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アメリカの金融機関は超大型が5つしかなくて、そこで何かが起きたら「助けなきゃいけない」と言っても、アメリカの財政が破綻。
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投稿者 TORA 日時 2008 年 10 月 16 日 14:14:25: GZSz.C7aK2zXo
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu178.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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アメリカの金融機関は超大型が5つしかなくて、そこで何かが起きたら
「助けなきゃいけない」と言っても、アメリカの財政が持たず倒産する。

2008年10月16日 木曜日


◆『投資銀行バブルの終焉』 倉都康行:著
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4822246876/

◆アングロサクソンのモデルに賞味期限は来たか? 10月16日 焼鳥屋で語る金融恐慌
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20081014/173831/?P=1

Y それは何か、これはヤバイ、と危機感を感じて辞めたんですか。

倉都 危機感を感じたというよりも、ある程度、やりたいことはやっちゃった、という感じかな。これはちょっと言葉では言いにくいんですけど。

 たぶん僕がやめたころ(2001年)と、同じころにやめた人たちは理由がみんな同じなんですよ。要するにこの仕事の「面白いところ」が、だいたい終わっちゃったんですね。僕らはラッキーといえばラッキーな世代で、20代、30代のときにすごく面白い仕事をさせてもらったんです。

 当時は金融業がスワップを初めとするいろいろな技術を取り入れ始めた、それこそデリバティブズとか、証券化なんかもそうなんですけれども、今までなかったものがどんどん開発されてきた時代です。そしてそれが企業に受け入れられたり、機関投資家にも受け入れられはじめた。

 現状との違いがあるとしたら、実体経済とほぼ歩調を合わせたところで、金融の仕事をしてきたことです。将来予測が絡みますから、ばくち的要素はもちろんあったんですけれども。

Y レバレッジ(借り入れにより投資する金額を膨らませる)が、そんなにかかってない使われ方だった?

倉都 全然、ほとんどかからないぐらいの等身大のビジネスの中でやっていたわけです。市場参加者の異なる需要をどうマッチングさせるか、そのためにこれこれの技術を組み合わせて、新しい商品を開発して市場を起こしてとか、そういう仕事を20代、30代にしてきちゃったので、40代ぐらいになると成長のカーブというか、新しい物事が起こるカーブが緩くなってくる。もうやることがないんですよ。今までの繰り返しだとつまらないということで、そろそろ潮時だよなという。

 さらに正直に言いますとね、40代ぐらいになると、体力がなかなか付いていかなくなる。あの仕事は結構つらいもので、本当に睡眠時間がなかなか取れなくなっちゃったり、それにやっぱり40歳近くなると計算能力や記憶力が落ちるんですよ。

Y それは日々実感しています(笑)。

倉都 記憶力とか、計算力とか、集中力が落ちるでしょう。そうするとすごく危ないんですよね。それは自分で分かるんですよ。何で俺はこんな計算間違いをしたんだ、とか、スプレッドシートなんか作っていても、どうしてもおかしい。でも何でなのかが分からない。翌日もう1回見てやっと原因が分かる、とか、繰り返しているうちに「こんなことやっていたら、俺はいつかとんでもない失敗をする」と思うようになり、そろそろ潮時だなと。

Y カラダや感覚がついていかないというのは、肉体の衰えだけが原因ですか。

倉都 いろいろな意味で、計算さえも含めてですけど、「感覚として、こうやったらこれぐらいの数字になるよな」というものと、状況の変化の速さとか、市場の複雑さというものがだんだん乖離していくような感じです。マーケットが複雑になってきて、今までは例えばアメリカ、イギリスと、日本だけ見ていればよかったのに、中国を見ろ、ロシアを見ろと、多極化すると付いていけないという感じはやっぱりありました。そういったこともあって、踏ん切りが付いた。そのころ辞めた連中と会って話をすると、みんな「あのときに辞めておいてよかった」と言います。

