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ウィルス・イデオロギー        3                    渡辺寛之
http://www.asyura2.com/08/dispute28/msg/582.html
投稿者 愚民党 日時 2008 年 12 月 28 日 16:59:38: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: ウィルス・イデオロギー 2               渡辺寛之 投稿者 愚民党 日時 2008 年 12 月 28 日 16:48:29)

 十字軍の表層こそは、地中海市場とインド洋市場をイスラムから奪い取ることにあった。
また同期としてキリストの物語をヨーロッパ自己遺伝子と模倣子によって自己完結するた
めには、エレサレムを奪い、ローマ教皇の支配下に置くことが必要であった。しかし、ユ
ーラシア大陸の東方であるアジアから、モンゴル騎馬軍団がすべての都市と文明を草原に
戻すのだ、と、東ヨーロッパに襲いかかり、ローマ教皇に対し、挑戦状をおくりつけた、
教皇はふるえあがり恐怖のどん底にたたき落とされる。恐怖は悪魔を呼びこみ、再度一三
四七年からはじまるペスト・ウィルスはヨーロッパ自己遺伝子と模倣子を壊滅せんと襲い
かかるのである。これが絶望と暗黒のヨーロッパ中世であり、死の舞踏である。

 暗黒と絶望の世紀、ヨーロッパ自己遺伝子はペストウィルスとの死闘を通し、世界の周
辺から中心へと進化をとげる準備をするのである。皮肉にもローマ教皇を恐怖につき落と
したモンゴル軍団は、十字軍の敵であったイスラム軍によってアラブの地に敗北しローマ
の道をあきらめ東ヨーロッパ戦線からも撤退する。しかしロシアはモンゴルの支配化にお
かれた。

 かろうじてヨーロッパ・キリスト教世界は破壊されず死守できた。この暗黒と絶望と無
力に打ちのめされた個人の表層の地獄めぐりを思考する。それがダンテ「神曲」である。
共同体成員はペストウィルスによって次からつぎへと死んでいく、それでも文化を求める
「ボッカチオ」がある。哲学はギリシア哲学を発見し、おそるべき戦闘的個人による思考
の内省が誕生する。内省と退行こそは内部から外部へ出ることを発見し、省察は他者を発
見する。ペストと異端狩の中世の時代、科学者は錬金術の実験を部屋に閉じこもり繰り返
していた。哲学者は部屋に閉じこもり思考していた。詩人は部屋に閉じこもり「神曲」と
いう壮大な物語を書いていた。この閉じこもりこそが世界事象に驚嘆する能力を形成した
のである。神学者も教会の地下室にこもり、それまでの文献をひたすら自動記述していた。
複写である。この人間の手によるコピー聖書が生産され、出回り、やがて教会から聖書を
万民のもとへ奪還せよ、たる宗教改革を準備する。

 この閉じこもりというおそるべき圧縮された思考力と忍耐力こそが、心的エネルギーを
形成し、やがて全世界を植民地にしていく大航海時代を準備したのである。ヨーロッパが
世界システムの地球という円環を建設できたのは、中世というアンダーグランドにおける
自己遺伝子が眠りから覚醒したのである。中世とは夜の四つのひとつは覚醒していよ、と
いうブッタの教えに置換すれば、覚醒した夜と夜の夜その時間帯であった。かくしてヨー
ロッパにとって部屋とは想像力の全世界であり個人の基地となる。人間をどこまでも怜悧
にみすえる悪魔のごとき執念から美術は空間と光たる彩色を発見するリアリズムの誕生で
ある。

 ペストウィルスとモンゴル騎馬軍団によって、ヨーロッパ自己遺伝子と模倣子は自壊す
る、その自壊とは教皇という教条から個人が脱却したことによる、戦闘的個人の誕生であ
る。こうして内部なき人間は世界をわがものとすべく、冒険への海路へと出発した。内面
と対話できる能力こそ実践力と行動力の源となった。

 地球を発見した近代文明はヨーロッパの模倣子となっていく。しかしいまだヨーロッパ
の起源をめぐる論争は皆無である。それは世界植民地によってヨーロッパが富という私的
所有たる内部をもったからであろう。内部をもった人間は文明たる官僚機構によって自己
肯定され、文明の市民となるからである。こうして市民にとってアンダーグランドは軽蔑
の対象となり、近代文明のためにアフリカと南北アメリカ大陸の基層文化は壊滅された。
 二十一世紀初頭の世界とは、文明とアンダーグランドが、同期と競合として展開される
であろう。それゆえに、あたらしい人間像があらわれようとしている。市民へと順応した
プロレタリアートの後に登場するのは、どのような妖怪であろうか?わたしの予測によれ
ば、それは非人間であることに間違いはない。人間は果して類的存在なのか? それとも
部族的存在なのか? それらを模索している同期と競合において、人間型ロボットの商品
化とクローン人間の商品化である。まさに商品としての人間と商品としての国家が混迷す
る世界市場において、近代文明の内部は自壊する。現在とは資本主義以後の資本主義とい
う過度期のヒューマノイド幼年期である。

 モンゴル軍団の襲来は、日本、ベトナム、インドネシアへと押し寄せたのであるが、い
ずれも死守できた。日本では若き北条時宗と鎌倉武士団による死力をつくした、戦争指導
によって、モンゴル軍団の侵略戦争を撃退する。日本文明は鎌倉政権の官僚機構によって
守られたのである。戦争とは官僚機構と官僚機構による相手を壊滅する闘争である。異説
によれば北条政権を転覆しようと戦略を練っていた天皇と藤原貴族一族が、モンゴル帝国
に通じていたとする説がある。それを実証する文献はまだ発見されていない。事実、モン
ゴル来襲の戦後、後醍醐天皇は一挙に鎌倉幕府転覆を全国指令するのである。これに同調
したのが、北条一族と長く先祖以来闘争してきた足利尊氏だった。こうして後醍醐天皇・
足利尊氏連合は鎌倉幕府を打倒し、新田義貞によって鎌倉は炎上した。やがて、モンゴル
軍団を打ち破ったのは、天皇制の神風であったとする神話へと、回収されていった。宮内
庁が私有する美術展をみたとき、わたしは驚嘆した。巨大な、フビライ・ハーンの絵画が
そこにあった。天皇一族の情報部隊は古代から存在していた高度な能力をもっていた、そ
れが国内ばかりでなく海外に通じていてもおかしくはない。

 平家と源氏による内戦はこの天皇情報部隊が起動させ、操作していたのである。ゆえに
源頼朝は天皇に同調した弟である源義経を打ち、京都と離れた鎌倉に幕府を開いたのであ
る。天皇制という自然生成的神話は武士が操作されるばかりで、他者を発見し外部へとで
る回路を閉ざされることを頼朝は平家との内戦で学習した。

 日本におけるむすぼらしくきたならしい内部なき人間の、民衆的出現は平家・源氏とい
う同じ天皇一族から出た武家集団の徹底した内戦からであろう。それは仏教思想にあらわ
れる。思想とは人間とはなにか? 人間はどこからきて、どこへいくのか? それらを根
源的に問う。表層における内部なき人間の実践的思考である。

 それまで日本はありあまる豊かな自然生成の四季に同化する、人間の感情と天皇制神話
に埋もれていた。それらは和歌というきらびやかな情の歌にあらわれる。歌こそは内部あ
る人間の美しき自然感情である。思想とは中国律令制度と漢語文献を、天皇制の動物的本
能である自己遺伝子と模倣子の内部へと囲った王権の国家デザインであり、仏教も王権の
デモントレーション、貴族のシミュレーションにすぎなかった。私的所有という内部ある
人間は、中国・朝鮮という他者と外部の制度をシミュレーションすることをもって列島に
閉じこもり他者との出会いがない自然生成の民衆をぶったたまげさせる。

 こうして民衆は王権国家官僚がつくりあげた文明である国家デザインとシミュレーショ
ンによってだまされる。

 みすぼらしくきたならしい内部なき人間の戦闘部族たる騎馬民族はユーラシア大陸の草
原から朝鮮半島の南端において国家を形成する。いわゆるカヤ文明である。その鉄の鋳造
技術はヨーロッパ十世紀以降の技術水準をもっていた。ここに日本が誕生した。高句麗・
新羅・百済そして南端の騎馬民族国家日本、やがて日本は海を越え九州に上陸する。革命
的な騎馬と鉄武器によって地方土俗王権あるいは共同体を次々と破壊し、九州を制覇し、
瀬戸内海を東へと侵攻を開始する、出雲王権を滅ぼし、ついに大和に西日本を制覇する部
族連合の上にたつ大王を擁立するのである。それが天皇制の起源であり天皇制の故郷は南
朝鮮加羅である。

