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投稿者 あ+ 日時 2008 年 12 月 26 日 19:49:21: 8WlTWJKy3iQ86
 

● 余談 新自由主義の終焉 学歴差別社会を求めた民衆が得たもの

 【はてな引用: 20世紀に入ってから、伝統的自由主義に対する修正の動きが明確になる。これが「福祉国家」とよばれる動きであり、年金、失業手当、医療保険、最低賃金等の社会保障・福祉政策を充実させていった。他方、経済政策においてはケインズ主義に基づく国家の介入が正当化されてきた。例えばアメリカのルーズベルト(FDR)政権は、従来の「自由主義」的経済運営を修正し、ソーシャルセキュリティー制度の創設、連邦政府の大規模公共事業による景気回復を図った。
 このような高福祉・政府の経済介入、いわば「大きな政府」路線は、1970年代の為替自由化、オイルショック、それに伴う高インフレ、高失業によって修正を余儀なくされる。特に、第二次世界大戦を期に世界の覇権を失い衰退一方であったイギリス、ベトナム戦争で疲弊した上にカーター政権の経済政策が失敗しインフレに見舞われたアメリカにおいては、福祉国家に代わって経済を回復させる新たな政策パラダイムが求められていた。ここで登場するのが「新自由主義」であり、具体的にはアメリカ合衆国のレーガン政権による「レーガノミクス」、イギリスのサッチャー政権による「サッチャリズム」であった。
 新自由主義においては、経済への政府の介入を縮小し(所謂「小さな政府」)、規制緩和等を通じて従来政府が担っていた機能を市場に任せることが行われる。ケインズ主義は需要を政府がコントロールする「総需要管理政策」を指向するのに対し、新自由主義かにおいては供給サイドの活性化を目指す「サプライサイド政策」が採られる。この場合、減税により資金を民間に回し、規制緩和や政府部門の民営化等の手段によって民間経済を活性化させる方策が指向される。
 日本においては、80年代の中曽根政権下、電電公社や国鉄の民営化等の手段により「行政改革」が進められた。新自由主義的政策ではあるものの、むしろ個別公営企業の経営問題と言えなくもない。英米とは異なり、オイルショックからも比較的早期に立ち直り、貿易黒字も伸び続けるなど経済運営は順調であり、失業率も高まらなかったことから、福祉国家路線は本格的には修正されなかった。日本において「小さな政府」路線が真剣に検討され始めるのは、バブルが崩壊し経済がなかなか回復せず、一方政治家・官僚の腐敗によって政府への信頼感が低下し、少子高齢化が誰の目にも明らかになった90年代のことであった。市場は弱肉強食の世界なので、新自由主義によって強者と弱者への二極分解が進むことも否定できない。

 従来の自由主義が信条や表現の自由などを重視し、いわゆる「国家による強制からの自由」を強調するのに対し、新自由主義はそのような精神的自由にはあまり関心を持たず、経済的自由競争を重視し、ときに、それを絶対視するからである(市場至上主義)。そこから、社会福祉や教育など従来公共部門が担ってきたものを民間へと移し、「小さな政府」を作り、民活による効率やサービスの向上を主張することになる。市場は弱肉強食の世界なので、新自由主義によって強者と弱者への二極分解が進み、また、「効率やサービス向上」のかけ声の下で安全が軽視されることにもなる。このことは、この間のJR西日本や東日本の事故やニューオーリンズの災害がよく示している。
 その他に、「小さな政府」を唄いながらも、構造的に弱者と「負け組」を生み出すことから、国内の治安維持と途上国の秩序維持のために、巨大な警察・刑務所・軍隊、莫大な警察・軍事費を必要とし(「大きな警察・軍隊」)、頻繁に国内の不満分子の弾圧や海外派兵を繰り返すことにもなる。また、災害対策など安全への経費が削られ、災害が人災として巨大化することから、かえって政府の財政負担が増え、「小さな政府」の理想とはかけ離れることにもなる。ただし、日本政府は災害支援の公共性を極度に限定して、復興のための財政負担を極力抑え、これを自己責任にまかせるという,アメリカですらしないような極端な新自由主義的棄民政策をとっている。
 なお、別の論者は日本で福祉国家政策が展開されたかのように語るが、日本では本当には福祉国家政策などとられたことはない。かつて多くの企業や一部の自治体で企業福祉、自治体福祉のようなものは行われたが、日本政府はそれに一部追随するような政策を対抗上とっただけで、責任ある福祉国家政策を策定し実施したことはない。総じて、新自由主義は現在アメリカや日本で猛威を揮っている思想であるが、その一方で、上に述べたような大きな矛盾と問題点を抱える思想と見るべきである。】

