★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評8 > 407.html
 ★阿修羅♪
記者クラブは官庁の下部組織なのか〜『ジャーナリズム崩壊』上杉隆著 【日経BP】
http://www.asyura2.com/08/hihyo8/msg/407.html
投稿者 ブッダの弟子 日時 2008 年 8 月 20 日 11:00:16: WrVq5GKL9DWTY
 

全文
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080818/168104/


先月、日弁連が、いま進んでいる法曹人口拡大策の見直しを求める緊急提言を発表した。このままのペースで増員を続けると、養成過程にひずみが生じ、質の担保が困難になる、というのが表向きの理由だが、本音のところは、「数が増えすぎると、一人当たりの稼ぎが減る。新参者はもう要らない」という危機感からだろう。

 国家機関に監督されない独自の自治権の所有を自慢げに言い募る日弁連だが、その内実はライバルの数を制限し、無駄な競争を起こさせないための同業者組合、つまりギルドに他ならない。

 しかし、ギルドとしての弁護士会なんて、まだまだ可愛い存在だ。司法制度改革という錦の御旗が翻った途端、一旦は、変わろう、もっと門戸を開放しよう、と健気にも決意したぐらいだから。そう、日本にはもっと結束力の強いギルドがある。新聞・テレビ・通信社の記者しか所属できない記者クラブである。外国のメディアにもその名がとどろき、キシャクラブで意味が通じるというから大変なものだ。

上杉は議員秘書出身で、安倍政権の迷走ぶりを活写した『官邸崩壊』(新潮社)で知られるフリーのジャーナリストである。

記者クラブは、1890年、帝国議会が発足した時、情報を隠蔽しがちな諸官庁に対し、情報公開を求める組織として結成された「議会出入り記者団」を嚆矢とする。戦時中、一旦消滅させられたが、1949年、記者同士の親睦と社交を目的に復活。

 上杉曰く、ここまではよかったのだが、1978年、記者クラブの目的を、新聞協会が「日常の取材活動を通じて相互の啓発と親睦をはかる」と変更した途端、おかしなことになった、というのである。親睦団体から取材の拠点へ、その性格が大きく変わったというのがポイントだ。

 上杉のようなフリー記者や外国人記者の場合、会見の場所にさえ入れなくなってしまった。一度、上杉は自民党本部で開かれた記者会見にこっそり潜り込んだことがあったという。大人しく座っていれば問題はなかっただろうが、挙手して政治家に質問してしまった。するといきなり「会社の名刺を出しなさい」と男が近づいてきて、「フリーランスで所属はない」と答えると、こう言われたという。

「不法侵入だな、あんた」

 ギルドだから、領域を侵す部外者には強くても、クラブ内では仲良しごっこ、競争を避ける体質が濃厚だ。それが典型的に表れているのが「メモ合わせ」である。政治家の声が聞き取れなかったり、世間が注視する政治家が重要な発言をした場合、自分の取ったメモが正しいかどうか、他社の記者と読み合わせをする。テストが終わった後、教室の片隅で問題の答え合わせをしているガリ勉君を髣髴とさせる。

 あるいは、自分たち以外のメディア、特に出版社系の週刊誌に対する不当な蔑視である。新聞がよく使う「一部週刊誌」という表現にそれがよく表れていると上杉は言う。誌名を明らかにしないのは、週刊誌はメディアにあらず、といった、ちっぽけな面子を保つための行為だろう。これこそ情報源を明示しない日本のマスコミの悪癖であり、結果的に、もっと詳しい情報を知りえたかもしれない読者へのサービスの低下にもつながっている、と指摘する。

上杉はニューヨークタイムズの東京支社で働いていたことがあり、その経験が批判の矢の出所になっている。

 記者会見における質疑応答の際、米国の記者は名前を告げ、その後に勤務先を付け加えるのが一般的だが、日本人の場合は逆で、勤務先、名前の順。勤務先だけを告げ、質問に移る記者も多い。「ジャーナリストにとって名前は商売道具のはずなのに理解できない」とはある外国人記者の弁。

 上杉が勤務していたニューヨークタイムズの場合、本来の仕事とは別に、フリーランスでの仕事が認められ、平日の勤務時間以外と仕事のない週末をあててよい、とまで明言されていた。ただし、重要な条件があった。それは、「匿名記事は認めない」というものだった。「記事には常に責任がつきまとう。

 片や、新聞記者が匿名で週刊誌に原稿を書き散らかす日本。こうなると、同じジャーナリズムといっても、日米の実態には相当大きな隔たりがあることがわかる。「日本の記者は優良企業のサラリーマン、米国の記者こそがジャーナリストなのだ」と上杉は再三、強調する。

 その違いがよく表れているのが公人のオフレコ取材に対する考え方である。
 ニューヨークタイムズ時代、上杉は自民党の若手議員数名から、良質のコメントを沢山拾ったことがあったが、議員らは誰も自分の名前を出したがらない。仕方なく、そのままコメントを支局長に送ったが、「内容は素晴らしいが、政治家の場合、実名以外は信用できない」と、くずかご行きになってしまったという。

 相手がオフレコ取材しか認めない場合はどうするか。ワシントンポストのブラッドリーという編集主幹とキッシンジャー国務長官との「戦い」のエピソードが秀逸である。

 「情報源が自分であることを秘して使うなら」と同紙の取材に応じたキッシンジャーだったが、ブラッドリーは氏名の掲載許可を求め、担当記者を交渉に行かせる。その記者はキッシンジャーに罵倒されながらも粘りに粘って、ついに「実名ではなく、政府高官ということならOK」という譲歩を引き出した。

 ブラッドリーはなおも諦めず、どうにか実名を引っ張り出そうと、今後は自分で交渉したが、結局、決裂。しぶしぶ「政府高官」での掲載を認めた。

 記事には「政府高官の情報によれば」とあり、キッシンジャーの名前は一言も掲載されていなかった。ただ、記事中にはひとりの男の写真が掲載されていて、「政府高官」というキャプションがつけられていた。その写真に写っているのはキッシンジャーその人だった。上杉は言う、〈これがアメリカのジャーナリズムだ〉と。

「ジャーナリズム」と一言でいっても、アメリカにはアメリカの、日本には日本のやり方がある、という異議申し立てが考えられるが、「ジャーナリズムの本義は権力の監視にある」という上杉の主張を受け入れる限り、どちらが優れているかは明白だ。


関連

日本のマスゴミを考える(ビデオニュース・ドットコム)08/7/14
http://www.asyura2.com/08/hihyo8/msg/355.html
シリーズ:田中正造物語から見える、明治時代のマスコミ。過去の方がジャーナリズムがある現実【下野新聞】08/8/16
http://www.asyura2.com/08/hihyo8/msg/402.html  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > マスコミ・電通批評8掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。