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霊と体の関係についての資料
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投稿者 航海者・名もなき人 日時 2009 年 2 月 21 日 15:40:06: 97HaXi6mYPVIk
 

新藤義晴『神霊医療』麻の葉の会
7-13頁
 私は昭和二十三年に大学を出て一年間インターンを大学病院でやった後、国家試験を受けて三十八年前に医者になりました。大学を出て耳鼻科の医者としての勉強を始めたわけですが、十七年前に、あまりにも西洋医学では治らないので、満足できず東洋医学の勉強を始めました。しかし、どちらの目から見ても世間の人達の医学常識に間違いが多すぎる。間違っているだけということで済めばそれでいいのですが、こちらで見ていると、ちょうど目隠しをして、がけっぷちの道を歩いている人のような感じなのです。その間違いをしている為に病気になって、そして行かなくてもいい医者に行って、打たれなくてもいい注射をしてもらって、使わなくてもいい金を使い……そして中には不幸にも寿命を縮めているということが多いのです。それで見るに見かねて、医者の務めの一つでもあるので皆さんにお話をするようになりました。
 六年前の、その時の話が《自然のささやき・医学のつぶやき》(地湧社発行)という本の中に入っています。ちょうど私が西洋医学にサヨナラをいって東洋医学だけで診療をやろうという、その直前のことでした。勤めていた公立病院で西洋医学に東洋医学を併用させていくと、だんだん薬や注射、手術がなくなってきて、検査もしなくていいということになっていきました。そうすると稼ぎが少なくなってくるので病院側からは「稼げ、稼げ」といわれるようになったのです。けれども、必要のないことを患者さんにやるということは、これは医者の良心が許さないのでやらずにいたところ、とうとう病院側がしびれをきらして「三月いっぱいでクビだ」ということになりました。
 《自然のささやき・医学のつぶやき》の話をしたのが三月二十六日のことで、そして、四月一日からは東洋医学だけで自宅で開業を始めて今日まできています。そのときの話の内容は東洋医学についてはあまり入っていなくて西洋医学のことが多いのですが、今、読み返してみても、原則はあまり間違っていない。「結構いいことを言っていたものだ」とうぬぼれています。
 それから六年半経ち、東洋医学でやっているうちにだんだんまた進歩して、霊能があるということが自分でわかってきました。霊能について考えるようになったのは、もう十年程前からのことなのです。

 その後、この霊能を使って治療をしているうちに東洋医学にもサヨナラを言うような形になっていきました。その段階でまたお話をする機会があったのが三年半前です。《神霊医療について》というような話をしたはずです。あの時は主に生き方について、生活の中の衣食住など細かい項目について、いろいろあるのでその話をしました。
 それから今日までに、また発展してきているのですが、どう発展してきたかというと、体の病変を治すということに力をいれるのは、これは半端な医者だということです。そうではなくて、病気の根本の原因というものは心の持ち方にあるのです。心というのは、大脳皮質の働きによる意識とか知識とかそういうものではなく、また感情とかそういうものだけでもありません。霊そのものです。その生き方が間違っているというのが一番の原因になって病気というものが起きてくるのです。
 だから病気というものを治そうと思えば、霊の歪みを治さないとダメです。霊の歪みを治すと、ガンが消えたとか、ゼンソクの発作が起らなくなったとか、リウマチで指が反り返っていたのがだんだんまっすぐになってくるとかいうことがあります。それから面白いのは、十何年か前に手首が折れて、整形外科で治療しても骨がひらがなの「く」の字みたいに曲がって付いたという人がみえた時のことです。その方は勿論その骨のことが悩みでみえたわけではなくて、ほかに体の具合が悪いということでみえたのです。骨のことは「そんなもんだ」ともうあきらめてみえました。
 わたしの方の理論からいうと、怪我なども全部、病気のせいなのだから病気が治れば怪我も治るのです。曲がって付いたのは病気があるからで、機械的に付けたところで病気があるままで付ければ曲がって付いてしまう。これは整形外科の先生の腕が悪かったわけではないのです。曲がって付いていたほうが体にとって具合がいいから、そういうふうになって付いたのです。だから霊を治して、体が治ってくれば自然に骨はまっすぐになるはずなのです。事実その人は二カ月位の間にまっすぐになりました。全然骨にはさわったことがないのにです。
 今日もテレビでツボのことをとりあげていましたが、足のサンリ(三里)のツボというのがあって、そこへハリを打つと胃の具合がよくなるというのをレントゲンで透視しながら見せていました。サンリ(三里)にハリをうってレントゲンを透して見ていると、胃の動きが非常に活発になってきます。ハリでは悪いところから離れたところにうつというやり方があるのです。
 西洋医学の考えだと、悪いところを直接さわらないと治るはずがないという常識があるわけですが、これは間違っています。離れたところでやれるのです。先程の方も、骨のその曲がったところは触りもしないで「あ、まがっているな」と思いながら治療して、それできちんとまっすぐになったのです。そういうものなのです。これで一つ常識の間違いがわかったことと思います。

