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陳思:サロンでのチベット事件についての討論ノート(思いつくまま)
http://www.asyura2.com/08/china01/msg/104.html
投稿者 kamenoko 日時 2008 年 5 月 15 日 19:43:48: pabqsWuV.mDlg
 

こちらのブログ”思いつくまま”の「中国異論派選訳」カテゴリには、
中国識者の論文の翻訳が掲載されています。
チベットはもとより民主化などのテーマで大変興味深い記事が読めますので、
ご興味がありましたらぜひ。

また、これは別のブログの紹介になりますが、村上龍MLにも寄稿されている
ふるまいよしこさんの”北京ごろごろ日記”でも氏の中国関連記事や中国識者が
同胞に向けて発信している記事の翻訳が読めます。
http://wanzee.seesaa.net/

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陳思:サロンでのチベット事件についての討論ノート(思いつくまま)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/90842f4264504b7a97ccc5b9e7c8361d
中国異論派選訳 / 2008-05-13 23:01:51

梁文道の「最大公約数」で在野の学者として触れられている陳思の当該論文。

陳思:サロンでのチベット事件についての討論ノート

2008年3月25日

今回のチベット自治区と他のいくつかの省のチベット人地区のあちこちで
起こったデモと暴動について、北京政府は厳粛に中国民衆と全世界に
むかって「ダライ集団が背後で計画し扇動した」確かな証拠があると言った。
ネット上でも多くのコメントが、中国政府はチベットの経済開発にこれまで
大きな支援をし、チベット人の生活も天地がひっくり返るような変化をしたの
だから、チベット人は満足して感謝すべきだと言っている。しかし、ほとんど
の人は知らないだろうが、1959年にダライラマがやむなくチベットを離れて
インドに避難して以降今日に至るまで、毎年老若男女数千人が、非常食を
背負って、徒歩でヒマラヤ山脈という世界の尾根を越え、中国とネパールの
国境守備隊を避けつつ、インドのダライラマのもとに逃れていることである。
海抜数千メートルの雪山を越えてゆく過程で多くの人が凍死したり餓死したり
転落死している。チベット亡命政府のあるダランサラの病院には、毎月新しい
亡命者が入院してくる。その多くは途上でひどい凍傷にかかり、手や足の切除
手術を受けなければならない。中国人はすでに経済発展を中心に考えることに
慣れてしまい、経済が発展することがすべてだと考える。ほとんどの中国人は
宗教生活や精神生活の体験がないので、また、政府の宗教に対する歪曲された
宣伝とチベットの歴史の周到な改ざん(例えばいわゆる農奴制)の結果、
中国人がチベットでチベット人を理解できなかったり、チベット人に対して
無礼な行為をしたりするのは全く自然なことだ。北京政府はこの数十年の宣伝と
教育、経済的利益によってチベット人は政府に感謝していると思っている。
しかも、政府の宣伝のもとで、「ダライ集団」に対して反感を持っていると
考えていた。しかし、北京政府は失敗した。経済開発はやったが、受益者は
チベット人ではなく、外から押し寄せてきた四川人を中心とする中国人である。
経済的にも政治的にも、チベット人地区全域で、チベット人は徹底的に周縁化
され、差別され、排斥された。私はチベット各地区で多くの地元の人と話しを
したが、確かに多くの人が生活水準はたしかに上がったが、社会的地位はむしろ
下がったと感じている。政府はチベット人に対しダライラマの写真と著書を持つ
ことを厳禁しているが、実際にはほとんどどの家庭でもダライラマの写真を
秘蔵している。たとえそれがペンダントのように小さいとしてもだ。
このことから、チベット人は心の奥深くでダライラマを慕っていることがわかる。

