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北京五輪 極限にまで深まったオリンピックの退廃(かけはし)
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投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 7 月 25 日 23:03:14: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.jrcl.net/web/frame080728d.html

新自由主義的グローバル化と 国威発揚の「祭典」はいらない

 八月八日から北京五輪が開催される。多国籍資本が切り盛りする新自由主義的グローバル化のシンボルであるオリンピックは、同時にチベット人、ウィグル人などの少数民族や労働者農民の権利を破壊し「大国」意識をあおりたてる中国共産党支配体制のための一大政治イベントである。オリンピックにNO!を

絶好のビジネスチャンス

 「二〇〇八年八月八日」、これでもかというほど「八」の数字を並べて験を担ぐ北京オリンピックの開会式まで一カ月を切り、マスメディアは朝から「鳥の巣」と呼ばれる五輪のメイン会場や開会式直前に開通する地下鉄などのアクセスを映し出し、オリンピックムードを盛り上げようとしている。その上、旅番組まで北京が舞台である。さらに夜になるとバレーボール、サッカーなどの人気種目の予選や選考会がこれでもかというほど連日放映され続けている。
 多国籍企業と呼ばれる巨大資本にとって今日オリンピックは絶好のビジネスチャンスである。スポーツをビジネスに利用するために、巨大資本はオリンピックとワールドカップという二大イベントを軸にして、冬季オリンピック、陸上、水泳などの世界選手権大会という具合にどんどんその裾野と枝葉を広げ続けている。とくに際立つのは各都市名を冠にしたマラソンである。ハワイ、シカゴ、パリ、ロンドン、さらに北京、東京とすでにその数は十指にあまる。
 戦後、テレビの出現はスポーツをビジネスする可能性を飛躍的に増大させた。この利権の中心に位置するのがオリンピックの場合にはIOCであり、サッカーの場合にはFIFAである。スイスのローザンヌに本部を置くIOCの年間予算は五十億ドルを超えるといわれるが、それは放送料と五輪マークとエンブレムなどの商品化の権利・使用料によってもたらされる。そしてIOCをカネの力で支配し動かしている一方の極がTOP(The Olympic Progoram)と呼ばれる十一社の多国籍企業である。この十一社はカテゴリー別になっており、飲料水・ドリンクはコカ・コーラ、電気製品は松下という形をとり、スポンサーであると同時に分野別の利益を独占するシステムになっている。
 もう一方の極はIOCの最大の収入源になっている放送料・放映権を握る企業群である。NBCなどを中心とするアメリカ放送局が全体の八割近くを出資し、残りをヨーロッパや日本の放送局が出す形になっている。したがって各国のメディアが開会式などを放映しようとするとさらに高い放映料をNBCに支払うことになる。これは各種目をニュースやスポットで流す場合も同じである。この巨大な放映権を握るNBCの親会社はGE(ゼネラル・エレクトリック社)である。陸上競技や水泳が時々とんでもない時間帯に行われるのは開催地の都合ではなく、NBCやコカ・コーラがアメリカ東海岸のゴールデンタイムに合わせることをIOCに要求した結果なのである。
 北京オリンピックではNHKと民放が手を結びジャパンコーソシアムという共同事業体をつくり、約二百億円を出して放映権を買い、マラソン、水泳、体操などの決勝を日本時間に合わせて行うように要求し実現させたと報じられている。現在バレーや水泳などの予選会を夜のゴールデンタイムに流す背景は、オリンピック本番で買い取っている放映権と密接不可分であり、本番ではさらに視聴率を稼ごうとするからに他ならない。
 新自由主義的グローバリゼーションの時代においてオリンピックは多国籍企業とそれにつながる資本の巨大ビジネスの場であり、選手は完全にそのための商品であり道具である。八〇年代後半からソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネ、北京それと対をなす冬季のリレハンメル、長野、ソルトレイク、トリノと続いたオリンピックは、誘致段階からことごとく買収合戦騒ぎに揺れた。それは偶然ではなく新自由主義のもとではオリンピックが巨大なビジネスチャンスの場と化したからである。IOCや各国五輪委員会をめぐる金銭問題がいかに大きなウェートを占めるるかを垣間見せたのはマイナーな種目ではあるが、ハンドボールをめぐる「中東の笛」事件であった。オリンピックの現実は「憲章」とはほど遠い「商業主義・ビジネス」にどっぷりとつかっており、スポーツ選手が競うのよりも見えない所でさらに激しくテレビ局同士、スポンサー同士が闘っているのである。