 この話をわたしは九六年ミラノから帰る飛行機で、隣に座った韓国の若き商社マンに天
皇の系譜を図を書いて説明したら、あまりにも興奮したのか鼻血をだして、ぶったおれて
しまった。よほど衝撃だったのか日本人の戦争責任を回避し、韓国を侵略し暴虐のかぎり
をつくした最大戦争犯罪人天皇ヒロヒトの先祖が韓国南部だなどという詭弁に怒りがこみ
あげてきたのであろう。しかし実際、天皇制伝統文化は百済とか南朝鮮が起源であること
は、すでに歴史家の常識である。天武天皇も南朝鮮の武人であった。

 内部ある人間として地方土俗王権は自然生成的神話をもっていた。その神話を天孫降臨
たる騎馬民族神話に回収し、大王は交戦する者に対しては容赦せず徹底的に破壊するが、
降伏するものには部族連合の構成員として迎える騎馬民族の植民地支配方法をとった。し
かし朝鮮半島における高句麗・百済・新羅の戦争により、南端の日本は百済に回収され、
日本はこの列島の植民地を本国としたのである。

 内部なき人間が他者との激突または囲い込みによって、王権という強力な内部と日本イ
メージを擁立するのは「大化の改新」からである。国家デザイナーとしての藤原一族は、
積極的に中国、朝鮮から学者・技術者・官僚を移住させ、当時の中心であった唐帝国から
制度の体系を導入する。そして国家の消滅をかけた百済・新羅・高句麗の三国戦争によっ
て追われた部族軍団がどしどしと日本に移住してきた。かれらは東国開拓たる国造部とし
て東日本へ集団移住していった。東北蝦夷征伐の根拠地づくりである。朝鮮から移住して
きた軍団部族は蝦夷たる縄文人を大量虐殺しながら東北へと侵攻する。

 殺人集団として戦闘的な関東武士団はこうして形成されていったのである。日本は人殺
し文化といわれているがその起源は先住民族であった縄文人の大量虐殺にある。現在の日
本民族とは、イギリスをアングロサクソンが先住ケルト民族を大量虐殺して奪ったように、
縄文人から日本列島を奪ったきわめて侵略性がたかい民族なのである。日本人が戦争部族
であることは戦国時代をみてもあきらかである。騎馬民族が起源だからである。


 文字としての漢字、法律としての律令、学問としての儒教、宗教としての仏教、こうし
た体系的シミュレーションによって、日本イメージの基礎は形成され、部族連合を呪術に
おいてまとめる大王は、天皇として改名され、天皇神学の物語が土着化する戦略は、発動
する。騎馬民族はどこの地においても土着化できる適応能力が高度なのである。

 他者が長い時間空間から表層に体系化した制度を、徹底的に学習し、おのれの空間と場
所に自己実現させる。これが国家官僚である。七〇一年「大宝律令」の発布。七一〇年
「平城京」建造、七二〇年「日本書紀」編纂。これらの実現はハイ・テクノロジーたるデ
スクワークとしての事務能力つまり行政能力を私的所有する国家官僚機構が存在しなけれ
ば完成しない。国家とは文明同様に官僚機構のことなのである。

 高度情報・高度技術を内部に私的所有する日本への亡命者である百済・新羅・高句麗・
中国官僚と学者、それに亡命してきた戦争部族を組織することによって、藤原不比等は世
界の中心たる中華文明を日本に翻訳し移植した。おそらく「平城京」は中国語・朝鮮語日
本語が世界同時性として進行し、土方である民衆からみれば複合としての多言語的表層に
おいて都市が建設されていった。共通語は漢語であった。

 土俗としての自然生成的民衆は人工的なデザインと労働集約によって、突然、変貌した
空間と巨大な大仏像の出現にぶったまげ土肝をぬかれたに違いない。日本の都市とは古代
以来、官僚のデザインによって、ある日突然その人工建築が姿をあらわすのである。ゆえ
に長いものにはまかれなくてはならない、順応主義へと飼育されていく。北条鎌倉幕府が
後醍醐天皇によって転覆されたのは官僚機構が末期の病に犯され、新たなる統治能力を持
った官僚新世代の育成に失敗したからである。

 平城京建設という実践的・肉体的知覚の全面的発動、他者との具体的コミュニケーショ
ンという共同作業の時間を、同時体験する行為によって、高度情報・高度技術をもつ内部
ある他者は日本語を学習し、日本民衆を異化し対象化する。土着語でありながら、日本語
とは騎馬民族がもちこんだ言語である。ツーグイース系である。そして日本語は朝鮮南端
において騎馬民族が建設した、馬韓たるカヤ文明に依拠している。

 平城京建設の土木作業・建設作業とは、もっとも具体的労働であり、多言語であっても
肉体言語がそれをカバーする。わたしは八十年代後半から90年代前半、NECが外国人研
修生としてコンピュータ製造工場に受け入れた、フィリピン人、韓国人、中国人、タイ人、
バングラデッシュ人、パキスタン人、南アメリカの人といっしょに仕事をしたが、他者と
の実践的交流たる感情のコミュニケーションを実現するのは身体言語による共同身体労働
によることを発見した。

 たとえばレイプを別にして、男と女のセックスは、身体的知覚たるセンサーを全面展開
する自己遺伝子と模倣子の愛情訓練である。自己遺伝子と模倣子の学習器官、コミュニケ
ーションの共同肉体労働としてある。他民族でありまったく理解できぬ言語を話す他者と
の実践的交流と学習の場は、男と女のセックスであり結婚だ。民族の交差点であるシルク
ロード・中央アジアやインド洋に接するインド・パキスタン・イラン・イラク・トルコへ
のルート、こうしてインド=ヨーロッパ語の民族は他者と交流し学習し混交されていった。

 高度情報・高度技術をもつ他者はおのれの内部をそぎ落とし、日本語を話す女と結婚し
日本に土着化する決意を固める。帰るべき国家はすでに消滅したからである。平城京はみ
ごとに完成し次にとりかかるのは日本語を翻訳し、編集し、日本史記を誕生させることで
ある。各地方土俗王権はすでに国譲りとして武装解除していた。

 高度情報・高度編集技術をもつ他者は平城京から日本列島の旅に出発する。これが記紀
神話のヤマトタケルである。広大なユーラシア大陸の旅からすれば、日本列島の旅はそれ
ほど困難ではない。彼らは五年間を旅し、各地方・格農村共同体に伝承されている自然生
成的神話を語り部たちあるいはシャーマンや部族の長老から聞き取り調査取材をし、それ
を翻訳し漢字に記述した。

 自然生成の四季を内部にもつ民衆的神話・民衆的想像力・民衆的物語はこうして模倣子
に回収されたのである。高度情報・高度編集技術をもつ他者は、こうして五年間をかけて
日本列島の各地方・各農村共同体から民衆的物語を収集すると、平城京に帰り部屋に閉じ
こもった。重要なのはこの時期、ユーラシア大陸からエジプトの神話伝承まで収集する情
報部隊も存在したということである。

 当時、唐帝国はローマ帝国とも交流があった超大国としての世界の中心であり、シルク
ロードによって世界の文献は収集され、漢語に翻訳されていた。藤原不比等は、それらの
文献を盗用すべく唐帝国に情報収集部隊を送りこんでいたのである。

 律令制度の確立から平城京という首都の建造は、表層空間への人工的支配意志の表出で
ある。ゆえにそれは建築によって体現される。常識的な官僚機構であれば、外延的拡張を
めざす。しかし藤原不比等と高度情報・高度編集技術をもつ官僚機構がめざしたのは内延
である。天皇制八千年継続への打ち固めである。日本自己遺伝子と模倣子の建設という内
部・深層を人工的に形成する神話史記の捏造であった。これに十年間も部屋に閉じこもり
完成させたのである。驚嘆すべき閉ざされた秘密の部屋で、日本は帝王切開によって誕生
した。外部における戦争に勝利し、日本を制覇したどの戦争部族の将軍でさえ、この生き
神たる内部を亡き者にはできなかったのである。日本で勝利できる方法はただひとつ内部
建設をめぐるイデオロギー戦争である。盲目の哲学者これを発見したのである。70年代か
らインターナショナル国際組織に着手したカルト宗教である池田教の創価学会も内部建設
として、壮絶なイデオロギー戦争をしてきた。いまやこれらの団体は陰謀組織として制度
化され、官僚機構に伝染させたウィルスとなり権力党派として上昇したのである。クーデ
ターを起こした現代の藤原鎌足である。