ラサの町は、見たところ非常に繁華な町で、数え切れない大小の商店、百貨店、
娯楽施設がある。しかしこれらは基本的に中国人のものであり、チベット人の
所有はほとんどない。そればかりでなく、ほとんどが中国人であるタクシー
運転手は、チベット人を見るとよけて走り、できるだけ乗せないようにし、
ときには面と向かって乗車拒否をする。彼らはチベット人の服が汚く、体臭が
臭いと考えている。チベット人は自分の土地で、差別される少数民族、二等
市民になっている。彼らは心の中でつよく差別され、いじめられているという
屈辱感を抱いている。この種の屈辱と怒りがある程度まで蓄積したら、必ず
爆発するであろう。しかし、チベット人が希望しているのは北京が非難している
ように独立だろうか? 私の知っている限り、大多数のまず自分を中国国民だと
考え、その次にはじめてチベット人だと考えている。だから、彼らの心が求めて
いるのは、決して独立ではない。大多数の人は実のところ「独立」が何を意味
するのかよくわかっていない。彼らは独立したら、自分たちの生活ができて、
差別や辱めを受けなくてもすむと感じている。

では、インドのほうの状況はどうだろう? ダライラマが1959年にインドに行って
から、何回かの海外視察のあと、このチベットの最高指導者は民主主義が良いと
感じ、必ず民主主義を実現しようと決めた。そこで、歴史上はじめて君主が
強制的に民主主義改革を行うという状況が出現した。上から下への民主主義の
実行である。90パーセントのチベット人はこれを理解できず、投票においても
反対した。かれらはダライラマの権威は他をもっては代えがたく、他の人が彼らの
リーダーになることは受け入れられないと考えている。しかし、ダライラマは
民主主義が人民にとって良いといって譲らず、不退転の決意で古いガシャ制政治
体制を解散し、議会制の内閣政府を組織した。内閣総理と各大臣は亡命チベット人
全員の投票で選挙し、ダライラマ自身は総理でもないし、いかなる実際の職務にも
ついていない。しかし、私の観察によれば、彼は今でも実質的なリーダーである。
内閣はダライラマの路線を実施することが主であり、亡命チベット人の大多数が
ダライラマの平和路線を支持している。

もちろんダライラマの路線を支持しない者もいる。彼らはダライラマよりはるかに
急進的であり、その政治的要求は「大チベット地区」の独立である。彼らはチベット
青年会議を組織し、集会を行い、チベット人と海外に向けて宣伝することにより、
彼らの独立要求を表現し、影響力の拡大を目指している。チベット青年会議の
メンバーは大多数が高い教育を受けた学生、学者、商人が中心であり、庶民は
少ない。そのリーダーは多くが欧米留学から帰ったチベット人である。

初期には、たとえば2000年以前には、チベット青年会議のメンバーはみな若かった。
彼らの独立獲得の手段も平和的だった。多くの場合亡命政府のサポート的な活動を
していた。そのころ、チベット青年会議にはいくつかの特徴があった。第一、
彼らは若く、大学生と学者を中心とするグループだった。第二、彼らは穏健で、
暴力的手段は主張していなかった。第三、2001年のころ、私はそのメンバーと
話したが、彼らはダライラマを非常に尊敬しているようだった。ただ、彼らは
ダライラマが善良すぎて、政治の醜さをわかっていないといっていた。例えば、
ダライラマの兄が北京政府と交渉しても、すでにN回も北京政府にもてあそばれている。彼は政治的に善良すぎるし、理想主義的過ぎるのではないか?! ダライラマは
しばしば数万人の集会の場で、チベット人に向かって言う。私と北京の交渉は
非常に楽観的であり、たぶん二三年後には進展があるだろう。これを聞いた多くの
チベット人の感覚は、ダライラマは良い宗教指導者で、温厚な人であるが、それゆえ
に、彼は政治を簡単に考えすぎているというものだった。後に北京での交渉が再び
決裂したとき、チベット人にとっては、集団的辱めの効果があった。ダライラマは
チベット人に、もう少し待ちなさいと言った。70〜80年代からずっと彼はこの調子
であり、いつも楽観的に二三年後にはチベットに戻れると言ってきた。21世紀に
入ってから、亡命チベット人たちは徐々にインドなど国外での亡命生活に適応し、
また徐々にダライラマの楽観に適応して行った。