金の力とナショナリズム

 カラードIOC前事務総長はオリンピックがこれからも続くためには「カネと政治という二つのパワーから自立することが重要」と指摘している。カネ問題が前記した多国籍企業を中心とするスポーツマフィアとすれば政治は第一回のアテネ大会以来「国家」のために「国威発揚」の場として利用され続けてきたという点である。その結果開催地を決める最初の段階からIOC委員を出している「国」と「政府」が大きな力を持つ。この事実は百年を経た現在でもいささかも変わっていないばかりか「平和の祭典」の名の下に「国威発揚」の場であったからこそオリンピックという形式が現在まで続いたともいえる。
 オリンピックとナショナリズムの歴史は三つに大きく区分することができる。第一期は第一回のアテネから第二次世界大戦後の一九四八年の第十四回ロンドン大会までである。この時期は帝国主義の植民地の争奪をめぐる戦争のための国威発揚の場・手段としてオリンピックが利用され開催された。この頂点に位置するのがナチスのもとでユダヤ人の虐殺と戦争準備の舞台として設定された第十一回のベルリン大会である。
 第二期が第二次大戦後の冷戦期と呼ばれる東西対立時代である。ソ連・東欧はスポーツエリートを育成し、ついにはドーピング研究までしてメダルの数をアメリカを中心とする帝国主義諸国と競ったのである。一九六四年の東京オリンピックの開催は俗に高度経済成長に拍車をかけたとして賞賛されるが、アメリカは日本を極東における安定した「反共国家」としての確立をねらってオリンピックの開催を準備してきたのである。
 ナチスと話をつけてベルリン五輪への米国の参加を強行し、後に一九五二年から七二年までIOC会長をつとめたアベリー・ブランデージは、東京開催に力をつくした。そこに貫徹していたのはまさに東西対立の中の緊張した「政治」そのものであった。第二期を最も特徴づけるのは米ソ対立の結果「東側五輪」となった一九八〇年のモスクワ大会である。
 そして第三期を特徴づけるのは新自由主義のもとで徹頭徹尾スポーツを商業化しビジネスの祭典と化した現在である。それを最も体現しているのが今回の北京五輪である。二〇〇八年の開催を大阪などと争った北京は、圧倒的多数のIOC委員の支持を取りつけた。そしてIOCを後押ししたのはカラードが語る「カネ」と「政治」であった。ソ連邦が崩壊しベルリンの壁が壊れて以降、G8と多国籍企業にとって最大の課題は、十三億人の中国を新自由主義グローバル化の中に市場として取り込むことであった。オリンピック開催が決定した二〇〇一年には中国のWTO加盟も決定した。このことは五輪の開催とWTO加盟が並行して進められた事実を裏付ける。
 そして開催地に立候補した中国政府自身もまた最終的に社会主義建設を放棄し一党独裁のまま「先進国」の仲間入りを望んだのである。「世界の工場」から「経済大国」に向かって進むエネルギーを開放させ、北京五輪と上海万博の開催を煽ることによって社会主義に代わるアイデンティティーを新たなナショナリズムの高揚で埋めようとしたのである。このために中国政府はオリンピックの全種目をプロジェクト化し、国外から「有能」なコーチを招き、国家予算を湯水のごとく注ぎ込みメダルの獲得を焦点をすえた。
 五輪関係の予算は当初百四十二億ドルであったが、会場やアクセスの建設費を含めて実際は四百億ドルに膨れあがっている。公式に明らかにされていないものも入れると六百億ドルを超えると指摘する学者もいる。シドニーの予算が八億九千万ドルで実際のコストが十一億ドル、アテネが五十五億ドルの予算で実際のコストが百六十億ドルという額と比較すると北京オリンピックの費用がいかに膨大であり途方もないものかがわかる。「外貨準備高の世界一」の国家にふさわしい「大国的ナショナリズムによって国家主義的国民統合を押し進める」、これがオリンピック開催の目的なのである。国家の存亡の「夢」をオリンピックに賭けた点において北京五輪がナチスのベルリン大会に似ているといわれるのはそのためである。

