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書籍紹介:奇跡のリンゴム「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則
http://www.asyura2.com/08/nature3/msg/455.html
投稿者 金十字架 日時 2009 年 1 月 23 日 19:46:51: mfAWtS4GF8MpY
 

農薬も肥料も使わず、たわわにりんごを実らせる…。ニュートンよりも、偉大な奇跡を成し遂げた男の物語。NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で紹介され、大反響を呼んだりんご農家の挑戦の日々を書籍化。

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

ニュートンよりも、ライト兄弟よりも、偉大な奇跡を成し遂げた男の物語。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)

石川拓治(イシカワタクジ)
1961年茨城県水戸市生まれ。ノンフィクションライター(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


自然農法 わら一本の革命

著/福岡 正信
この書籍が木村秋則氏の自然栽培を決断させた栽培方法の原点です。

http://72.14.235.132/search?q=cache:Sc0NVgzPzUEJ:nyanko001.blog.ocn.ne.jp/kabu/2009/01/post_1a5f.html+奇跡のリンゴ&hl=ja&ct=clnk&cd=7&gl=jp
より転載

 この本は、青森県の木村秋則さんが、害虫や病気の被害による極貧の苦労の末に無農薬・無肥料でリンゴ栽培を成功させたドキュメンタリーです。

 NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも大反響を得て、新たな取材も加えて書籍化されたものです。

 従来、農業といえば農薬・肥料が当たり前で、農薬をほんの数日怠ったばかりに農作物を全滅させること等はよくある話ですが、木村秋則さんはまさにコペルニクス的転回で、大自然の山の中の豊かな虫などの生物相の中で、雑草生い茂る育まれた土でしっかりと根を張り巡らせることによって、とても美味しいリンゴを作ることができることを発見します。

このやり方は、将来に渡って砂漠化等から地球を守るためにも必要な農法だとも思いました。

農業をやる方、そしてその農作物を食べる方、地球環境について考えている方等にとてもオススメな本です!


以下はこの本のポイント等です。

・30年近くも昔、木村がまだ20代だった頃の話だ。彼が減農薬栽培から完全な無農薬栽培に移行し始めたのは1978年頃のことだろう。その年、木村は4ヵ所あったリンゴ畑のうちの1ヵ所、岩木山山麓の88アールの畑を農薬散布のゼロ回区にした。通常は、春先のリンゴの発芽前から農薬散布が始まる。当時の平均的なリンゴ農家は秋の収穫期までの約半年の間に13回前後、様々な種類の農薬を散布していた。その一切をやめてしまったのだ。

・順調だったのは最初の2ヵ月だけだった。7月に入ったとたんに葉に異変が現れた。リンゴの葉が黄色く変色し始めたのだ。病気で葉が落ちると、リンゴの木は懸命に新しい葉を開かせる。ようやく開いたその新しい葉も瞬く間に病気にやられた。斑点落葉病という病気だった。農薬を使わないというだけで、これほどの被害が出るとは思いもしなかった。農薬を1回散布した畑と、1回も散布しない畑では、天国と地獄ほどの差があったのだ。

・夏が過ぎ、秋に入ると、その枯れ山のような畑で、リンゴの木々がいっせいに花を咲かせ始めた。狂い咲きである。葉がほとんど落ちている状態で気温が下がったために、リンゴの木が生理的に春先とよく似た状態に陥ったのかもしれない。他の畑ではリンゴの収穫が始まっていた。秋に花を咲かせてしまったリンゴの木が、翌春に花を咲かせることはない。リンゴが咲かせているのは来年の春の花芽なのだ。来年の収穫もこれで絶望的だった。

・黒砂糖、胡椒、にんにく、トウガラシ、醤油、味噌、塩、牛乳、日本酒、焼酎、米の澱粉、小麦粉、酢・・・・・。有望と思える食品を片っ端から、農薬のかわりに散布してその効果を試し続けた。農薬のかわりになる食品‐。それさえ見つければ、この戦いは終わる。木村はそう考えていた。つまり木村は殺菌剤や殺虫剤ではなく、ある種の忌避剤を探していた。けれど、どれひとつとして、満足な効果は得られなかった。