▲ 今回の金融危機、世界大恐慌は、まさしく上に解説されたように、1990年代以降、世界経済を席巻した、金融資本主義、すなわち私的企業による市場競争だけを原理にした「新自由主義」が完全に爆発崩壊したものである。だが一方で、新自由主義こそは資本主義そのものの必然的帰結であり、すなわち人類史の絶対に避けて通ることのできない必然的結末であることを理解する必要がある。
 経済力による社会差別(貧富の格差)が成立し、武力ではなく金力が優位となり、特権的ブルジョアジーが力をつけて、金儲け競争だけを原理に生存活動しようとすれば、必ず、こうした市場競争原理を金科玉条に政治経済を支配するものであって、累積する経済格差が頂点に達した段階で、あたかもエントロピーの法則(熱力学第二法則)に支配されたかのように、突如、社会的諸力が平衡を求めて爆発的に変動することになる。
  (一部の人が莫大な金儲けに成功すれば、それに憧れて世界中の人たちが同じような金儲けに殺到するため、結果としてパイは消え共倒れになるわけで、これが結局、富の平衡をもたすのであり、この金融恐慌の本質であることを見る必要がある)

 世界人類には「平衡平等を求めて活動する」という原理が働いているのであって、これが人類歴史の本当の原理なのである。人は優れた他人を見て憧れ、それを目指す。貧しく劣る人を見て気の毒に思い助けようとする。人は、みんなが自分と同じ運命になるように活動するのである。
 この意味で、エントロピーは物理法則だけでなく、あらゆる社会的事象にも適用され、それどころか、すべての事物現象に適用される宇宙大原理である。エントロピーこそが時間の進行を規定するものであって、歴史の本質と言わねばならない。
 
 資本主義、その結末としての新自由主義経済のもたらすものは、究極の格差拡大であって、人を少数の支配者と大多数の奴隷とに明確に区分し、その体制を固定しようとするものであった。
 これは、つまり歴史の本質、平衡原理に真っ向から敵対するものであった。人は平等を求めているのに、その反対の結果を求めたのだ。したがって、それは破壊される宿命を持っていた。今、我々は、それが根底から崩壊し、破壊される姿を見せつけられている。それが世界大恐慌なのである。
 今、エントロピー法則によって破壊されているのは、金融秩序や資本主義だけではない。それを支えて、エントロピーに逆行、つまりポテンシャルの拡大、差別の激化を求めて、特権階級を目指した人々のすべて、あらゆるシステムが破壊されていることに気づく必要がある。資本主義における競争社会を支えた、あらゆるシステム、とりわけ人を優劣に区分けする学歴や地位、身分、権力、財力など、あらゆる虚構が崩壊し、破壊されているのだ。
 
 日本は1980年代に、世界的にも希な「国民総中流階級」という一種の社会主義の観をなす奇跡的な経済を実現した。これは資本主義体制にあっては、ほぼ理想郷を実現するものであった。だが、この体制が、その後、中曽根政権など自民党によって陵辱され、腐敗し、バブルにつながってゆくプロセスもまた必然に導かれたものであった。
 日本社会のなかで、新自由主義経済、すなわち市場原理主義によるバブル爛熟に向かう必然性とは何か? それは、社会に内在する競争主義であり、その端的なシステムが学歴競争であり差別であった。これが批判されることなく、反省もされず温存され、民衆がそうした人間疎外、人間の連帯を破壊するカルチャーに熱中したことが、現在の社会崩壊を決定づけたことを知るべきなのである。
 すなわち、この巨大な破壊をもたらしたのは、自民党による人間疎外を熱狂的に支持し、小泉政権の格差推進を支持した日本国民の7割だったのであり、この悲惨な境遇に文句をつけるならば、それは学歴差別社会を支持した大多数の国民自身に対して行われなければならない。

