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戦争とメディア:グルジア紛争 反感あおった情報戦(毎日)
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投稿者 kamenoko 日時 2009 年 1 月 26 日 20:59:33: pabqsWuV.mDlg
 

戦争とメディア:グルジア紛争 反感あおった情報戦(毎日、1月26日東京朝刊)

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昨年8月の北京五輪開幕日に始まった旧ソ連のグルジアとロシアの紛争で、両国はメディアを通じて、自己の主張を正当化する激しい「情報戦」を展開した。グルジア、ロシア双方の軍に同行し前線に入った毎日新聞記者の報告や、外国人記者へのインタビューを基に、その実態に迫る。

 ◇機先制したグルジア

主な戦場は、ロシアの支援を受けグルジアからの分離・独立を主張してきた南オセチアだった。独立派の民兵とたびたび衝突していたグルジア軍は8月7日深夜、中心都市のツヒンバリを包囲し、ロケット砲や戦車で攻撃を開始した。これに対し、ロシア軍は大量の地上部隊を侵攻させ、猛烈な反撃を加えてグルジア軍を撤退させ、さらにグルジアの首都トビリシに近いゴリなどにまで軍を進めた。

 グルジアのサーカシビリ大統領は開戦直後から英BBCや米CNNなどに連日のように生出演し、得意な英語を駆使してグルジアへの支援を訴えた。大統領は「ソ連帝国主義の復活」「ロシアによる主権国家(グルジア)占領だ」などの言葉を機関銃のように繰り出し、ロシアを糾弾した。欧米メディアを使って国際社会に訴える手法は、サーカシビリ氏が03年、当時のシェワルナゼ大統領を辞任に追い込んだ民衆革命(通称「バラ革命」)以来のスタイルだ。

 ソ連崩壊後、初めてロシアが他国へ軍事侵攻したことや、侵攻日が「平和の祭典」である北京五輪開幕にあたったことから、世界に与えた衝撃は大きく、欧米政府はグルジア支持で一致した。外交報道で定評がある米紙クリスチャン・サイエンス・モニターは8月11日付の社説で、「ロシアはグルジアを攻撃することで自国の周囲に(冷戦時代のような)新たな鉄のカーテンを引こうとしている」とロシアを批判。西側メディアはグルジア寄りの姿勢を鮮明にした。グルジアは、戦闘には負けたが、国際世論を味方につけたのだ。

ロシア側が初めてモスクワに駐在する外国メディアに取材の門戸を開いたのは、ロシアの軍事侵攻翌日の8月9日に行われたノゴビツィン軍参謀次長の記者会見だった。ただロシア兵の死者数などを一方的に発表し、質問は一切受け付けなかった。翌日から連日行われた会見では、質疑応答にも応じたが、「大本営発表」の域を出なかった。

 不満を募らせた外国人記者らを対象に、ロシア政府・軍は12日、ロシア南部のウラジカフカスからツヒンバリに入る現地視察を組織し始めた。毎日新聞は13日、この現地視察に参加した。装甲車に乗せられ、防弾チョッキも貸与された。「軍の指示に従って行動する」「護衛兵は撮影しない」などのルールを守る条件のロシア流「エンベッド(埋め込み)取材」だ。ツヒンバリでは約2時間かけてグルジアの攻撃を受けた住宅や病院を巡り、住民らと会うことができた。

 現地では住民がロシア軍車両に手を振り、ロシアによる「解放」を歓迎していた。だが、ロシアで報道されていた「グルジア軍戦車が無抵抗の老人や子どもをひき殺した」などの「蛮行」については、「ほかの住民から聞いた」という2次情報が多く、真相はわからなかった。また市内の多くの建物はロケット弾攻撃で破損していたが、それぞれ一部が損壊しただけで、「街全体が消滅した」などとするロシア側主張に誇張があったのも実感できた。

 ツヒンバリまでは装甲車に押し込められて移動し、窓のない車両の中から外の様子を見ることはできなかった。参加した多くの外国人記者は「ロシア軍や親露派住民が略奪したグルジア人居住地域を見せないためでは」との疑念を抱いた。

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◇プーチン首相も出演し「反撃」

 さらに8月26日以降、メドベージェフ大統領とプーチン首相(前大統領)の2人が手分けしてBBCなど西側テレビや新聞と次々に単独会見し、ロシアの立場を正当化する主張を展開した。グルジア政権に対抗する狙いは明らかだった。

 首相のCNN会見(28日)は、直前にあったノゴビツィン参謀次長の会見と連動していた。次長は「米国人のパスポートが交戦地で見つかった」と記者団にカラーコピーを見せた。その日放送されたCNNとのインタビューでプーチン首相は「米国人がグルジア軍と一緒に行動していた証拠がある」と強調した。

