言う人を亡き者にする分けがないとし、GHQ説を退けています。

ただ、著者は、汚職による金づるが、米側と繋がっていたことを臭わしています。 

文脈からすれば、占領している連合国・・その中心は米国・・の側にも、本国における情報部門の設置など、組織改編等の様々な動きがあり、全てがGHQに一体化されていたわけではなく、また、GHQの内部にも、民政局と参謀二部、キャノン機関とその対抗勢力などのように、複数の流れや主導権争い・対立があったことを記しています。

それにしても、総裁の潔癖な路線やポリシーによって利権が失われるから、殺して、その地位から取り除くと言うのは、相当乱暴な話ですが、戦前・戦中には、その種の発想や行動が決して特異なものではなかったし、それらを計画し、実行する組織があり、人々がいたのでしょう。 

そして、敗戦で大きく変わったとはいえ、戦後暫くは、その種の空気が色濃く残り、そういう組織や人々が存在していたと言えるのかもしれません。 著者は、この点で、下山事件と戦前の張作霖爆殺事件(昭和3年 1928)との類似性を指摘しています。 

後者は、満州軍閥の頭領である張作霖が日本軍部の意図に反して、中央北京への進出を図ろうとしたので、関東軍の河本大佐が国民政府軍の犯行に見せかけて暗殺したものと言われます。 

その事件では、満州鉄道が京奉線と立体交差するガード下を列車が通過する際、爆破が起きました。下山事件の起きた現場と、鉄道のカーブや交差等の情況も良く似た景観を呈しているというわけです。 

著者は、戦前のノウハウや経験が、戦後に活かされたと言う分けで、満州で出来た諸々の人脈が、下山事件に関わっていると示唆しています。

ところで、著者は総帥の矢板氏にいろいろ尋ねる中で、亜細亜産業に戦時中、貴金属が集まってきたと言うことを聞き出しています。当時、戦争遂行のため、広く国民から貴金属を供出させることが行われておりました。 それは私も両親から聞いたことがあります。 

矢板氏によれば、国の機関も関わった金銀運営会と言う組織があり、その事務所がライカビルにあって、集められた貴金属を潰して、金の延べ棒などにし、亜細亜産業に集められていたと言うのです。 

この大量の金の延べ棒を、著者の大叔母の寿恵子さんは、亜細亜産業で事務の仕事をしていたときに、見せられたと言います。これらの金の延べ棒は、戦時中、外国での物資の調達等に充てられたとのことですが、戦後、相当残ったと申します。  

日銀に入庫されたのもあるが、山分けされたり、例のM資金の一部になったと矢板氏は著者に語っています。 M資金とは、よくマーカット資金と言われるものですが、作り話が多く、しばしば詐欺事件が起きています。 でも、この証言で一部は裏付けがあることが分かります。 

 

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