★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評8 > 117.html
 ★阿修羅♪
れんだいこのカンテラ時評375 【書評、田口宏睦「JASRACに告ぐ」を評す】 【息抜き雑談】
http://www.asyura2.com/08/hihyo8/msg/117.html
投稿者 こげぱん 日時 2008 年 3 月 15 日 22:36:26: okIfuH5uFf.Lk
 

http://otd10.jbbs.livedoor.jp/1000013618/bbs_plain

れんだいこのカンテラ時評375 れんだいこ 2008/03/12 14:50

 【書評、田口宏睦「JASRACに告ぐ」を評す】

 2008.2.25日、フリーライター田口宏睦氏の「JASRACに告ぐ」(晋遊舎ブラック新書)が刊行された。れんだいこは今、とあることから音楽著作権に関して関心を深めている。そういう折の田口氏のジャスラック問題研究書の市場提供は有り難かった。以下、その感想を記しておく。

 同書は、音楽を利用して営業している店舗に対するジャスラックの音楽著作権侵犯対価請求の実態をルポしている。ジャスラックとは、日本音楽著作権協会(Japanese Society for Rights of Authors, Composers and Publishers、JASRAC)の略称である。

 「JASRACに告ぐ」は冒頭、和歌山のレストラン「デサフィナード」(約190万円被請求)、新潟のジャズ喫茶「スワン」(約550万円被請求)、名古屋のダンス教室(約3600万円被請求)、名古屋のライブハウス(約1630万円被請求)、東京のピアノバー「ビストロ・ド・シティー」(約840万円被請求)等々の裁判事例を挙げ紹介している。「デサフィナード」、「ビストロ・ド・シティー」、名古屋のライブハウスの場合、経営者が逮捕されている。

 ジャスラック問題は一般には馴染みが薄い。なぜなら、ジャスラックの音楽著作権侵犯対価は市民が対象ではなく、演奏者、歌唱者に対しでもなく、有料であろうが無料であろうがお構いなく店舗経営者に請求されているからである。法理論的にオカシイと思うのだが問題無しとされている。

 しかも、権利侵犯をどのように算定するのかと云うと、演奏叉は歌唱実態に関係なく、店舗の該当面積により算出される。これも問題無しとされている。当然、小店舗の場合は小額請求となり大店舗の場合には高額請求となる。そうやって徴収した著作権侵犯対価料を著作権者に配分しようにも、面積算定だから割り振りできない。これも問題無しとされている。

 田口氏は、ここまで疑問を提起している訳ではないが、れんだいこが解析すればそういう疑問が持ち上がる。田口氏の「JASRACに告ぐ」は実態を明らかにする事により、れんだいこ的発想を生む下地を醸成している。同書にはそういう価値と意義が認められる。

 田口氏は、全国音楽利用者協議会、ジャスラックにまつわる事件簿、歴史、諸外国との比較、についても言及している。民主党の川内博史議員インタビューも紹介している。全体的に読み易いジャスラック問題のガイドブックとなっており、関心有る人たちにとって待望の必読書と云えよう。

 以上が感想である。ここから、れんだいこの見解を披瀝しておく。

 一体全体、最近の著作権問題は締め付けが次第に激しくなっており、人民大衆の生活享受権に対して由々しき侵害が深く静かに潜行していると受け止めるべきである。最大の問題は、ジャスラック的著作権が権利万能社会の尖兵的役割を果たしていることにある。ジャスラックが切り開いた著作権制約が追って全分野に攪拌していくことが必至で、その意味でよそ事とみなして傍観する訳にはいかない。いずれ我が身に降りかかってくる。事態をかく踏まえるべきではなかろうか。

 何が問題なのかと云うと、ジャスラック的著作権論の倒錯性にある。本来、「JASRACに告ぐ」でも幾分かは指摘されているが、音楽文化の擁護発展をも使命として認可されているにも拘らず、著作権利者の保護と云う美名の下に使命を反故しても顧慮しないという反モラル性にある。依然としてジャスラック的活動にタガハメされて居らず、この先どこまで行き着くのかと云う不安が有る。つまり野放し状態にある。にも拘らず、多くの自称知識人が文明化の名の下にこれを後押ししていると云うそれこそ野蛮性がある。そういう意味で、ジャスラック問題は結構な文明批評にもなっている。

