★阿修羅♪ > 雑談専用29 > 636.html
 ★阿修羅♪
人間としての最低限の事
http://www.asyura2.com/08/idletalk29/msg/636.html
投稿者 考察者K 日時 2008 年 2 月 04 日 22:32:18: JjkI8nWTpj0po
 

Kは思うのですが
「他人の施しは受けない。俺は乞食ではない」というのは正しいとは思わない。
やせ我慢をするくらいなら、人の好意は「ありがたく受け止めるべき」だろう。
しかし、「受けた恩」は返さなくてはならない。

ただし、返すのは「必ずしも、恩を受けた人個人に対してでなくとも良い」
例えば、親から受けた恩は「全てを親に対して返す事は事実上不可能である。」
だから、親から受けた恩は「子孫に同じ事をしてあげる」というように考えるべきである。
もちろん、親に対しても出来るだけの恩返しはするべきであるが、親は子に対し生きている限りは愛情を与えただろう。それは、生きている時間にズレが生じているのであるから、返しきれないが、親が死んでしまったら、その分は「自分が自分の子供に対して、生きている限りは愛情を与え続ける」と言う事で巡回していくのだろう。

Kは人から親切にされた事が結構ある。
旅先で困っていた時に「一面識もない人に助けられたりする。」
「ありがたい」と感じても、その人に恩を返す事は出来なくなっている。
「名前も知らない行きづりの人」だ。

人から受けた好意が「ありがたい」と思ったのなら、自分も人が困っていた時には同じ事をしてあげる。

社会の中で受けた恩は、社会に返すと言う事で、上手く連鎖がされれば、社会全体が「優しい社会になっていく」
それで良い。

Kの個人的な「損得帳」を見れば、圧倒的に「受けた恩」の方が多いという気がする。

「人の施しは受けない。俺は乞食ではない」という意地を見せるのも良いが、苦しい時の人の好意はありがたく受け取る代わりに「受けた恩は、社会に還元して帳尻が合えばいい」と考えた方が「優しい社会」になる。

しかし、「他人の物は自分の物、自分の物は自分の物」という人もいる。
このような人には「優しさを与えても、連鎖しない」
「もらった物はもらうだけ、絶対に人に物をあげたりはしない」

基本的には「人は自分の食い扶持は自分で稼ぐ」と考えるべきである。
しかし、人には病気もあるし、家族の病気で働きたくとも働けないような時もある。
その場合には「助けを受ければ良い」
しかし、その分、自分に余裕のある時には困っている人がいたら助ける。

生涯の終わった時「損得帳は帳尻が合っている」くらいでないと「乞食の生涯だった」と思うくらいの意地は持ってほしい。

生涯の損得勘定が「大幅な得」で終わった人がいたら、その分「損で終わった人がいる」のである。
「得で終わった人は、その分、他人を不幸にした人生を送った」と言う事である。

人間としての尊厳を持ち、意地があるのなら、損で終わるくらいの生涯を目指すべきではないだろうか?

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 雑談専用29掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。