20-23頁
 心の歪みが一番の元だと言いましたが、心の歪みというのは何か。これは神仏の意志を無視するということです。それに対する注意が足りないというか、無視するというか……。では、神仏の意志というのは何か。これは形ある世界もない世界も含めた、宇宙の根本法則です。では、宇宙の根本法則とは何か。これは「進歩と調和」なのです。そして、これが「善」なのです。それに反対するものは「悪」になるわけです。
 「進歩と調和」ということを別の言葉で言い換えると「変動と安定」ということになります。しかし、そうすると少しわかりにくくなるでしょう。変動というのは変わるわけで、動くわけです。安定というのは動かないわけですから。そこでそれを上手に解決する方法があります。それは「振動」をもってくるのです。バイブレーションというものです。東洋医学や鍼灸などをしている人達や、それから心霊の方をやっている人達が時々「宝石には強烈なバイブレーションがある」等とそういうことをいいます。
 振動というのは、例えばここに棒があって左右に平均をとらなくてはいけないけれども、このままジッとしていては困る。動かなくてはいけないけれども、水平でなくてはいけない。ということは、細かく動けばいいわけでしょう。そうすれば安定もしているけれども動いている状態で、これが振動になるわけです。
 それでは棒でなければいけないかというと、そうではなくて、今度は「循環」というのがでてくるのです。原子というものは原子核があって、その周りを電子が回っているわけです。そうすると、そのままでポッと止めるとこれは平均がとれないわけです。電子がこちら側にあって、あちら側にはないわけだから。けれども、これが早く回ればこちらにもあちらにも同時に電子があることになるわけです。
 だから循環ということを考えればいいということになります。これは原子核の問題だけでなく、人間の体でも血液の循環、東洋医学でいうと陰と陽の気の循環、これがダメになると病気になるわけです。
 循環というのは非常に大切で、物や金が社会の中で十分に循環しないと社会不安が起きます。あるところには物も金もあるけれども、ないところにはないということになると社会不安が起きます。だから健全な社会にしようと思うと、物や金をしっかり循環させなくてはいけないのです。これが政治や経済の課題になるわけです。

 題名で私が「心霊治療」と言わなかったのは、心霊治療をやる人はたくさんあるのですが、心霊治療をやっている人は全部、体の具合の悪いところだけを治しているのです。それは治療であって、医療ではない。医療というのは心や霊を治すだけではなくて、社会そのものの歪みも治そうということなのです。それで心霊医療と言う名前をつけたのです。ただの治療ではないということです。
 「進歩と調和」というものが、宇宙の根本法則であり、神の意志ならば、それに従うのが善であり、それに逆らうのが悪なのです。ただ面白いことに(面白がっていてはいけないかもしれませんが)一方だけではダメなんです。大抵の人は病気とか死ぬとかいうことは嫌がり、苦しいことも嫌がりますが、この宇宙の根本法則はもう一つ、反対するもの・対立するものがお互いに平均をとっていないといけないのです。いいものだけでは調和にはなりません。平均もとれないし、安定もしないのです。安定しすぎてしまっては変動がなくなってしまうのです。だから良いものと悪いものとがお互いに、だんだん上に上っていく状態でなくてはいけないのです。