たぶん2003年の交渉が失敗したことは、またもチベット人に対する深刻な集団的
辱めであった。北京側はほとんどダライラマの兄に会わなかった。ダライラマは
交渉前に公の場で、北京政府が我々の宗教生活を尊重し、我々の風俗を尊重する
ことだけを望み、他の経済、軍事、外交などはすべて北京政府が管理しても良いと
いっていた。しかし、ダライラマの兄はほとんど北京政府と本当の交渉ができず、
北京は一貫してダライラマは独立を求めていると主張した。こちらでダライラマが
独立を求めないといったばかりなのに、あちらの北京政府はすぐにダライラマに
誠意がなく、独立を諦めていないと発表した。大陸の中国人はダライラマが独立を
求めていると信じていることを、国際社会ははっきりとわかった。このような
環境は、すべての亡命チベット人にとって辱められていると感じられ、ダライ
ラマの路線に再び疑問が生じた。一部の急進的チベット青年会議メンバーは、ダライ
ラマと決裂するという張り紙まで張り出した。もっと急進的な者は、彼を殺して
独立の道を掃き清めると公言した。悪く言えば、ダライラマは子供である。
天真爛漫で寛容。これでは政治的に受身となり手練手管に長けた北京政府に
もてあそばれてしまう。北京政府はダライラマがいまでは交渉カードをまったく
持っていないと考えている。だから、彼の死だけを待っており、彼が死んだら、
チベットには精神的指導者がいなくなるから、そうなれば処理しやすいと考えている。

十一世パンチェンラマのことがダライラマに非常に大きな教訓と警告になったので、
彼もこの点はわかっている。(君たちは活仏の伝統を知っているだろうか? 
ダライラマとパンチェンラマはともにツォンカパの高弟であり、彼らは転生しても
ツォンカパを守護すると誓った〔参照:http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/hh_and_pl.html〕。
もし、ダライラマが先に亡くなったら、パンチェンラマがその転生霊童を探し出す。
逆もまた然りである。この二人の伝統はすでに十数代の長きにわたって続いている。
現在のダライラマは14世、パンチェンラマは11世である。だから伝統に従えば、
第10世のパンチェンラマが亡くなったら、チベットのタシルンポ寺(扎什倫布寺)
が彼の遺言により、11世転生霊童を探し始める。タシルンポ寺は北京に探索の進捗
状況を伝えると同時に、もしくはその前に、インドのダライラマに最新の進捗状況を
報告していた。よって、ダライラマは北京の前に、11世パンチェンラマを確認した。
そして彼の指示により地位継承式を行った。北京は知らせを聞いて激怒した。
それに続いて起こったことは、わずか10歳の11世パンチェンラマが父母らと共に
忽然と姿を消し、今に至るまで消息不明となったことである。われわれは国外の
宗教団体が当時10歳だったパンチェンラマを捜索しているのを見る。これらのことは
大陸の中国人はみな知らない。かつて記者会見で、外国の記者が質問をしたら、
中国政府のスポークスマンは次のように答えた。君たちは心配しないでよい。
彼は問題なく生きている。外部の妨害を望んでいない。この回答は11世パンチェン
ラマがまだ死んでいないことを間接的に物語っている。今私たちが見るパンチェン
ラマは、本当のパンチェンラマが失踪してから、北京政府が鳴り物入りで引っ張り
出してきた少年だ。彼は二年前に修行を終えるとすぐに活仏日記を出版し、共産党が
いかにすばらしいか、共産党の温情がいかに深いかを述べた。これは共産党の教育が
非常に成功したことを物語っている。もし今の14世ダライラマが死んだら、伝統に
よれば15世ダライラマが出てくる。そのとき北京政府は再び転生霊童の人選と教育を
操るだろう。だからそのような状況を避けるために、ダライラマは14世のダライ
ラマがたぶん最後になるだろうと発表した。