 また、ロシアが自国のイメージアップのため06年から広報活動を委託している米広告大手「ケッチャム」は、首相報道官やラブロフ外相ら、政府要人との電話を通じた質疑を企画した。指定された時間に電話を入れれば通常の記者会見のようにやりとりができる「電話会見」とも呼ばれる方式で、欧米でしばしば利用される。これについて同社は毎日新聞に「ロシア政府と国際メディアの間を取り持ち、ロシアの公開性、透明さを増すのが目標だ」とだけ答えた。

 こうしたロシア側の「反撃」は一定の効果を上げたようだ。11月初めになって英BBCや米紙ニューヨーク・タイムズに、開戦の経緯を検証し、ロシアを一方的に非難してきたグルジア側の主張に疑問を投げかける「軌道修正」ともいえる報道が現れた。露政府系「ロシア新聞」などは「米国の記者がグルジア指導部の説を否定した」と勝ち誇ったように報道。欧州諸国がロシアとの関係修復に動き出したのも同じ時期だった。

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◇「情報の空白」利用し攻勢

 欧米で開戦当初、反露感情が高まった大きな理由の一つは、ゴリなどロシアの空爆で破壊された街や、トビリシに逃げた避難民の惨状をメディアが盛んに報道したことだ。ロシアと違い、欧米や日本の記者がグルジアに入るのに記者用査証(ビザ)は不要で入国は容易。このため、開戦当初、毎日新聞を含むロシア以外のメディアの現場報道は大半がグルジア発だった。

 だが、ロシア軍がゴリを占拠した8月11日以降、ゴリとトビリシを結ぶ幹線道路がロシア軍によって閉ざされ、周辺状況の情報は入り乱れた。CNNが「ロシア軍がゴリからトビリシに進軍した」と速報、グルジア政府が当初これを確認し、後に否定した。こうした情報の乱れにトビリシ市民は翻弄(ほんろう)され、疑心暗鬼の中、パニック状態となった。結果的にロシアはゴリについての「報道の空白」を利用して首都攻撃を恐れたグルジア国民を揺さぶり、停戦交渉を優位に運ぶ形となった。

 一方、開戦当初からロシア軍に同行してツヒンバリに入ったロシアのメディアは「街は壊滅」「グルジアによる住民大虐殺」など、クレムリン(ロシア大統領府)の主張に沿った報道を連日繰り広げた。ゴリ空爆などには触れなかった。ロシアではテレビが主な情報源となっており、多くのロシア国民は「グルジアが一方的に悪い」との考えを抱き、欧米への反感を強める結果になった。

 グルジア政権は、ロシアのテレビ映像を放送することを禁じ、インターネットでもロシア発のサイトを一切閲覧できなくする措置を取った。BBCの質問を聞きながらサーカシビリ氏が緊張のあまりかネクタイをかむ様子が生放送された際、ロシアの新聞・テレビが「グルジア大統領が狂人である証拠だ」として繰り返し報道したが、グルジアではテレビやネットでこれを見ることはできなかった。

 ロシアはネット規制を行わなかった。だが紛争に関するネット情報は政権支持のロシア語サイトに頼る傾向が強かった。英語を解読できる国民は少なく、政府に批判的なメディア自体が育っていないことが背景だ。ロシアでも本格的なネット時代が到来しているが、周囲には言葉の「鉄のカーテン」が引かれ、西側とロシアとの間の情報ギャップが広がる一因になった。

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◇存在アピールしたロシア軍−
 −防衛研究所主任研究官(露安全保障)・兵頭慎治氏

 ロシア軍関係者などの話を総合すると、軍に対する政治的なコントロールは一時かなり揺らいだようだ。昨年8月7日深夜にグルジアが攻撃をしかけた際、メドベージェフ大統領は休暇でモスクワを離れ、プーチン首相も北京五輪の開会式に出席し、軍指揮官も現場の作戦司令部に不在だった。五輪休戦という国際慣習を破って、グルジアがこのタイミングで攻めてくるとは予期していなかったようだ。

 8日に安全保障会議で戦時体制の導入を決めるまで、ロシアの意思決定は大きく遅れた。軍の最高司令官であるメドベージェフ大統領と現場指揮官との意思疎通に問題があったとみられる。北京でプーチン首相は、ブッシュ米大統領(当時)から軍が短距離ミサイル「SS21」をグルジア領内に持ち込んだことを知らされ、急きょ北京からグルジアに隣接する作戦司令部に乗り込んだ。どうやら、軍が独走してミサイル攻撃に踏み切ることを懸念したようだ。