 一九八七年国鉄の民営化はそのクーデターとしてあった。最後の労働運動の牙城であっ
た国鉄労働組合は解体され当時二十万人いた組合員は、二万人と後退させられ、陰謀者山
岸と盲目の哲学者よって「連合」が誕生する。当時、野党にいてこれを全面的にバックア
ップしたのがカルト教の党派である公明党である。この時期官僚機構は国家財政の総力を
あげて批判勢力である過激派壊滅作戦を展開させる。

 まさに八十年代とは市民社会のトレンドの裏側では、壮絶なイデオロギー戦争の戦国時
代であったのである。しかし八十年代を勝利したかにみえた官僚機構は、その勝利によっ
て内部を九十年代において瓦解させてしまったのである。なぜか? これまでの日本を制
覇した権力機構のように、天皇制に変わる国家理念とあらたなる内部・深層たる日本史記
を建設できなかったからである。それはつまりバブルという外へ外へのそう状態であった
からだ。だれひとりとして十年間部屋に閉じこもる他者になることができなかったからで
ある。この時期、クーデターを起こした官僚機構と陰謀集団のなかで八千年まで構想力の
魔手をのばす内延を建設できる能力ある人間は皆無であった。高度経済成長戦略を建設し
た官僚でさえ三年間、結核治療病棟のなかで構想を内部建設したのである。

 文明とは官僚機構が形成する。「失われた十年間としての九十年代日本文明」とは、八
十年代における官僚機構の内部建設の失敗である。八十年代とは大規模巨大工事として人
工的な日本列島改造への疾走であった。それを官僚機構は不沈空母建設と位置づけた。革
新官僚として敗戦を迎えた宮沢喜一と中曽根康弘はUSAの工作員として、将来の総理大
臣を約束され、自民党代議士になったとする異説がある。官僚機構は宮沢喜一と中曽根康
弘に、まんまとしてやられたのである。かれらが日本を防衛する意識などひとかけらもな
いことは自明となるであろう。そしていまUSAの工作員である自民党と小沢一郎は、ま
すます官僚機構を解体しようとしている。イギリス・USAのニ重帝国であるアングロサ
クソンはすでに一九八五年プラザ裏合意において日本官僚機構を全的滅亡にさせることを
決定した。そのとき、同時にソビエト連邦と東ヨーロッパの解体も決定されていたのであ
った。イギリス情報部主導のもとで。これを世紀末において分析した学者がいた。江藤淳
である。江藤淳は日本文明たる官僚機構が全的滅亡をとげることを予言して絶望のなか自
殺した。フランス・ポストモダンの旗手たる哲学者たちが絶望のうえに孤独に自殺したの
もこの時期であった。陰謀史観ではないが二十一世紀初頭は、アングロサクソンによって、
なにかが仕掛けられているのだ。それは文明をめぐる問題である。ゆえにいま洞察しなく
てはならないのは、民衆の文化ではなく官僚機構の文明なのである。日本で律令制度とい
う最初の官僚制度をつくったのは藤原不比等であった。

 なにゆえに、藤原不比等らは「日本書紀」の編集に向かったのか? それは騎馬民族王
権内における、すざましい血と血の権力闘争、こうした残酷な情念をもつ内部を捨てたか
ったのかもしれない。王権内・宮廷で殺し合いを続けていけば騎馬民族の王権は、いずれ
他者によって滅ばされてしまう。そしてこの地はわが故郷ユーラシア大陸の草原ではない。
海に囲まれた島である。

 圧倒的な豊かな森林と四季、肥えた土地を開墾し、田畑をつくる労働を美徳とするおだ
やかな農耕民族の島となり、海や山から食物を見つける採集民族の縄文人は北へと追いや
った島。こうした島を永遠に支配するためには何が必要なのか? こうして藤原不比等ら
は支配対象としての民衆を発見し、騎馬民族の内部を捨て、おのれ変貌へと自己変革をめ
ざす。すざましい島への土着化である。もはやかえるべき故郷はない。それはアメリカ大
陸を占領したヨーロッパ民族と同様である。そこに日本とUSAの同期性がある。

 日本とは官僚機構たる中国文明・朝鮮文明からの亡命者たちによって建設された、アジ
ア最終の人間たちによる極東の島。ゆえにシルクロード最終の場所。中国・朝鮮から軍団
部族が移住し、百万人の縄文人をジェノサイドとして大量虐殺して奪った島。ゆえに日本
文化の基層は人殺し文化と呼ばれている。日本人とは殺しが好きな民族であり、殺しが動
物的本能の自己遺伝子と模倣子に起動している。戦争なき平和な時代とされていたいた戦
後五十五年間においても、新左翼諸党派においては政治空間の占有をめぐって、一九七〇
年から壮絶な戦争に投入し、それは三十年戦争となった。死者・自殺者はあまりにも多い。
天下を制覇する戦国時代が反復し、再起動していたのだ。アンダーグランドの場所におい
て。明治維新においても最終的に革命党派は長州のみとなった。薩摩は明治政権から追放
されていった。最後に残ったのが大久保利通であるがかれも暗殺されていく。制度が瓦解
したとき帝国市民たるわれわれの社会は溶解する。そのとき市民は殺し合いをやるのであ
る。これが二十一世紀初頭の現代世界に現出してきた日本市民どおうしによる人殺し文化
と呼ばれる。縄文人を虐殺した現代人の自己遺伝子と模倣子が、眠りから覚醒したにすぎ
ない。これを無感知の世紀という。


 おそらく日本はUSAのごとく武装市民社会へと進展するだろう。おのれの身はおのれ
自身が防衛しなくてはならない。それが人殺し文化への対処方法である。USAの銃・ナ
イフといった武器商人の売り込み先はすでに決定している。それは武装に自覚した日本国
民と呼ばれている。暴力団対策法によって、日本警察官僚機構はかれらの市場を奪い、警
察そのものへ暗闇の利潤があがる制度へと転化した。だがその瞬間に警察上部の腐敗が開
始されたのである。もはや人殺し自己遺伝子と模倣子が再起動した市民社会においては、
市民そのものが無差別な暴力団となるので、警察では対処できない。ゆえにUSAの武装
サービス企業は日本に進出しているのである。日本はUSAにつぐ二番目の犯罪武装世界
市場となるであろう。

 そしていま、麻薬世界市場も日本を標的にしている。日本の若い主婦が麻薬の快楽を味
わったからである。麻薬はいま、あるスピードをもって市民に浸透している。

 おそろしい人間関係がすざましい表層空間において衝突する政治闘争の連続を体験する
ものは、建設の意志がないかぎり、表層空間によって打倒される。ある人間がある表層空
間において敗北するのは、おのれが投企するその空間が見えざる政治空間へと変貌し、お
のれの内部にデーモンの貌を発見できないことによる。政治とは悪魔のごとき陰謀によっ
て、敵の攻撃能力を不能にすることである。どこまでも政治分析をおのれの都合のよいよ
うに解釈するおめでたい人間は、結果のまえに、表層空間からはじき飛ばされ、立場防衛、
自己絶対化、私的所有としての内部に封鎖され、敗北するのである。

 つまり人間の政治とは沈黙のうえに進行するG線上のアリアである。沈黙に耐えられな
いお祭り人間は興奮のあとの幻滅を味わうだけである。政治とはおのれがいる場所ではな
くまったく違う場所で、おのれが怜悧に分析されている、まさに商品のように。まないた
に置かれた魚がいま料理人によって、包丁で切断される、おれの自身がその魚であること
を認識できる空間である。政治とはみえない場所とみえない場所における戦争である。
 おめでたいお祭り人間は、おのれのとりまく現状に不断に排気している金魚なのだ。ガ
ラス金魚ケースを擬視している、おそろしい人間の存在を忘れている。われわれ帝国主義
市民とは、つねに悪魔のごときアイによって分析されている金魚である。市民とは、おの
れの他はみんな、くたばればいい、という悪意が全面作動している。その悪意は、けして、
おのれの前にあらわれてこない。あたりまえである。どこにおいても影と裏において飲ま
れているからである。こうして行為はいつも影と裏において商品評価されその影と裏に真
実がある、アンダーグランドとなる。ゆえに古代以来、日本とはアンダーグランドにおい
て出来事が立ち上がる。ゆえにおのれの情報をなにひとつとして流さずすでに商品として
死んでいると思わせることができ、十年間部屋に閉じこもり未来を規定する沈黙のイデオ
ロギー戦争を推進できるかどうかである。これこそ情況主義ではない本来の政治である。
アンダーグランドにとって沈黙こそが実践の場所なのである。