61-69頁
 自分本位な想い、人の業というものが病気の原因になっているわけですが、普通、世間の常識では病気の原因は、ばい菌ではないかと言われています。また杉の花粉ではないかという話もあります。ところがばい菌が悪いということにはならないのです。ばい菌は一番元の原因があって、それが結果を生んで、その結果がまた原因になって次の結果を生むというように、巡り巡ってきた一番最後のほうの原因なのです。
 ばい菌というと人は非常に嫌がるのですが、ばい菌は非常に大事なことをしているのです。例えば寿命がきて人が死にます。そのままだと地球上、地面の上も水の中も全部死骸だらけになるわけです。ミイラがゴロゴロしている状態です。人間だけでなく、いろいろな動物や植物の枯れたもの、死んだもので足の踏み場もない様なことになります。それでは困るので、死骸を食べる動物や虫がいるし、それをまた分解する微生物(ばい菌)がいるということなのです。
 心得違いがあって内臓の具合が悪くなった人は、これはもう生かしておいてもダメだから、サッサと殺してしまって解体してしまう解体屋がばい菌なのです。そして解体するだけではなく、きちんと循環させているわけです。死んだものを解体して、その物質がまた単純なものになって、それを植物の根が吸ったり、プランクトンが吸収したりして大きくなっていく。それをまた他の大きいものが食べる。それでまただんだん成長していくというように、グルグルと回るようになっているのです。
 グルグル回るというのは循環しているわけです。ばい菌はものを循環させるための、非常に大きな大事な鎖のひとつなのです。「ばい菌と仲良くしなさい」とまでは言わないけれども、ばい菌を嫌がらないでもいいのです。ばい菌にやられたくなかったら、心を丸く正しくして、もっと正しい生き方をしていればばい菌は寄り付かないのです。
 ばい菌を飲み込んで何ともなかった人があるのです。ペッテンコヘルという学者が今のような考え方で「体の状態が良ければ、ばい菌が入って来ても病気にはならない」ということでコレラ菌を培養した液を飲んだのです。一ccにだいたい一億くらいのコレラ菌がいるのですが、それを五t飲んだのです。自分と弟子二人と三人で公衆の前で飲んだのですが、弟子二人はコレラになってしまいました。一人は重体だったけれどもなんとか助かり、もう一人は死んでしまいました。けれどもペッテンコヘル本人は下痢をしたけれども、それだけで済んでしまい、コレラにはならなかったという話です。弟子の方は怖々飲んだのでしょう。そして精神状態も良くなかったから、そこでコレラにやられてしまったということです。
 ばい菌がもし本当の原因であって強いものであるのなら、人類は今頃、天然痘で皆死んでいるはずです。天然痘が流行する地域においても、かかる人とかからない人がある、ということからもわかると思います。

 食中毒にも同じことがいえます。大勢で同じものを食べて、集団で食中毒になったとしても、全員がなるわけではありません。個人、個人で差があります。
 ばい菌というものをあまり気にしなくてもいいのです。ただあまり大量に入ってくると、その時の精神状態が悪くて大変なことになるかもしれないので、わざとコレラ菌を飲んだりしない方が良いです。そして海外旅行に行くときは、もちろん予防注射をして行った方が良いです。ただ、もう無茶苦茶に怖がるというのは止めましょう。