・1985年の夏の盛り、7月31日の話だ。彼の4つの畑の800本のリンゴの木が衰弱して、枯れかけていた。何も打つ手が思い浮かばない以上、今はまだ辛うじて生きているこのリンゴたちも、やがて病と虫に負けて枯れていくしかない。すべてのリンゴの木が枯れて、すべてが終わりになるだけだ。6年登り続けて、山が自分には高すぎることを思い知らされただけだった。1本の太いロープにして、誰にも見つからないところまで登って、そこで死のうと木村は考えた。そのロープの端が指をするりと抜け、勢い余ってあらぬ方向へと飛んでいった。この期になってもへまをする。なんて駄目な男なんだと思いながら、ロープを拾いに山の斜面を降りかけて、木村は異様なものを目にする。月の光の下に、リンゴの木があった。まるで魔法の木のように、そのリンゴの木は輝いていた。のびのびと枝を伸ばし、そのすべての枝にみっしりと葉を繁らせている。条件反射のように誰が農薬を撒いているのだろうと思った。そんなわけがない。もちろんあの木には一滴の農薬もかかっていないはずだ。害虫の姿はなかった。ほとんどの葉が健康そのものだった。6年の間、探し続けた答えが目の前にあった。森の木々は農薬など必要としていないのだ。

・麓の畑のリンゴの木も、このドングリの木も、同じ岩木山の空気を吸って、同じ太陽の光を浴びている。条件はほとんど変わらない。ただ、決定的に違うことがひとつあった。雑草が生え放題で、地面は足が沈むくらいふかふかだった。土がまったくの別物だったのだ。これだ、この土を作ればいい。

・病気や虫のせいで、リンゴの木が弱ってしまったのだとばかり思っていた。それさえ排除できれば、リンゴの木は健康を取り戻すのだと。そうではない。虫や病気は、むしろ結果なのだ。リンゴの木が弱っていたから、虫や病気が大発生したのだ。ドングリの木だって、害虫や病気の攻撃に晒されているはずなのだ。それでもこんなに元気なのは、農薬などなくても、本来の植物は自分の身を守ることが出来るからだ。それが自然の姿だ。そういう自然の強さを失っていたから、リンゴの木はあれほどまでに虫や病気に苦しめられたのだ。自分のなすべきことは、その自然を取り戻してやることだ。

・そもそも温度からして違っているのだ。深く掘っても、山の土の温度はほとんど変わらない。表面に近い場所から、何十センチもの深さまで温度はほぼ一定だった。ところが畑の土は、10センチ掘るだけで極端に温度が低くなるのだ。

・「実を言うと、雑草のことでは前に親父と言い争ったことがあるんだ。親父は、雑草を抜くなと言ったの。例の南方の島で、雑草のあるところで作物が良く育つという経験をしていたんだな。私はその話が信じられなかった。それじゃなくても、リンゴの木は弱っているわけだ。雑草なんか生やしていたら、養分を奪われてもっと弱ってしまうと思ったのさ。だけど、親父の言う通りだった。雑草が土を耕してくれていたんだな。雑草は雑草で、役割を果たしていたわけだ。

・リンゴの木は、リンゴの木だけで生きているわけではない。周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、自分独りで生きていると思っている。そしていつの間にか、自分が栽培している作物も、そういうもんだと思い込むようになったんだな。農薬を使うことのいちばんの問題は、ほんとうはそこのところにあるんだよ。

・翌年の春先には新しい枝が10センチほど伸びていた。何年も生長を止めていたリンゴの木が、ふたたび生長を始めたのだ。そして、畑の入口にある1本のリンゴの木が花を咲かせた。無農薬を始めたときには800本あったリンゴの木の約半分が枯れていた。400本あまりのリンゴの木のうちの1本が、7個の花を咲かせたに過ぎない。その7つのうち2つが実をつけた。収穫出来たリンゴはたったの二つだ。そのリンゴは神棚に上げて、それから家族全員で食べた。驚くほど美味しかった。その年、晩秋になって落葉するまでリンゴの木は3分の2以上の葉を残していた。木村の長い苦闘がようやく終わろうとしていた。