 政治闘争の勝利者は、政治敗北者によって自己の位置を確認し、自己展開能力の可能性
を拡張する。建設の意志とその実現はおのれの政治存在が抹殺されるか? それとも生き
残ることができるのか? という非日常の日常、動物的本能である自己遺伝子と模倣子の
存亡をかけた危機的事態により、その一点を死守せよ、という瞬間としての場所を設定す
る。その場所を敵を壊滅し占有せねば、おのれは永遠に後退するみじめいまを幻滅として
味わなければならない、こうして戦略は瞬間においてあらわれる。

 陰謀集団である創価学会は司法権力を狙った。いまや最高裁判所にまで創価学会のウィ
ルスは浸透している。いくら池田大作教祖を裁判にかけても、「裁判を起こす権利を乱用
している」「裁判を起こすことで相手に負担を与え、池田名誉会長の社会的評価の低下を
意図したと認められる」として、棄却され、いまや誰も創価学会を相手にした裁判も起こ
せないまでに、ウィルスは司法権力までに浸透している。

 これらの陰謀集団による官僚機構への浸入のしかたは、ひとつの文明がウィルスによっ
て犯された事実を示している。創価大学から東大から次々とウィルスは官僚機構と権力機
構に送り出されていく。これが文明の終焉過程に突入した一九七〇年以後の日本であった。
ウィルス装置が起動して三十年間がたっている。いかに固定化されているかは理解できる
だろうか? あなたに?

 固定化された官僚機構と権力機構は、いまや農耕民族のものとなった。逆転したのであ
る。古代騎馬民族の戦闘精神はアンダーグランドのものとなった。王権はそこにおいて激
しく起動している。日本とは古代以来常識的なヒューマニズムが通用する場所ではないの
だ。いまや、われわれひとりひとりの市民が、アンダーグランドの過激派として変貌する。
誰もが王をめざしている。これが今日の自己中心的にして自己完結的な人間の大衆的出現
である。日本の男も女も世界一、嫉妬する動物となった。これが商品完成以後の商品堆積
である。商品はおのれの過去をしらない。現在、使用されるのか、使用されないのか、だ
けに集中する「もの」としての機能。ゆえに最大幸福を装う家庭はUSAのように自己武
装しなくてはならない、武装社会が誕生する。三十年間にわたる新左翼での党派戦争はつ
いに、こうして前衛から後衛へ伝播する原理として、大衆社会の生活様式として普遍化す
るのである。戦争から平時へと特異進化するのがウィルスの自己遺伝子と模倣子の正体で
あった。ゆえにウィルス原論なのである。二十一世紀初頭の大衆社会とは、ついに大衆ひ
とりひとりが武装するUSAの世界標準となるのだ。またしても。これがグローバリゼー
ションと呼ばれる。王こそはあなただ!まさにレミングであり寺山修司資本論が。救いは
寺山修司想像力論しかないという、場所まで、追い詰められている。

 自己遺伝子と模倣子、その動物的本能の動物的本能が弱く武装解除するおめでたい政治
者は自壊し敗退する。なぜなら彼はむきだしの激烈な表層空間を理解できなかったのであ
る。おそるべき人間関係の内部へと回収され、人間の影と裏をみる不信の部屋にどじこめ
られたた政治闘争の敗残者は、もはや肉体的精神的自己崩壊をまつしかない。

 ゆえにわれわれ市民が政治闘争のむきだしの空間にまぎれこんではならない。感受性を
もちおのれが王だと自己完結している市民は深傷を負うだろう。われわれ市民は、ひたす
ら生活のみの安定をめざすべきである。くそをして、めしをくって、セックスする、こど
もをそだて、マイホームの最大幸福をめざし、貯金をして、PC文化生活と消費生活向上
のみをめざすべきである。おのれにとって、違う世界は嫌悪すべきである。市民はひたす
ら、影と裏で評論すればいいのである。

 われわれ市民とは日常としての肛門との対話で、いそがしいのだから。そしてわれわれ
市民は、こうして資本主義のおかげで、自己中心となった動物へと、おかげさまで、みご
とに進化したのだから、個人によりかかり、個人を食いつぶすば、いい狼へと変貌したの
である。われわれ市民はもはや人間ではない、奇獣へと、同期化したのである。

 だから現在、思想が考察すべきは人間ではなく、非人間である。メディア商品によって
消費するものこそ、商品誕生の秘密であり、奇獣なのである。奇獣による全体主義こそ、
現在の民主主義である。そこでは、誰でもおなじように感じ、おなじようにかんがえ、お
なじように行動し、おなじように生活し、おなじ時間をおくる同期化の完成である。ゆえ
に携帯電話は同期順応社会への形態となる。こうして奇獣人間は、もはや同類は不信にと
ってかわり、資本主義以後の資本主義世界たる溶解現象が現出する。もはや人間とは奇獣
人間に愛好玩具とされてしまい、奇獣人間はロボットしか信用しなくなってしまった。
 しかし、奇獣人間はおのれを絶対に裏切らないと思いこんでいる、ロボットがウィルス
に侵犯されていることを、認めようとしないのである。ちょうど、最後の人間たる日本人
と呼ばれた人々が、おのれがアジア民衆二千万人を第二次世界大戦で大量虐殺した、人殺
し民族の事実を過去から消却したように。またしてもあのウィルスたる奇獣が日本で誕生
したのは、一九八七年、NTTの民営分割化の時である。まさに電話回線その通信産業か
ら幾人もの奇獣人間が誕生したのである。あのときからすでに十四年が経過した。奇獣人
間の奇獣本能である自己遺伝子と模倣子は、特異的現出により、その遺伝子と模倣子は、
おそらく通信という電話回線によって、書き換えられたのであろう。

 その奇獣人間の基幹産業たるNTTと警察上部機構の謀議によって誕生したのが昨年、
国会で成立した盗聴法である。もはや、あなたの電話回線・通信回線は、NTTの奇獣人
間によって盗聴されているのである。この奇獣人間はすでに銀行に誕生した貨幣の奇獣人
間とも謀議している。つまり、あなたの銀行口座は、貨幣奇獣人間と通信奇獣人間の商品
情報となり、USAの世界企業に販売されている。一九九九年にネットワークで流された、
警察庁公安警察の住所録はもちろんUSAにも流れたのだが、実はNTTの奇獣人間より
の警察庁への恫喝であった。盗聴法成立を急いでいたのはNTTの側であったのである。
盗聴法の成立で、NTTは国民個人情報を特異的商品へと完成させたのである。

 現在、この個人情報は、さまざまな世界企業に販売されている。これが資本主義の動物
期である。資本主義とは、なんでも商品化することが、商品の商品への商品のための自己
運動である。その最終商品こそ、あなた! 個人はこうして商品となった。あなたの子供
が小学校に入学する時期は、すでにあなたの家庭情報は、教育産業によって買われいるの
で、さまざまな企業から教育商品の販売勧誘が攻勢されてくる。もはや家庭のプライバシ
ーなど存在していない、家庭といえでも商品として資本主義の社会市場となっているので
ある。それをすでにあなたは子供の七五三のお祝いのとき体験したではないか。


 子供もすでに資本主義の世界市場に存在していたのである。子供は消費の王であり女王
なのである。「あなたは、こどもの向上心を奪ってしまうのですか?」こうして親は販売
企業に日々恫喝され、いつのまにか子供を商品消費の王と女王に押し上げるのである。こ
うして親は子供の奴隷となる。現代資本主義は子供を奇獣とさせる。人間はロボットによ
って代行できるからである。高度成長以前であれば、農家においても労働者であっても、
基本は自給自足であった。資本主義は、人間が、自分で“もの”をつくるという行為その
ものを壊滅する、すべてを商品づけにして借金づけにするのが資本主義の動物的本能であ
る自己遺伝子と模倣子である。人間は「商品生成=消費」の回路であるメディアへと変貌
させるのが、資本主義の商品による商品への自己運動である。そこにおいては、もはや、
親は子供に教育できない。なぜなら、親自身が、すでにこの資本主義システム暴走の労働
力商品であるから、自分の言葉など、忘れてしまったか、職場で生きのびるため、消却し
たのである。