 杉の花粉がアレルギー性鼻炎の原因だということになっているのですが、花粉にしても、一番最後にアレルギー性鼻炎の発作を起こさせるだけのものなのです。物事は大体一つの原因だけで突然に起こるのではなくて、自分に原因(内因)を持っていて、そこへ外からの原因(外因)がやってきて、それから起るものなのです。
 例えば二つの卵があって、そのままだとひよこにはならないわけですが、一定の時間だけ、一定の温度に保ってやれば、ひよこがかえります。しかし卵のひとつはかえったけれども、もうひとつはかえらない。何故かというとひとつは無精卵だったのです。いくら温めても受精していなければダメです。受精しているかしていないかという、内側の条件があるわけなのです。
 だからアレルギー性鼻炎も「杉の花粉が原因だ」と言われるのならば、杉の花粉が飛んで来たところは全員が花粉症にならなくてはいけないのに、一軒の家の中の家族でもなる人とならない人があります。職場の中でもそうだし、道を歩いている時でも、一緒に並んで歩いていてもなる人とならない人があるのです。杉の花粉は風にのって飛んで来て、その人の鼻の中だけに入るとか、ある町だけに多いとかいうことはあり得ても、一軒の家の中である人の鼻の中には入って、別の人の鼻の中には入らないとかいうことはありえないです。
 そういうふうに考えると、始めに話した様に、学者が発表したからといって鵜呑みにすることはないのです。素朴な疑問から考えてみたら「おかしいな」と思うことが出てくるわけです。アレルギー性鼻炎というのは、その人自身にもうアレルギー体質があって、そこへ花粉が入ってきたから発作が起きるということがわかると思います。
 時代的に見ますと、私が耳鼻科の医者になった頃はアレルギー性鼻炎の患者はいませんでした。見たこともなかったのです。ところが十何年か前頃から増えてきて、この頃は特に増えてきました。
 戦後、日本人の食生活が欧米型になってきて、食事の偏りがひどくなればなるほどアレルギー性鼻炎が増えているのです。私が学生の頃の耳鼻科の講義では「アレルギー性鼻炎というものがあるが、これは日本には少なくて欧米に多い病気だ」と言われていたのです。
 食生活が欧米化してきて、それでアレルギー性鼻炎が増えているということになれば、「一番の原因は欧米型の食事ではなかろうか」と考えるのが科学的です。発作を起こした人の鼻の粘膜を調べると杉の花粉がみつかったからといって「だから原因は杉だ」と決めつけるのは言いスギです。
 また普段の食生活が悪くて、いつでもアレルギー性反応を起こす様な状態になっているというだけでなく、冬の間の生活(生き方)の仕方が間違っているという問題もあります。暖房をいれると上ばかり暑くなって下が冷たくなります。つまり足元が冷えているわけだから、病気になっても当たり前なのです。
 冬に風邪をひきやすいのは、空気が冷たくて乾燥しているので、乾燥に弱いといわれている呼吸器がやられて、いわゆる風邪の症状になるのです。それをなんとか無事に過ごしてきても、あるいは風邪をひきながらも、なんとか風邪を治してたりしてきたとしても、春先になると病気が出てくることがあります。『黄帝内経(こうていだいけい)』という中国の医学の古典に書いてありますが「各季節にはその季節の暮らし方、生き方がある。それが間違っていると季節の変わり目に病気になる。たくさん間違っていると途中で病気になる」そう書いてあるのです。
 アレルギー性鼻炎のある人は、春先に出ることが多いですが、秋口に出る人もいます。季節の変わり目になると出るという人は、普段の生き方が間違っているということなのです。生活の間違いが季節の変わり目のところでアレルギーという形で出てくるのです。アレルギー性鼻炎は、杉の花粉のおかげで溜まってきた間違いを吐き出させてもらっているわけです。だからばい菌と同じであまり怖がる必要はありません。少し怖がり過ぎているようです。
 病気の原因の一番の元は(心の持ち方)です。食養をきちんとするのは確かに大切なことです。悪いものは食べてはいけません。添加物のあるものなどは食べない方がいいですが、しかし食養をきちんとやって、一生懸命に自然食を食べている人でも乳ガンが出来たことがあるのです。
 その人は非常に心掛けが悪く「とにかく自分だけは達者でいたい」という想いが強かったのです。悪い物を食べてはいけないからと自分だけが一生懸命に食養をやり、苦心して手に入れた自然食は人に分けてやるのをいやがったりしたので、それで乳ガンになったのです。
 乳ガンというのは消化器の病気が一番元になっているのです。消化器の病気が心臓へ行き、そしてその人の業がとても深いと、消化器の毒が性器を侵し、その性器が侵されたのが更にひどくなって腫瘍になったのです。だから乳ガンの人は心臓、消化器、それから性器が悪いのです。

 病気の原因を考えてみる時に「先天性の病気ではどうなんだろう。生まれたばかりの子どもに心掛けの良いも悪いもないではないか」という疑問が出てきます。「いったいどうしたわけなのか」と思われるかもしれませんが、これは輪廻転生ということを頭に入れるとすぐ分かるのです。前の世でやっていた病気をそのまま、また持ってきたということなのです。前世で消化器の悪かった人はこの世でも消化器は弱い。そういう体質を持って生まれてくるのです。ひどい場合には弱いだけではなくて、はっきりと病気を持って出てくることもあります。
 普通の治療は、ただ症状を消して病気でなくなったような形にして、それで喜んでいるけれども、一番大事なことは霊そのものの歪みを治してやることです。それをしないでいると、この世では一応健康そうな形で亡くなったとしても、次の世でまた同じ病気をするのです。繰り返すわけです。だから本当の治療をしようと思うのならば、霊そのものを治さなければならないのです。

