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『さらば財務省!』 高橋洋一:著 国債の購入は、日銀にとっては大蔵省への屈服、敗北を意味する。
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投稿者 TORA 日時 2008 年 3 月 27 日 10:34:00: GZSz.C7aK2zXo
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu164.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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『さらば財務省!』 高橋洋一:著 
ハイパワード・マネーを増やすには日銀が国債を購入しなくてはならない。
国債の購入は、日銀にとっては大蔵省への屈服、敗北を意味する。

2008年3月27日 木曜日

(講談社)定価(税込):1785円


◆「さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白」 高橋洋一:著
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2145944

◆日銀が突いてきた大蔵省の弱点

一九九三年七月から配属された大臣官房金融検査部では、当時、焦点になっていた日本長期信用銀行を始めとする、不良債権問題に取り組んだ。

数ヵ月経った頃、ある理財局幹部から連絡があり、「高橋君、君が論文に書いていた事態は本当にあるのか」と、問われた。新たに理財局長に就任した石坂匡身さんとその幹部は、私の論文に目をとめられ、読んで仰天されたようだった。

石坂さんは次の田波耕治理財局長にも申し送ったようで、銀行局検査部に一年いただけで、一九九四年七月、再び理財局に戻された。石坂さんから聞いた田波さんが、「財投の金利リスクの解消はテクニカルなことが得意な高橋君にしかできないだろう。彼にやってもらおう」と決めたらしい。

当時私がやっていた民間金融機関の不良債権問題も重要だが、本家、大蔵省の足下に火がついている。民間金融機関の不良債権どころではない。「高橋を呼び戻せ」となり、私にALMプロジェクトの全権が委任された。

私が緊急の招集を受けた裏には、大蔵省と日本銀行の暗闘も絡んでいた。大蔵省時代から財務省と日銀は微妙な関係にある。

現在、一部の物価は上昇の動きを見せているが、いまだにデフレ基調から日本が脱却できないのはなぜか。日銀が依然として供給するお金一ハイパワード・マネー)を絞っているからだ。日銀プロパーの福井俊彦さんが総裁になってから、日銀のハイパワード・マネーは年率四%減なのだ。資金が供給されないのだから、デフレ脱却などはできるはずがない。

ちょっと脱線するが、二〇〇八年の大学入試センター試験でおもしろい問題があった。「(問)金融政策について、中央銀行が行うと考えられる政策として最も適当なものを以下から選べ
@デフレが進んでいる時に通貨供給量を減少させる、
Aインフレが進んでいる時に預金準備率を引き下げる、
B不況期に市中銀行から国債を買い入れる、
C好況期に市中銀行に資金を貸す際の金利を引き下げる」。

ある日銀担当記者のブログには、「日銀マンはこの問いには答えられない」と書いてある。たしかに、この間、日銀はデフレが解消されていないにもかかわらず、ハイパワード・マネーを減少させ、市中国債の買い切りオペの増額をしなかった。つまり日銀は@を行いBを行わなかったわけで、日銀マンにこの問題を出せば、「正解は@」と答えるかもしれない。

しかし、もちろん、大学入試センター試験の正解はBである。

なぜデフレでも日銀はお金を増やさないのか。突き詰めれば、それは日銀に染みついたDNAに起因する。ハイパワード・マネーを増やすには日銀が国債を購入しなくてはならない。国債の購入は、日銀にとっては大蔵省への屈服、敗北を意味する。日銀の強烈なエリートとしてきよ、つじの衿持が、それを許さないのだ。

根は深い。戦前、軍備拡張路線を受けて日銀は国債を際限なく引き受け、そのつけで終戦後、ハイパー・インフレになった。いわば葵に懲りて膳を吹くあまり、経済合理性とは関係なく、組織のDNAとして国債は買わない。国債引き受けは、日銀の屈辱の歴史なのだ。