 こうして家庭とはつぎなる資本主義を担う兵士を養育する生産工程としての現代的工場
制度に組み込まれる。そして子供は家庭の王と王女であり、親はその奴隷となる。「商品
生成=消費」の矛盾はすべて、国民総背番号で管理情報データー化された固有の家庭が背
負い込む。こうして家庭とは修羅と地獄めぐりの資本主義神曲と変貌する。そこでは、神
と怪獣と奇獣と人間が同期し競合した、ギリシア神話の戦争現場へと転化するのである。
 恥かしい地獄生産家庭はけして、おもてにあらわれない。こうして、いつも明るい資本
主義「商品生成=消費」はいつも、安定したシステムとなる。資本主義とはきれいなマン
ション・ビルの回廊に、うんこをしながら、くそ逃げしていく自己運動である。ある朝、
マンションに住む、お父さんが、会社に出かけ、ドアをあけたら、「うんこ」が悪臭をは
なっている。「誰かのいたずらだ!」とお父さんは疑惑に満ちる。

「もしかしたら、会社の競争相手の仕業だ、ちくしょうめ!」

「おまえ、この、うんこ、かたずけておけ!」
 と奥さんに怒鳴るのである。こうして、いつも最後に資本主義の処理として掃除をやら
されるのは主婦労働と呼ばれている。

 資本主義の原理原則は「商品生成=消費」である。この原理原則が崩れると資本主義国
家そのものが自壊をとげる。ゆえに現在、日本国家は六六〇億兆円の天文学的な借金をし
ても「商品生成=消費」の原理原則を防衛しなくてはならないばかりでなく、国民である
市民ひとりひとりにも借金生活様式を、自分に似た姿で同期化する。いまや学生はひたす
らカード借金をして、消費生活を謳歌している奇獣と再編された。日本発の世界大恐慌を
発動させてはならぬとする、世界資本主義市場の要請だからである。19世紀とは資本主
義の幼年期であったが、二十世紀は動物期であった。21世紀とは資本主義がいよいよギ
リシア神話の神奇獣期として拡張していくであろう。

 いまや六十年代から起動した高度経済成長以前の時間は喪失した。ゆえに、あまりに人
間的な人は「日本文明の全的滅亡の絶望」によって殺されてしまう。八十年代、大学と大
学における壮絶な権力闘争が上部機構では利権をめぐって密室の謀議として展開されてい
た。おのれの大学出身者から総理大臣を現出させることは、大学の自己展開能力が飛躍す
る。現代日本は陰謀史観によって規定されている。その陰謀こそは、上部機構を固定化し
た。もはプロレタリアートは制度と階層を固定する階級となった。土地と家・私有財産を
もったプロレタリアートとはすでに、革命の階級ではなく、おのれの私有財産を防衛する
反動階級となる。反動とは変革という流動を許さない保守階級。

 これが日本労働運動の最終であり最後の獲得実現であった。プロレタリアートの私有財
産防衛のために、それまでの日本労働運動の司令塔であった総評を、売って、「連合」を
結成した。御茶ノ水にあった、巨大な総評ビルは、陰謀家が、私的所有した、まさに労働
貴族と労働官僚による陰謀による歴史の奪還こそが、一九八七年のクーデーターであった。
山岸とはまさに、いまやネット・ストーカーという奇獣人間を現出しているNTTの労働
組合の会長であった人物で、いまも謀議の中心人物として、再起動している。まさに八十
年代の日本とは上部世界と地下世界であるアンダーグランドにおいて、生きるか死ぬかの
壮絶な戦争が展開されていた。陰謀に敗北した国鉄労働組合の労働者は多くの自殺者をだ
し、ついに現在、政党の介入により屈服されてしまった。その水先案内人こそ一九九五年
の総理大臣であった、旧社会党の親分であった村山である。日本社会党は一九七〇年にお
いて帝国主義社会党へと、すでに変貌していた。上部においても下部においても労働界に
おいてもNTTにおいてもウィルスは起動する。

 ウィルスは奇獣人間を現出させながら、現在、ホンダとソニーが商品として発売したロ
ボットへと、侵攻を開始した。コンピュータ・ウィルスからロボット・ウィルスへと、変
貌につぐ変貌があらわれるとき人類史は、いよいよ奇獣史へと転換されるであろう。もは
や人間とは類的存在ではない。類的存在とは19世紀・啓蒙哲学とロマン主義の言葉であ
る。いまや人間とは奇獣なのである。あなたはNTTから誕生したネット・ストーカーで
ある奇獣人間から、おのれ自身を防衛できるだろうか?一九九四年においてはパソコン通
信会社であった、ニフティとNECの会社員IDとパスワードが、NTT奇獣人間によっ
て盗まれたのである。日本電気通信産業が陰謀によって誕生させた奇獣人間の世紀こそ2
1世紀初頭である。

 盗聴法と国民総背番号の成立によって、日本電気通信産業は、莫大な国家予算を、分捕
ることに成功したのであり、そのために自民党を飼育しているのである。そして、あなた
の情報は毎日更新され、電話回線から盗まれている、いまですよ。これが二十一世紀初頭
における資本主義、つまり奇獣と盗賊人が全面展開できる、世界市場へと輝かしく発展し
た、グローバリゼーションである。IT革命ではなくIT反革命としてのウィルスこそ、
考察する対象。ウィルス原論が必須として、いま、市民からもとめられている。

 「日本書紀」はこうしたわれわれ市民により、編集されたのではない。王権内のゲバル
ト的非日常というおそるべき人間関係としての政治闘争をくぐりぬけ、自己遺伝子と模倣
子の動物的本能という、おそるべき人間関係としての政治闘争をくぐりぬけた建設者によ
って「日本書紀」は誕生した。

 表層空間をわがものにするのは建築者と政治闘争者と演劇人である。彼らは自然生成的
感受性を表出するのではない。彼らはおのれの構成力によって表層空間を占有する。演劇
と政治は現在という時間と空間にエネルギーを投入し、身体言語によって他者のイミテー
ションを規定する行為である。

 さらに政治は人間の悪意的様相をもっとも現出するきわめて人間的な行為である。すな
わち、いかに敵と競争者を落としこめ、叩きつぶすかに、政治行為者の日常はあり、内部
は不断にゲームのシミュレーションを展開している。空間を構成し流動的な他者の行為を
予測し推論しつつ決定する闘争である。政治とはまさに密室の謀議であり、それゆえに情
報スパイは古代から政治闘争の重要な役割を担っていた。天皇制が古代から今日まで継承
できたのは、情報戦争に勝利してきたからである。

 現代では、あなたがご存知のように、警察情報スパイ機構と自衛隊情報スパイ機構を統
合しているのは、内閣調査室である。あなたが毎日コンビニで支払っている税金から、内
閣機密費として、毎年五六億円の予算がくんである。公安警察が革命家を情報スパイへと
誘導し、やがて中央委員会に送り出し、警察の都合のよい革命方針を中央委員会指令とし
て発動させるのである。一番犠牲になるのは、いつも末端で真剣にまじめに活動する民衆
活動家であった。戦前の公安警察もほとんどスパイによって運営されていた中央委員会に
よる銀行襲撃方針により、民衆支持基盤を壊滅することにより、日本共産党を壊滅したの
である。本当は当時の公安警察としては、国家予算の獲得のために日本共産党中央委員会
を保存しておきたかったのだが、宮本顕治による死力を尽くした中央委員会スパイ摘発に
より、やむなく、壊滅としたのである。このときのスパイ査問で、スパイは恐怖におびえ、
おのれ自身による心臓発作で死亡した。スパイ摘発こそ日本革命運動の革命的伝統である。

 六十年代後半から七十年代前半、日本共産党に指導された日本民主青年同盟は全国二十
万人いたが、いまや二万人である。この減少はまさに公安警察による。関西・愛知・関東
と、県委員長クラスが公安警察スパイへと誘導されてしまったからである。まさに内閣機
密費である五十六億円の効用であろう。外務省機密費とこの内閣機密費の存在をリークし
たのは、USA・CIAである。九七年橋本政権時、日本内閣と外務省の電話がCIAに
よって盗聴されていた事実は有名である。そのときすでに、CIAはこの機密費の存在を
しり、どうスキャンダル・ニュースにするか計画していた。二十世紀から二十一世紀初頭
とは、映画007でも有名なイギリス情報部とCIAが暗躍できるアングロサクソンの世
紀である。帝国はおのれの姿にあわせて世界を構築する、それが世界標準化である。現在、
天皇制が苦しいのは、イギリスもUSAも、もう、王朝はイギリス王朝だけ残せばいいの
ではないか、と検討していることである。世界標準化のために、天皇制は淘汰されなくて
はならい、と。二十一世紀初頭は日本による侵略戦争犯罪が世界的問題となるであろう。
中国においても七二年日本に対する「戦争賠償金請求放棄」の是非をめぐって、現在紅衛
兵世代によって検討されている。あの香港をイギリスから百年かけて取り戻した中国とは
五千年以来の原理・原則の中華思想による国家なのである。