Y でもちょっと惜しくないですか。この夏までは相場は上昇してきたわけで。

倉都 「2001年に辞めてよかった」というのが、本当に偽らざる心境ですよ。

Y そうですか。

倉都 自分が例えば20年ぐらい後に生まれてあの業界に入っていたら、まさに今、この世界でつぶれていた可能性は高いですよね。僕は別に自分がすごく冷静で、自分だけが特別だったからこの危機から逃れられたとは、とても思ってないし、思えないですよ。だから、いまその場にいた人、いる人は不運だったとしかいえない。その人の能力や人格よりも時の運だと思う。中にいたら誰だって「おかしく」なりますよ。

Y 外に出られてから、2001年以降のマーケットを見られてどう思っていたんですか。

倉都 この5〜6年、客観的にはどう考えても、金融市場で扱われているプロダクトは理解できないということはありました。うちのリポートなんかにも何回も書いたんですけれども、僕らの感覚でいうと「この商品にAAA(の格付け)なんてあり得ない。だって、AAAでこの利回りが期待できるなんておかしい、うそだ」と、何回か指摘をしてきたんですよ。

Y それに対して、現役の方からは…

倉都 いやもう、その都度「あんたはもう古い」と批判を受けましたね。「この野郎」と思いましたけどね(笑)。

 現役の連中から「これはもうあんた方には分からないと思うけど、こういう計算をするとこういうふうになるんだ」とか、結構、シビアな反応が来ましたよ。こっちも、ああ、そんな考え方もあるんだねえとかって、それ以上反論する気は起きなかったんですが、納得はできなかったですねえ。

Y すごく変ないい方ですが、どうやっても説明のつかない数字って、実はそんなにないですよね。日経平均が…あれは1989年でしたっけ。

倉都 最高値ですか。1989年末の大納会、3万8915円ですね。

Y 年末に最高値が付いて、来年は4万5000円、5万円も夢ではないという記事を私、読んでいましたから。

倉都 僕も覚えていますよ。

Y 理屈は何でしたっけ。従来とは成長率の計算の基準が変わったからありえるんだ、とか。

倉都 そういうのはありますね。それが正しいと彼らは本気で思っているわけですからね。私の場合も、あえて反論はしませんでしたけど、でもこうなってみればやっぱり結局、感覚的に合わないものというはやっぱり間違いなことが多いと。

Y まして、その世界に生きてきた方の感覚でしたらね。

倉都 こっちも別に素人じゃないですから、20年、30年やってきているわけですから、その感覚でやっぱりおかしいというものが本当におかしかったんだなと。

 その感覚で無責任に言っちゃうと、一番初めにおっしゃいましたけれども、アングロサクソンのモデルはもうだめなのかどうか。特に金融においてですけれども、たぶん、だめですね。

Y おおっ、爆弾発言ですね(笑)。

倉都 しばらくだめですね。しばらくという言い方がいいか分からないですけれども、僕はシティーとニューヨークの地盤はかなり低下すると思います。

 これは収益力が落ちるという意味でもあるし、金融のアクティビティーが落ちるという意味でもあるし、金融史的にいうと、この2大国際金融都市の地位は、大きく変わるという直感がしますね。変化して、元には戻らない。無責任でいいということで申し上げますが、元に戻ることを期待してモルガン・スタンレーに出資した人たちは、ちょっと厳しい時代を迎えるんじゃないですか。

Y JPモルガンがワシントン・ミューチュアルを買収して、バンク・オブ・アメリカもメリルリンチを吸収して、焼け太りみたいにどんどん太っていますが。

倉都 あれは危ないですよ。もうやむを得なくてそうなっているんですけど、意味することはリスクの集中ですから。あんなに大きい金融機関がどんどんできちゃって、そうすると「トゥ・ビッグ、トゥ・フェール」ということが言えなくなるぐらいビッグになっちゃうんですね。