いってみれば、日銀のつまらない面子のせいで日本はいつまでもデフレから抜け出せないのである。

自分たちの組織の論理にとらわれているのは大蔵省も同じで、両者は現実の経済そっちのけで、金融政策の主導権争いを続けてきた。

日銀のメンタリティが醸し出す愚策については後に詳しく触れるが、日銀が独自性を確保したのは一九九八年で、それまでは大蔵省の下部組織だった。日銀の生え抜きにしてみれば、大蔵省に牛耳られているのが、今まで以上におもしろくない。

いつも大蔵省にやられっぱなしだった日銀が目をつけたのが、大蔵省のリスク管理の甘さだった。日銀は国庫金を預かっているので、大蔵省の台所事情はなんとなくわかる。大きな金利リスクの存在を嗅ぎつけた日銀は、ここが大蔵省の弱点とみて、総攻撃をかけるべく準備をしていた。

攻める日銀側の中心となっていたのは、当時、日銀の理論の工ースだった深尾光洋さん(現.慶鷹義塾大学教授)だった。深尾さんが陣頭指揮を執り、二、三年前から調査統計局で分厚い「三部作」の論文をまとめ、大蔵省にぶつけようとしていた。

日銀の理事には大蔵省出身者がいる。そのうちのひとりから、大蔵省に日銀の不穏な動きが伝わり、日銀に追い込まれる前に早急に対策を練る必要が生じた。そこで田波局長から白羽の矢を立てられたのが私だった。

ALMの必要性は大蔵省でもそのころにはわかっていた。しかし、外に発注すると、情報が漏れる。かといって内部で処理しようにも、できる者が見あたらない。これが大蔵省の対応が遅れていた理由でもあった。

日銀に狙われているとなれば、なおさら外部に知られては困る。私が命じられたALMのシステム構築はトツプシークレツトだった。

「外部はおろか、省内にも絶対漏れないように」が上からのお達しである。役所では意外に部屋の位置が重要だ。部局でいえば、何かあればすぐに局長に相談に行ける、局長室の前の部屋で、緊急かつ重要な仕事をしている。

ALM準備室は大蔵省三階の局長室の真ん前に設けられた。大きな部屋のなかに間仕切りをして完全な個室がつくられ、私についた部下、三人で机を運び込んだ。資料は一切持ち出し厳禁。仕事内容の口外も御法度で、周りの連中は、あのなかでは何をやっているのだろうと訝しがった。

ALMシステムの構築は、外注して組ませれば二〜三年かかるだけでなく、一〇億〜二〇億円ほどのコストがかかる。私は外注したかったが、しかし、そんな予算も時間的余裕もないし、第一、外に漏れる。また、外部者に資金の流れを把握させるだけでも時間がかかるので、上は自分たちでつくれという。

本来はむちゃな命令ではあったが、われわれはわずか三ヵ月という驚異的なスピードでシステムを構築した。

わざなぜ、こんな離れ業ができたのか。二年前にすでに、半分趣味で、あらかたシステムの原型を組み上げていたからである。

システムができてほどなくして、日銀が大論文の「三部作」を携えて、乗り込んできた。しかし、時すでに遅し、あとの祭りである。三部作は、非常によくできたぺーパーであるが、大蔵省はALMをやっていないという前提で数字を計算している。

自慢したいわけではないが、われわれのやったリスク管理は、それまでの役所の発想では絶対出てこない方法だった。事実、役所でALMを取り入れたのは、大蔵省が最初だった。米国でも財投に似た制度があるが、米国予算管理庁の担当者に「日本ではALMがあるLと話すと、とても驚いていた。日銀は当然、大蔵省もやっていないと決めつけて攻めてきたのだった。

だが、こちらはすでに対応しているので、日銀の数字は間違っていた。

「この数字は違いますね」で終わり。ものの二〇分で決着がついてしまい、三部作論争は幻と消えた。

大蔵省と金融政策での覇権戦争を続ける日銀にとって、財投の欠陥は格好の攻撃材料である。だがそれが不発に終わり、日銀の下の者は不満たらたらで、「三部作は政治的圧力で漬された」と息巻いていた。日銀の若手が悔し紛れにリークしたのだろう、毎日新聞が取材に来たが、これまた「事実じゃない」で、おしまいだった。