 六四五年の「大化の改新」から七二〇年「日本書紀」までの表層としての政治空間は不
均衡であり、流動化する危機的情況が連続的に動いている。王権内ゲバルト闘争と7世紀、
東アジアの衝突。古代以来、東アジアの中心はユーラシア大陸中華としての広大な中国の
政治闘争であり、この中華動物的本能である自己遺伝子と模倣子から独自的政治l空間を
防衛し、主体を形成せんとする周辺王権の政治闘争によって流動化してきた。

 ベトナム自己遺伝子と模倣子、朝鮮自己遺伝子と模倣子、日本自己遺伝子と模倣子は中
華に規定されながらも、これにくらいつくされるのではなく、反発し、独自的な自己遺伝
子と模倣子を建設の意志として形成してきた。ゆえに強いのである。ある学者によれば資
本主義生産様式と歴史的生産蓄積から言えば、いずれUSAと日本は時期がづれるにせよ、
戦争をしたであろうと定性されている。朝鮮戦争においてもUSAは勝利することができ
ず、中途で戦略を停止して、マッカーサー将軍をその責任をとる形で解任したのである。
ベトナムにおいては、USA侵略軍は完全に敗北した。その歴史的生産蓄積こそ古代以来
の中国との対峙である。ベトナム・朝鮮という場所は一時的後退があろうと、帝国が植民
地できる場所でないことを、帝国軍創設者山県有朋は甘くみた。そして伊藤博文の上昇す
る人生は朝鮮において地獄へとたたきおとされた。

 朝鮮・韓自己遺伝子と模倣子の場合は、中華自己遺伝子と模倣子、そして日本自己遺伝
子と模倣子におびやかされることにより、おのれの主体を意識せざるえない情熱的な自己
遺伝子と模倣子として形成される。たとえば現在、韓国の国旗である太極旗は、ある時間
の極が到来すると逆転するというパラムの円環である。それは他の自己遺伝子と模倣子に
よって、ある時間が支配されたとしても、その時間が極に達すると逆転し、おのれの自己
遺伝子と模倣子の道が開けるとする風の思想である。そこに草原から発声した騎馬民族の
においがする。遊牧騎馬民族のシンボルは古代ローマ帝国にしても、中世モンゴル帝国に
しても、近代オスマン・トルコ帝国にしてもシンボルは狼である。狼とはつまり風の思想。
 六〇〇年代という七世紀の東アジアの表層空間に激突する部族の政治闘争こそが、総体
としての韓・朝鮮自己遺伝子と模倣子、総体としての日本自己遺伝子と模倣子を誕生せし
めた。特に最大要因は、朝鮮半島南部を戦場とした、唐・新羅連合軍と百済・日本連合軍
との海上・陸上にわたる全面戦争である。そして、高句麗・新羅・百済によるどの自己遺
伝子と模倣子が未来に継承できるかをめぐる壮絶な戦争は、そのまま、日本にも、波及す
る。百済と同期化を図った曽我一族執権の転覆は百済王権内の権力闘争が日本で勃発した
「大化の改新」である。このとき現出したのがやがて藤原執権王朝の祖である、藤原鎌足
である。かれは騎馬民族のシャーマンである神官であった。百済王権の内紛を弱点として、
攻めたのが唐帝国と同盟を結んだ新羅であった。

 六六〇年日本の王権は百済に援軍を派兵することに決定する。もともと日本とは馬韓か
ら誕生し、馬韓は百済へと統合されたのだから、この時の百済と日本は同期上に存立して
いた。翌年六六一年には、司令部もかねる政治の中心地を北九州の朝倉宮に移す。総力を
あげての戦時体制である。しかし六六三年に百済・日本連合軍は白村江戦において大敗す
る。こうして百済は消滅した。百済の全官僚機構は日本へ亡命する。

 六六七年北九州から近江へ政治の中心を移動させる。敗戦処理である。「日本書紀」に
はこの白村江戦敗走から近江遷都までの4年間、全く記録されていない。論理と物語はす
ざましい表層空間の激突、それによるおそるべき人間関係がもたらす敗北の地獄編を記述
することができず、沈黙する。内部と深層とするためには言語化されなくてはならないの
だが、表層空間の激突とは人間の想像力を不断に超越するからである。人間は対象化でき
ぬ出来事は言語水準によって記述できない。わたしが、現在、一九七〇年を記述できるの
は三十年間、表層空間の激突で鍛えられたからである。論理と物語が沈黙した表層の出来
事は、その後の時代をウィルスとして内部と深層に侵入する。出来事とはウィルスである。

 民衆存在が記述されるのは古代から決定されている。生産力と労働力としてのみ、台帳
に記述される記号である。民衆の物語と時間は民衆から詩人が誕生しないかぎり記述され
ない。現在としての表層空間に登場する人物こそが、自己遺伝子と模倣子である。「偶然
はあまりに必然だった」これが模倣子。表層空間との関係項としての模倣子の存在はいず
れあきらかになるであろう。いまは、七世紀にもどろうではないか。

 戦争とは終戦から開始されると言われている。つまり表層空間の激突は内部・深層へと
はいりこむ。そこから戦争の経験は起動するのである。それが第二次世界大戦後の五十五
年間の内容であろう。ゆえに出来事はなんらかの形態として戦争との関係項にある。神田
の古本屋で「日本戦争論」を買って読んだ。侵略戦争時に発行された本で、ほとんど、エ
ンゲルスとクラウゼヴィッツの自己解釈であった。戦争とはおのれの一点をいかに防御し、
敵の戦闘力を壊滅するかにある、この原点が思想として把握されていない。中国戦線にお
いて毛沢東持久戦によって日本陸軍はゆえに敗北したのである。七十年代新左翼の党派戦
争によってクラウゼヴィッツ「戦争論」は、実践と現場において対象化された。

 わたしは七十年代から八十年代「戦争論」は何回も読了した。あの岩波文庫は、赤線、
緑線青線、黒線とアンダーライインがかさなって引いてある、それほど主体化しなければ、
八十年代は生きてこれなかった。二十一世紀初頭とは二十世紀崩壊の表土喪失が内部・深
層に入り込んだ、アンダーグランド展開として侵攻する。アンダーグランドこそ、明るい
「商品生成=消費」が消却した、記述されなかった時間・実践と場所である。

 表層空間と人間関係の激突は空間の不均衡をもたらす。政治者はこの激流にのまれまい
と抗する。その場合、二通りのタイプが現出する。建築の意志と強靭な精神力を政治空間
の激流によって、わが面を洗いおのれの骨格を目的意志的に形成せんとする政治者のタイ
プ。もうひとつのタイプは自然生成的タイプである。この場合、政治空間の激流は不断に
おのれの都合によって解釈され、表層はおのれの内部の延長と錯覚する。表層が均衡し安
定している場合は、この種の自然生成的タイプの政治者は生き延びることができるが、表
層が不均衡で政治空間が激流化しているときは敗北する。

 表層とはあらゆる人間の内部が行為として、表出する空間である。建築の意志を強靭な
精神力で支える政治者は、こうした動きを予測しシミュレーションする。推論構築力と想
像力が武器となる。囲碁・将棋とはシミュレーション・ゲームであり、相手の戦法の動き
と精神的諸力のゆらは、重要な推察対象となり、読む行為とは解釈のためでは
なく、おのれが打つ次の手のためにある。

 総力をあげて戦った白村江戦争の敗戦は、ときの王権基盤を動揺させたに違いない。こ
の戦争計画決定者であった天智政権は、対馬、九州北部の砦を強化しながら、内部を建設
していった。戦争とは攻撃よりも防御である。防御とは戦争を通して、戦争を遂行できる
組織建設。ゆえに野球でも守りが重要となる。いかに敵の攻撃を封じ込めるかが武装の第
一条件となる。その機構を推進したのは百済官僚機構であった。強力な「唐帝国」という
他者を、彼らは肉体・身体的知覚ににって、敗戦から学習した。

 万葉集にあらわれる、よみ人知らず防人の歌の表層空間とは、一方においてユーラシア
大陸をみすえる非日常としての日常があり、他方においてこの非日常から喪失した故郷の
日常を思うおのれがいる。詩人とは情を深め歌を発生させる。重要なのはおのれの感受性
を文字に表記する行為は、中華文明から漢字の移植なしには成立しなかったということで
ある。文字をわがものとすることによって、われわれは詩と物語を誕生させることが可能
となる。だがすでに私的所有としての内部になった以上、おのれの喪失した過去は、この
島では沈黙し永遠に掘り返されることがない、深層へと埋められなくてならない。