 プーチン氏は首相でありながら、現場指揮官から戦況報告を直接受け、反撃の指示を出した。トビリシ陥落、サーカシビリ拘束というシナリオまで軍は想定していた模様だが、プーチン氏は石油パイプラインの破壊すら認めなかったとされる。ロシア軍の過剰な反撃が問題となったが、軍が暴走したとまでは言い切れない。テロという新しい脅威が台頭し、国家脅威への対処を本来任務とする軍の役割や影響力は大きく低下している。国外での軍事紛争は、軍が存在意義を示す絶好の機会だった。

 軍高官が相次いで辞表を提出するなど双頭体制の発足に合わせ政軍関係はきしんでいる。経済優先のプーチン路線に軍は不満を抱いており、メドベージェフ氏を担ぎ上げようとした側面も指摘される。

 メディア戦に関しては、ロシア自身も完敗を認める。国際社会にロシア悪玉論が作られ、グルジアの言い分が広まった。ロシア側のスポークスマンが軍高官であったことから、軍が紛争を主導しているとの憶測も生まれた。他方で、グルジア寄りの報道を盛んに行った米英メディアの姿勢を批判する声は、ロシア以外にもみられる。

 紛争の教訓を踏まえ機動性の高い軍隊を創設するため昨年10月に大規模な軍改革の方針が公表された。ソ連解体後、初めて国外で軍事行動を行ったことは、ロシア軍の将来と地域安全保障に大きな影響を与える結果になった。(談)

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◇露、メディア重視に転換−
−米CNNモスクワ支局・上級国際特派員、マシュー・チャンス氏(38)

 昨年8月7日深夜、グルジアが南オセチアへの攻撃を開始し、ツヒンバリからの映像が入ってきた。何とか現場に入ろうと考え、ロシア当局に接触したが、外国人記者の現地入りは認められないと拒否された。そこでもう一方の当事者であるグルジアに接触したら、歓迎された。グルジアへの直行便の運航が停止されたのでトルコから陸路で9日、トビリシに入った。さらにゴリから南オセチアに入り、現場ルポを放送した。

 ロシアが西側メディアの「偏向報道」を批判しているのは知っている。だがCNNは、知り得た事実のみを注意深く報じたと思っている。すべての事実を把握し、完全な全体像を描くことは困難だ。私は一介のジャーナリストで、CNNの現地態勢も小規模だった。開戦当初、ロシア側は外国メディアのアクセスを拒否した。唯一の方法はグルジアを通じて現場に近づくしかなかったのだ。

 その後、クレムリンは方針を転換したようだ。まず8月26日にメドベージェフ大統領にインタビューした。クレムリンから「ソチにいる大統領と会見しないか」と連絡があったので飛びついた。時間は20分。BBCなどと一緒だった。次いで「プーチン首相もソチにいるが会見したいか」と電話があり、大喜びで応じた。首相はきわめて丁寧で、会見は2時間に及んだ。編集した2種類の短縮版をテレビで放映し、その後、会見全体の模様をインターネット上で公表した。クレムリンからはきわめて好意的な反応が返ってきた。

 他の国と違ってロシアに欠けていたのは、外国メディアが指導者にアクセスできなかったことだ。CNNは以前からプーチン氏への単独インタビューを申し込んでいたが、8年間実現しなかった。メドベージェフ氏も3月の大統領選当選後、CNNとは一度も会見に応じなかった。ラブロフ外相との会見も3年間なかった。それが紛争後のわずかな期間に3人ともインタビューに応じた。クレムリンは情報戦の重要性に気づいたのだろう。

 これはロシアにとって大きな前進だ。我々外国メディアにとっても良いことだ。この点でロシアが「普通の国」になったことを喜んでいる。インタビューでロシア指導部は、西側の人々の誤った印象を修正したいと思い、CNNはその良い手段だと考えたのだろう。政策としては間違っていない。

 私はこれまで、アフガン、イラク、中東などで多くの戦争を取材してきたが、今回はきわめて短期間に集中的に多くのことが起きた点が特徴だ。危険性も高く、死亡した記者もいる。戦争取材は恐ろしいが、恐怖心を脇に置いて見たことを報じるのが私の職業だ。

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◇欧米側の認識に違和感−
−露コムソモリスカヤ・プラウダ紙記者、アレクサンドル・コッツ氏(30)

 別の取材でウクライナにいた昨年8月7日の深夜、ツヒンバリにいた他紙の記者から「グルジアが攻撃を始めた」と電話があった。翌日上司に連絡し、9日朝にロシア・北オセチア共和国のウラジカフカスに入った。タクシーで国境まで行き、医療部隊の車で午後1時ごろツヒンバリ近郊に着いた。ロシア軍はまだツヒンバリには入っていなかった。周囲の山の上からグルジア軍が町を砲撃していた。

