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「世界の巨大金融機関を救うのは金融機関ではなく、金融機関の破綻で苦しむ国民」 ──国家が試されている 【新井淳一】
http://www.asyura2.com/08/hasan59/msg/850.html
投稿者 愚民党 日時 2008 年 11 月 22 日 16:44:48: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 「山が騒がしい。獣たちが落ち着かない。だから獣たちは里に降りてくる」 金融ハルマゲドンが始まった 【行政調査新聞】 投稿者 愚民党 日時 2008 年 11 月 22 日 16:28:16)

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/jcer05.cfm

新井淳一の先を読む──国家が試されている(2008/11/20)

 「銭(せん)」という文字は、もと「泉(せん)」という字であった。銭の役目は泉の水が地中を流れているように、世の中を走り回って、世の中を潤すことである
(荻生徂徠「政談」中央公論社)

 米国のサブプライム問題から始まった世界の金融危機とは、江戸の儒者、荻生徂徠のいう泉の水が涸れて流れなくなった状態を指すのではないか。各国中央銀行の懸命な努力にかかわらず、金融市場には安定が戻らず、機能不全が続いている。株価も各国市場で大暴落と急上昇で不安定なまま。実体経済も不況の様相を強めてきた。銭(せん)が世の中を走り回れなくなったのである。


 世界の株価の乱高下は、市場が国家や政府を試しているからだとも言える。サブプライム問題で傷ついた金融機関を本当に助ける気はあるのか、具体的な方法は、その裏付けとなる資金は等々。各国が有効な対策を発表すれば、株価は上昇するが、ちょっとでも隙(すき)を見せると容赦なく売り浴びせる。世界金融危機とはグローバル化した市場と国家との戦いともいえるわけだ。


 グローバル化で国の枠をはみだし、国家と対立する立場でもあったのが世界の巨大金融機関である。それを国家が救うのは歴史の皮肉としか言いようがないが、政府以外は信用できないという異常なムードが市場を支配しているのだから皮肉を言っても仕方がない。救うのは金融機関ではなく、金融機関の破綻で苦しむ国民であると考えれば、理屈もつく。


 問題は、国家がいかに頼りがいのある存在であっても、今回の金融危機のように一国の政策だけでは解決できないことがあるということだ。現に欧州の小国であるアイスランドやスイスは国の規模に比べ大きすぎる自国の金融機関の扱いに苦慮している。大国である米国だって自国の金融機関に政府資金を大量に直接投入することになれば、その資金手当ては他国に頼ることになる。中国や中東諸国、そして日本などが米国債の購入を渋るだけで米国の金融システムが機能しなくなる。


 金融危機を学校のクラスにたとえてみたい。勉強のできる子もいれば不得意な子もいる。この子たちはアルバイトなどでためたお金を持っている。そのお金をクラスで一番勉強ができてIT(情報技術)操作にたけたU.S.という名前の生徒に一任して増やそうとした。最初はうまくいったが、結局は秀才生徒のひとりよがりで大失敗。まあ、こんなところだろう。


 日本のバブル崩壊と今回の世界金融危機はよく似ているといわれる。たしかに似た面はある。しかし、決定的に違うのは、今回は世界中の国々を巻き込んだグローバルなものであることだ。クラス全員の危機であり、日本という生徒がひとりピンチだった1990年代とは違う。麻生太郎首相は「日本は資本投入して他国に迷惑をかけなかった。堂々と日本の経験を語れる」と述べているが、これは当然のこと。当時は日本という国家ひとつで解決できる程度のものだったからだ。


 絶対に確実なことは、この投機の世界はささやきによってではなく大音響によって終末をむかえるということである
(ジョン・K・ガルブレイス「バブルの物語」ダイアモンド社)

 29年の大恐慌の時も暴落の直前まで米国へ資金が集まっていた。英国などから金(きん)を積んだ船が続々、ニューヨーク港へ到着。欧州の大銀行はイングランド銀行とフランス銀行を除いて、ニューヨーク連邦準備銀行の配下になったともいわれた。今回も危険を知らせる兆候はいくつもあったが、基本的に資金の流れは同じである。


 では先行きはガルブレイス氏のいう通り大音響なのであろうか。29年の大暴落から30年代の大不況、失業者のまん延、保護主義の台頭から第二次世界大戦へ。大音響という言葉を深刻に受け止めると、こんなことになる。「これから先その可能性がない」とはっきり言えないことも事実であるが、まあ、そこまで悲観する必要はないだろう。


 しかし、ガルブレイス氏の大音響を実体経済の急変と深刻な落ち込みととらえるなら、これは避けようもない明日の世界である。米国や欧州経済の立ち直りには時間がかかる。日本もすでに景気後退に入った。頼みの新興国・中国やインドも成長スピードが落ちる。投機の世界の終えんが実体経済を大音響とともに暗転させたのである。


 結局は、国の枠を超えた国際協調が成功するかどうかなのである。大恐慌時に比べれば、協調のネットワークはたしかに整っている。G7にみる各国当局による政策協議やBIS(国際決済銀行)を中心とした協調行動がそれに当たる。しかし、しょせんは国と国の協調である。ひとつの国が離脱するだけで協調の輪は崩壊する。離脱とまで行かなくても、特定の国が協調に熱心でないというだけで市場はちょっかいを出して国家を試す。その危険を常にはらんでいるとみてよい。


 今回の金融危機の対応では、米国や日本に比べ欧州諸国の政策展開の早さが目立つ。大手銀行への公的資金投入にもためらいがなかった。それだけに欧州の国々は一国の力に限りがあると思っているのかもしれない。欧州連合(EU)という国家を制約する存在に日頃から慣れているといえば、それまでだが、グローバル金融を飼いならすには、米国のように独力で何でもできると思っては駄目だ。他国を頼りに協調の輪を拡げる欧州方式の方がうまくいくような気がする。国際協調こそ21世紀グローバル経済のキーワードなのである。