聖火リレーとチベット弾圧

 「平和の祭典」と「国威発揚」は近代オリンピックが出発から内包する矛盾である。前者は「憲章」に体現された建前的理念であり、後者は実態であり目的であった。戦争のために中止された大会やベルリン大会を例に出すまでもなく、この矛盾は往々にしてオリンピックの最中に飛び出す。一九六八年のメキシコ大会では入賞した米国の黒人選手が差別に抗議し、黒手袋のこぶしを空に向かって突き出した。七二年のミュンヘン大会は「平和祭典」がテロ攻撃で幕を開け、九六年のアトランタでは爆弾が炸裂した。この例だけでも五輪は決して「時代と政治」の外側に存在しえなかった。
 今年の三月、中国政府によるチベット民族への血の弾圧と強権支配が明らかになるとアテネの採火式に対する「手錠の五輪旗」の抗議を皮切りに、「聖火リレー」への抗議は「フリー・チベット」の声とともに全世界に広がった。「聖火リレー」は中国政府と党官僚にとって世界に「大国中国」をアピールにする本番前の最大のセレモニーであった。
 そのために中国政府は各国大使館や華僑を使い世界各地に散らばる留学生という官僚やエリートの子弟をフル動員して排外主義を煽り五星紅旗を振らせかろうじて「聖火リレー」の破綻をまぬがれた。その一方で中国国内では少数民族に対する弾圧体制をさらに強化し、「異議人士」と呼ばれる民主的活動家を次々に逮捕連行し、「NO!オリンピック」の声を必死に抑えている。
 聖火リレーが中国国内に移動し、世界中の人々から見えなくなり、逆に四川大地震の被害が世界に発信され、中国政府の救援要請が出されるとあれほど大きかった抗議の声は急速に消えていった。それは「平和の祭典を開催する中国が人権弾圧することは許せない」という意識の問題であり、オリンピックはナショナリズムを煽る舞台であるという認識が希薄な結果でもある。
 現在の新自由主義的グローバリゼーションは、競争の原理をテコに一方では戦争を押し進め、他方では富を占有し、世界中に飢餓と貧困を撒き散らしている。アメリカが「対テロ戦争」を叫びイラクやアフガンを占領するのと、中国が資源確保のためにスーダン政府を後押しし、虐殺に加担しているのは全く同質の問題であり、環境破壊問題を取り上げても、アメリカと中国は五十歩百歩である。新自由主義の時代にあってはアメリカやフランスにとって、中国はライバルであっても市場と取り引きを共有する「中間」なのである。G8の洞爺湖サミットが終了するやいなやカルフール問題を通じた不買運動で動揺するサルコジもサブプライム問題で金融危機の真っ只中に立たされているブッシュも開会式への出席を次々と表明した。それは北京五輪に対する抗議の声が後退したのをみて取ったからであり、彼らはG8サミットを通じて新自由主義の枠組みを再調整し防衛に動き始めたのである。
 今日依然として開会式への出席をボイコットすると表明しているのはチェコ、ポーランド、エストニア、スロバキアなど第二次世界大戦中はナチスに、戦後はソ連邦のスターリニストのもとで弾圧され踏みつけられ続けた「小国」だけとなった。G8に参加した「大国」はボイコット派の中に一国も含まれていない。だがチベット民族が血の弾圧にもかかわらず、世界に訴えた中国社会の矛盾は、中国政府と党官僚の思惑とは反対に五輪の開催を通してさらに広がっていくであろう。一億人余の少数民族と四百万人を超える被災者に必要なのはナショナリズムでも五星紅旗でも金メダルでもない。早急な復興であり生活を維持するための仕事である。貧富の拡大の中で切り捨てられる労働者と農民、そして一貫して抑圧され続けてきた少数民族との新たな団結である。