 午後4時ごろ、ロシア軍の装甲歩兵戦闘車30台、戦車2台、連絡部隊などと一緒にツヒンバリに入ろうとしたら、グルジア軍の待ち伏せ攻撃にあった。5メートルくらいの距離から、右腕を撃たれた。装甲車の陰に倒れ込んで隠れた。戦争取材の経験は多いが、これだけ近い距離で戦闘が起きたのは初めて。「もう終わりかも」と思った。すぐ近くにグルジア兵がいるのがわかり、1時間半ぐらい静かに身を伏せてじっとしていた。

 そこへツヒンバリ市内から出てきた装甲車が通りかかった。負傷していなかった別の記者がそれを止め、他の負傷者とともに乗せてもらって脱出した。戦闘は続き、兵士ら約30人が死亡したという。私はウラジカフカスの病院に運ばれ1カ月半入院した。

 最近、英国のジャーナリストと話す機会があったが、この戦争についての認識の違いを感じた。私は実際に見たものを書くだけだ。ロシア軍が戦闘を準備していたといわれるが違うと思う。彼らは部隊同士で連絡を取ることさえできず、私の携帯電話を貸した。部隊間の通信も整備されていない状態で攻撃を準備していたとは考えられない。

 西側の第一印象はトビリシからの報道で作られた。ロシア軍が最初から外国人記者に現地を見せていれば良かったのかもしれない。

 ロシアのメディアも正しかったとはいえない。9日朝、ウラジカフカスの空港に着いた時、ロシアのテレビは「ロシア軍がツヒンバリを奪還した」と報じていた。だが、その後実際に現地へ行ってみると、ロシア軍はまだ入っていなかった。ツヒンバリが完全に破壊されたとの報道もあったが実際は市内の一部だった。戦闘で2000人が死亡したとの発表も疑わしい。避難民に話を聞いたがグルジア兵による虐殺の話はなかった。死者数や虐殺の情報はプロパガンダだった可能性もある。

 けがは完治していないが仕事は再開した。言われれば、また南オセチアに行く。軍にいたことがあり、戦争には関心がある。グルジア人への憎しみは感じない。相手は兵士なのだから敵を攻撃するのは当然だ。それを憎んでも仕方がない。

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1990年末      ソ連グルジア共和国領内の南オセチア自治州が独立を主張し、露・グルジア軍が衝突(南オセチア紛争、92年停戦)

  91年 4月    グルジアがソ連からの独立を宣言

     12月    独立国家共同体(CIS)創設、ソ連崩壊

  92年 7月    グルジアのアブハジア自治共和国が主権宣言、グルジア軍と武力紛争(アブハジア紛争、94年停戦)

2003年11月    グルジア議会選で野党が抗議、シェワルナゼ大統領失脚(バラ革命)

  06年 3月    ロシアがグルジアの主要輸出品のワインを輸入禁止に

      9月    グルジアが露軍参謀本部情報総局の4人をスパイ容疑で逮捕。ロシアは送金禁止などの対グルジア制裁措置で応酬

  08年 4月 3日 北大西洋条約機構(NATO)首脳会議がグルジアとウクライナの将来的な加盟で合意

        16日 ロシアが南オセチア、アブハジアとの関係強化・経済支援策実施を発表。グルジア、欧米諸国が反発

        20日 グルジアの無人偵察機がアブハジア上空を飛行中、ロシア空軍機とみられる戦闘機に撃墜される

      7月 3日 グルジア軍が南オセチアの中心地ツヒンバリを砲撃、住民2人が死亡。ロシアは「明白な攻撃」と、グルジアを非難。グルジア側は「分離独立派がグルジア人居住地域を砲撃したため応戦した」と反論

      8月 7日 グルジア軍が南オセチア・ツヒンバリを攻撃。8日、ロシア軍がグルジア領内の軍事拠点を攻撃開始し、両国の本格的な武力衝突に発展(グルジア紛争)

        16日 メドベージェフ露大統領が欧州連合(EU)議長国フランスのサルコジ大統領による仲介で停戦などの和平合意文書に署名

        26日 ロシアが、グルジアや欧米諸国の反対を押し切りアブハジアと南オセチアの独立承認

      9月 8日 露大統領がアブハジアと南オセチアを除くグルジア領内から軍部隊を1カ月以内に撤退すると確約

     10月 1日 EU監視団がグルジアで活動開始

         8日 露軍がグルジア領内の「緩衝地帯」から撤退

        15日 ジュネーブで和平合意に基づく初の国際会議開催。南オセチアとアブハジアの参加資格を巡り、ロシアとグルジアが対立、物別れに

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 この特集は杉尾直哉(外信部)、大木俊治(モスクワ支局)、小谷守彦(ベルリン支局)、岸俊光(学芸部)が担当しました。

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