77-79頁
 次に治療の話が入りますが、治すというのは、病気とは結果なのだから、原因を取り除けば結果はなくなるわけです。心が歪むと頭が熱くなって足元が冷え、それでグルグルと悪循環になってしまうので、心を丸くすれば良いのだけれど、これはなかなか難しいことです。まずやり易い足元を温めることから始め、そうやって悪循環を断っていけば良いということです。

 冷えとりをして悪循環を断っていこうとする時「苦痛だけ和らげてほしい」と思ってはいけません。そのままで痛いのを楽しんでいれば良いのです。医者の方も苦痛だけをとって楽にしてやると、評判が良くなって儲かるものだから、ついその方ばかり一生懸命やってしまうのですが、それで医学が非常に堕落してしまっているのです。もう何千年来も堕落しています。
 わたしの言っている様な治療をしていると、いままで出なかったところにボロが出たり、あるいはよく吐くようになったり、下痢したり、あるいは血が出るとかいうことがあるのですが、これは毒を出す力が強くなったということなのです。そのまま喜んで出していれば良いのですが、それを嫌がって不安に思うと、また新しく毒が出来てなかなか治らないということになるのです。
 排毒作用が強くなることを『瞑眩』(めんげん)と漢方の古い流派の方では言います。古い流派の漢方では「汗吐下(かんとげ)」と言って、毒を汗にして出すか、吐かせて出すか、下して出すかという考え方をします。毒が表面にある時は汗にして出すし、中間まで入っている時は吐かせる。もっと奥深く入っている時は下すということなのです。しかしだんだん楽なほうが良いということになってきて、後世派という宋時代に始まった流派では「楽になるように、楽になるように」とだんだん堕落してきたのです。
 そして治ったからといって止めてはダメです。止めるとまた新しく原因を作ることになります。ゼンソクで治療したのに、良くなったら治療に来なくなってしまい、また前の通りに冷やしたり悪いものを食べたりした為に、またゼンソクになった人があります。私のところへ来ないで強心剤でごまかしていて、とうとう心臓が止まって植物人間になったという人が二人ほどいます。だから良い心掛けは一生続けるべき問題です。
 冷えとりを続けていると、自然に自然治癒力であまり食べたくなくなるし、足元を冷やしたくなくなるし、その他にもいろいろ本能が出てくるので、それをそのままずっと続けていれば良いのです。そうすると病気が治るだけでなくて、運勢も変わってきます。心掛けが変わると自然に、自分で願わなくても健康で幸せに生きられるということになります。


