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現代の世界情勢は、戦前に似てきている。私にはそう思われる。戦前の植民地支配の代わりに、ソフトな支配が優越してきただけであ
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投稿者 TORA 日時 2008 年 8 月 13 日 13:07:57: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu173.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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現代の世界情勢は、戦前に似てきている。私にはそう思われる。戦前
の植民地支配の代わりに、ソフトな支配が優越してきただけである。

2008年8月13日 水曜日

◆石油問題のウソの顔=F養老孟司(東京大学名誉教授) 8月12日 GOOニュース (抜粋)
http://news.goo.ne.jp/article/php/world/php-20080812-01.html

先日NHKが、新聞でいえば論説委員に相当する中堅を集めて、温暖化問題に関する数時間の討論番組を放映した。私はたまたまそれを見てしまった。NHKの意見はいわば公論で、世間の一般的意見を代表すると考えていいであろう。

こういう場合、私が気にするのは、そこで語られた内容の是非ではない。「何が語られなかったか」である。当然関係があるはずなのに、何かが語られていない。それならそれは、ここで語るに値するかもしれない。

そこで語られなかったこと、その典型は石油問題である。石油は10年以内にピークアウトする。専門家はそういう意見のはずである。しかしそれは、これまで世間の表にほとんど出てきていない。むしろマスコミが扱わないというべきか。関心のある人は、デヴィッド・ストローンの『地球最後のオイルショック』(新潮社)、あるいはポール・ロバーツの“The End of Oil”(Mariner Books)などをお読みいただければいい。

もちろん石油問題は温暖化問題、エネルギー問題のすべてではない。しかし石油がもっとも重要な要素であることは、論を俟たないであろう。日本人が原子力に関してきわめて敏感なのに、原発が推進されてきたのは、日本がまったくのエネルギー消費国であることに加えて、「石油の一滴は血の一滴」という戦争の教訓があるからに違いない。

石油のピークアウトとは、どういうことか。需要増に供給が追いつけない状況が起こることである。石油の需給曲線は、これまでひたすら右肩上がりを描いてきた。需要は増えつづけ、供給はそれをきちんと補ってきた。おかげで原油価格はほぼ一定に抑えられてきた。それが不可能になるのがピークアウトである。

アメリカ一国をとるなら、ピークアウトが生じたのは1970年ごろである。だから73年には第一次オイルショックが発生する。アメリカはそれまで自国産の石油で需要を賄うことが可能だった。それが石油の輸入国に転じた。石油がなくなったわけではない。国内需要を国内供給では満たせなくなったのである。おかげで原油価格が高騰し、ひいては世界的不況となり、今度は原油価格が下がった。まだ石油の供給には世界的に十分な余力があったからである。

それ以後、世界の60カ国がすでにピークアウトした。ストローンはそう書く。「地球最後のオイルショック」とは、いわば地球全体が「輸入国」になる日のことである。もちろん地球に石油を輸出してくれる星はない。

実質的なピークアウトは、すでに生じている。私はそう思う。5、6月に私は2度ラオスに行って不在がちだったが、帰国後にたまたまテレビで見た最初のニュースは、日本海のイカ釣り漁船が燃料高騰で仕事にならない、操業をやめるというものだった。さらにこの夏、ブータンに行こうと思って予約を頼んだら、ここ数年は毎日飛んでいたブータン航空が週2便に戻ったので、予約が大変だといわれた。燃料費が直撃する分野では、ピークアウトで予想される出来事が、すでに始まっている。原油高のかなりの部分はヘッジファンドのせいにされているが、現代のように情報化が進んだ社会では、実質的なピークアウト以前に、仮想ピークアウトが来てしまうのがむしろ当然であろう。

いわゆる温暖化問題は、知恵者が考えた、ピークアウトに掛けた煙幕ではないか。私はそれを疑っている。クリントン政権の副大統領だったゴアが大声を出し、それに対してノーベル平和賞が出たのもにおう。いわば欧米がグルになっている。ゴア自身は自宅の過大なエネルギー消費を批判されたが、そもそも炭酸ガスを出さないようにするのが「倫理」だというに至っては、笑うしかない。政治家に倫理を求めるのは「八百屋で魚を買おうとするようなもの」だからである。政治は倫理ではない。現実の取り扱い方である。その政治家が「倫理」だというのでは、本気のはずがない。何かの宣伝に決まっている。