 自然生成的な音声文字は、空間に交差する人間関係の出来事、あるいは神と人間との関
係として、空間の音が内部となる。それに対し形象文字はある対象の形とイメージが内部
となる。きわめて人間の人工的構成の建築的な情念がすでに歴史として漢字の内部にはあ
る。漢字には文字をつくる職人が存在していた。それゆえに形象文字なのだ。モンタージ
ュ言語としての漢字は、それまでの王朝の私的所有であったが、7世紀の日本にある一定
のスピードをもって浸透していったと思われる。高度情報・高度技術を持った他者の参入
によって。

 「白村江敗戦後」天智政権は、近江の遷都をはたし、日本最初の課税の台帳と、人民の
身分を確定する氏姓の台帳づくりとしての戸籍制度を導入する。人民支配の基礎を確定せ
んとしたのである。

 対外戦争の敗北から、天智政権が学習したことは、強力な内部形成としての内政であろ
う。それまでの自然生成的人民支配から、台帳記入によって人民の表層空間としての生活
を支配する革命的な方法は、もちろん高度情報・高度技術をもつ官僚の存在なしににはあ
りえない。百済からの政治亡命者と王権参入と、軍団部族による地方への国造り部として
の東部開拓によって、台帳記入人民支配方法は可能になったと思える。USAは西部開拓
であり、南北戦争であったが、それと同期としてある、日本は東部東北開拓であり、西日
本と東日本の戦争である。USAの北部と南部の風土が違うように、日本は西と東の風土
は違う。朝鮮・韓国においても、高句麗・新羅・百済の風土は今日まで差異として継承さ
れている。

 すでに前世紀から、中国・エジプト・ギリシア・ローマ、そして朝鮮三国はこのような
台帳記入による人民支配を確立し、国家を形成していた。国家の基礎とは課税の台帳記入
であり、支配する人民の氏姓と家族、および奴隷の数を明らかにする台帳記入である。そ
れを担う官僚は生成する。七世紀の日本は中国と二千年の落差があった。他者によっ
て、その落差を学習した天智政権は、国家政治の中心としての首都を形成し、次にその首
都から全国に命令を下す基礎としての人民台帳をつくった。律令制度への胎動。行政官僚
機構の誕生。国家宗教である仏教の各地に建設した国分寺。それらの参謀こそが藤原鎌足
であった。官僚機構による日本文明はこうして誕生した。

 推古女王・聖徳太子時代の執権であった曽我一族によって百済仏教は急激に取り入れら
れ、上からの革命を推進したの曽我入鹿であったが、天智と鎌足によるクーデータで、曽
我一族は抹殺されるのだが、曽我一族の政策は「大化の改新」としてより貫徹されたこと
は、明治維新が徳川幕府末期の「開国」政策を貫徹したのと同期である。

 天智大王が六七一年に死亡すると、翌年すぐさま「壬甲乱」とよぶ、内戦が現出した。

 王位継承をめぐる内戦である。王の兄弟や王の息子たちが、王位継承をぐって、王権内
権力闘争を現出するのは、ヨーロッパ史をみても同期している。ある王朝内部の権力闘争
こそが、その王朝の臣下にすぎない部族長を学習させ、その王朝内部権力の弱体をねらっ
て、王を殺す。王を殺した部族長はその王朝の血統を切断し、まったく異質な王として多
部族におのれを認めさせおのれの王朝をひらく。これが権力政治闘争の常識なのだ。ただ
しこの常識は血統が重要となる父権王朝の場合であるが、血の戦いが臨界点に達し極度の
不均衡になると女王が誕生する。それが天武大王死後の六九〇年、持統天皇である。持統
天皇女王の執権が、天武大王の魔手から、シャーマンたちに命を守られた鎌足の子、藤原
不比等であった。藤原とは藤が国土に広がるという意味であり、藤原一族は平城京から平
安京への支配貴族へとのし上がっていく。不比等とは不死鳥の意味。その一族は昭和の近
衛内閣であり、九三年の細川内閣まで、血統は継承してきた。まさに天皇制と同期してき
た。

 「壬甲乱」の内戦において、新羅の王子であった大海人王子は、天智大王の息子である
大友王子を敗北させる。大海人王子は東へ開拓団として移住した戦闘部族を組織した。勝
利した彼は六七三年「天武」として大王の地位を剥奪する。天智大王が学習したことは、
王位継承をめぐる血のすざましい内部権力闘争を続けていけば、いずれわが王朝は滅亡す
るという危機意識である。彼は朝鮮半島における、唐・新羅同盟軍と百済・日本連合軍と
の総力戦を戦争指揮し、その敗北による打撃を経験した。その敗戦から、内部たる国家建
設に尽力し、おれの息子へ継承しようとしたが、天武によって転覆されてしまった。この
七世紀は、謎の四世紀、魏志倭人伝にある記述、壮絶な倭人による内戦を反復した。まさ
に騎馬民族部族による大王をめぐる内戦であった。天智大王は、これら血の闘争の歴史で
あった「倭」(やまと)の過去を消却し、あらたな「日本」を対外的に誕生させる方向感
覚に向かった。日本とは戦国時代が周期的に反復し、そこから女王が安定させていくので
ある。徳川家康は戦国の女たちの願いから誕生した。

 ある政治共同体はおのれが参入し投企した政治闘争や戦争の、敗北・敗走の処理と総括
をめぐって分裂する。その反対に勝利した軍の政治共同体はより一層団結する。なぜなら
敵の敗北という表層空間によって、おのれの強い内部を力として確認でき、おのれの可能
としての空間が拡大するからである。しかし勝利した側のシステムが衰退期に没入してい
るのであれば、逆にその勝利によっておのれを自身を喪失してしまい、システムは固定化
していく。その結果、やがて政治共同体の内部は自壊し、現在から漂流していく。

 七世紀の日本とは、まさに朝鮮半島の高句麗・新羅・百済による国家消滅をかけた三国
戦争に規定された戦国時代であった。ここから八世紀初頭に日本は誕生したのである。そ
れが「古事記」であり「日本書紀」である。官僚機構による日本文明と日本歴史の誕生で
ある。千二百年がたち、時間は千支臨界点である。ゆえに天皇制の時間は終わろうとし
ているのである。あらたなる日本文明と歴史が誕生するのかどうか、それが、二〇〇一年
に死者たちから問われている内容である。この革命たる維新に失敗すれば、日本はもはや
国家消滅という百済・新羅・高句麗の運命をたどることは間違いない。ゆえに民衆の文化
ではなく官僚機構の文明こそが、総括される必要があり、制度疲労として官僚機構の腐敗
が元文明の衰退として現出しているのである。

 ヨーロッパに学ぶのは、近代の罪悪としての進歩制度ではなく、ウィルスなのである。
ウィルスとの死闘こそ学ぶ必要がある。それは近代人間を現出したルネサンスではなくル
ネサンスを準備したヨーロッパ中世におけるウィルスとの死闘からである。そこから人間
とは生き物であることが再度、あたらしい人間像として定性される。

 そして、アメリカ合衆国USAは、その誕生から検討されなくてはならない。その解明
による自壊によって、おのれはUSAから離脱でき、世界イメージの再構築が可能的現在
となるのである。理論は制度によっておのれの内部と深層に刷り込まれ書きこまれた映像
と表層を自壊するためにある。理論はおのれを不自由に縛る奴隷の足かせを切断すること
にある。これが場所と実践である。理論とは時間の経験である。

 現在の言説とは、宇宙に飛び立った人間が宇宙船内で、データー記録として、呼び出す
ことができる内容であるか、ということである。本物の力を内在した記録は、生き残るこ
とができるだろう。わたしは、そのために昨年の十二月末からタイピングしてきた。テキ
ストは一九九二年に手書きでファクス原稿用紙にかいたものである。さすがに、遅々とし
てすすまなっかた。それは手書きテキストがエネルギーがあったからである。九二年当時
はいつか、印刷して発行しようと思って書いたのだが、こうして、八年後に鬼怒一族と有
留一族のインターネット秘密サイト「ディアラ・原光景」に掲載になるとは予想していな
かった。これがテキストの力である。


---------------------------------------------------

うわさによれば、天皇(孝明天皇)は天然痘にかかって死んだということだが、
数年後、その間の消息によく通じているある日本人がわたしに確言したところによれば、
天皇は毒殺されたのだという。
この天皇は、外国人にたいしていかなる譲歩をおこなうことにも、断固として反対して
きた。そこで、来るべき幕府の崩壊によって朝廷がいやおうなしに西欧諸国と直接の関
係に入らざるをえなくなることを予見したひとびとによって、片付けられたというので
ある。