 今、社会に失業者ホームレスが満ちあふれ、昨年だけで百名近いホームレス凍死者が出て、この年末年始では、おそらく数百名が凍死する運命にあるわけだが、もちろん、派遣切りホームレスの運命は、すぐに、そのまま下層民衆の運命になり、やがて奢れる上流階級ブルジョアジーの運命となる。だが、その凄惨さは、苛酷生活を体験したことのない人々だけに、ホームレスが今味わっている苦難の数万倍の残酷なものになるだろう。
 
 学歴差別に憧れて特権を目指した日本人の大多数は、人間同士が支え合って連帯する道を拒否し、差別し、互いに憎み合い、自慢しあい、競争者を蹴落しあって、自分だけが利益を独り占めする経済活動を行ってきたのである。
 そもそも、学歴や蓄財、権力の多寡で人生の価値を判定するような思想は、人を愛する道ではなく、人を憎む人生を選ぶということを意味するのだ。日本人の9割が、こうして連帯を拒否し、孤立し、利己主義に走ったといえるだろう。「オレはオマエと違うんだ、オレの方がエライんだ」という競争を信奉し、人を蹴落とす努力を人生の価値とする社会を作りだしてきたわけで、こうした思想性こそが、資本主義を支え、新自由主義に走らせ、そして、この破滅をもたらしたのである。

 ところが、高度経済成長時代に実際に社会を支え、実績を支えていた人たちは、こうした利己主義者ではなく、人を愛し、文句も言わず黙々と仕事をこなす責任感の強い下積みの人たちであった。
 戦後1970年代までは、日本国民の大多数が、このような人たちで占められていたわけで、特権階級は、そうした人々の無言の努力の上に、ぬくぬくとあぐらをかいていれば勝手に利益が転がり込んで、企業も組織も繁栄することができた。
 ところが、事業の成功者が増えて自民党が勢力を伸ばし、みんなが特権階級に憧れ、他人を蹴落とすことが人生の価値であると戦後教育体制で洗脳されたことにより、国民の7割以上が学歴を得て、利己主義を正当な価値として追求するようになった。
 この結果、文句も言わずに黙って下積みの仕事をしてくれる善良でオメデタイ労働者が消えてしまったのだ。そして、会社の上部構造、管理職と店構えばかり立派になったが、肝心の工場・現場は合理化の美名の元、搾り上げるばかりで、労働者を徹底的に追い詰め、生活を破壊し、意欲を失わせ、本当に仕事のできる人たちは、うんざりして去っていった。残されたのは、仕事もできないくせに、学歴とプライドだけが百人前の口先人ばかりになり、利己主義的な蓄財と名声、権力を求めるばかりで、黙って堪える下積みの仕事をできる人がいなくなってしまった。これが今、企業が崩壊している本質である。

 今回の世界大恐慌によって、こうした虚構の構造が根底から破壊され、人々は、蓄財・権力・組織といった、これまでの信仰が、どれほど脆い愚かな幻想であったか思い知らされることになる。
 人々は、社会におけるあらゆる利己主義の価値を根底から破壊されるのだ。学歴はもとより、蓄財、権力、組織、権威といった人を惑わし続けたインチキは、すべて消え去ることになる。だが、残された現実は、本当は何も変わらない。
 そこには地球があり自然があり、人がいて男女に子供が生まれるのである。虚構の神殿や豪邸、高級車は消え去るだろうが、人間が消えるわけではなく、自然が消えるわけでもない。そこには虚飾のない実体だけが残されるのである。

 そこで、我々は、これまで夢見ていた、あらゆる虚構の価値を失う変わりに、本当に実存する真実とは、実に単純明快なものであり、人間に優しいものであり、決して絶望する必要もなく、温かい人間関係と、連帯を拠り所にして楽しく生きてゆくことができることを、はじめて知ることになるだろう。
 もう戦争や組織や権威に怯える必要はない。それらは幻想にすぎなかった。

 我々は秀吉の辞世句を思いだそう。
【露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢】
 この経済危機により、すべてが失われることは、権力の頂点に上り詰めた秀吉の死の嘆きに、よく象徴されている。すべては幻想であった。真実は、地球と人間の存在だけなのだ。
 新自由主義の目指したものは秀吉の目指した価値に実に似ているではないか? だが、それは死という真実の前に、儚さを思い知らされるものでしかなかった。
 我々は人間の真実を目指す。嘘のない虚構のない社会を目指す。それは、もう憎み合う社会ではなく、連帯し支え合う社会である。

http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm  

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