新藤義晴『宇宙の根本法則 波動』麻の葉の会
10-12頁
 逆におもしろい話は、私の本を読んだある主婦が、やり始めたら瞑眩がでて、迷ったりゴタゴタ焦ったりするんです。それで手紙をくれた。あなたはまだしっかりやっていないというようなことを書いてやって、そういうことを二、三回繰り返して、まだモタモタしている。ある日その人が、夢を見たんです。縁側に座っていると、その畑の前の道を仏様みたいな感じの人が、集団で歩いてくる。ところがその中の一人がこちらの方へつかつかと歩いて来て、叱りつけたんだそうです。「いい事教えてもらいながら何をモタモタしているんだ。」ハッと気が付いて、それから真面目に冷えとりを始めたんです。
 それにつれて霊能が出てきて、人の病気が治せる。全部は治せませんが、とにかく調子が良くなって来る。生活相談なんかもけっこうあたるということで、人がだんだん来はじめた。
 大勢来ますと、アパートでは人の迷惑になるからと、お寺を借りて月二・三回位そういうことをやっている。私の所へ相談に来たことがありますが、どういうわけかその人が患者さんを前に寝かせると、手がおなかの方へ行く。みぞおちの方へ。そうすると患者さんが言うんです。「私は、膝が痛いんだ。何故こんなみぞおちの所を触るんですか?」どうしてですかという質問をしてきた。
 それは、食べ過ぎですい臓が悪い。その患者さんは、すい臓の毒を膝へ出している。食べ過ぎの毒は、膝とか腿の関節に出ますから。だから膝関節炎などで悩んでいる人は、みんな食べ過ぎを止めればいい。だからすい臓の方へ手が行くのは、当たり前なんです。膝をいくら治しても、すい臓が駄目ならまた膝が悪くなるんです。
 この人は、お金はいらない。患者さんが良くなってきて、お礼はというと「私は、この能力が身についたので、世の中の人の為になればとやっているだけだから、要りません。」と言っていた。
 ところが中には、無理にでもお金を置いて行く人がいるので、そのお金で冷えとりの本と靴下を買って、患者さん達にあげて「冷えとりすれば、私の所にこなくても自分で病気が治せるから。」と、ずっとやっている。
 これは、まともな生活をしていると、いい霊能がつくという話なんです。おもしろいのは、その患者さんの中に、肝臓に癌のある人がいて、医科大の内科の教授で肝臓病の大家なんです。それが西洋医学では治らないから、素人の医学の医の字も知らない人の所にきている。
 また、岐阜県のある町に新興宗教の本部があって、そこの総長がノイローゼになった。なにが悩みなんだといったら「教団の所帯が大きくなり、たくさんお金がいるのに、思ったほど金が集まらない。それで落ち込んでいる。」人生相談をして、信者にはもっともらしいことをいっているのだが、自分は悩んでいる。
 奈良県に、今から百四、五十年前にできた新興宗教があり、だんだん大きくなって村だったのが市になって、その宗教の名前を採った都市があります。そこの三番目位の人が、やっぱり思うように金が集まらないと、ノイローゼになってその人の所に来た。「あなたたちのような人が、私のようなただの主婦の話を聞いてどうなるんですか?」と聞くと「いやあなたの話には、迫力がある。」というようなことを言ってくるんだそうです。こういうおもしろい話があるんです。
 この人は、どんな身体をしているのかと、どこかの大学の医学部で調べたら何もなくて、ただの普通の主婦だったそうです。そういう結果しか出なかったそうです。
 そういうことですから霊能があってもなくても、とにかく威張ってはいけないんです。『それは、みんなの為に使うために、与えられているものなんだ。才能や霊能があるというのが問題ではなくて、何の為に、誰の為に使うか、これが一番大事なことなんです。』だから、自分がこれだけのことができるとか、こんなに偉いんだということは、いちいち言う必要はない。アメリカ式の考えであれば、自分を高く売り込むのが賢い人間だということになっていますが、これは良くないんです。毛唐の考えなんです。
 力の六、七割へりくだって言っている方がいいんです。実際に実力があれば、自分から威張らなくても、周りからちゃんと尊敬されるんです。例の主婦も、別に何も威張りもしないのにみんなが先生と言って、寄って来るんですから。大学教授や、大きな宗教の教祖まで、先生と寄ってくる。
 これで少しすぐれたところが出てきたと慢心すると、後はもう下がるだけ。それまでは、いい霊がついていて、そういう能力を与えてくれている場合であっても、欲を持つと霊が途端に、悪霊に変わるわけなんです。
 守護霊というのは、一生同じということはないんです。その人の精神状態や、修行の状態によってだんだん交替があります。これは小学生には、小学校の先生、中学生になれば中学校の先生に変わるのと、同じことなんです。