・白い花が見えた。畑一面に白いリンゴの花が咲いていた。何年も花を咲かせなかったリンゴの木々が、いっせいに花を咲かせていた。本当に感動したとき、人は言葉も、表情すらも失ってしまうものらしい。何か言葉を発することも、そこから動くことすら忘れて、夫婦二人はその場に立ち尽くしていた。夫の目にも、妻の目にも、うっすらと涙が浮かんでいる。9年ぶりのリンゴの花見は、涙に濡れていた。

・まあ、そういう感じで、ほんとに少しずつではあったけど、私のリンゴを買ってくれるというお客さんが増えていったのな。あの時代を乗り越えられたのは、とにもかくにもお客さんたちのおかげだ。甘くなくても傷があっても食べるから、頑張ってくれって。私を支えてくれたのな。リンゴの実をならせるのはリンゴの木で、それを支えているのは自然だけれどもな、私を支えてくれたのはやっぱり人であったな。

・考えてみればよ、カマドケシだ、バカだと、周囲から白い目で見られたのも事実だけれど、そういう時でも味方をしてくれる人はいたのな。私が電気代とか水道代が払えないときにこっそり払ってくれていた友達もいたし、スクラップ屋の人もそのうち代金を取らないようになったの。「これ持ってけ」って、程度のいいエンジンとかを取っておいてくれたりな。お金を借りていた銀行の支店長も、利息だけでも払おうと思って私がお金をかき集めて行っても受け取らないことがあった。「それ払ってしまったら生活費がなくなるだろう」って言ってな。税務署にも赤紙は貼られたけどな、課長さんは「いつかあんたの時代が来るから」って、ずっと励ましてくれていたしな。リンゴの木が、リンゴの木だけでは生きられないようにな、人間もさ、一人で生きているわけではない。私もな、自分独りで苦労しているようなつもりでいたけどよ、周りで支えてくれる人がいなかったら、とてもここまでやって来られなかった。

・木村の畑の姿は、その後も刻々と変化していった。大豆は5年目に播くのをやめた。根に根粒菌がつかなくなったからだ。土壌に窒素が不足していれば、大豆は根に根粒菌を共生させて窒素分を補給する。5年目に根粒菌がつかなくなったのは、畑の土壌に十分な窒素が行き渡ったからに違いない。その証拠に根粒菌の数に反比例してリンゴの木は元気になった。リンゴの木だけでなく、畑全体が元気になったといった方がいいかもしれない。雑草も虫も、種類が圧倒的に増えていた。何千種類の生物が、たがいに競争したり、依存したりしながら、生態系というひとつの織物を織り上げていった。

・大豆の姿が畑から消えると、湿気を好む草が勢力を伸ばすようになった。その草の優位が何年か続いた後には、また別の種類の草の天下がやって来た。万華鏡を回すように、季節ごと、年ごとに、種々の草の生長が畑に描く模様が変わっていった。虫たちの世界にも、同じようなことが起きた。葉が繁るようになって、ハマキムシやシャクトリムシが以前にも増してはびこるようになると、今度はそのハマキムシやシャクトリムシを餌とする昆虫が目立つようになった。おそらくそこで起きたことは、ある種の自然界の綱引きなのだ。そういう綱引きは、たとえば土中のような畑の目立たない場所でも起きていたに違いない。綱引きが繰り返されるごとに、畑の生物相は豊かになった。多種多様な生物が棲むようになって、畑の生態系はより弾力のある安定を獲得する。多様な生物の営みが畑の生態系をより柔軟で強靭なものに変えていったのだろう。