一九九五年当時、政界で財投に対して非難の声が相次いだのも、この幻の三部作論争と無縁ではない。日銀が、永田町を回って政治家にレクチャーをしていたのだ。その根幹にあったのが、大蔵省理財局資金運用部が抱えていた巨大なリスクと財投の破綻危機だったが、われわれがいち早く対応したために、日銀は完敗に終わった。

大蔵省を死に至らしめかねない財投の金利リスクを解消した私は、省内では大蔵省「中興の祖」と持ち上げられた。

「今までは竹槍を持ってB29と戦っていたようなものだった。高橋君の開発したシステムはパトリオットミサイルだ」

ある幹部は、いささか古いたとえではあったが、私の成果を賞賛してくれた。(P56〜P61)


(私のコメント)
『さらば財務省』という本は、リチャード・ヴェルナー著の『円の支配者』以来の快著である。『円の支配者』では日銀の内幕を暴露してくれましたが、『さらば財務省』では財務省の内幕を判りやすく暴露している。『円の支配者』も日銀関係者から言わせれば「トンデモ本」というのでしょうが、『さらば財務省』では財務省や日銀関係者は同じように「トンデモ本」扱いするかもしれない。

私はなぜ日本が「失われた15年」から抜け出せないかを研究してきたのですが、大蔵省の財政政策と日銀の金融政策の間違いにあることは間違いない。しかしながら私は部外者なので具体的なことは指摘できなかったのですが、このような内部告発本が出ることによって、私のような外部の人間にも実態が分かるようになる。

大蔵省と日銀の暗闘も『円の支配者』で指摘されてきた事ですが、日銀は自己の面子のために金融政策を誤りながらもそれを認めようとはせず、頑として国債の日銀引き受けを拒んでいる為に日本はデフレ経済に陥ってしまった。財務省も財政再建を優先する為に増税路線に行ってしまって、消費不況を招いてしまっている。

しかし日銀が国債の買いオペをやればデフレが解消されてインフレになる事は分かりきっているのですが、福井日銀総裁になってからハイパワード・マネーはマイナス4%にもなっていると書かれている。これではデフレは解消せずインフレターゲット政策ではなくて、デフレターゲット政策を日銀はしているのだ。

経済実態から言えば年2〜3%位のインフレである事がのぞましのですが、日銀プロパーの三重野総裁、(松下総裁)、速水総裁、福井総裁と続いているためにインフレ政策は回避されデフレ政策が日本経済を窒息させているのだ。(松下総裁は大蔵出身)

松下日銀総裁の時は大蔵出身の日銀総裁でしたが、ノーパンシャブシャブ・スキャンダルなどで大蔵省パージが始まり、責任をとる形で1998年に辞任に追い込まれた。時のアメリカのクリントン政権が日本経済を潰す為に日銀と組んで、日本経済を金融でぎりぎりまで締め上げて、護送船団方式から銀行を潰す政策に変わってしまった。

「株式日記」では一貫して速水総裁や福井総裁のデフレ金融政策を批判してきた。経済評論家の森永卓郎氏なども日銀の金融政策を批判していますが少数派だ。日本のエコノミストや経済記者らは日銀ににらまれたら仕事にならないから日銀の政策を批判しない。

文中でも田波耕治理財局長が出てきますが、次期日銀総裁候補に名前があがった人だ。今回の日銀総裁の空白にも大蔵省と日銀との鬩ぎあいの結果であり、日銀はなんとしても大蔵次官出身の日銀総裁を潰そうと民主党を炊きつけているのだろう。いわば日銀と財務省との勢力争いが日銀総裁の空白を生んでいる。このままでは日銀出身の白川副総裁が日本の金融をまたしても仕切る事になってしまう。

財務省の財政政策もまたミスの連続であり、「失われた15年」の責任は大蔵省の責任が一番大きい。大蔵省は2000年に解体されて財務省と名前が変わりましたが、これはアメリカの財務省の支配下に入ったと言うことだ。そして日銀は大蔵の支配下から独立して人事権も大蔵省から独立した。5年間は総理大臣といえども日銀総裁を首に出来なくなったのだ。