Y 「でかすぎで潰せない」が言えなくなる、とはどういうことでしょう。

倉都 AIGとか、ベアー・スターンズとか、まあ、ベアーは別にビッグじゃないですけど、今ぐらいの規模だったら、「トゥ・ビッグ、トゥ・フェール」で助けられるかもしれないですけど、こんなにどんどんばかでかいのができると、もうそのロジックで助けられるような規模じゃない。化け物みたいなサイズになっちゃって、それでも助けようとするなら、あるいは見限るなら、ほとんど米国の倒産を覚悟、みたいなところまでいっちゃいそうだからです。

 現状のスキームで買収を繰り返して大きくなっていって、気がついたらアメリカの金融機関は超大型が5つしかなくて、そこで何かが起きたら「助けなきゃいけない」と言っても、規模がでかすぎて、アメリカの財政がもう持たない、ということになりかねないような気がしてね。

 結構、アメリカの金融の行方というのは恐ろしい。公的資金が入るとか、バフェットさんがお金を入れるとかして、それで何とかつじつまは合うんでしょうけど、さらなる先行きは結構、怖いですね。僕はもうあまり見たくないですね。

Y そこまで言いますか(笑)。

倉都 本当に考えだすとちょっと怖いです。

Y アメリカの没落は、何を呼び込むと思いますか。

倉都 EUによる、米国からの金融覇権の剥奪ですよ。イギリスからアメリカに行ったのを、今度はEU、ユーロ圏が取り戻すと。イギリスじゃなくてね。

 ドイツ、フランスがどこまでできるか分かりませんけれども、ある意味での社会主義的な金融モデルというのが出てくる可能性があるんじゃないでしょうか。何年後かは知りませんし、僕の勝手な推測で、別に根拠はないですよ。

Y 感覚でおっしゃっているにしても、感覚には感覚なりの土台があると思うのですが。

倉都 やっぱり歴史です。15〜16世紀からの歴史を自分の趣味としていろいろ見ていると、2007〜2008年というのは、すごく大きな変わり目です。これは間違いなくアメリカの地盤沈下ですが、それで次は中国、ロシアが、というシナリオはちょっと難しいと思うんですよ。そうすると社会民主主義型の伝統を持つヨーロッパ型が揺り戻しで主役に出てくる。たぶんシナリオとしてはそういう方向なのかなという感じはしますね。

Y いよいよ無知をさらけ出しちゃうんですが、イギリスというか、シティーというのはユーロ全体の中では、独特の、離れ小島みたいな感覚で見えるんですか。

倉都 それはコインの両方がありますね。ニューヨークとつながっているマーケットだという見方もあります。アメリカ帝国の一部みたいに見えている。でも、やっぱり欧州で金融をやろうとすると、ロンドン市場に上げないと、という、両方があるんですね。

Y イメージ的な話なんですけど、覇権の剥奪が起こるということ、イコール、ロンドン市場が再浮上する、というお話ではないんですよね。

倉都 ロンドンかもしれませんが、そうじゃないかもしれない。だったらフランクフルトとか、パリなのか、それは分かりません。けれども、ロンドン市場ははっきり言って今回、大きなみそを付けました。

 金融行政の在り方はかくあるべし、と、ロンドンは自負してきたわけです。ルールじゃなくてプリンシパルだと言っていた。それが大失敗して「何がプリンシパルだ、ノーザン・ロックの1つも管理できないで」とか言われてます。いかにロンドン市場に200年、300年の歴史があるとはいっても、今回のダメージは小さくない。

Y やっちゃったなという感じなんですね。

倉都 だと思います。ただ、そのときにドイチェバンクなり、フランスBNPパリバとかが、どこまでイニシアチブを取れるか、独仏政府に金融育成のノウハウがあるのか、という問題はあります。結局、「そうは言ってもロンドンのインフラは捨てがたい」ということになれば、やっぱりロンドンを使って、その上で自分たちの哲学なりを、もう1回、再インストールしようと考えるかもしれないですね。そこはまだ分かりませんけど。

 ただ、ロンドンのしぶとさは、今回の公的資金による資本投入を最初に決めたように、危機への処方箋を国家ノウハウとして持っている、ということですね。これは米国やドイツ、フランスにない貴重な財産です。