・木村はリンゴの葉の葉脈を見ながら、枝の剪定をする。葉脈の形と、リンゴの木の根の張り方が一致しているからだと言う。葉脈を見て根の張り具合に合わせて枝を切れば、それがリンゴの理想的な樹形なのだ。根を観察し、葉を観察して、そうだと直感したのだ。そして大切なことは、その直感に従って剪定するようになってから、リンゴの木が以前にも増して豊かに葉を繁らせ、より大きな果実をつけるようになったということだ。

・畑の姿は1年ごとに変化を見せながら、リンゴの生育にとって理想の状態に近づいていった。かつてあれほど大量に発生したハマキムシは、2000年を過ぎた頃からどういうわけかまったく姿を見せなくなった。だから虫取り作業をする必要もない。また斑点落葉病や黒星病が葉につくことはあるが、ごく少数の葉や実を冒す程度で終わる。

・病気が発生しても、畑に広まらないのだ。農薬を散布していないのに、なぜそういうことが起きるのか。おそらく最大の理由は、畑に余分な栄養分が存在していないからだろうと木村は言う。肥料というものは、それが化学肥料であれ有機肥料であれ、リンゴの木に余分な栄養を与え、害虫を集めるひとつの原因になるということだ。肥料を与えれば、確かにリンゴの実は簡単に大きくなる。けれど、リンゴの木からすれば、安易に栄養が得られるために、地中に深く根を張り巡らせなくてもいいということになる。その結果、自然の抵抗力を失い、農薬なしには、害虫や病気に勝つことが出来なくなるのではないかと木村は言う。

・どのリンゴの木が枯れるかはランダムで、場所による規則性のようなものはもちろんなかった。強いリンゴが生き残り、弱いリンゴが枯れたのだろう。ところが、例外がひとつだけあった。ドミノを倒したように、その一列のリンゴの木だけは全滅していた。木村はそのことを今も深く後悔している。木村が声をかけずにすませたリンゴの木は、一本残らず枯れてしまっていたのだ。

・昔は私も大規模農法に憧れたけど、その大規模農法地帯はどんどん砂漠化しているわけだからな。アメリカの穀倉地帯も、昔のソ連の集団農場も、今どうなっているか見たらすぐわかる。どんなに科学が進んでも、人間は自然から離れて生きていくとは出来ないんだよ。だって人間そのものが、自然の産物なんだからな。自分は自然の手伝いなんだって、人間が心から思えるかどうか。人間の未来はそこにかかっていると私は思う。

・エジプトもメソポタミアもインダスも、古代文明の繁栄した土地は、ことごとく砂漠化した。森林を伐採し、破壊し尽くしてしまったからだ。現代人は古代人の思慮の足りなさを笑うかもしれない。けれど、我々が笑っていられるのは、単に化石燃料を使う技術があるからに過ぎない。化石燃料が枯渇するのが先か、それとも環境が回復不能なところまで破壊されてしまうのが先かはわからないけれど、いずれにしてもそうなれば、農薬や化学肥料が不可欠な現代の農業が破綻することは目に見えている。

・木村はこの何年間も全国を回って農業指導を続けている。相手はリンゴ農家だけではない。米に野菜にお茶、オリーブやマンゴーの栽培者までが、農薬も肥料も施さない、より自然に近い農業に移行するために、木村の助言を受けるようになったのだ。そして木村の助言を受け入れた農地は、水田であろうが畑であろうが見違えるほど豊かになった。評判が評判を呼んで、近頃では国内だけでなく、外国からも招かれて講演をしたり、農業指導をするようになった。

・木村が本気だなと思うのは、米にしても野菜にしても、無農薬無肥料の栽培で収穫が安定してくると、次は出来るだけ価格を下げるようにとアドバイスしていることだ。木村の作ったリンゴも、その美味しさと希少価値を考えれば今の値段の5倍にしても売れるに決まっているのに、木村は絶対にそうしようとはしない。出来ることなら日本中の人に、自分のリンゴを食べて貰いたいくらいなのだ。少なくとも、誰にでも買える値段でなければいけないと木村は思っている。

<目次>
まえがき NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」ディレクター 柴田周平
奇跡のリンゴ
木の上に広がる青空 脳科学者 茂木健一郎  

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