では、ダライラマが転生しないとき、チベットの政治宗教リーダーは誰が担うのか? 我々が知っているのは、カルマパ17世である。彼はすでにインドに亡命し、自分の
上師(ダライラマ)と一緒にいて、仏法と政治についてすでにだいぶ成熟している。
いくつもの形跡から見て、彼がダライラマの継承者だろう。カルマパ17世がインドに
行ったのは、自分の上師と会い、系統的な教学を授かるためだった。世俗権力の
観点から見ると、彼は二十数歳で、継承者に内定したことになる。彼のチベット
民族と仏教学会における権威はますます高まっており、インドでの住まいもダライ
ラマの近くである。

問題は、ダライラマの権威を、かなり長きに渡って、カルマパは代替することは
できないということだ。たとえダライラマが10年後にやっと亡くなったとしても、
カルマパはまだ三十数歳である。このような状況の下で、何度も挫折してきた
チベット青年会議は、競争のテクニックは向上し、成熟して権威も高まっている。
ダライラマは四大宗派の最高指導者である。四大宗派のリーダーは、仏法の修養の
面でも人格道徳の面でもダライラマに帰依している。チベット仏教には四大宗派
があるが、ダライラマはそのリーダーであり、また政治的なリーダーでもある。
私の観察によれば、チベット亡命政府と亡命チベット人の趨勢は、ダライラマ死後、
カルマパが精神的指導者になり、チベット青年会議が急速に影響力を拡大し、亡命
政府の多数派となり、より暴力的に北京政府と対抗するだろうというものだ。
チベット青年会議が宣伝と選挙を通じて内閣を主導し、世俗的権力を固めたとき、
彼らの政策はもう中間路線をとることはない、平和的ではなく、仏教の本懐を
はなれた暴力的手段となるだろう。政府の主導権を彼らがとれば、政府の要求は
独立となる。だから、北京政府の愚昧は、ダライラマが生きているうちに、この
事情を適切に処理せず、チベット青年会議が穏健から暴力に、野党から与党になる
のを待っていることである。そうなればチベット各地で紛争の火の手が上がり、
より収拾が難しくなる。

私はチベット大学に行って、学生の学科別人口比率を調査したことがある。
大学には、経営学院、科学学院、チベット言語文学学院がある。経営と科学学院の
学生募集は75%以上が中国人に割り当てられている。チベット人がチベット大学で
学ぼうと思ったら、大部分はチベット言語文学学院を選択するしかない。歴史の
講義は農奴制であり、仏法は教えられず、伝統も教えられない。すべての小学校で
中国語を教えており、チベット語と文化は教えていないか、教えたとしても非常に
簡単な内容である。私は学生宿舎で内地(中国本土)からチベット大学に進学して
きた学生に話を聞いた。なぜこんなに辺鄙なチベットを選んだのかと聞いたら、
彼は卒業したあと就職先が保障され、ほぼ全員が政府機関に就職できると答えた。
チベット政府と企業、公法人の人選枠組みはこのように準備されている。商業面では、
チベットで商業を営む大多数の人は、四川や浙江省から来ており、チベット人は
ほとんどいない。チベット人の習慣は我々と異なり、たいていある程度お金が
たまったらそれで止めてしまう。生活できればいいという考えだ。また、人に
よってはある程度稼いで、縁があって活仏と知り合って人生の道理を悟ったら、
すぐに財産を喜捨して、最低生活を維持できるだけしか残さない。したがって、
彼らは全く内地商人と競争にならず、急速に周縁化されている。

では、チベット人が最も重視する仏教信仰はどうだろう? 2003年のころ、西側は
中国が信仰の自由を制限していると批判した。北京はすぐに、それはでっち上げだ、
チベット人には十分な信仰の自由があると反駁した。国務院はジョカン寺(大昭寺)
門前の写真を持ち出して、多くの人が門前で祈っている情景を示した。しかし
ジョカン寺の本来のチベット最高仏教施設としての機能は失われている。現在は
政府が何人かの僧侶に命じて観光客の入場を管理しているが、参観料は非常に高く、
ジョカン寺がチベットの政府の主な収入源の一つになっている。我々チベットに
観光に行くものは、必ずジョカン寺に行く。しかし、現在のジョカン寺は抜け殻を
残すだけで、中では講話は行われていないし、講義も行われていないし、本当の
高僧もいない。ゲルク派(格魯派)三大寺院(ガンデン寺〔甘丹寺〕、デプン寺
〔哲蚌寺〕、セラ寺〔色拉寺〕)のリーダーはみんな秘密裏にインドに亡命した。
だからラサの三大寺院の教育レベルは落ちてしまった。チベット人は彼らの仏法
伝承システムを保存するために、インドに三大寺院を再建し、各寺院では千人も
万人もの人が学習している。そして、各寺院に募金の担当者がいる。