新井淳一の先を読む──国家が試されている(2008/11/20)
 「銭(せん)」という文字は、もと「泉(せん)」という字であった。銭の役目は泉の水が地中を流れているように、世の中を走り回って、世の中を潤すことである
(荻生徂徠「政談」中央公論社)

 米国のサブプライム問題から始まった世界の金融危機とは、江戸の儒者、荻生徂徠のいう泉の水が涸れて流れなくなった状態を指すのではないか。各国中央銀行の懸命な努力にかかわらず、金融市場には安定が戻らず、機能不全が続いている。株価も各国市場で大暴落と急上昇で不安定なまま。実体経済も不況の様相を強めてきた。銭(せん)が世の中を走り回れなくなったのである。


 世界の株価の乱高下は、市場が国家や政府を試しているからだとも言える。サブプライム問題で傷ついた金融機関を本当に助ける気はあるのか、具体的な方法は、その裏付けとなる資金は等々。各国が有効な対策を発表すれば、株価は上昇するが、ちょっとでも隙(すき)を見せると容赦なく売り浴びせる。世界金融危機とはグローバル化した市場と国家との戦いともいえるわけだ。


 グローバル化で国の枠をはみだし、国家と対立する立場でもあったのが世界の巨大金融機関である。それを国家が救うのは歴史の皮肉としか言いようがないが、政府以外は信用できないという異常なムードが市場を支配しているのだから皮肉を言っても仕方がない。救うのは金融機関ではなく、金融機関の破綻で苦しむ国民であると考えれば、理屈もつく。


 問題は、国家がいかに頼りがいのある存在であっても、今回の金融危機のように一国の政策だけでは解決できないことがあるということだ。現に欧州の小国であるアイスランドやスイスは国の規模に比べ大きすぎる自国の金融機関の扱いに苦慮している。大国である米国だって自国の金融機関に政府資金を大量に直接投入することになれば、その資金手当ては他国に頼ることになる。中国や中東諸国、そして日本などが米国債の購入を渋るだけで米国の金融システムが機能しなくなる。


 金融危機を学校のクラスにたとえてみたい。勉強のできる子もいれば不得意な子もいる。この子たちはアルバイトなどでためたお金を持っている。そのお金をクラスで一番勉強ができてIT(情報技術)操作にたけたU.S.という名前の生徒に一任して増やそうとした。最初はうまくいったが、結局は秀才生徒のひとりよがりで大失敗。まあ、こんなところだろう。


 日本のバブル崩壊と今回の世界金融危機はよく似ているといわれる。たしかに似た面はある。しかし、決定的に違うのは、今回は世界中の国々を巻き込んだグローバルなものであることだ。クラス全員の危機であり、日本という生徒がひとりピンチだった1990年代とは違う。麻生太郎首相は「日本は資本投入して他国に迷惑をかけなかった。堂々と日本の経験を語れる」と述べているが、これは当然のこと。当時は日本という国家ひとつで解決できる程度のものだったからだ。


 絶対に確実なことは、この投機の世界はささやきによってではなく大音響によって終末をむかえるということである
(ジョン・K・ガルブレイス「バブルの物語」ダイアモンド社)

 29年の大恐慌の時も暴落の直前まで米国へ資金が集まっていた。英国などから金(きん)を積んだ船が続々、ニューヨーク港へ到着。欧州の大銀行はイングランド銀行とフランス銀行を除いて、ニューヨーク連邦準備銀行の配下になったともいわれた。今回も危険を知らせる兆候はいくつもあったが、基本的に資金の流れは同じである。


 では先行きはガルブレイス氏のいう通り大音響なのであろうか。29年の大暴落から30年代の大不況、失業者のまん延、保護主義の台頭から第二次世界大戦へ。大音響という言葉を深刻に受け止めると、こんなことになる。「これから先その可能性がない」とはっきり言えないことも事実であるが、まあ、そこまで悲観する必要はないだろう。


 しかし、ガルブレイス氏の大音響を実体経済の急変と深刻な落ち込みととらえるなら、これは避けようもない明日の世界である。米国や欧州経済の立ち直りには時間がかかる。日本もすでに景気後退に入った。頼みの新興国・中国やインドも成長スピードが落ちる。投機の世界の終えんが実体経済を大音響とともに暗転させたのである。


 結局は、国の枠を超えた国際協調が成功するかどうかなのである。大恐慌時に比べれば、協調のネットワークはたしかに整っている。G7にみる各国当局による政策協議やBIS(国際決済銀行)を中心とした協調行動がそれに当たる。しかし、しょせんは国と国の協調である。ひとつの国が離脱するだけで協調の輪は崩壊する。離脱とまで行かなくても、特定の国が協調に熱心でないというだけで市場はちょっかいを出して国家を試す。その危険を常にはらんでいるとみてよい。


 今回の金融危機の対応では、米国や日本に比べ欧州諸国の政策展開の早さが目立つ。大手銀行への公的資金投入にもためらいがなかった。それだけに欧州の国々は一国の力に限りがあると思っているのかもしれない。欧州連合(EU)という国家を制約する存在に日頃から慣れているといえば、それまでだが、グローバル金融を飼いならすには、米国のように独力で何でもできると思っては駄目だ。他国を頼りに協調の輪を拡げる欧州方式の方がうまくいくような気がする。国際協調こそ21世紀グローバル経済のキーワードなのである。


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