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イージス艦と漁船衝突に垣間見える日本溶解(神州の泉より)
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投稿者 JAXVN 日時 2008 年 2 月 22 日 12:35:06: fSuEJ1ZfVg3Og
 

「イージス艦と漁船衝突に垣間見える日本溶解

 19日午前4時7分ごろ、千葉県房総半島野島崎南42キロ沖の太平洋上で、海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」とマグロはえ縄漁船「清徳丸」の衝突事故があった。連日このニュースが続いているが、真っ二つに破断した「清徳丸」に乗っていた父子の消息がまだわからないのは、この知らせに暗澹たる追い討ちをかけている。親族や漁協仲間の思いはいかばかりだろうか。

 さて、衝突の悲劇から一転目を逸らして、この事件が持つ深刻な背景を考察すると、日本という国家が崩壊寸前まで来てしまったことを悟る。今の日本は防衛省に限らず、社会保険庁、外務省、財務省等、国家の枠組みを構成する重要な組織が軒並み制度疲労を起こし、官吏たちの綱紀の緩みが進んだ感じがある。今回のイージス艦の衝突事件は起こってはならない類のことである。最新鋭の索敵システムと迎撃装備を持つ巨大護衛艦が一般民間漁船に気が付かずにいたことを重大視する人は多い。基本的にイージス艦というのは、洋上や対空監視で接近する物体を捕捉して、瞬時に不明物体の進路や国籍、敵性かどうかを判断する装備に最も優れた船であるというのが、おおよその思いではないだろうか。わずか七トンの小型船であっても、強力な爆薬を積んでテロ目的で接近していた場合、イージス艦「あたご」は深刻なダメージを受けていただろう。

 この事態を軍用艦と民間船の不幸な衝突事故という位相で見過ごしていいのだろうか。イージス艦本体と装備一式で1800億円(?)もかかっている最新鋭の護衛艦が、たとえ民間の漁船であろうとも不用意に接近を許していいわけはない。これが大東亜戦争時の海軍船であったなら艦長は間違いなく切腹ものだろう。軍事技術的に国防の最先端を任じる護衛船が民間船と接近、衝突を起こしたという事実は致命的だ。もし、海上自衛隊員に武人の魂があるなら、これほど恥ずかしい事件はないだろうと思う。一般の民間人が素直に感じているように、国土と国民を守る責務がある護衛艦が、武装も何も持たない七トンの小型漁船を破壊し、漁船員二名を真冬の漆黒の海に投擲したという事実は衝撃的である。

 今までのニュースを観ていると、「あたご」の方に回避義務があったということが確定的になってきているし、防衛省側の情報が二転三転していることも事態を悪い方向に進めているようだ。石破大臣が就任してから防衛省関係の失態が続いている。昨年12月、停泊中の護衛艦「しらね」の火災、 イージス艦中枢情報の漏洩事件があり、その前は守屋氏の証人喚問とか、省の不祥事が続出している。

 目前のできごとを性急な結論に導く前に、自衛隊員のみならず、国民全体の国家意識がそうとうに危うくなってきていることを指摘することは重要だと思う。戦後63年経っても、自衛隊の身分はいまだに確立されていない。これは日本人全体に国家観の溶解が進んだという現象として見る以外にない。GHQは日本民族の精神改変に臨み、江藤淳氏の言った「閉ざされた言語空間」の中で、マスコミを使って執拗に日本人に東京裁判史観を植えつけた。WGIP(War Guilt Information Program)である。先の大戦贖罪史観によって、日本人は徐々に正統な国家観と国防意識を忘れていった。その結果、国民は自衛隊に国防を期待する意識がほとんどなく、わずかにあるのは、何か突発的に有事が起きたら庶民に迷惑を掛けないように防衛してくれという程度である。自衛隊に万全な防衛力を求めない国民意識の基底には、おそらく安保によって駐留米軍が日本を守ってくれるだろうというはかない期待がかけられている。日本人は60年という歳月の中で、共同体的バンドリングを喪失し、同時に国家意識を消失させてしまったのだ。

 戦後民主主義教育の中で、人権と個人的自由のみが唯一の価値のように叫ばれ、GHQが基礎を作った東京裁判史観が国民を囲繞した。日本人は軍国主義という錯誤的言葉によって正統な国防観念をすっかり失ってしまった。そういう国家溶解的潮流の中で、中曽根政権が新自由主義経済を日本に持ち込み、そのネオリベ経済はイデオロギー的にも、戦後民主主義の反国家思潮と共振作用を起こした。そして、小泉政権に至っては完全に新自由主義を導入し、政権自らが国民の代弁者ではなく、アメリカ隷従への道を選択してしまった。こういう流れの中で、自衛隊や官吏の綱紀の緩みは国民全体の国家意識の溶解と呼応しているのだ。日本人は植えつけられた戦争への贖罪感から、共同体や国家という観念を、まるで忌避すべき悪魔のキーワードのように意識から除外してしまったのだ。戦後日本人の意識を強く拘束したのは軍部が戦争を主導し、一般国民がそれに扇動されてしまったという悪質な階級闘争史観であった。この階級闘争史観によって日本人は真の敵を見失い、同じ自国民の軍部に戦争責任をなすりつけ、アメリカの侵略主義を思考の枠外に押しやった。その結果、いろいろな意味で祖国を守り抜くという重要な感性が完全に鈍磨してしまったと見るべきである。

 国家意識の決如は軍事だけではない。食糧安保の考え方が出てこないところもそうである。中国の毒入り餃子の件が起きる前から、有害な高濃度農薬入りの野菜が問題になっていたが、与党政権は食糧自給についてまったく思考停止的であったし、今もそうだ。BSE疑惑の解けないアメリカ産牛肉も言われるがままに輸入している。食料の過剰な海外依存も国防観念溶解の証左だ。木材の外材輸入もそのひとつだ。世界の環境問題も視野において可能な限り国内需要に切り替え、計画的に林野行政を行なうべきだった。食料に関して言うなら、もし、中国やアメリカが戦略物資としての食料輸出を止めた場合、日本はいきなり飢餓国家となる。こうなった時、日本人が生きていくには卑屈な隷従以外に道はない。

 防衛省や社会保険庁の堕落を咎めることは必要だろう。しかし、大きく眺めれば日本人全体に国防観念を醸成することが重要ではないだろうか。低落した今の日本人でも、家族は大事である。家族を守ろうとする意識が時代を超えて普遍だとしたら、我々一人ひとりが帰属する国家が重要であることは当然の論理的帰結になる。日本人が国家を悪いものとしたら、帰属する空間が確保できなくなる。国家防衛を捨てて他国の蹂躙に任せたら、家族も守れなくなるのだ。この単純な事実を認めることが先決だと思う。

 最後に有名な「ハインリッヒの法則」というものがあって、ここには「1:29:300」という対比的数字が存在する。数字の意味は、重大な災害を1とすると、軽度の事故が29、そして事故寸前の軽微な危うさが300あるというもので、これは1件の重大災害が発生する背景には、29件の軽度な事故と300件のはっとしたできごとがあるという。これが事実だとすれば今回のイージス艦の事故は果たして最重要な「一件」の事故だろうか。もしかしたらこれは「29件」に該当しているのかもしれない。300件にかんして言えば、表には出ないところですでに発生していたと考える方がいいだろう。もしかしたら自衛艦の今回の件は、これからハインリッヒの法則で言う最大級の事故、事件が起きる予兆として捉えた方がいいかもしれない。」

http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2008/02/post_c0d3.html

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