日月神示
『冬の巻』 補帖
 病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆己れからぢや。と申してあろう。誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心ぢや。悪くなると云ふことないのぢや。迷ひが迷ひ生むぞ。もともと病ひも不運もない弥栄のみ、喜びのみぢや。神がよろこびぢやから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。毎日々々、太陽と共に、太陽について起き上れよ。その日の仕事、与へられるぞ。仕事いのちと仕へまつれよ。朝寝するからチグハグとなるのぢや。不運となるのぢや、仕事なくなるのぢや。神について行くことが祈りであるぞ。よろこびであるぞ。食物、食べ過ぎるから病になるのぢや。不運となるのぢや。口から出るもの、入るもの気つけよ。いくさ起るのぢや。人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となつてくるぞ。食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢやぞ。
 一椀をとつて先ず神に供へよ。親にさゝげよ。子にさゝげよ。腹八分の二部はさゝげよ。食物こそは神から、親から与へられたものであるぞ。神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢや。メグリが不運となり、病となるのぢやぞ。運ひらくのも食物つつしめばよい。言つつしめばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまつてひらけん。この判りきつたこと、何故に分からんのぢや。
 さゝげるからこそ頂けるのぢや。頂けたらさゝげると今の人民申してゐるが、それがウラハラと申すもの。衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。あづけられてゐるのであるぞ。人民に与えられてゐるものは食物だけぢや。日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢやぞ。その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢや。病治るのぢや。人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあらうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治つてうれしうれしと輝くぞ。そんなこと位で、病治つたり、運ひらける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。
 理屈すてよ。すててやつて見なされ。みなみな気つかん理(ミチ)、気つかん病になつてゐるぞ。ツキモノたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。先ず百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし。病もなくなつてうれしうれしとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。


火水伝文
94-97
 …いかに医学が進歩致しても少しも病が無くならぬのは、人の生かされある、真釣りを知りてないからであるぞ。火水マ十字に組み結ぶ真釣るハタラキを知りてないからであるぞ。病や怪我言うは真釣りが揺らぎて十字が崩れて居るから、メグリと成して肉のお宮に型を示されある情けが解からぬから、真釣るご苦労が先じゃ言う事も解からず、始めから形の修繕に入りてしもうて直りた積もりで居られるが、もともとマコトの因は肉のお宮にござろう筈も無いから、いかに現れた果を首尾よく取り除きたところで、マコトの因は増えは致すやも知れんけれど、減りは致しもさんから、今様の医学にてはマコト癒すは出来もさんと申して居るのじゃ。今の世は何事も正位正順が逆様じゃ申して居るのぞ。
 人間申すものは、顕幽双方に生かされあるものでござるから、死してもメグリは減りもせず持ち行くものにてあるから、メグリ申すものは今様の医学の手に負えん事位解かりたであろうから、ス直にこの方の申す様にしてみて下されよ。
 真釣りが崩れた申すは天地の理法に違反した言う事でござるから、天地のご恩にケジメも取れん様な生き様の時がありたからであろうから、今生にて覚え無くありても、今様に型示しあるは現実なれば、違反致し来たりたも必ず事実あるをハラから認めるス直持ちて下されて、天地の御祖の大神様に天地の何かの真釣りに外れたる御無礼をお詫び申し上げ、間違いのありたを、今より以上の大難なる前に、気付かせありたご守護の情けに感謝申し上げ、主がうつけなばかりに何の罪科も無き尊き神の肉宮に、痛い思いをさせてすまなんだと心からのマコトのお詫びが出くたなら、出くたその時その場からこの方が善き方に向けて差し上ぐるからと申して居るのじゃ。念での操作はしてはならんぞ。気を付けて置くぞ。

今様の人民様にありては特に心濁り行きてしもうて、楽なやり方ばかりに頼りて居るから、治りた時の事のみ思い描きて、病治るを図るが如きやりようを唱うる者共に付き従う人民様数多て出くるが、悪に魅入られて居るのじゃぞ。逆様でござるのじゃ。改心申すはそんな事では出来はせんぞ。楽に走らず感謝を持ちて、苦を抱き参らせなば至るは適わぬ改心でござる由、くどう念を押し置くぞ。今今の時申すはマコト持ち行く者は善き方へ、マコト持ち行けぬ者は悪き方へハキリタテワケの響き鳴り成りて居る由くどう申して居るのざぞ。やって見なされ。この方に二言は無いのであるから、汝等に不治の病申すものは無いのであるぞ。いつまでも水を基の台と致して居るから治らんのであるぞ。病魔申すものはマコトの響き輝き出せば恐ろしくてそこには居られん様になるから言うて居るのじゃ。この方、情けも花もあるによりて申して居るのぞ。ならぬカンニンして下されて、嘘ざ思うところを今一度信じられて、もはや無駄じゃ言うところをまげて気ばりて下されよ。マコト改心なされた尊き御子を一人たりとも見過ごしには致さんから、信じ頼りてやりて下され。火の基の台と成すマコトの力徳見せて上ぐるぞ。