ゴアの書物を読めば、あれが一種のデマゴギーであることは、明白である。たとえば後半は禁煙キャンペーンになっている。いまは世界的に禁煙運動ブームで、喫煙の味方をするのはアホだけだが、ここでの議論は、喫煙問題自体には関係がない。ゴアの考え方の是非である。

石油消費、エネルギー消費が急速に増えたのは、中国やインドが「発展」しはじめたからである。個人当たりのエネルギーを世界でいちばん消費するのはアメリカ人である。日本人の4倍になる。それならゴアはアメリカ人に説いているのか。一見そう見える。

しかし、政治家が不人気な倫理だけを選挙民に説くはずがない。ゴアの倫理は、アメリカを透過して、インドや中国に向いているに違いない。少なくともブッシュの任期満了まで、アメリカのエネルギー政策は実質として変わらないはずだからである。アメリカにおける石油の使い放題は、当面は安心していていい。だからゴア自身はエネルギーの使い過ぎでも平気なのである。一方にその安心がなけりゃ、アメリカの政治家が、炭酸ガス排出を制限すべきだなどというわけがない。脚下照顧。

そのブッシュが、つい先ごろ、鎧の陰から衣の袖を見せてしまった。「昨年の穀物不足は、インド人の中産階級3億5000万人が余分に穀物を食べ出したからだ」といい、ただちにインド政府の強い抗議にあった。「アメリカ人は個人当たり、インド人の5倍の穀物を消費しているではないか」と。

「俺たちはやってもいいが、おまえらはやるな」。欧米の心理はそれであろう。それには産業革命以来のいわゆる近代文明、私が石油文明と呼ぶものを創り出したのはわれわれだという、暗黙の矜持があるに違いない。アジア人なんて、真似しているだけじゃないか。

要するに庶民は(懐かしい言葉だが)電車に乗ればいい、自転車に乗ればいい。さらには歩けばいい。健康にもそれがいい。省エネを政府つまり官僚や政治家、あるいはマスコミに説教される必要なんかない。庶民は周囲の必然に従って行動するしかないので、その必然の条件をまともにつくっていくのが、政治や行政の真の仕事ではないか。禁煙運動ひいてはタスポ、自動車の後部座席のシートベルトなんぞという、枝葉の先のゴミ払いみたいなことをさせるために、国民は官僚に給料を支払っているのか。来るべき世界のために本気で戦ってほしい。

現代の世界情勢は、戦前に似てきている。私にはそう思われる。戦前の植民地支配の代わりに、ソフトな支配が優越してきただけである。欧州は世界基準を自分たちのものにしたがる。科学の世界でいうなら、ノーベル賞は頑として手放さず、将来にわたって、その権威を守るであろう。誰が立派な科学者か、それを決めるのは「かれら」なのである。京都賞ではない。日本のETCは、アジアにもはや入れない。欧州基準になったからである。欧米が悪いのか、アジアがバカなのか。その構図は戦前と同じではないか。

代替エネルギーだってどうせ同じこと

民族主義なんて、むろん意味はない。大切なことは、何が本質かということである。産業革命以来の高エネルギー消費型の文明に終わりが見えている。好むと好まざるとにかかわらず、その清算に取り掛からねばならない。私はそう信じている。

いわゆる経済発展は、エネルギー消費と並行する。経済学がそれを「発見」するのは1970年以降のことで、しかもそれを発見したのはドイツの物理学者だった。という話をストローンの本で読んで、開いた口が塞がらなかった。素人が口を出す意味があるわけだ。それまで経済学者は、どこを見て、何を考えていたんだろうか。

なぜ文明はエネルギーを消費するのか。その根本はエントロピー問題にある。自然界では、秩序はいわば同量の無秩序と引き換えでしか手に入らない。エネルギーを消費すれば、たとえば石油を燃やせば、秩序正しく並んでいた炭素や水素の原子が、炭酸ガスや水のような小さな分子に代わり、それらの分子がランダムに動き出す。さらに熱が発生し、空気を含めた周囲の分子のランダムな動きを高める。つまり自然界に無秩序が増える。その代わりに、人間社会は何らかの秩序を手に入れることができる。たとえば冷暖房。