 れんだいこは既に幾度も指摘しているが、全ての誤りは、新聞協会の打ち出した「著作権物利用に伴う要事前通知、要承諾制」に有る。ここからジャスラック式音楽著作権侵害対価請求権論が生まれている。そういう意味で、大本は「著作権物利用に伴う要事前通知、要承諾制」に有り、その論理論法の是非を鋭く問い突き崩さない限り解決しない。

 マスコミ業界は、ジャスラックが手前達が打ち出した論理論法に則り権利主張しているわけだから、これを批判できない。そういう訳で同じ穴のムジナとなっている。興味深いことに、新聞協会見解を後押ししたのが読売のナベツネであることからして、ジャスラックの課金暴力に対してもナベツネ系の読売新聞、日テレ系が特に援護射撃していることである。これを偶然とみなすわけにはいくまい。

 れんだいこは既に幾度も指摘しているが、現代強権著作権論派の「著作権物利用に伴う要事前通知、要承諾制」に胡散臭さを感じている。彼らは法を盾に弁論しているが、れんだいこが著作権法を読む限り新聞協会見解は明らかに逸脱でありオーバーランである。それはあたかも、憲法9条の諸規定にも拘らず自衛隊を創出させ肥大化させますます軍事防衛費を注ぎ込もうとしている現下の政治と似通っている。一事万事ということであろう。

 れんだいこは、「著作権物利用に伴う要事前通知、要承諾制」を敷くなら、それは流通段階に於ける川上規制に止まるべきで、川下にまで適用させてはいけないと考えている。つまり、業者の利用規制にすべきで、エンドユーザーの利用規制にまで及ぶ必要は無いと考えている。この仕切りが肝要なのだが、暴力的に破壊され今日の悪法化路線へと辿り着いているとみなしている。

 これをどう解決すべきか。そう難しい事ではない。著作権法を見直すなら、現下の如く著作権法の骨抜きに向かうのではなく、著作権法の仕切りをもっと厳格鮮明にさせ、「川上適用、川下不適用」の大原則を確立すれば良いだけのことである。この大原則を打ち立てた後で、審議を要するとすれば、どこまでが川上なのかどこからが川下なのかを詮議すればよいだけのことである。

 ここにこそ本当の知識と智恵が居る。これをこなすのが知識人の役割であり、著作権法の骨抜きに舌鋒振るうのは知識人でもなんでもない、単なる御用系弁論士に過ぎず提灯言論でしかない。現代は、こういう類いの自称知識人ばかりだから詰まらない。だから、議論すればするほど悪貨が良貨を駆逐する類いの改悪方向にしか進まない。小泉構造改革論はなべてこの方向ばかりのものであった。

 では、差し当たり何をすべきか。他に適切な者が居なければ、審議会にれんだいこを入れればよい。れんだいこがひとしきり本来の著作権論をぶち上げ、総点検総見直しを起爆してしんぜよう。同調者を生み、それを核として一気に流れを変えたい。誰か、この提案を文化庁へ届けてくれ。

 それにしても、「JASRACに告ぐ」の著者田口氏までもそうだが、ジャスラック的音楽著作権論を認めたうえで減額請求で対応しようとしている。この問題はそうでは無いと思う。「デサフィナード」の経営者が萌芽的に示しつつあるが、ジャスラック指揮音楽著作権論のイカガワシサに気づくべきで、店舗段階での歌唱、演奏は無料との確固とした地平から闘わねばならないのではないのか。

 一体、店舗で顧客が歌を歌おうが演奏しようが、それがなぜ権利侵犯なのだ。著作権者は結構な事として後押しすればよい。それなのにハウマッチなどと手を差し出し、自分では徴収できないからジャスラックに頼むなどというさもしい芸術家精神がややこしくさせているのではないのか。芸術活動には金を生ませれば良い。なぜなら、人は霞を食って生きるわけには行かないから。しかし、普及活動とハウマッチは馴染まない。一体誰だ、俺に黙って俺の歌を歌いやがってなどと天に唾する者は。

