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そうしたある種の“諦観”は携えているつもりです。
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投稿者 彼岸楼 日時 2008 年 5 月 26 日 22:16:20: njbqC.Mf1PyZ2
 

(回答先: Re: Re:Re: 「近代の生成あるいは復権」への回答 投稿者 影の闇 日時 2008 年 5 月 26 日 17:11:58)


 影の闇さん、こんにちは。


 ><自立した個人>なるものは<虚構>なのですよ。<虚構>を根底に据えた構想は絵に描いた餅か、砂漠の蜃気楼に過ぎません。ここで繰り返している通り、左右は<近代>=欧米支配の隠蔽=延命装置、この場合だって同じ(政治的)力学が働くと言っているのです。

 「<自立した個人>なるものは<虚構>なのですよ。」については原初的に「自立した個人」などというものはないとの趣旨でありますならば、同感です。しかし、あくまでも可能態という意味を含みますが、“自立しつつある個人”が成立する余地はあると想っています。
 「左右は<近代>=欧米支配の隠蔽=延命装置」と云った側面があることを否定はしませんが、「同じ(政治的)力学が働く」というのが今一判然として来ません。

 >D.ハーディが指摘する様に、市民の<自立性><自発性>を基本とすることで、<新自由主義>と市民運動は同一の基盤にあります。<新自由主義>の登場と期を同じくして、NPO・NGO等数々の「市民運動」が活発になって来たのは決して偶然ではない、ということ。詰まり、より穿った見方をすれば、<新自由主義>を支えているのは「市民運動」、ということです。

 ある意味でのガス抜き論的補完論のことを語られているのだと感じます。NPOやNGOに代表される「市民運動」が新たな再構築論を打ち立ててそれを検証する土壌となり得るのか訝る向きがあり、私もそれが社会変革のための駆動力に転化するかと謂えば甚だ疑問であると思っています。それでも、松尾匡氏或いは田畑稔氏の言説に注目しているのは情勢分析もさながら本来的にはDriving forceの構築論であるからです。

 Auf Wiedersehen.

 

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