チベットの多くの小さな寺院は焼き払われた。以前一部の若い解放軍兵士たちは、
出家して和尚や尼僧になり結婚しないのは愚かであると考えた。一部の若い解放軍
兵士はチベットで多くの犯罪行為を行った。資料によれば、銃で脅して和尚と尼に
公衆の面前で性交をさせたりした。80年に胡耀邦が視察に行ったところ、見るに
忍びないので、北京に戻ってから多くの幹部を更迭した。四川省のセルタ(色達)
五明仏学院は、チベット最大の仏法伝承基地であり、最盛期には数万人の中国人と
チベット人の信者が集まっていた。一つの谷の中に、数万の掘っ立て小屋が谷底の
いくつかの小さな寺院を囲んでおり、非常に壮観だ。しかし、政府が突然命令を
出して、二三万人いた男性信徒を千人に減らし、女性は四百人に減らせと言った。
政府はさらに地元のチンピラを雇って、仏学院の人の話では、「食住買春」を
提供して、信徒の掘立小屋を破壊させた。こうして多くの人が凍死し、餓死した。
一部の尼僧の死体は鷲についばまれた。これは、2002年のことである。私は現地に
行って、破壊された掘立小屋を見た。もし君がチベット人なら、どう感じるだろう、
どうするだろう? これまで中国の指導者は誰一人としてチベットの中国人に
向かってチベット人の生活習慣と習俗、伝統を理解しなければならず、できるだけ
彼らを尊重しなければならないと言った事はない。こっそりインドに逃げて学習
した人たちは、良好な教育と、上手な英語を身につけて、どんどんチベットに
戻ってきている。彼らは政府機関や企業、公法人に入ることはできない。英語教師と、
ガイドをするしかない。彼らはチベットの出身であり、高い学歴があり、ダライ
ラマの近くにいたことがある。この訴求力と影響力は無限である。これはあたかも
古代ヨーロッパの辺境に、突然バチカンで学んだ一人の青年が帰ってきたのと同じ
効果がある。

彼らはチベット、青海、四川のチベット人地区で大きな影響力を発揮し、彼らは
意見と言論のリーダーとなっている。チベット青年会議だけでなく、三大寺院の
ラマたちもいる。彼らはインドで学んで戻り、あるいは三大寺院で引き続き教えて
いる。彼らも同じようにチベットの宗教社会に影響を与えている。

今年発生した3月10日からの事象は、以上の分析をしてみれば非常に自然である。
くわえて、3月10日はチベット蜂起記念日であり、今年はオリンピックもある。
誰でもこの機会に不満を爆発させればより多くの国内外の関心を集めることができる
と考えるだろう。私は、ダライラマは絶対背後で操ったり扇動したりした事はない
と確信している。彼は、因果を信じるべきだと考えている。もし原因が暴力である
なら、そのような原因から得られる結果は絶対平和ではありえない。だから彼は
断固としていかなる暴力的手段による政治目的の達成にも反対している。世界で
そして歴史上、多くの民族がすでにそしてまさに暴力を使い、流血を通じて彼らの
政治的要求を実現しようとしている。しかしダライラマはこんなにも大きな民族を
率いて、たゆまぬ意思疎通と交渉によって目的を実現しようとしている。この点でも
彼は我々が大いに尊敬すべき人物であり、全世界の人民が学ぶべき人物である。
彼がノーベル平和賞を授与されたのはたぶんそのためであろう。

原文:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/fcd7774df4d8bce03217f95d07d8891c

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