だから日銀総裁がデフレ政策をとるとなると5年間はデフレ経済が続く事になる。だから日銀出身の日銀総裁が続く限り日本のデフレは続く事になる。なぜ日銀はデフレ政策を続けるのだろうか? 日本をデフレにして低金利にしてマネーを金利差でアメリカに流す為だ。その日本の金でアメリカはバブル景気に沸いてきたのですが、サブプライム問題で流れが変わりつつある。

財務省のキャリア官僚たちは東大法学部を出た人によって固められて、それ以外の出身者はよそ者扱いされている。高橋氏は東大の理数学部を出た大蔵省では異彩であり、だから東大法学部出身者たちの欠点がよくわかる。個人個人では非常に頭が良いのですが集団になるとバカ丸出しになってしまう。彼らはゼネラリストでありスペシャリストでないから、専門的なことは学者からの耳学問になってしまって本当のことが分からない。

これからのエリートはゼネラリストである事も必要だがスペシャリストである事も必要な時代になってきている。ゼネラリストだと財務相内では通用しても外界では天下り先で新聞でも読んでいるしか用のないゴミになってしまう。しかし高橋氏のようなスペシャリストなら外界に出ても引く手あまたであり、これからのエリートはゼネラリストであると同時にスペシャリストになれば官僚の天下り問題も生じないはずなのだ。

私自身も大学の法学部出身であると同時に、電気工学科を出た工学士でもある。だから宅地建物取引主任や第一種電気工事士も持っているから、脱サラしてもスペシャリストとして食っていける。しかし東大法学部を出ただけのゼネラリストでは財務省を退職したら何も出来ない。日銀総裁も金融のスペシャリストでなければ勤まらなくなってきている。

だから財務省も、大蔵次官経験者に拘らずに国際金融業務に精通した財務官僚を日銀総裁に据えるべきだと思う。この事は前にも「株式日記」に書きましたが、金融を理解すする為には天才的な頭脳が必要になる。東大法学部程度の頭では数学的な感覚がまるでないから、増税すると税収が減るというマクロ経済の理論が理解できないのだ。


マネタリーベースのグラフ 06年07年とかなり絞っている!


◆ハイパワードマネー...財務省 vs 日銀 3月25日 時事を考える
http://jmseul.cocolog-nifty.com/jiji/2008/03/post_a7c1.html

昨日新宿の紀伊國屋で買ったのはショーケンの本ではなく、池田信夫さんが紹介されていた高橋洋一さんの「さらば財務省!」だった、彼の親分^^竹中平蔵さんも昨日のテレビ番組でみられるように日銀批判を隠さないが、彼もこの本の中で日銀はデフレなのにハイパワードマネー...いわゆるマネタリーベースを絞っていると批判していたので、この10年の推移を調べてみた。

本には日銀が2000年の8月に取った、福井さんの前任者速水さんのゼロ金利解除について、当時プリンストン大学に留学していた彼が、同大学の教授で高名な経済学者のクルーグマンさんとか、現在FRB議長となった当時経済学部長のバーナンキさんなども、ハイパワードマネーを絞っておきながら解除したら、デフレがさらに進行すると日銀を批判していたと書いてある。

グラフをみていただくとわかるが、速水さんがゼロ金利を一旦解除した2000年8月の時点では、日銀は明らかにハイパワードマネーを絞っているので、ココでの彼の批判は正しいと言える、で結局速水さんもゼロ金利に直ぐ戻したと記憶している、しかしその後福井さんに替わる前あたりから、ハイパワードマネーをかなり緩めているのがわかる、批判を受けて日銀が立ち往生したというのが実態かもしれないが...(後略)

(私のコメント)
日銀の金融の調節方法は金利の上げ下げと、マネタリーベースの増加と縮小の二通りありますが、『円の支配者』でこの仕組みは明らかにされた。日銀は金利は下げても資金供給は絞り続けて『失われた15年』にしてしまった。マネーは国際的に動くからマネー供給を増やしても日米金利差があればマネーはアメリカに行ってしまう。日米の金利差を無くしてから資金供給すればデフレは収まると思う。

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