-------------------アーネスト・サトウ 【一外交官が見た明治維新】上

兵庫開港の攻防をめぐって、孝明天皇は暗殺されたのではないかと自分は思う。
イギリスが突きつけていたのは、日本列島の総開港であり市場開放であった。
資本主義の交易のためには、日本の幕藩体制は破壊される必要があった。
アーネスト・サトウは横浜で発行されていた英字新聞(ジャパン・タイムズ)に
幕府を廃棄し天皇を中心とした政治体制のシステム革命論を発表する。
これは日本語に訳され、日本の書店で売られていく。
イギリスは明治維新政治体制構想力に関わっている。

戦争とは交通関係でもある。
イギリスは薩摩と長州の戦争を通じて、薩摩人と長州人が好きなった。
世襲制度の末期にあった徳川幕府の政治家よりも、薩摩人と長州人に期待を寄せた。
イギリス人は魚を食べ、何でも食べるから世界帝国になった。
アーネスト・サトウも日本食を食べ日本酒を呑み、日本の作法を徹底的に実践で習得
する。各藩の人間と宴会をやり芸者を呼び、徹底して交流していく。芝居小屋にもい
く。

イギリスが幕府に突きつける要求は、現在日本が、米国政府から「年度要望改革書」で
突きつけられている情況と同じだ。

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日本の下層階級は支配されることを大いに好み、機能をもって臨む者には相手がだれで
あろうと容易に服従する。ことにその背後に武力がありそうに思われる場合は、それが
著しいのである。伊藤(伊藤博文)には、英語を話せるという大きな利点があった。こ
れは当時の日本人、ことに政治運動に関係している人間の場合には、きわめてまれにし
か見られなかった教養であった。もしも両刀階級(武士)の者をこの日本から追い払う
ことができたら、この国の人民には服従の習慣があるのであるから、外国人でも日本の
統治はさして困難ではなかったろう。
だが外国人が日本を統治するとなれば、外国人はみな日本語を話し、また日本語を書か
なくてはならぬ。

------------------アーネスト・サトウ 【一外交官が見た明治維新】下

アーネスト・サトウ
【一外交官が見た明治維新】【上・下】 訳/ 坂田精一 岩波文庫 1960年発行

 二十一世紀現在の日本と明治維新はリンクしている。アーネスト・サトウはイギリス
帝国の情報機関工作員であった。アーネスト・サトウがつくりあげた日本近代のWINDOWS
OS、基本プログラムによって、クーデター明治維新の革命は成就した。アーネスト・
サトウこそ恐るべきアングロサクソンの他者学習能力の具現プログラム起動を体現して
いる。アヘン戦争によって中国はイギリスの半植民地となった。日本はプログラムによ
ってイギリス帝国の代理機関、東アジア侵略戦争立国へと変貌していった。その代償は、
アングロサクソン二重帝国、アメリカよりの、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下だった。


 わたしは、七十年代、八十年代、九十年代、現在の上部機構システム成員による、現場
歴史たる事実の消却を、けしてうのみにはしない。そう、わたしたちはアンダーグランド
の蝦夷なのだ。鬼怒一族は古代、大和朝廷軍によって高原山を追われて以来、各地の地下
人として生存してきた。水田稲作造作の奴隷として西国に流された鬼怒一族は、北条鎌倉
幕府炎上後、勃発した後醍醐天皇と足利尊氏の内戦、朝廷が分裂した南北朝時代、流民と
なって、故郷である高原山をめざした。選び抜かれた者のみを山の民として高原山に送り、
多くの者は、箒川西側にある豊田村へ住み着き、水田稲作開墾をしていった。豊田村には
わが一族が誇る、大和朝廷蝦夷侵略軍将軍坂上田村麻呂を暗殺した所がある。わが一族は
そこを坂上田村麻呂が宿泊した将軍塚として偽装保存することに成功した。坂上田村麻呂
が創建したという木幡神社も実は鬼怒一族が建てた社だった。そしてわが聖地高原山は、
今でも、生命を誕生させた古代地球のエネルギーをそのまま温存しているかのような神秘
に満ちた山である。

 寺山修司寺は古来、役小角(えんのおづね)の教えを継承した修験道の聖地寺だった。
「野に伏し、山に伏し、我、役小角とともに在り」修行を司る根拠地こそ寺山修司寺だっ
た。山岳の高原山で修行し、修験で得た「実修実証の世界」である霊応と験力は「たとえ
親、兄弟といえども、一切他言をしてはならない」ことが掟とされた。それゆえ高原山の
修験道は綱領なき密教となった。さらに高原山の修験道と蝦夷の聖地である青森県の恐山
は通低していた。言語なき身体の歴史こそ野と山に山岳密教にあった。

 幕末、孝明天皇と睦仁皇太子を暗殺したのが、長州のテロリスト伊藤博文と山県有朋だ
った。伊藤博文と山県有朋は長州の大室寅之祐を明治天皇にすり替えたのである。伊藤博
文と山県有朋はイギリスの工作員として、同じく、イギリスの工作員であった坂本龍馬と
ともに徳川幕藩体制を転覆した。

 いにしえの日本を破壊することこそ西欧侵略軍の代理機関明治維新政府の役割だった。
明治元年に出された「神仏分離令」は、山岳修験道を弾圧し、山岳密教を崩壊させ変質さ
せていった。

 寺山修司寺は真言宗智山派に所属することにより、明治維新政府の日本破壊、宗教弾圧
の暗黒時代を生き延びることができた。古来からの神社も明治政府の強権弾圧によって、
四割が消滅させられていった。なにもかも大室寅之祐明治天皇を神とするためだった。

 最後に塩田純一氏の論文「異界の人──日本のアウトサイダー」から抜粋引用したい。
 
 
 -------------------------
  古来、日本人にとって「狂気」とは、社会的規範からの免脱として排除される一方で、
  超自然的存在の憑依によって生じる聖なるものとして崇められるという両義性を有する
  ものだった。精神に異常をきたした者は日常の生活空間とは異なる「異界」へと入って
  いく。この「異界」は、日本の民俗信仰では超越的、観念的な世界ではなく、現実に存
  在する【女比】(ハハ)の国として海や山であり、実際に日常世界=里を捨て、「異界」
  =山に入っていく人々、おそらくは精神病者の例は、「神隠し」の伝承などとして柳田
  国男ら民俗学者によって報告されている。
  
   しかも、注目すべきは、異界と現世の交通が双方向性であり、里への突然の帰還がし
  ばしば伝えられている点である。こうした連続性、可逆性を有する異界=外部と現世=
  内部との関係は、アウトサイダー/インサイダーという空間的な位置関係を明確に示す
  概念とは微妙にニュアンスが異なる。その意味では、「アウトサイダー」という用語を
  敢(あ)えて日本語に置き換えるなら、むしろ民俗学的色彩を込めた、たとえば「異界
  の人」といった言葉こそふさわしいかもしれない。
  
   日本における前近代的な「狂気」の様態として特徴的なのは、「動物憑依」である。
  ヨーロッパ中世においても、精神病は悪魔が取りついたものと信じられていたが、日本
  ではそれはしばしば狐、狸、犬神、蛇、猿、天狗などの動物、ないしは妖怪が憑依する
  ことによって引き起こされるものと考えられた。そして祈祷、その他の方法によってこ
  れらの憑きものを追い出すことで治療は可能とされ、共同体が再びその人物を迎え入れ
  ることもよくあることだった。
  
   <略>
   
   今日、私たち日本人にとって「外部」と「内部」の関係は再び揺らいでいる。「外部」
  を構成するのはかつてのように欧米=近代という単一の価値基準ではない。アジア、アフ
  リカ、さらに伝統的な「日本」ですら、私たちの眼に「外部」として映り始めている。
  「外部」が多様な価値を提示する一方で、「内部」は依然として主体性を欠いたままであ
  る。これは一面では危険な状態だ。何ら明確なクリテリアを持たないまま「外部」=異
  文化のいたずらな消費に陥ってしまうからである。私たちの課題は、確固たる「内部」を
  構築し、「外部」とのふさわしい関係を見出すことである。その意味で、打ち棄てて来た
  周縁、「異界の人」の造形表現に眼を向けることは、真の「内部」を構築する契機となる
  はずだ。
  
      【異界の人──日本のアウトサイダー】  塩田純一 (美術批評家)
  
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                 ──ウィルス・イデオロギー・完──

渡辺寛之


http://plaza.rakuten.co.jp/masiroku/diary/?PageId=3&ctgy=11



 

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