Y アングロサクソンモデルは賞味期限を迎えつつある、とすると、アメリカの人たち自身はどう感じているか、が気になりますね。「これはやっぱりヤバいぞ」と心底思っているのでしょうか、それともあっさり忘れて元の路線に戻ろうとするのか。こんな話こそ、感覚的にしか言えない問題だと思うのですが、いかがでしょう。

(私のコメント)
今日の朝のテレビを見ていたら、アメリカの大統領選挙のニュースで、マケイン候補の応援者が「アングロサクソンファミリー」と言っていましたが、NHKでは「白人家庭」と訳していた。だからアメリカ人はごく普通に「アングロサクソン」という言葉を使っているようだ。

しかし、もの知りの人は、もっともらしく「アングロサクソン」はフランス人やドイツ人が言うべき言葉と解説しているが、イギリス人からすればスコットランド人もいればアイルランド人もいればウェールズ人もいるわけで、細かく言えばアングロサクソン=イングランド人と言う事でしょう。しかしイングランドにもノルマン人やデーン人もいるわけできわめて曖昧だ。

しかし一般的に言えば、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド諸国の白人をアングロサクソンと言っている。だから英語を母国語とする白人を大雑把にアングロサクソンと言っているのだろう。だから民族学的な言葉ではなくて文化的意味でアングロサクソンという言葉が現代では使われている。

だから日本人も日本語を話す東洋人は日本人なのであり、在日やアイヌなども日本語を母国語として使っていれば日本人と言ってよいのではないかと思う。アングロサクソンが英語を話す白人の意味ならば、ユダヤ系アメリカ人もアングロサクソンなのである。

だから倉都康行氏の言う「アングロサクソンのモデル」は米英の金融資本主義のことをいうのであり、ドイツやフランスのヨーロッパ大陸のモデルとははっきり分けている。日本人は一言で欧米と言った言葉で括りますが、米英文化と大陸文化とは対立する事がある。

第二次世界大戦はヨーロッパ大陸と米英との戦争であり、フランスはずる賢く戦勝国に潜り込んでいるが、ドイツが勝っていればフランスはドイツについていただろう。EUはまさにドイツとフランスが中軸になって設立されたのであり、イギリスやアメリカにはっきりとした対抗意識がある。こうなると立場が微妙になるのが現代のイギリスであり、EUには加盟しているがユーロには加盟していない。

アメリカにしてもイギリスにしても金融立国を目指しましたが、その象徴がウォール街とシティであり世界の金融の中心地であった。その金融の原動力になったのが投資銀行であり、世界の余剰資金を集めて世界に再投資してグローバル戦略を展開した。そのようなアングロサクソンのモデルが破綻しつつあるのです。

倉都康行氏は90年代にグローバル金融に携わった人ですが、デリバティブやスワップなどの金融商品の開発にも加わった人で投資銀行のインサイダーでもあった。私はまだ「投資銀行バブルの終焉」という本は読んではいないが、インタビューでも格付けに対する疑問を述べていますが、米国債にAAAなどと言う最高の格付けがデタラメであるのは明らかだ。

投資銀行が実体経済のスケールに合わせた営業をしていれば問題は無かったのでしょうが、投資銀行は金融帝国主義の主体となって金融で世界を支配しようとしていた。投資銀行の社員はエリート中のエリートであり社員は1億円以上の給与を貰って、女性でも1万人以上の人が1億円以上の年収を得ていた。

このような金融資本主義は地に足がついたものなら簡単には破綻しないものですが、証券化ビジネスや格付けビジネスは商業モラルが低下すると破綻するものであり、格付け会社は格付け会社から金をもらって格付けを上げていた。証券化ビジネスも他に売り飛ばしてしまえばいいわけであり、サブプライムが切り刻まれてファンドに潜り込ませて売ってしまったから世界的金融危機が起きたのだ。

アングロサクソンは戦争で勝つ事で世界の覇権を持つことが出来ましたが、日本との世界最終戦争で核兵器を使用した事で自らの手を縛る事になってしまった。核戦争の時代ともなるとアメリカ本土と言えども核ミサイルの脅威にさらされて戦争が出来なくなってしまった。