意識が秩序的であるなら、意識が一定時間存在したら、その分の無秩序が溜まるはずである。つまりエントロピーが増大する。それは脳に溜まる。意識は脳の働きだからである。だからわれわれはイヤでも眠る。寝ているあいだは秩序活動である意識はない。寝ているあいだに、脳は溜まったエントロピーを処理する。それには意識活動と同じエネルギーが必要だから、寝ていても起きていても、脳はほぼ同量のエネルギーを消費するのである。

文明とは意識の産物である。文明とはその意味でつまり秩序であり、あるシステムの秩序はシステムの外部に無秩序を放り出す。それが炭酸ガス問題、環境問題の本質である。ヒト自身は眠るから自分のなかに環境問題を起こさないが、「意識が外部化したもの」としての文明は遺憾ながら眠らない。ひたすら秩序を生み出す。それを一般には「便利だ、楽だ」という。本当か?

通勤電車が時間どおり来るから、時間どおりに会社に行かなければならない。それが「秩序」だが、おかげでストレスが溜まる。現代の勤め人のご機嫌の悪いこと。たまにはデタラメに行動したらどうかと思うが、それは「許されない」。なにしろタバコを吸って気を変えるのも、「健康に悪いからダメだ」という人たちの集まりなんだから。マクドナルドにかぎらず、食品には「食べすぎはメタボを引き起こし、糖尿病や痛風の危険を招き、ひいては心臓血管障害の可能性を増やします」と、注意書きすべきではないのか。タバコを吸って気が変われば、気が変わった自分が何をするか、必ずしも予測ができない。予測ができない、つまりランダムさを増す可能性があるものを、文明人は許さない。だからゴキブリや雑草が嫌いなんだろうが。ゴキブリの行動は、予測不能だからね。こうした暗黙の秩序の金縛りにあった若者のなかから、ヒステリーを起こして、ついにはトラックで秋葉原に突っ込むやつが出たりする。

人間は意識だけで生きているのではない。なんと、人生の3分の1は、確実に意識がない。でも、その時間なんか「ない」と見なすのが文明である。眠って意識がなくたって、身体は生きているではないか。意識こそむしろ、身体の部分的な機能にすぎない。その意味での「全き人間」を、近代文明は忘れてしまった。

石油文明を生み出したアメリカ人も、当然バカではない。石油の終わりを予感した人たちが「情報」に移行した。それがビル・ゲイツのウィンドウズであり、いまではグーグルである。どうせ意識の世界なんだから、徹底的に意識のみにしてしまえ。それがインターネットである。大してエネルギーも食わないしね。

残念ながら、その意識は身体機能の一部でしかない。現代人はそれをしぶしぶ認めて、そのうえで何をするかというと、ジョギングをする。意識で身体をコントロールすれば「健康になる」。そう「思っている」。「思っている」のは意識ではないか。身体は意識より大きい。ゆえに根本的には意識は身体をコントロールできない。できると思う人は、自分の命日を背中に書いて歩いてくれたまえ。


(私のコメント)
昨日の「株式日記」で「かつての帝国主義国家と植民地の関係がさほど変わっていないことに気がつくだろう」と書きましたが、東京大学名誉教授の養老孟司氏も同じことを言っている。アジアアフリカの各地は政治的には独立して植民地支配から脱することが出来たが、旧帝国の新自由主義経済で経済的搾取にあっている事には違いがない。

韓国を見ればそれが一番よく分かるだろう。韓国は1997年のアジア金融危機でIMFの管理下に入り、財閥は解体されて銀行も5つのうち4つが外資系になってしまった。多くの財閥系企業も外資の傘下に入り企業利益はみんな資本家と経営陣の懐に入っていく。新自由主義経済とは新たなる見えない植民地支配のイデオロギーなのだ。

改革開放で経済発展した中国も、新たなる植民地支配下に入ったと言うことであり、外資系企業が経済発展の主動力になっている。しかし中国人はバカだから新たなる植民地支配の実態に気がつかないだけで喜んでいる。確かに北京や上海の超高層ビルが立ち並んでいるだけで近代国家になったような気になるのは当然だ。

これは戦前の軍事と政治による支配から、経済による支配に切り替えてきた旧帝国の戦略の切り替えに過ぎない。日本は70年代から外資と熾烈の競争をしてきたから抵抗力はあるが、日本以外のアジアの各国は、資本力や技術力で欧米には敵わない。