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 …汝等は人の生き死の長短を神の無慈悲と嘆ずるが、そも《身欲》が基と知り居るか。短き命は医学の遅れた悲しき事にてござろうか。不慮の事故死は神の無きが証にてござろうか。なれば長く生きるは、医学の進みた嬉しき事にてござろうか。神の座し座す証にてござろうか。人の生き死の長短は、真釣るマコトのコトワリの、大事な情けの仕組みにて、大悲大愛の事にてあるは汝等も、深きところで知り居るなれど、《身欲》な思いが段々と、強きに響きて鳴り来ると、《身欲》を果たす基なる、この身、この時大切と、生くる基のマコトなる、生かされあるを忘れ去り、長きを得るに自らが、《我善し》力と『あやま知』で、長寿を図りた成し様は、真釣り外したそがために、多くのケガレを結び行く、囚われ曇りをカタチ成す、メグリ深める末期道。生かされある申すは、真釣るコトワリに鑑みて、生かす者はどうありても生かし行き、引き上ぐる者はどうありても引き上ぐるが神のオキテなれば、こに身欲人知を持ち込みて、情けの仕組みに仇成すは、カタチばかりのその内に、更なる情けを創り行く、げに恐ろしき魔釣り業。末期の酷きを知りぬるか。この方がこう申せば、医学は悪き業じゃ。医者は魔釣りの使い魔じゃ。なぞ取り違え致す底の浅き人民様も居られようから、ちいとご注意申し置くぞ。この方は、痛き辛きを治すが『あやま知』申して居るのでないぞ。こを取り違え致しては、片ハタラキの神々や狐や狸の戯言になりてしもうから、ハキリ申し置くぞ。善きか。汝等、真釣り外せば、情けが出くるは申し伝えあろうがな。なればこの世が『欲』と【情け】の両輪で動き参りたは解かりあるな。真釣りを外す度毎に情けをかけて参りた申しあろうがな。大神様は総てを知られ居りて、至誠至愛で汝等に情けをお渡しなされ居るのぞ。汝等の今がか弱き心身で、堪え得る情けをかけるのじゃ。痛き辛きを顕すが情けの表にてござるのぞ。病みたる表の顕れを水を基の医術にて〔治す〕が花の表にござるよ。堪ゆる辛抱が情けの裏じゃ。大神様も共に堪えてござるのぞ。汝一人の痛みで無いぞ。顕幽双方の世界に苦しむ総てのミタマの苦しみを、御身ご一人に移され堪えてござるのじゃ。この世に在りて有るものは総ての総て神なるが由ぞ。解かるでござろうが。堪ゆる辛抱が情けの裏じゃ申したが、こで汝等が、身欲にありて何かの真釣りを外しありた事に気が付きて、自らを生かし支えある元つ天地の深きご恩に、お詫びと感謝の響きが鳴り鳴り出くれば、真釣るマコトがハラに咲くのじゃ。ハラに咲かせた花一輪、こが花の裏にてござるのぞ。こが咲けば顕幽ただちに【直る】を知りて下されよ。外した真釣りのメグル響きも、真釣ろうた申すことにてあるぞ。なれど汝等皆々は、何時いつにありても気付けぬままに、水を基の医術のみで【直り】た積もりで〔治り〕て居りて、正味のメグル情けはそのままに、新たに酷きメグリを育み行くのじゃ。外した真釣りは気が付きて、真釣ろう響き出るまでは、万古末代鳴り鳴り響きて消えはせぬ、申したであろうがな。新たな酷きメグリ申すが、難しき病と鳴り行くは解かるであろうが。こが身欲を基の種となす医学の魔化けを促くすのじゃ申して居るのぞ。誰ぞが医学の『あやま知』を押し進め参り釆たか、これでハキリ解かりたでござろうが。医者の治すが魔釣りで無いぞ。汝の身欲が魔釣りでござる。人を責めむも業を責めむも恥ずかしき限りにてあるよ。汝の身欲が基じゃ。良う目を見開かれて、スミキリてあれよ。これで少しは解かりたか。


万物生成の原理は何か
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/660.html
投稿者 航海者・名もなき人 日時 2008 年 12 月 30 日 20:54:52: 97HaXi6mYPVIk  

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