戦争が生業のアングロサクソンは、戦争が出来なくなると金融で世界支配を試みようとしたのだろう。大戦後は朝鮮戦争からベトナム戦争・イラク戦争に至るまでアングロサクソンは戦争に勝てなくなり限定戦争を余儀なくされた。いわば自分で墓穴を掘っているようなものですが、戦争によって栄えたアングロサクソンは戦争ができなくなった事で覇権は終わろうとしている。

それに代わって金融による経済覇権や英語による文化覇権は戦争に代わり得る手段だろうか? 戦争に強ければ経済覇権や文化覇権はついてきたのですが、これからは経済力と文化力で覇権は争われるようになるのだろう。アングロサクソンは経済力や文化力でもでも覇権をとり続けていけるのだろうか?

それを考察するには、アングロサクソンの文化を知らなければなりませんが、太田述正氏のブログには「アングロサクソン社会は当初から資本主義社会であり、それと同時に反産業主義であった」ということです。彼らにとっては戦争が生業であり、平和な時は酒を飲んで賭け事に夢中になっていた。勤勉に働くという事は彼らの文化には無い。

だからこそ大戦後には限定的な戦争で覇権を維持したのでしょうが、イラク戦争やアフガニスタン戦争は大義のない戦争であり、アングロサクソンの時代は終わったとも言える。核戦争の時代では戦争で決着をつけることは不可能だからだ。それで彼らはバクチで稼ぐ金融覇権を試みたのですが、今回見事にそれは失敗した。

アングロサクソンは、ローマ化した大陸のゲルマン民族とは違って、戦争好きなゲルマン文化を多く残していた。個人主義と自由主義はアングロサクソン文化でもあり、大陸の全体主義文化や社会主義文化とは相容れないものだ。しかし今回の金融恐慌は社会主義的な方法でしか混乱は収められないものであり、市場原理主義は敗れたのだ。

だからこそ倉都康行氏は、社会民主主義的な伝統を持つEUが主役に踊り出るだろうと予想していますが、そもそもヨーロッパ全体が戦争好きなゲルマン文化の要素を持っており、ヨーロッパの歴史は戦争の歴史でもあった。すなわち全面戦争が出来なくなった時代は長く平和が続き、戦争で決着をつけるアングロサクソンの文化は衰退せざるを得ない。


◆読者によるコラム:太田アングロサクソン論(その1)  9月1日
http://blog.ohtan.net/archives/51258673.html

「タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫1979年4月。原著は97-98年(1世紀))は、ローマ時代のゲルマン人について記述した有名な書物ですが、以下のような記述があります。
 「人あって、もし彼ら(筆者注:ゲルマン人のこと)に地を耕し、年々の収穫を期待することを説くなら、これ却って、・・戦争と[他境の]劫掠<によって>・・敵に挑んで、[栄誉の]負傷を蒙ることを勧めるほど容易ではないことを、ただちに悟るであろう。まことに、血をもって購いうるものを、あえて額に汗して獲得するのは欄惰であり、無能であるとさえ、彼らは考えているのである。」(77頁)
 これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。
 こういうゲルマン人がやがてローマ帝国に侵攻し、これを滅ぼしてしまうのですが、欧州大陸のゲルマン人はやがてローマ化していまい、戦争が生業ではなくなっていきます。
 ところが、ローマが自分でイングランドから撤退した後、文明のレベルが違いすぎてローマ文明を受け継ぐことのできなかった原住民のブリトン人(ケルト系)を、スコットランドやウェールズといった辺境に駆逐する形でイングランドを占拠したアングロサクソン人(ゲルマン人の支族たるアングル、サクソン、ジュート人がイングランド侵攻後、混血したもの)は、ゲルマン「精神」の純粋性を保ち続けます。
だから、アングロサクソンにとっては、戦争は生業であり続けたのでした。」(コラム#41(*1)より抜粋)

 

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