 2008.3.12日 れんだいこ拝

−−−−−
404 返信 Re:れんだいこのカンテラ時評374 れんだいこ 2008/03/10 14:25

 【息抜き雑談】

「岩瀬氏の著作権訴訟」もそうだが、れんだいこから見て明らかに変調なことなのに、それを咎める世論が生まれない。オカシナ時代になったと思う。さきほど懇意な者が訪ねて来られ雑談した。イージス艦事故直後の救出作業の様子が明らかにされないまま幕引きされた事を指摘し、権力、当局、関係者が口裏合わせしているだけではない、今はネットがあるのだからオカシイと大衆的に言える基盤が有るのに疑問の声が噴出しないことの方が余計にオカシイと述べ、俺は不思議な国に迷い出ているようで気持ち悪いと云ったら笑ってた。

 カラオケ歌うのにも金が掛かると云う。リース料払っているのだから、それ以上払うのは二重取りだろうと云ったら、カラオケ機器メーカーは送信権を払っているに過ぎず演奏権、歌唱権までは含まれて居ない、別途支払うのは当然と云う知的所有権論者が圧倒的だ。

 れんだいこは、それは理屈だ、そういう風にややこしくする必要は無い、カラオケ機器メーカーが支払う著作権料に含ませればよい、重箱の隅をつつくようにして料金を複雑に発生させる必要は無いと思う。現代は、小賢しい理論が横行し過ぎているのではなかろうか。

 思想的に見て、歌唱、演奏に著作権侵犯対価料が居るなどというのがどだい無茶な商法だ。アメリカでも盛んなようで、こういう商才商法に長けているのはどうせ例の連中の悪智恵が生んだ仕業に違いない。その昔、イエスが徹底的に論難したが、時代が叉坂戻りしつつある気がしてならない。

 人民大衆的観点から見れば、時代はいつでも本来ルネサンスを要求している。その為に叡智を働かせるのが知性だと思うが、人民大衆が互いに権利病を主張して互いを首絞め合う方向にミスリードする知性に傾注するのが学問だと勘違いするのが流行している。連中は単純な話でもわざわざ事を難しくしないと学問した気にならないらしい。

 知識人とは小難し屋に過ぎず必ずしも知者ならずの秘密がここにある。連中は、お上の顔色、風向きを窺い、疑問を湧かさないような迷路に入るばかりの学問に傾倒しているが、こういうのが本当に学問だろうか。疑問を疑問として提起できないような学者にせよ知識人にせよメディアにせよ何の意味があろう。そういう連中に限って著作権に煩いのはお笑いだ。れんだいこは、現代著作権法が搦め手から治安維持法化しつつあることを憂う。

 この問題の肝腎なことは次のことにある。現代強権著作権者の主張は、著作権法の内容をはるかに逸脱して現代的要請論、国際的法感覚論でもってオーバーラン化させており、それを常態化趨勢化させつつある。それはあたかも憲法9条がありながら自衛隊を発生させ、防衛庁を生み、防衛省に昇格させ、今後も莫大な予算を注ぎ込もうとする流れとハーモニーしている。ここでは既に、最高法規の規制力が失われ、治外法権化しつつある。その連中が法令遵守を言うからお笑い極まれりではある。

 妙な事に、憲法9条擁護派にして強権著作権論振り回し派というのが存在するが倒錯極まれりであろう。れんだいこは、どうやったらそういう論法に馴染めるのか不思議でならない。方や法を守れとと云う、方や法違反である。この両者を併せ呑む事のできるのは至難の業であろうに。

 結論として、憲法9条擁護派にして強権著作権論振り回し派には倍して警戒せよ。連中を味方だなどと思っていたら、あごが食い違うのは近未来の必至である。強権著作権論派の護憲論は底が浅い。繭唾せよ。現代は、有り得ない主張を平然とし得る連中が正義美名で幅を利かせている。そういう風にややこしい時代になった。かく受け止めておけば解けないパズルではないが、この観点抜きには頭がヤラレテシマウだろうに皆さんタフなことだ。

 2008.3.10日 れんだいこ拝

−−−−−−−−−
れんだいこ 人生学院
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > マスコミ・電通批評8掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。