スピード社水着問題が示すもの

 第一回アテネ大会の感想と総括の中でクーベルタンは「オリンピックの歴史の中に刻まれるのは記録ではなく、勝者の名前である。勝者こそ歴史をつくる」と述べている。彼が提唱する近代スポーツが常に勝利を目的にし、そのために鍛え訓練し、それぞれの競技の最高の勝利者を決定するのがオリンピックであることを彼はこの時から見抜いていた。このために五輪は勝者を押し上げる国威の発揚と金メダルを不可欠のものとして最初から出発したといえる。
 国威発揚と勝者の金メダルは感動のドラマとパフォーマンスを要求する。このため他人より一秒でも速く、一ミリでも遠くに跳び飛ばす、さらに誰より強い肉体と道具が求められた。ドーピングと用具開発はオリンピックとともに始まったのである。肉体も用具もルールのギリギリの極限まで追求され、時には勝利のために開催国やIOCにルール変更の圧力をまでかけられた。これこそ五輪のもう一つの歴史そのものである。最近ではスキー板の長さ規制、スケートリッジの変更に始まり、空中での変化が大きい凹凸の大きいサッカーボールの登場などがそれである。さらに肉体改造と緊張を持続させるための新薬は年間数百も開発され、そのためステロイドなどのドーピングをめぐるイタチごっこは一層激しさを増している。サマランチが商業化に踏み出す以前、ドーピングや用具の改良は「国家」の主導で進められたが、新自由主義化の現在は何百万ドルのスポンサー料を支払う企業がその役割を引き受け、ビジネスに直結する新たな商品開発の戦場となっている。
 今回北京五輪を前にして表面化したのは競泳の水着問題であった。六月に開催されたジャパンオープンで英国スピード社製水着レーザー・レーサー(L・R)を着用した十六人がトータル日本新五、自己新八、世界新一の記録を出すに至った。この結果日本水連は契約していたミズノ、アシックス、デサントという国内三社以外の水着の着用を認めざるを得なかった。おそらく北京五輪では参加選手の水着はL・R一色となり、各国の中学・高校が参加する水泳大会でも一年もしないうちにL・Rが世界中を制覇してしまうだろう。すでにL・Rの日本代理店であるゴールドウインの株価は三〇%も上がっている。だがより大きな問題はこの水着が身体を極限までしめ上げ水の抵抗を減らしてスピードをあげるため、選手にサイボーグ化を強制し、さらに選手が着用するのに三人がかりで数十分の時間を要するのに、長時間の着用が身体にどのような影響を及ぼすかも研究されないまま「優秀な商品」として五輪を席巻し市場に出回ることである。
 今回の水着問題は金メダルと商業化が矛盾を引き起こしているだけでなく、選手がメダルのための手段・道具であることが如実に表現されている。新自由主義は、「国家」と「資本」のためにあらゆるものを利潤の対象とする。ここでは五輪がビジネスチャンスであり、選手(人間)が道具として利用されることが先鋭に突き出されている。これこそが現在のオリンピックの姿である。
 オリンピックに反対する闘いは、イラク戦争や環境破壊、貧困飢餓という新自由主義グローバリゼーションと対決する闘いの一部なのである。マスメディアがナショナリズムを煽るこの時こそオリンピック反対!の声を大にして叫ばなければならないし、スポーツもまた新たなオルタナティブが求められている。 (松原雄二)

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またかといわれるかもしれないが、正否は別としていかにも第四インターらしい主張。
 

 

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