日本も90年代の失われた10年は「第二の敗戦」とも言うべき状況でしたが、IMFの管理下に入らずに済んできた。日本のバカなエコノミストは財政赤字を理由に日本もIMFの管理下に置かれたほうがいいという者まで現れた。宮沢大蔵大臣は「日本は破綻状態」とまで言ってのけた。日本国債はボツワナ並みまでに格下げされたりした。

外資はこのように政治家やエコノミストを動員して日本人を洗脳して外資の支配下に置こうと工作していますが、「株式日記」のような反外資プロパガンダ・ブログがゲリラ活動を展開している。それに対して竹中・木村の外資の御用学者がテレビを使ったプロパガンダを展開している。

日本企業が次々と外資の傘下に入れば外資系社外重役が高額な株式配当を要求してくる。新自由主義経済の論理からすれば企業への株主の高額配当要求は当然のことだ。そのため企業は徹底したコストを削るために人件費を圧縮してくる。小泉構造改革で製造業にも派遣社員が認められましたが、構造改革とは外資のプロパガンダなのだ。その為に日本の若年層は3分の1が非正規社員だ。日本の植民地化は着実に進んでいる。

養老教授が言いたいことは旧帝国の勝手な論理であり、アメリカは石油エネルギーを使い放題使ってもいいがインドや中国は使ってはならんという勝手な論理だ。地球温暖化問題と言うのは旧帝国の石油エネルギー独占をカモフラージュした戦略であり、EUとアメリカとのエネルギー分捕り合戦なのだ。

養老教授は「いわゆる経済発展は、エネルギー消費と並行する」という原理は1970年以降に「発見」されたと述べていますが、アメリカが世界帝国になれたのは国内の豊富な石油のお陰であり、国内産石油がオイルピークを迎えたのは1970年であり、オイルショックはアメリカが石油を外国に依存するようになった事で起きた事だ。

現在起きているオイルショックは人口11億のインドと人口13億の中国が経済発展と共に石油をがぶ飲みし始めたことによるものだ。それに対して旧帝国は地球温暖化問題を持ち出して商売にしようとしている。しかし石油がこれだけ高騰すれば省エネせざるを得ないのであり、石油がぶ飲みの帝国アメリカはこれから衰退していくことは物理的にもはっきりしている。

8月4日の「株式日記」エネルギー効率のことを書きましたが、アメリカや中国は日本に比べて非常にエネルギー効率が悪く、特に中国はエネルギー効率は日本の10倍も悪い。北京オリンピックでも停電が心配されていますが、その為に自家用発電機が用意されているほどだ。中国は効率の悪い石炭を炊いて発電しているから大都市はスモッグで覆われている。中国もオリンピック後は無理が祟ってエネルギー不足で発展が停滞することは物理的にはっきりしている。

養老教授が言うには、人間は活動してエネルギーを消費するが睡眠をとることで、脳のエントロピーを処理している。しかし文明は眠ることがないから環境問題という無秩序を作り出してしまう。日本としては中国と言う環境汚染大国が出現したことで経済発展すればするほど酷くなるだろう。水や空気の汚染はもはや取り返しが付かなくなって病気が多発している。

バカな中国人はオリンピックで金を取るたびにお祭り騒ぎですが、環境問題で金を取って欲しいものだ。環境汚染で中国が金メダルならアメリカは銀メダルだ。おそらくオリンピックのメダル獲得競争でも中国とアメリカは競い合うのでしょうが、環境汚染と比例しているのは皮肉な話だ。つまりバカな国民ほどメダル争いで喜ぶのであり、エコロジー文化とは相反する。

天を突くような大男が力を競い合う文明は終わりを告げている。地球上には限られたエネルギーしかないのだから、どれだけ有効に利用して行くかがこれからの文明の課題になる。人口は現在でも過剰な状態であり、石油や食糧問題はこれから断続的な問題になっていく。日本では少子化が問題になっていますが、日本なら7000万人くらいが適正な人口だろう。

アメリカと言えば超高層ビルと大型のアメ車が象徴ですが、中国などの新興国はアメリカを真似して超高層ビルを建てて金持ちは大型車を乗り回している。しかしこれはバカの見本であり、アメリカの石油文明は石油の枯渇と共に滅び去る運命にある。そしてこれから目指すべきは江戸の文明でありエコロジーの文明なのだ。

 

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