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『蟹工船』ブームが開く(日々通信 いまを生きる 第279号 2008年7月18日)
http://www.asyura2.com/08/bun1/msg/190.html
投稿者 gataro 日時 2008 年 7 月 18 日 19:08:26: KbIx4LOvH6Ccw
 

伊豆俊彦さんから「日々通信 いまを生きる 第279号」がメールで届いた。血圧200と、体調を崩しながらの発行である。

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>>日々通信 いまを生きる 第279号 2008年7月18日<<           
 発行者 伊豆利彦       
 ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu/

『蟹工船』ブームが開く
                         
 久しぶりに発行した前号は混乱して迷惑をおかけした。件名を書き忘れ、読者から未着の報せがあり、未着の情況を問い合わせたメールは、号数を間違えたためまたあらたな混乱を生んだ。お詫びする。今号も発行が大変遅れた。血圧が200前後にあがり、頭脳が散漫になり混乱して、書くことが困難になった。老耄したためと思うが、いましばらく発行を続けようと思う。

 最近、小林多喜二の『蟹工船』が大変な売れ行きで、読売、朝日、毎日など各紙で大々的に報じられ、大評判になっている。テレビでも各民放がこれを社会問題としてとりあげ、NHKも最近朝のニュースで取り上げた。こうして加速度的に売り上げを伸ば
し、新潮文庫版はこの2カ月間だけで30万部を売り上げたという。6月27日の『読売新聞』は次のように伝えている。

>プロレタリア文学の代表作、小林多喜二(1903〜1933)の「蟹工船」ブームが止まらない。新潮文庫版の増刷部数は今年これまでに35万7000部に上り、例年のざっと70倍のペース。この2か月間だけで、30万部以上を売り上げた。今なぜ、「蟹工船」なのか――。

>「これ、今売れてるんだよね」。三省堂書店神保町本店では、平積みにされた「蟹工船」を、2人連れの若者が手にとっていた。同店は1、2階の数か所に新潮文庫版だけでなく岩波文庫版や映画DVD、漫画版も並べる特設コーナーを設置。昨年まではどの書店でも文庫の棚に1冊ある程度だったが、今や新刊のベストセラー並みの“待遇”を受けている。
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080627bk01.htm

 今年は没後75年になるが、全国各地で多喜二祭が盛大に行われた。5年前に生誕100年、没後70年のおおきな記念祭が東京の九段会館をはじめ全国各地で行われたとき、没後70年もたってこんなに盛大な記念祭が行われることに驚き、これが最後なので、これほど大規模に集まったのかとさえ思った。しかし、当時は多喜二の作品の読者は少なく、いまのような時代がこようとは思いもよらなかった。

 多喜二には熱烈な支持者がいるが、大多数は高齢で、若者の読者はほとんどいなかった。社会文学会の日韓合同の大会が慶州で開かれ、そこで無政府主義者金子文子を卒論に書くために参加したという学生が多喜二の名前も知らないと聞いて驚いた。

 支持者は没後70年たっても各地で記念祭を開き、会場は熱気に湧いているが、会場の外の一般の文学愛好者、特に若い人には全く無関係なのだとその落差を改めて思わされた。会場に集まった多喜二の支持者は、それぞれに生涯の一時期に多喜二によって世界を知り、新しい人生を開かれる経験をしたのであったろう。

 戦争中は多喜二の作品は発売が禁止され、その作品について語ることも禁じられた。私が多喜二を知ったのも、戦後になって治安維持法が米軍の手で撤廃された後のことである。日本は敗れたが、日本政府は米軍の指令があるまで撤廃せず、1945年10月10日にはじめて、治安維持法違反者の釈放を実現した。戦時中に戦争に反対して、拷問と過酷な獄中生活に耐えて18年も12年も戦い続けた人々が解放され、戦時下に転向を強いられ、自己を隠ぺいしてひっそりと生きてきた人々が集まり、「自由戦士出獄歓迎人民大会」を開いた。

 ひとびとは改めて獄中で死亡した人々のことを思った。多喜二が非合法活動の合間に志賀直哉を奈良に訪ね、一夜を過ごしたことはよく知られているが、治安維持法が撤廃されたいまになって、直哉はいっそう深い思いで獄死した多喜二のことを語っている。それにつけても、終戦1週間前の8月9日に戸坂潤(1900〜45年)が、終戦後 1カ月以上経って9月26日に三木清(1897〜 1945年)が獄中で亡くなったことは口惜しい。

 かつて書店から姿を消した多喜二や三木、戸坂の著書が氾濫し、さまざまな思いで読まれた。三木清や、若くして警察の拷問で殺された野呂栄太郎の全集発売には行列が出来た。私も多喜二の質の悪い再生紙、仙花紙に印刷された『蟹工船』や蔵原惟人の『芸術論』をむやみに傍線をひいて読んだ記憶がある。多喜二全集は何度か中絶しながら発行が続けられ、当時の若い世代に大きな影響を与えた。多喜二はその読者に、人間について、社会について、階級について、生存のための闘争について眼を開き、その生涯を決定した。いま、多喜二差異が盛大に行われ、熱心な読者があつまるのもそのためだと思う。今まで禁じられていた未知の世界だったからそのような衝撃を若い世代に与えたのであったろう。

 軍国主義者から共産主義者へと嘲笑気味のレッテルが貼られたのも私たちの世代である。それは決して私たちだけのことではない。右から左へ、天皇美化と戦争支持からアメリカ讃美、民主主義礼賛への転換は日本国民の全体的な動向だった。しかし、若者には何の打算もなく、ひたすら情熱的な行動に走ったから恐れられたのであったろう。新聞記者だの立派な肩書きを持つ評論家や学者・研究者と称する人々は、本当のことを知りながら、それをかくして、時代に迎合していたのであったろう。だから、若者の無知を笑ったのだろうが、私は私たちは我が身の安全のために自己を偽る職業的思想家しか持たなかったことを憤り、それゆえに国家の手で殺された多喜二らに傾倒するのだ。

 いまの若者たちが右から左への転換を始めている。彼らは直接権力によって禁じられたわけではないが、昭和の歴史に対してまったく盲目にされてきた。また、日本や世界の動きに対する知的関心を失わされていた。彼らの多くは多喜二らの存在をさえ知らず、そうでなくても『蟹工船』については名前だけは歴史の教科書で知っていたが、もちろん読んだことはなかったという。その彼らが『蟹工船』を読んで、その残酷な搾取の現実が自分たちの現実とまったく同じだと驚いているのだ。彼らの多くはマンガによって『蟹工船』を知り、その世界が形こそ変われ、自分たちの現実とそっくりなのに驚いたのだった。

 『蟹工船』ブームはいまという時代を昭和史、日本の戦争とのとの関わり合いにおいて照らしだす。さらには中国の農民工問題などをも照らしだす。いま、これを機会に『蟹工船』が照らしだす諸問題を明らかにして見たい。
                     (この項つづく)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 化学療法の薬害なのか、この頃、さまざまな病気が出て、血圧も200前後にまで上がる日々が続く。老耄のせい、暑さのせいかもしれないが思考が散漫で短い文章を書くのも困難だ。その上、伴侶が腰を痛めて、体を動かせない。このためなれぬ家事も私の故障がちな私の肩にのしかかって来る。そんなわけでこの通信も一カ月もかかってこれだけしか書けない。私としては多喜二論と漱石論をこの世に残しておきたいと思うが果たし
てどうなるか。

 いよいよ梅雨も明け暑い日が続くと思う。皆さん、お元気でお過ごしください。

      伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

 

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