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朝青龍の優勝に思う日本文化と日本人の精神構造
http://www.asyura2.com/08/bun1/msg/339.html
投稿者 Ddog 日時 2009 年 1 月 28 日 00:33:02: ZR5JcjFY1l.PQ
 

http://mainichi.jp/enta/sports/graph/2009/hatsubasho/9.html

横綱朝青龍が復活の優勝を遂げた。初場所前引退の可能性!とかスポーツ紙に書かれ、品性が無いので私個人的には大嫌いなTVキャスター小倉智昭(偽善的反日的発言が多すぎるので顔も見たくない)が、「星が買えればいいのに」とまで発言して、本人も悔しかったのだろう。「朝青龍が帰ってまいりました」との万感が詰まった叫びに、私は素直に「おかえりなさい」と声をかけてやりたい。

横綱の品格の問題が取りざたされ、歴代横綱の美談と比べ、朝青龍は品格が無い、相撲道ではなくSUMOUだと、酷評する評論家もいる。例えば、ビデオ判定導入前、世紀の誤審と騒がれた、大鵬が45連勝で止まった試合、NHKのビデオを観た大鵬が、刺し違えられるような相撲を取った自分に非があると言ってのけた美談など、当時でも美談であったものを、朝青龍に期待するのも酷だろう。憎まれるほどの強さを兼ね備えた、完全なヒール役を演ずるだけで、今の相撲界に横綱は貴重な存在だと思う。

外国人横綱は曙に次二人目ではあるが、日本の伝統的興業格闘スポーツのメーンイベンターが外国人に頼らなくてはならない現状において、異国の地で精進を重ね最高位に上り詰め、その地位を維持しているだけで十分に美談ではないか?

巡業を休みながら自国でサッカーのイベントに出場したニュースを聞いた時には私も確かに、「舐められたものだ」とも思いました。しかし、今思うと、モンゴルにとっては日本で大成功を収めた自国の英雄である朝青龍が、本国でイベントに出場して欲しい要望や、頼まれた朝青龍の立場、モンゴル人の価値観を日本人は、まるで尊重していなかったのではないか?日本人都合の非難ではなかったのではないかと思います。

横綱の品格などという曖昧なモラルは、日本人的道徳および価値観が基準であって、いわばコモンロー、不成文憲法みたいなものである。日本人ではない横綱に、この日本人の無意識の規範を理解するには、相当難しいだろうと思う。横綱というものは、ただの格闘技のチャンピョンではなく、一種の宗教的司祭の役割にを果たしている。興業的見地から、朝青龍を横綱としたのは、我々日本人の都合ではなかったのだろうか? 外国人横綱に宗教的司祭が勤まっていないと、目くじらを立てるのは、逆に我々日本人が不寛容ではないか?

日本文化の特徴の一つは、海外より次々に文化・文物・人物を取り入れて、それを次々に取捨選択しながら消化し、日本的なものに作り変え、自分たちのものとしてきたことにあります。外国人力士達の姿立ち振る舞いを見ていると、十分力士として、日本文化になじみ、日本文化の一翼を担ってっている、まさに、日本文化の真髄を見ているような気がします。十分成功していると思っています。

朝青龍関に関して、やくみつるさんなど、厳しく当たる人達もいて、私はそういった方達の不満も理解できます。そのフラストレーションの根源は、日本文化、日本的精神ゆえに、朝青龍関にフラストレーションを溜めているのだと思います。

日本文化は、文字(ひらがな、カタカナ)にしても、文化芸術、刀剣などの例でもそうですが、何事においても、日本的にアレンジして、終わることのない改善を行い、オリジナルをはるかに凌ぐものへと究めていくところが最大の強みだと思います。

日本の文化の特徴は日本人の精神構造と深く関係していると思います。日本では、自己を絶対的なものとはせず、企業や社会などその機能集団において、自分の演ずる役割を考え設定し、その与えられた役割を極めていくことが美徳とされます。また、日本人は他人から見えないからといって手を抜くことは、役割の否定、すなわち、自己否定になります。
それゆえ、横綱は機能集団のトップとして求められるものは、その人の人格とは一切関係なく、非常に神に近い崇高な精神が求められてしまいます。

日本では、相撲に限らず個々人が自己の役割を精緻化する結果、世界でもユニークかつ優れたものができるといえます。改善は精緻化して行き、最も精神的な究極が、何々道といった、一つの求道精神が培われる特徴があるかと思います。モンゴルにおいて、モンゴル相撲は格闘技として発達はしたが、求道精神の精緻である武道へと発展したとは聞いていない。朝青龍も横綱だからといってその精神性を理解する事は容易でないはずだ。

日本人は「場の空気」KY「「空気が読めない」などと、場の空気(ニューマ)が重要視されますいわゆる、「場の空気を読む」といったものですね。そして、その「場」に属する個人は、まず「場」における自己の相対的な役割、位置を考え、役割を実行しなければなりません。日本では、誰かが役割と自我の同一化ができないと、空気を読むことができないと、非難され、空気が読めないと、その集団での居場所を失う恐れがあります。また、役割を自我を同一化できない機能集団は、旨く機能していない集団になってしまうおそれがあります。そのため、日本では空気を読めない人間を弾劾する傾向があります。朝青龍もまさにこのKY空気が読めないケースかもしれません。

最後に、面白い話を見つけました。日本人の祖先は、一説には古代イスラエルの消えた10支族だとかシュメール人の血も混じっている話があります。私も否定しない話であるが。神社の神の祭り方、神輿は、古代イスラエルの宗教施設、幕屋と、契約書の柩の関係とよく似ています。狛犬、鳥居、山伏の頭巾など古代ユダヤの風習そのもの、伊勢神宮にダビデの星がカゴメ紋として残るなど、2700年前に古代イスラエルが滅び、2600年前に建国した日本の古神道に古代イスラエルの足跡を数多く見ることもできます。

相撲も実は古代イスラエルからの伝承説もあります。ユダヤ人三代目の父祖ヤコブが放浪の末に故郷へ戻るとき、天使と力比べをして、天使に勝った為祝福の意味で、イスラエルと名前を改名した故事があります。ヘブライ語で「スモー」「シュモー」は「彼の名前」という意味である。イスラエルの神事も清めに塩を撒くとのことです。

http://mainichi.jp/enta/sports/graph/2009/hatsubasho/1.html
追伸:ただ、細木数子との関係だけは、ちょっと横綱は考え直した方がいいだろう。朝青龍の魂と細木数子の魂は似たもの同士かもしれないが、見ていて気持ち悪い。  

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